第19話 老獪な駆け引き


 剣聖アイザック・ルヴァンによるエキシビション・マッチは続いていた。

 士官候補生たちの訓練展示。

 模擬戦闘トーナメント決勝戦をまえにして、ベクスタ学園都市名物の大運動場スタジアムは異様な熱気に包まれている。


 そのさなかメイルゥもまたある種の特別な緊張感を強いられていた。

 隣に座るのはサムザント公国侯爵ウォルター・ボーモントだ。

 先王ニコラス九世の実弟にして、ボーモント領主。

 サムザにおける「法」の象徴ともいうべき『紺碧のローブローブ・オブ・アズール』の継承者である。


「サムザント大公の家老として申し上げたい」


 ほんの数分まえまで笑顔で交わしていた言葉がいまでは鋭い刃のようだ。

 それはまるで眼前で行われている演武にも似ている。


 メイルゥは左の耳で家老のお小言を聞き流しながら、右の耳では数日まえのデニス・ルブランとのやり取りを反芻していた。あの壮年の色気がにじみ出るハスキーヴォイスを思い出すにつけ、改めてかの車いすの紳士の聡明さに驚かされるのである。

 なぜなら彼が美術館で放った「予測」は、気持ち悪いほど的中していたからだ。


「弱気を助け強きをくじく、また仁に厚く義を重んずる。まさにあなたはサムザの英雄たる働きをなさる。これまでも、そしてこれからも。ヤクザものとの一件などは、この私さえ年甲斐もなく心が踊ったものです」


 長い眉毛のしたにある目を細めてウィルター公は語った。


「魔導王朝の残党が引き起こした悲劇的な事件には、陛下も心を痛めておりました。起こってしまったことは消せませんが、早期に解決出来て本当によかった。すべては閣下の人徳のなせる御業でございましょう」


「えらく持ち上げるじゃないか」


「いやなに事実を言ったまでのこと。しかしながら――」


 ほれきた、と。

 メイルゥは内心舌を出していた。

 一方、ウォルター公はとくに声を荒げることもなくこう続ける。


「ケフラー・ノートン伯爵の件。あれはいかがなものですかな」


「『夜会』のことかい。なにか問題だったかね」


「端的に申し上げれば少々刺激が強すぎましたかな。内容が内容だ。もっと慎重にことを運びませんと、国民にいらぬ不安を与えかねない」


「だから事実を捻じ曲げて、嘘の報道をしたってわけかい」


「――あなたのやりようでは王室にまで累が及ぶと申し上げておるのだ!」


 ここで初めてウィルター公は感情をあらわにした。

 手にした笏をぎゅうと握りしめた。

 彼の枯れ枝のような指先が声なき悲鳴をあげている。


「彼らの蛮行については元老院でも内偵を進めていた。まさかあれほどとは……」


「そう思うならいっそのこと世間に打ち明けちゃどうだい」


「近隣諸国の価値観に触れ、国民の生活様式が急速に変わりつつある。ただでさえ封建的な身分制度には厳しい意見が増えているというのに、これ以上、貴族への不信感をいたずらにあおってどうなさいます」


 閣下――と。

 ウォルター公はどっと疲れたように、老体を笏にあずけてうなだれた。


「かつてニコラス三世はあなたに『サムザの民は等しく我らの子供である』と仰せになったはず。どうかそれをお忘れなきよう。出来の悪い子ほど可愛いと申しましょう。われらにご慈悲を……なにとぞ……」


 こいつ……芝居がかったことしやがって――。

 神妙な面持ちでウォルター公の話を聞いていたメイルゥだったが、内心でははらわたが煮えくり返っていた。魔法による読心術は自らで封印はしているが、彼の「おねだり」するときのクセはむかしからよく知っている。まるで世界中の不幸を自分ひとりで背負っているかのような顔をして、ほかの誰かに責任を転嫁するのだ。


 自分は絶対的に安全な立場から、顔も知らない不特定多数を非難する。

 とても褒められたやり口ではないが、彼はこの交渉術でいくつもの実績を残していた。

 まったく腹の立つことこのうえない。

 しかもニコラス三世の名まで出されてしまっては、さすがのメイルゥもいくらか折れるしかないだろう、と。ウォルター公はそれを知っているのだ。狡猾である。


「ほう……そこまでお言いかい。さすればわれに何を望む」


「逮捕者たちへご支援を」


「金か?」


 間髪を入れない魔女の反応に、歴戦の侯爵も言葉を呑んだ。

 顔色ひとつ変えないが、明らかに不快な一言だったのだろう。それでもメイルゥの静かな叱責は続いた。

 

「しかしな侯爵。事態が事態だ。なんのお咎めもなしというわけにもいかんだろう。ましてや逮捕者の多くは特赦により監獄行きを免れたと聞く。ならば保有資産の一部凍結くらいがこの際、やはり妥当なんじゃないかい」


「彼ら先祖代々の歴代王家に対する献身と忠誠を考えますれば恩赦は当然の沙汰であり、国民に対しなんら恥ずべきことではありませんぞ」


「ノートンもかい」


「……」


 ケフラー・ノートン伯爵。『夜会』の主催者であり、今回の事件の実質的首謀者だ。

 多くの貴族やその子息たちを取り込んだ手腕は見事だったが、彼自身は譜代の忠臣というわけではなく、戦後、隣国から亡命を果たした資産家のひとりであった。

 いわゆる爵位を金で買った成り上がりものであり、王室に連なる血統などそもそも持ち合わせていないのである。


「トムや」


「――はい」


 ウォルター公がボーモント侯爵に叙せされるまで、彼の名はトーマス・テイルズ・サムザントと言った。

 ニコラス八世の第二王子として生まれ、幼き頃の愛称はトムであった。


 メイルゥはいまサムザント家老としての彼ではなく、愛らしくも生意気だったかつての弟王子に向かって語り掛けている。


「子の過ちは身をもって正すのが親の務めだ。ならばサムザの母たるこのメイルゥがバカ息子たちを放っておけるとお思いかい?」


「返す言葉も――ありません――」


「おまえさんの腹は読めてる。かと言って無下にもすまい。だが、あたしもいまや下町に住んでるただの婆さんだ。言うほど老後のたくわえもなくってね」


「ご謙遜を」


「いやいやほんとさね。そこでな、ひとつ勝負といかないかい?」


「しょう、ぶ、ですか?」


 これには老獪な侯爵も面を食らったのか、普段は長い眉毛に隠れている目をまん丸にして驚いていた。

 メイルゥはいたずらな笑みをかみ殺しながら、あの日、デニス・ルブランが提案してきた驚愕のプランを思い出す――。


「ギャンブルだって?」


 ルブラン美術館の二階、美しいサムザント様式の庭園を見下ろすテラス席にて。

 メイルゥは、老女中マーサが淹れてくれた紅茶の香りを楽しみつつも、その主デニスが口走った突拍子もない計画に度肝を抜かれていた。


「はい。正確には公営競技法に則った新規事業ということになりますが」


「その売り上げを逮捕者連中の救済金にするってのかい。たしかに金を集めるには手っ取り早いが、ほかの貴族たちから反感を買わないか?」


「あくまで資産凍結が解除されるまでの一時的な収入源という措置ですから、あわれみを誘いこそすれやっかまれる心配はないでしょう。それにタダでとはいきませんしね」


「楽しそうだね、子爵」


 メイルゥの言いように、デニスは口元を緩ませる。

 かぶりを振り「いやいや」とうそぶいた。


「彼らには共済金を与える代わりに、各地での興行権を運営当局に売却させます。以降、興行の売り上げの一部は、国内の公共事業や難民救済の資金として寄付させます」


「おお~」


「国民にとっては手軽な娯楽が出来ますし、必然的にヤクザものたちもそのおこぼれに預かることになる。これで民、官、臣、三方良しの事業の出来上がりだ」


「いまの行政府におまえさんほどのやり手がいればね」


「あとはどんな興行をするかですが」


「ああ。それならアテがある。きっと盛り上がるよ――」


 ガキンっという甲高い金属音がスタジアムに鳴り響く。

 白熱した演武を続けていた剣士たちの決着がついた。お互いの剣がヒルト(鍔元)からぽっきりと折れたのである。


『そこまで! 互いに礼!』


 場内アナウンスが高らかに宣言する。

 引き分けだ。

 しかしそれが剣聖ルヴァンによる『接待』であったことは、広いスタジアムのなかでもメイルゥや一部の手練れ、そして対戦相手のサム・ローデリア以外は知る由もない。


「自動車レースですと?」


 エキシビション・マッチも終わり、いよいよベクスタ王立軍士官学校の生徒たちによる模擬戦闘トーナメントの決勝戦が行われようとしている。

 その準備のさなか、メイルゥはウォルター公にひとつの提案をした。


「そうだ。近いうちに『シエナの街』でサムザ初の自動車レースを企画している。そこであたしとサシの勝負をしようじゃないか」


「――ルールは?」


 乗ってきた――。

 王侯貴族はむかしから賭け事に目がない。

 メイルゥは、ウォルター公に見えないようにして、距離を置いて脇にはべっているジョニーへと親指と人差し指で作った丸印のサインを送った。

 しかし当然のことながら、彼にはそれが何を意味するかなど分からない。


「お互いの代理としてレーサーを立てる。市街地コースを50周して先にゴールしたほうが勝ち。シンプルさ」


 ふむ――。

 ウォルター公は自慢のあご髭を幾度か撫でると、魔女に鋭い視線を向けた。


「いいでしょう。して掛け金は?」


「個人資産の三分の一」


「なんと――」


「安心しな街中に設置する観戦席のチケットとは別に、公営賭博としてくじを販売する。運営のあがりはバカ息子たちにくれてやるよ。その代わりに今後そいつらの領内でレースをする際の興行権を運営が買い取る。今回はそれで勘弁してやる」


 メイルゥはきししっとヤニで薄汚れた歯を見せて笑った。

 まるで絵本に出てくる悪い魔女そのものである。


「名付けて『シエナ・グランプリ』だ。詳細はあとで書面にして送るよ」


「――心得ました」


 そういうとウォルター公はその場を立ち上がった。

 とき同じくして、まさに決勝戦が始まろうとしているところである。


 戦闘服を着た一チーム三十名の学生たちが、前衛と後衛とに分かれて布陣している。模造品の銃剣を手に、障害物だらけの競技場を駆け上り、お互いの陣地にある五つのフラッグを奪い取るか、チームを全滅させれば勝利となる。


「観ていかないのかい?」


 立ち去ろうとするウォルター公の背中に、メイルゥの言葉が突き刺さる。

 一度歩みを止めた老侯爵。

 だが、その憂いを帯びた瞳で戦場を見つめるやいなや、


「真似事とはいえ、もう戦争はこりごりですな……」


 周囲に聞こえるかどうかという細い声でそう言い残し、物々しい警護を引き連れてスタンド席をあとにした。

 海の色をしたローブが風に翻り、メイルゥの視界を覆う。


「分かってるさ」


 彼女もまたぽつりとそうつぶやく。

 熱く、哀しく。

 しかしそれすらも熱狂する場内アナウンスにかき消されるのだった――。


『さあ、伝統の一戦がいま始まる! 模擬戦闘トーナメント決勝戦! 始めいっ!』

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