第18話 ボーモント侯爵


 それはある日の昼下がり。

 世にもおぞましい背徳貴族たちの『夜会』を、救国の英雄こと魔女メイルゥが壊滅させた数日後、ルブラン美術館でのことだった。


「まずはお茶でもしようじゃないか」


 メイルゥにうながされるまま、車いすの紳士は、かつて自らが寄贈した『若き日のニコラス三世とシエナ妃の肖像』のまえから、サムザント様式の美しい庭園を一望できる、二階のテラスへと所在を移した。


 デニス・ルブラン子爵――廃坑の街に住む田舎紳士。

 かたわらには老女中のマーサが侍っており、流れるような動作でアフタヌーンティーの支度をしている。

 紅茶もお茶請けもすべて屋敷から持参してきているので、美術館側の女中たちには一切の手間を掛けさせなかった。


 というよりも、その行動にはすべて「まがい物の茶など主に出してみろ、殺すぞ」という意味合いが込められているので、いまやすっかりメイルゥの従者として板についてきた黒騎士ダンテ・ブラックといえども、おいそれと手が出せない。

 彼女は一流のハウスメイドにして一流のガンスリンガーでもある。

 邪魔をしたらあとが怖い――。


 配茶が終わるとマーサはおのが主人の後ろへと下がった。

 メイルゥは彼女の焼いたスコーンに舌鼓を打ち、遠きあの日、肖像に描かれたふたりとも楽しんだ甘い香りを味わった。


「では話を聞こうか、わが参謀殿」


 蝶をあしらったティーカップ片手に魔女がそう切り出すと、デニスは「お戯れを」とはにかんだ笑顔を浮かべた。


「まず警戒すべきは『夜会』の解体により不利益を被るものたちからの報復――とりわけ裏社会の商売に精通しているものやヤクザもの、それから――」


「貴族、か」


 デニスは無言でうなずいた。


「ひとたび手に入れた退廃と愉悦を彼らが手放すとは思えない。規模は違えど、また新たな『夜会』を誰かが興すのは時間の問題でしょうな」


「度し難いね、まったく」


「今回の捕り物で逮捕に至ったメンバーは全体の約半数と言ったところでしょうな。またノートン伯爵をはじめ、そのうちのほとんどが一両日中には保釈されますかと」


「やれやれ。こっちは腹まで割かれたってのに、またふりだしかい」


 ただでさえシワだらけの顔に侮蔑のこもった深い渓谷を刻み込んだ。

 苦々しく紙巻きをくわえると、背後からブラックの手にしたオイルライターが差し出された。肺にため込んだのはタバコの煙か、はたまた怒りの念か。

 くゆらせる紫煙はゆらゆらと頼りなく天への昇る。

 その様はやるせない魔女の胸の内をありありと物語っていた。


「そう悲観したものでもありますまい」


 とは、こちらも一服を点けたデニスの言葉だ。

 マッチを擦るリンの匂いがぷんと香り、紅茶の甘い芳香に包まれすぐに消えた。


「少なくともけん制にはなった。もはやひとの生き胆を食らおうなどとは夢にも思わないでしょう。なにせ寝物語に聞かされた魔女が目を光らせている。まともな神経の持ち主ならそのリスクを冒してまで後追いをするとは思えない」


「だといいけどね」


「ただ今回の事件。新聞各社は貴族たちによる『公金の不正使用発覚』という見出しで報道を行うようですよ」


「……手が回ったか」


 一瞬、言葉に詰まったメイルゥだったが、すぐにすべてを察する。

 デニスはタバコの灰を床に落として「はい」と答えた。


「事実がそのまま明るみに出れば、混乱どころの騒ぎではありませんからな。それに王侯貴族のスキャンダルともなれば各国首脳に王室解体の口実を与えてしまう」


「あたしは最悪それでもいいと思ったけどね」


 悪びれずそうのたまうメイルゥに、さしものデニスも苦笑いだ。


「まあそうおっしゃらずに。サムザの民にはまだまだ王室が必要なんですから。ましてや諸外国が、自国の常識を根付かせようと躍起になっている渦中ですので、いま精神的支柱を失っては容易く乗っ取られてしまいましょう」


「くくく……サムザの民は頑固だからね。隣国も学校建てたり会社を作ったりしちゃいるが、なかなか自国色に染まらなくてイライラしてるらしいよ」


「みんなメイルゥさまに似たんですよ」


 デニスがさも嬉しそうにそう返すと、偉大なる魔女は照れくさそうに鼻の頭をカリカリと引っかくのだった。


「ま、そういうことにしておくよ」


 マーサに紅茶のおかわりを催促すると、メイルゥは桃のタルトに手を伸ばした。


「しかしあれだね。国中の報道機関すべてに圧力を掛けられるとなると、相当な大物が関わっているね。誰だい?」


「閣下のご想像の通りかと思いますが?」


「……ウォルターか」


 メイルゥの脳裏にはいまひとりの人物の姿が浮かんでいる。

 ウォルター・ボーモント侯爵。

 齢八十にして眼光鋭く、権威のうえでもいまだ他の追随を許さない。

 先代大公の実弟にしてボーモント領主であり、その広大な支配領はじつにサムザント全域の四分の一にまで及ぶ。


 爵位においても伯爵であるメイルゥよりも序列が高い。サムザの最大戦力である彼女に命令を下せる数少ない人物のひとりだ。

 また現在の大公家に嫡男が生まれるまでは、実質的な王位継承権第一位であった。


「アレは小さいときから野心家でね。よく兄貴よりも自分のほうが王に相応しいと豪語していたもんさ」


「お噂だけはかねがね――。隣国との和平交渉でも陣頭に立ってらっしゃったとか」


「食えない男さ。ヤツにとっちゃあたしですら交渉の材料にすぎないからね」


 本気とも冗談ともつかぬ口調でメイルゥが悪態をつくと、デニスはどんな顔をしていいものかと眉根を寄せる。

 当の本人は意にも介さず「マーサ、このタルト美味しいね」と上機嫌である。


「しかし――ヤツが『夜会』のメンバーだったとは意外だったね。むかしから腹に一物ある男ではあったが、そういう道の踏み外し方するとは思わなんだ」


「あ、いや、そうではなくてですね」


「ん?」


「『夜会』メンバーの多くが、侯爵の所有する関連企業の顧客なのです」


 デニスは懐から一枚の紙を取り出すと、それをメイルゥへと渡した。

 手についたタルトの食べカスをパンパンっと払った彼女は、受け取った紙を広げて目を細めた。

 紙面には見覚えのある紳士たちの名前と、けっして少額ではない金銭のやり取りを意味する数列が記されていた。


「何だいこりゃ?」


「侯爵の顧客リストです。逮捕された『夜会』メンバーを抜粋いたしました」


「こりゃまた――よく手に入ったもんだ」


「彼らも一枚岩ではありません。今回の事件を受けて、私に保護を求めてきた者たちが少なからずおりまして」


「なるほど。しかしとんでもない額だね」


 魔女はその額面に目を丸くする。


「罪状は一般には公表されませんでしたが、逮捕者たちの私財は司法省最高判事の命令で差し押さえられました。しばらくは何をするにも事欠きましょう」


「バシャール判事か。いい仕事するね、あの男」


「つまり侯爵はリストの金額分だけ損益を出したことになります。各所にばらまいた賄賂も相当なものになったでしょうな」


「う、なんか嫌な予感がするんだけど……」


「閣下、ご注意くださいまし。おそらく侯爵はこの損益分をあなたに負担するよう働きかけてくることでしょう」


 メイルゥはリストを机上へと投げ捨てると、新たに一服をつける。

 小さい文字の見過ぎでかすれた目元をよくもみほぐし、紫煙混じりの深いため息をつくのだった。


「逆恨みもいいとこじゃないか」


「同感です。しかし事態が事態ですから大っぴらに訴え出ることもしないでしょう」


「ならば今後ヤツはどう動く?」


 デニスはほどよく冷めた紅茶を一口。

 パサついた唇に適切なうるおいを呼び戻したあと「そうですね――」と切り出した。


「もしやベクスタ学園都市での年次式典には?」


「ああ、行くつもりだよ。今年は陛下直々のお招きなんでね。本人は来ないが、娘たちが来るそうだから顔出そうかと思ってね」


「おそらく直近ですと、そちらで接触してくる可能性が高いでしょう。陛下の名代として申し分ありませんし、まず来場は間違いない」


「うえ~めんどくさい。貴賓席に行くのはやめとこう」


「ふむ。それは侯爵としても望むところでしょうな。姫君たちのまえで切り出せるような話ではないですし」


「どっちにせよ、顔は合わせなきゃならんのか」


 むふぅ~と鼻から煙をはいて、握りこぶしで額を覆う。

 そこまで嫌か、という気持ちが一挙手一投足からあふれ出している。


 デニスは「これはあくまでも予測の域を出ませんが」と前置きをしたうえで、魔女におのれの考えを伝えた。一度ジャケットの前合わせを整えて、背筋を伸ばす。


「侯爵のお人柄を考えますと回りくどい話はせずに直接交渉にくるでしょうな。たとえば此度の閣下のやりようが王室に弓ひく利敵行為であるとか」


「うわっ言いそ~」


「あれこれと閣下にお説教をし散々不備を指摘したうえで貴族たちの窮状を伝え、どうにかしてやりたいとご自分の腹積もりなどおくびにも出さすに、閣下が動かざるをえない状況を作りだすはずです」


「凄いな。見てきたかのようだ」


「しかし閣下はここで折れてはいけません。すでに自浄作用を失って久しい貴族社会を更生させるには今しかないのです。ここで甘やかしてしまっては、それこそ閣下がお身体を犠牲にされた意味がなくなる」


「――で、どうする。なにか考えがおありかい、ルブラン卿」


 ふと撫でた下腹部にメイルゥは熱を感じた。

 ノートン伯爵に斬られた深い傷。

 ルツのちからによってすでに塞がり掛けてはいるが、それでも傷みは残った。


 彼女をして「200年のツケ」と言わしめる貴族たちの腐敗。

 デニスに言われるまでもなく、放っておけるわけがなかった。


 車いすの紳士は親愛なる老女中マーサにお茶のおかわりを要求すると、偉大なる祖国の英雄に向かって妖しげな笑顔を送った。


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