第17話 エキシビション



『相対しますは、若き剣の達人! 次期剣聖との呼び声も高い、リンデル国の貴公子!』


 場内アナウンスに続いて現れたのは、サラサラとした金髪をボブに切りそろえた、いかにも上流階級出身のボンボンという風体の青年だった。

 骨ばった鼻筋と狐目のせいで、見た目にも性悪なイメージが付きまとう。


 彼は礼装用のマントを外すとそれを高々と頭上に掲げ、観衆にアピールした。

 会場は彼の名がコールされると、さらなる盛り上がりを見せる。


『ローデリア子爵。サム・ローデリア卿、入場!』


 若干の巻き舌具合に、実況者の興奮が伝わってくる。

 だが、彼に熱狂しているのは、ほとんどが国外からの招待客ばかりだった。


「なんか『あっちの席』ではえらい人気ですね」


 ジョニーが北側のスタンド席を眺めてそう言うと、メイルゥは「ふん」と荒っぽい鼻息をついた。

 彼女らは生徒の親族席でほぼ占められている南側スタンドに座っている。

 地元から来た一般の観覧客を含めて、決勝戦が始まるまえにちょっとした軽食とおしゃべりを楽しんでおり、その温度差は明らかだった。


「大方、実家が大口の出資者なんだろ? 子爵か。ルヴァンの奴もまた面倒なイベントに巻き込まれたもんだ。普段、不義理している罰さね」


「といいますと?」


「模擬戦とはいえ、公の場で剣聖と刃を交えたとなりゃ一生もんの拍が付く。万が一にも勝つなんてことがありゃルヴァンはお役御免だ」


「ちょっ! だ、旦那が負けるっていうんですかいっ?」


「そんな訳ないだろ。だから面倒だってんだ」


「は?」


「見てりゃ分かるさ。ほれ始まった」


 メイルゥに促されるまま、ジョニーは競技場へと目を瞠った。

 同時に、スタジアムの南北に関係なく、観覧席から歓声が起こる。


 ふたりの剣士は、競技場に引かれた白い線のうえで、いくらかの距離を取り相対している。手にするのは細身の刺突剣。模擬戦用に刃を落とされ、先端も丸められている。


 騎士道は礼に始まり、礼に終わる。

 まずは剣を貴賓室におわす王族らに捧げ、つぎにお互いに捧げた。


 試合開始の号令の直後。

 さきに動いたのは、サム・ローデリアだった。

 鋭い刺突の一撃を合わせて、人狼の剣聖はヒルト(鍔元)で捌く。するとちょうどルヴァンの剣が、ローデリア卿の眉間を狙う格好となっていた。


 あわや一瞬で勝負あり。

 しかしローデリア卿はすんでのところで、ルヴァンの一撃をかわしていた。


 おおっと沸く大歓声。

 一端後ろに引いたローデリア卿は、その後、果敢にも激しい打ち込みを続ける。


「随分……打ち合ってますね。やっぱり相手も強いんじゃ――」


 大歓声と拍手喝采にかき消される、剣士たちの刃の音。

 かつて自分が完膚なきまでに叩き伏せられている相手が、こうも簡単に制空権へと打ち込ませるとは。

 ルヴァンの実力を知っているだけに、落胆が大きい。

 ジョニーは自身が付き従う、最強の老婆の顔をちらりと覗き見た。


「打ち込ませてやってんだよ、簡単に終わっちまわないように」


「え?」


「剣聖ってのはただ剣の扱いが達者なだけで名乗れる称号じゃないってことさね。ましてやルヴァンは歴代の剣聖たちの誰よりも強い」


「手加減しているってことですかい?」


「ここが貴族の厄介なところさ。爵位のうえでは相手のほうが格上。剣聖とはいえ、おいそれと恥はかかせられないんだよ。適当に打ち合って五分ごぶで引かせるってとこかね」


「こんなところにまで権力闘争ですかい?」


 するとメイルゥは眉根を寄せて「こんなところだからだよ」と、今日一番の深いため息をつくのだった。


「見栄と面子メンツが幅を利かせる世界さ」


「まるでヤクザじゃねえですか」


 ジョニーの的を射た感想にメイルゥは一瞬言葉を詰まらせる。


「そうだね」


 哀しげにうなずいて少し間を置くと、誰に聞かせるでもなく、もう一度「そうだね」と呟いた。


 エキシビション・マッチは続いている。

 まるでそうした殺陣の振り付けでもあるかのように、お互いが高速の剣を繰り出してはそれを凌いでみせた。

 観客席からの距離では、演武者たちの表情まではうかがえない。

 素人目には、かなりいい勝負に見える。


「ほんとに嫌味な男だね。ルヴァンの奴、目をつむって相手してるよ」


「み、見えるんですかい、姐さんっ。この距離で?」


 ひょえ~っと、ジョニーが額に手をかざして遠見の仕草で驚いている。

 するとメイルゥが、かっかっかと笑い「年寄りには遠くのものがよく見える」とうそぶいた。


「それって老眼ってこってすかい、って痛ェ!」


 かくしてジョニーは、魔女が愛用する杖で頭をぽかんとドつかれるのだった。


 なんのことはない。

 メイルゥは目立つまいと一般の観覧席から行事を眺めていたが、最前線にはちゃっかり使い魔である黒猫のサラを派遣していたのである。

 ふたりの意識は「魔法」によって共有されており、サラの目にした光景は、そのままメイルゥへと伝わるのだ。


 いまメイルゥの視界には、全力を賭してもまるで歯が立たず、屈辱に目を血走らせているサム・ローデリア卿の表情がありありと映っていた。


 やれやれ――。

 ルヴァンたちの間でどんなやり取りがあったかは魔法使いたるメイルゥにも知りようがないが、人狼卿ともあろう男がなんと子供じみたことを。

 帰ったら説教だね。

 なんて思っていたときだ。


 周囲の観覧席からにわかにどよめきが起こった。

 最初はルヴァンたちの演武に対する喝采かとも思ったが、どうやら違う。

 何事かと、騒ぎのほうへと視線をめぐらす。すると狭い通路を縫うようにして、黒山の一団がこちらへと近づいてくるところだった。


「ウォルター公だ……」


「わあ! ほんとにボーモント侯爵だ!」


「ご家老さまだ!」


 観覧客が口々にわめいている。

 しかし一団に近づこうとする者はただのひとりもなく、むしろ自らの意思で席を空けて後ずさった。

 渦中にいるのは、いまのメイルゥと同じかちょっと高齢の老夫だった。

 白く豊かなあご髭をたくわえ、その顔には優しくも高貴な威厳を刻み込んでいる。

 手には見事な装飾が施された笏を持ち、深いブルーのローブをまとっていた。


 彼を警護する男たちがメイルゥの近くまでやって来ると、懐に手を入れたジョニーが剣呑な雰囲気を放って一歩まえへと出る。だが――。


「よしな、ジョニー」


 すぐにそれを制したメイルゥは席から立ちあがり、軽く身なりを正した。

 そしていよいよ老夫がそばまで歩みを進めると、リウマチで痛むひざを軽く曲げてカーテシー(お辞儀)をした。


「ご機嫌麗しゅうございます――ウォルター公」


 ジョニーが驚きを隠せないでいる。

 無理もない。

 誰にでも不遜な態度を崩さないあの天下無敵の大魔法使いメイルゥが、国王でもないひとりの老人に頭をさげているのだ。

 彼からしてみれば、天と地がひっくり返ったような気分だろう。


「よしてください、大おばさま。あなたに頭をさげさせては、あの世にいったときご先祖様たちからしかられましょう。どうぞ、お掛けください」


 見た目よりもハッキリとした口調で老夫はメイルゥに着席を促すと、自らもその隣へと腰をおろした。


「あ、姐さん、こりゃあ――」


 ジョニーが何かを言い掛けると、メイルゥは無言でそれを制した。


「すまないね、侯爵。この子はあたしの従者じゃない。友達さ。ちょいとマナーがなってないのは、勘弁しておくれ」


「彼が噂の黒騎士殿ですかな?」


 老夫は長く伸びた眉毛のしたから、好々爺然とした憂いのある瞳をのぞかせた。

 メイルゥは「いやいや」とかぶりを振ると、そうではないことを付け足す。


「そっちはいま本業で留守をしていてね。道中の面倒はこの子らに見てもらってる」


「ほほぅ――。いやなに、こちらもきょうは私用ですので、そうかしこまることもありますまい。君、我らが魔導卿閣下をよしなに頼むよ」


 柄にもなく恐縮しているジョニーの姿にメイルゥは目を丸くする。

 また「私用」といってはばからない老夫に対する警護の物々しさにほとほと呆れるのであった。


「ジョニー。こちらはウォルター・ボーモント侯爵。大公陛下の叔父にあたる、王室のご家老だ。上院議会の特別顧問も務められている。いまでこそ二院制議会の元老だが、むかしはボーモント家当主のことをそう呼んだ。陛下への諫言が許された『紺碧のローブローブ・オブ・アズール』を羽織れる唯一の御仁だよ」


「え、あ、な、お、おれ、もしかしてとんでもない失礼を――」


「まあまあそう恐縮せずに。すべては陛下のご威光あったればこそだ。こんな年寄りの意見なぞ、いまの時代にどれほど役に立つのやら」


「やけに謙遜するじゃないか。おまえさんのカミナリに先代の大公がどれだけ泣かされてきたことか」


 はっはっは。

 後ろに反り返るほどの大笑いをした老夫――ボーモント侯爵ウォルターだったが、一瞬鋭い視線を付き人たちに送ると、周囲から人払いをはじめた。

 士官候補生たちによる模擬戦闘の決勝戦をまえにして次第に混み始める南側のスタンド席だが、そこだけぽっかりと穴が開く。


 メイルゥもまたジョニーに向かって目配せをした。

 彼は不満げな表情を見せながらも、ウォルター公の警護団が作る円の外へと出た。


「どうして貴賓席へいらっしゃらないのですか?」


 ウォルターが出し抜けにそう口にすると、メイルゥは「それきた」と言わんばかりに事前に考えてきたそれっぽい言い訳をそらんじて見せた。

 どれだけ面の皮が厚かろうとも、面と向かって「おまえに会いたくないからだ」とはさすがのメイルゥにもいえない。


「陛下直々の招待とはいえ、いまやあたしもただの一般市民さ。今後の王室のためにも、特別待遇はよろしくないだろう」


「それはまた――殊勝なお心掛けですな」


「気楽な隠居生活さ」


「その割には、なかなか精力的にご活躍されているようだ、メイルゥさま……」


 穏やかな会談のムードもどうやらここまでのようだ。

 メイルゥはウォルター公の放つ『気』が、一段強まるのを肌で感じている。


 それと同時に、こうなることをあらかじめ予想していた、ある男の顔とそのときに聞いた言葉を思い出していた。


 閣下、ご注意くださいまし――と。


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