[ 4 ] 200年のツケ
第16話 王立軍士官学校
ベクスタ王立軍士官学校――。
メイルゥたちの住まうニュールブラン市に隣接する大都市ベクスタ。その郊外に巨大な敷地面積を有する、公国唯一の軍事養成機関である。
魔女メイルゥの引退に伴うサムザの防衛力の低下を補填するという名目で、近隣の同盟国らが共同で出資し建設された。
生徒たちは近代戦の基礎知識を学び、明日のサムザの防衛を担うべく将校を目指す。
幼年クラスから修学すれば、およそ10年間にも及ぶ全寮制の生活となる。
彼らはここで健全な肉体と精神を育み、兵士の絆を手に入れるのだ。
その規模たるや、ひとつの街に匹敵する。
生徒をはじめとする学校関係者の生活を支える各種商業施設や飲食店はもちろんのこと成人向けの娯楽施設まで営業しており、昼夜を問わず賑やかだ。
繁華街顔負けの盛況ぶりは、まさに学園都市と呼ぶに相応しい。
休日ともなれば、普段は街中を肩で風を切って闊歩する学生たち。だが、今日ばかりは盛り場もなりを潜め、皆、とある場所へと一堂に会していた。
そのとある場所とは――。
「
すでに火のついた紙巻きを一本。
巨漢の男がぽっちゃりとした指で挟み、神妙な面持ちで老婆へとすすめる。
「気が利くね」
と老婆。
差し出されたタバコをヒョイとさらうと、薄い紅の塗られた唇へと指を運んだ。
「へい。しばらくブラックの旦那がお留守なので、姐さんの身の回りのお世話はあっしらが務めさせていただきやす」
巨漢の男――自称「メイルゥ商会」の舎弟こと暴れナイフのジョニーは、自慢の巨躯を幾重にも折り曲げて、自らの大親分と慕ってやまない希代の女傑、魔女メイルゥに深々と頭を下げるのだった。
「いやだから、朝から何度も言ってるけどね。道中の脚を用意してくれって頼んだだけなんだから、そういうのいいってば」
メイルゥは一服するやいなや眉根を寄せて顔をしかめる。
文字通り煙たがっているのは、たばこの煙だけが原因ではないようだ。
「そういうわけにもいきやせん。姐さんほどの御仁が
「『型』だぁ?」
「へい。そういうのが一人前に出来てねえと、一体どういう教育されてきたって話になりやすんで、姐さんにも恥をかかせてしまいますし、おれの顔を立てていただくという意味でもですね」
「おまえ……なし崩し的にあたしをヤクザ者にしようとしてないかい」
「――――――とんでもない」
「なんだいっ、その間は!」
メイルゥのしゃがれた声が、紫煙と混ざって喧噪に溶けてゆく。
辺りは熱気に包まれていた。
ここはベクスタ王立軍士官学校。
その総合競技施設。かつての闘技場をベースに近代化改築が施された、楕円形の大規模運動場である。
本日、この場で行われているのは、全校生徒たちによる訓練展示だ。
日頃のたゆまぬ努力の成果を招待した家族や一般観覧者に向けて公開する、士官候補生たちの晴れの舞台である。
彼らは寮単位でチームを編成して白兵戦による模擬戦闘を行い、トーナメントを勝ち上がっていく。
いまからその決勝戦が始まろうとしている。そして数十分後には本年度の最優秀チームが決まるのだ。
メイルゥはその様子を、南側の一般観覧席から眺めていた。
後ろの席にはどうやら決勝戦へと駒を進めた生徒の家族が座っているらしい。応援をする声にもより一層の熱がこもる。
『ご来場の皆さま方、ご声援ありがとうございます。大会本部より、参加選手に代わって御礼申し上げます!』
場内の大歓声にも負けない野太い男の声が周囲に響き渡った。
怒鳴り声とも叫びとも違う、凛としたクリアな音声だ。
「ほう……拡声器とかいうヤツだね」
メイルゥは吸い終わった紙巻きを備え付けの灰皿でもみ消しながら呟いた。
「かく――マイクとスピーカーのことですかい?」
「お隣の国じゃそう呼ぶようだね。なんかの本で読んだよ」
「ハンソンの野郎がむかし言ってましたが、それに使われてるなんとかいう『力』がこれからいい商売になるとかなんとか」
ハンソン。
すこし前まで『シエナの街』の一部界隈を牛耳っていた悪党である。だが喧嘩を売った相手を間違えたせいで一家は壊滅した。
ジョニーはかつての上司の顔でも思い出しているのか、苦い顔をしながら、生かじりの知識を開陳する。
「そりゃ電気ってんだよ、ジョニー」
「電気? あのバリバリ~ってカミナリさんの?」
ジョニーは両手を頭の上にかざして、激しく揺さぶった。
どうやら稲妻のジェスチャーらしい。
メイルゥはクスリと笑って「そうさ」と返した。
「電気の存在自体は大昔から知られてたんだけどね。つい最近まで誰も使い道を思いつかなかったのさ」
「姐さんのいう、つい最近ってのはいつ頃のこ――いえ、なんでもねえです」
メイルゥはジョニーに物凄い形相で一瞥をくれると「コホン」とひとつ咳払いをする。
彼女は一瞬にしていつもの気のいいお婆さんの顔を取り戻すと、近くを通った売り子に声を掛けてあったかいカフェオレをふたつ買った。
ひとつをジョニーに手渡し「電気分解ってのがあってね」と。
「水から霊薬を作ろうとした錬金術師が実験中にたまたま見つけたって話さね。そっからだね、電気がなにかに使えるぞってことになったのは」
「は、はぁ」
「ほれ、シーシーの自動車があるだろ? あれの外装に使ってる薄い金属板。アルミってんだけどね。あれも電気分解で精製している。新聞紙一枚分のサイズでも作るのにとんでもない電力が必要になる。手間も掛かるから高価なんだよ」
「それであの野郎『金がねえ、金がねえ』っていつも言ってたんすね」
「酔狂な話さ」
ふんっと鼻息をひとつ。
別段、馬鹿にするでもなくメイルゥは口の端を持ち上げた。
ジョニーが1をたずねれば、魔女はそれを10で返す。
ふたりがそんな何気ないやり取りをしている間も、場内アナウンスは続いていた。どうやら行事内容の説明と出資者への挨拶、それから周辺諸国の指導者から贈られた祝賀メッセージを読み上げているらしい。
メイルゥはとくに興味を示すでもなく、ジョニーを相手に電気の講義を続けている。
カフェオレも次第に飲み頃の温度になってゆく。
「ってことで空気の震えを電気信号に変える。そういう仕組みさ。蓄音機の時代には
「いまでいうレコードっすね」
「それだ。あとは電気を使った照明器具を作ろうとしてたのもいたね。上手くはいかなかったみたいだけど。まあ、そもそも油やガスを使ったほうが安上がりだ」
「違えねぇ」
「ただ油断は出来ないよ」
「え?」
「油やガスったって無尽蔵にあるわけじゃない。いつかは枯渇するんだ」
老婆はおのれの節ばった指先を見つめ、物憂げな表情を浮かべる。
手にしたカフェオレのカップはもう冷え始めていた。
「鉄器時代の幕開け。木や石炭は燃料として無計画に大量消費されていった。森も山もすべてがなくなり残されたのは終わらない戦争だけ。これを中世の暗黒時代という。いいかいジョニー。あんたらのご先祖さまを悪くいうつもりはないが、周辺諸国が寄ってたかって王朝を崩しにきたのは、領内に残された手つかずの天然資源を奪うためさ」
ましてや――。
一息にしゃべって枯らした喉を冷めたカフェオレで潤すと、こう続けた。
「ましてや人類が精霊石の『魔力』ってのに取り憑かれちまってはね」
ジョニーはどんな顔をしていいのか分からないようだった。
すでに飲み干していたカフェオレカップの底をじっと見つめて、何かをいおうと口を開くが、すぐには声が出ない。
メイルゥは普段はがさつなだけの大男が、珍しくそうしたセンシティブな問題に頭を悩ませていることに満足げだ。
そうこうしていると、会場内に流れていたアナウンスが、メイルゥたちのよく知る人物の名前を呼んでいた。
やれやれ、やっとか――。
老婆は口のなかで悪態をかみ殺すと、視線を競技場の中央へと向けた。
『さて決勝戦に先立ちまして選手たちには若干の猶予をお与えいただきたい。その間に皆さまにご覧いただきますのは、本校の名誉学長でもあらせられます、現代の剣聖――』
「ほうら出てきたよ、うちの
一般観覧席から眺める競技場。その中央に立つ、ひと一人など、文字通り
それをしてハッキリと分かるその者の異形な風貌に、観客たちは驚きの声をあげた。
『――アイザック・ヴァン・ヌーデルワスク卿によるエキジビション・マッチであります!』
珍しく、というよりもメイルゥでさえ目にしたことのない軍服姿。
胸元にあしらわれた数々の勲章が、装着者の武功を物語っている。
銀毛に覆われた顔は、まさに狼のそれ。
彼こそは当代随一のソード・ウィールダー、剣聖アイザック・ルヴァンなり。
「人狼卿の旦那、朝、ちゃんと起きられたんすかね?」
とはメイルゥから重い命題を投げかけられたジョニーだ。
空になったふたつのカップを売り子に返却し、いままた戻ってきたところである。
「さあてね。寝癖があっても、あのなりじゃ分かりゃしないよ」
「ぶっ」
メイルゥのあんまりな物言いに思わずジョニーも吹き出した。
この魔女に掛かっては、天下の剣聖さまも形無しである。
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