第15話 恥知らずの終焉


 勢いだった火柱のなかへ、新たな薪をくべるかのように。

 壇上へと姿を現したメイルゥを見つけるや、ホール内の熱狂はさらなる渦を成した。


 いま魔女の心のなかは虚無である。

 使い魔である黒猫のサラとて、その胸の内を読み解くことはできなかっただろう。


 眼下を埋め尽くす痴れ者たちの群れ。

 メイルゥをして「200年間のツケ」と言わしめるこの乱痴気騒ぎに、彼女の感情はどんどん錆びついていった。

 若返ったはずの身体に、精霊石製の足かせや首輪が重くのしかかる。


「諸君、これなるは魔導王朝宗家に連なる血筋を持つ娘である!」


 老伯爵ノートンの紹介に、場内が色めきだった。

 あちこちのテーブルで仮面を被った貴族たちが騒ぎ立て、一糸まとわぬメイルゥの肢体に下品な言葉を投げかけてくる。

 醜悪の極みのような光景だった。

 ただでさえ普段から三白眼気味の魔女の瞳が、完全にすわっている。

 ふと視線を伏し目がちに落とすと、床にちょこんと座る黒猫の姿を見つけた。

 

「見たまえあの美しい肌を。そして亜麻色の髪を。これまで何人もの少女を文字通り食らってきた私ですら、この手に掛けることをためらうほどの可憐さだ」


 虫唾が走るとはこういうときに使うんだな、と。

 メイルゥは心のなかでそうつぶやいた。目の前では黒猫が大きくうなずいている。


「しかしこの特別な日。新たに迎えた友人のために、最高級の食材を用意させていただいた。これからもより良い『夜会』のために、私は尽力を惜しまない所存だ」


 ノートン伯爵の演説が終わると、貴族たちは手にしたナイフとフォークを頭上に掲げ一斉にそれらを打ち鳴らした。

 どうやらのまえの儀式らしい。

 けっして広くはないホールに金属音が反響している。

 メイルゥの眉間に、深いしわが刻まれていく。

 じつに不愉快である――。

 まともな精神を持ったものならば、口に出さずとも察しただろう。


「それではこれより調理に取り掛かろう。諸君、いましばらくご歓談いただきたい」


 そう言うと老伯爵はおもむろにテーブル上へと手を伸ばした。

 彼とデニスの席には、豚の丸焼きが並べられている。

 その肉塊に突き刺さった巨大なナイフを抜き去ると、彼は今日一番の笑顔を見せた。

 仮面のうえからでも分かる醜悪な笑みが、壇上に立つメイルゥの目にも飛び込んでくる。


「食材を吊るせ!」


 彼の号令のもと幾人かの黒服姿のスタッフが壇上へとあがっていく。

 そのひとりがメイルゥの手を取り、彼女は背後に設置されている食肉保存用のフックまで連れていかれた。


「閣下! なんなんですか、あのジジイは! もう現行犯とかどうでもいいから、さっさとぶっ飛ばしちゃいましょうよ!」


 黒服に扮装したゾーイ・ストランダー刑事が職務も忘れて憤慨している。

 自慢のお団子頭もきょうはおろして、後ろでひとまとめにひっつめていた。


「ここまで来たんだ。もうちょいと座興に付き合ってもらうよ」


 それから――と、一瞬だけ鋭い視線をゾーイに向けて魔女は言う。


「なにがあっても止めるんじゃないよ。わかったね?」


「うぅ……わかりました……じゃあ失礼しますぅ」


 ゾーイは手かせをしたメイルゥの手を頭上へと伸ばし、そのままフックへと吊るした。

 フックはその後、原始的な巻き上げ機によりさらに上方へとあがっていく。

 一糸まとわぬたおやかな肢体は、あたかも屠殺を終えた豚のようにだらりとなる。

 足元には鎖につながれた精霊石の塊があり、メイルゥの身体が上下にピンと張られた状態で、ようやくフックの巻き上げが止まった。

 隠すものが一切ない、頼りなげな少女の姿に、会場の貴族たちはあらためて興奮している。


 世も末だね――。

 メイルゥは心のなかでごちた。


「諸君、お待たせした! これより食材の解体作業に取り掛かろう!」


 巨大なナイフを手にしたノートン伯爵は、年齢を感じさせない軽やかなステップで壇上へと駆け上がると舞台役者のような身振り手振りで聴衆たちを魅了する。


 おかしな褒め方だが、この男には民衆扇動アジテーションの才がある。

 メイルゥはフックに吊り下げられながら、そんなことを考えていた。

 あとすこし「尻が寒い」なと。


「さぁ……いい声で鳴けよ、子豚ちゃん……」


 緩み切った口元からよだれを垂らして、老伯爵がメイルゥのもとへと近寄ってくる。

 壇上のスポットライトを浴びたナイフがギラリと妖しい光を放った。


 場内は再び、貴族らの食器を打ち鳴らす不快な音楽で満たされていく。

 怒涛のような醜い念に、さすがのメイルゥも辟易としている。


 鋭いナイフの刃先が真っ白な少女の肌を撫でる。

 王朝宗家の末裔というふれこみを鵜呑みにして、存分に楽しもうという腹らしい。

 誰も彼もが狂っている。

 ホールは絶叫に呑み込まれていった。


「もうたまらん! いくぞお!」


 興奮に枯らした掛け声とともに、老伯爵の手にしたナイフがずぶりとメイルゥの腹のなかへと差し込まれていく。


 ぐ――。


 さすがのメイルゥの表情も苦痛に歪んでいく。

 傷口から真っ赤な血潮があふれ出し、皮膚をつたって下半身を朱色に染めた。


「ぐあははははははははははははははははははっ!」


 ナイフをメイルゥの身体に突き刺したままふり返り、会場をあおるノートン伯爵。

 その表情からは人間性など、とうのむかしに失われていた。


「いいカオをするじゃあないか、お嬢ちゃん……だが!」


 彼はナイフの刃先をこじると、その隙間から指を突っ込み、メイルゥの腸を引きずり出した。

 すでに足元は血だまりが出来ている。

 常人であれば最初の一刺しで絶命していてもおかしくはない。


 メイルゥは口から黒い血を流しながらも、冷めた瞳をノートン伯爵に向けている。

 自らの臓物が引きずり出されているさまを見つめてもなお、表情はずっと酷薄なまま。


 魔女とはいえ肉体は人間のそれだ。

 耐え難い激しい痛みが、彼女を襲っている。

 しかしそれでもメイルゥは、けっして痛みに屈したりはしなかった。

 むしろ喜んでその痛みを受け入れている。


 それが彼女をして「200年間のツケ」とまで言わしめる、この国の暗部へのささやかな返済なのだから。


「よく耐えたなお嬢ちゃん。しかしこれで最後だ!」


 ノートン伯爵はいまだメイルゥの腹のなかに残るナイフを一気に振り抜いた。

 飛び散った鮮血が壇上付近のテーブルへと降り注ぐ。


 盛り上がる貴族たち。

 儀式は佳境へと向かっている。


 さらにノートン伯爵は、手にしたメイルゥの腸をナイフで切り刻もうとしていた。

 だが――。


「もうその辺にしておきな」


 ナイフで刺され、流血し、あまつさえハラワタを取り出された少女が。

 腹を裂かれ、蹂躙され、これから食材として興されようとしていたはずの少女が。

 いままさに自らの手で絶命させたばかりの少女が。


 恐ろしい声色で自分に語り掛けている。

 そのときのノートン伯爵の心境たるや、この場にいる誰ひとりとして理解はできまい。


「な、ば、はぁっ――」


 言葉にならない老伯爵をよそに、メイルゥは場内に潜ませていた男の名を呼んだ。


「ブラック!」


 すると次の瞬間、激しい発砲音とともに、メイルゥをフックへと吊り下げていた手かせが弾丸によって破壊される。


 魔女は自らの血で作った真っ赤な舞台へと降り立ち、あたりを冷酷な瞳で睥睨した。

 そして「ノートン!」と一喝する。


「あたしの顔をお忘れかい?」


「な、なにを言って――」


 メイルゥは自由になった両手で精霊石製の首輪を外した。

 少女だった彼女の容姿は、薄まったルツの分だけ加齢していく。

 幼さの残る十代だった表情が、妖艶な淑女のものとなる。


「め、メイルゥ――」


「ほう。さすがにもうろくしちゃいないね。人間の肝は美味かったかい?」


「こっ、これは――閣下っ、ち、違うんですっ」


「どう違う」


 腰の抜けたノートン伯爵だったが、ほうほうの体で壇上から逃げ出し、デニスの座るテーブル席へと辿りついた。

 身体が硬直しているせいか、手からナイフを離せないでいる。


「こ、この男のせいなんです! こ、この男がっ!」


 メイルゥは引きずり出された自らの腸を腹のなかへと冷静に押し込みながら鼻で笑うと、足かせを外すためにその場へとかがんだ。

 ふとした拍子にまたぞろ内臓が飛び出してきそうである。


「とと……。だ、そうだよ、ルブラン卿。なんか言うことあるかい?」


 メイルゥの問いかけにデニスは仮面を取ることで応じ、「別に」と。

 続けて足元に這いつくばる醜い老人へむけて侮蔑の目を向けた。


「しいて言えば彼の罪状が増えたことですかね、メイルゥ閣下」


「き、きさまああああああああ!」


 逆上したノートン伯爵は、老体にムチ打ってその場に立ち上がった。

 一矢報わんと思ったのだろう。

 脚の不自由な子爵をまえに、老伯爵は怒りにまかせて、手にした巨大なナイフを頭上へと振り上げた。

 魔女の血に濡れた狂刃は、燭台の炎に照らされギラリと鈍く輝く。

 だが鋭利に物質化された彼の憎悪の念は、大公家に連なる本物の貴族の身体を傷つけることなどなかったのである。


「マーサ」


 小さくつぶやくように子爵の下した命に従い、そばに侍りし老女中はいつの間にか手にしていた拳銃をぶっ放していた。

 その銃口は強烈な閃光と破裂音を生み出し、ナイフを掲げた老伯爵の手を見事に吹き飛ばす。


「ぐあああああああああああああああっ! なにをっ、なにをおおおお!」


 硝煙をあげる銃口をひと吹きして、老女中マーサは得物をエプロンのなかへと納めた。

 その銃は奇しくも、今現在ブラックが使用している「エルダースレイヤー」と呼ばれる古い型のパーカッションリボルバーだ。しかも一切の虚飾を配した実戦仕様である。

 ただのメイドではない――。

 あの日、ブラックの発した予言めいた言葉は、いまこうして的中した。

 利き手を撃ち抜かれ、うずくまるノートン伯爵にデニスはさらなる追い打ちをかける。


「その痛み。これまでの被害者のことを思えば、撫でられた程度のものだ」


 彼の裁きの言葉を聞き、メイルゥは壇上へと静かに腰をおろす。

 精霊石製の戒めが解かれたいま、彼女はすっかり老婆の姿になっていた。


「め、メイルゥさまっ」


 慌てて飛び出してきたゾーイが、自分の着ていた黒いジャケットを彼女の老いた身体に掛けてやると、すぅっと意識が抜けるようにメイルゥの瞳が閉じられていった。

 よく我慢したね――。

 ひとことゾーイに語り掛けたあと、彼女の言葉は途切れ途切れになる。


「ちょいと休ませておくれな……あとは……任せた……よ……」


「閣下? ちょ、閣下!」


 すでに会場はルヴァンとブラックに制圧されていた。

 剣聖の刃に仮面を割られた紳士淑女は、その場にへたり込んでいる。

 おのれの犯した罪の愚かさを、震える指で数えているのだ。

 ボディーガードたちも、当代随一のガンスリンガーのまえには手も足もでなかった。

 リロードに時間の掛かるというパーカッションリボルバーのデメリットも、彼にとっては大した問題ではなかったようだ。


「すみませんな、マスクの工房は教えて差し上げられそうにない。なぜなら本物なのでね」


 メイルゥは薄れかける意識のなかで、ルヴァンがおなじく獣面をかぶったエセ紳士に小粋なことを言っているのを聞いて笑ってしまった。


 そして最後に耳にしたのは、ゾーイが鳴らした警笛である。

 耳をつんざくピーっという金属音がしたかと思うと、出口を固めていた警官隊がホールへと押し寄せた。彼らを率いていたのは、季節外れのレインコートをした長躯の男だ。

 やる気のなさそうな顔が、黒猫のサラの目を通して垣間見える。

 意識を失ってしまう、ほんの数秒前のことだ――。



 後日。

 ルブラン美術館にて。


 真贋のほどはさておき、絵画としては魔女メイルゥのお墨付きをもらったとされる『若き日のニコラス三世とシエナ妃の肖像』は訪れる観覧客にも人気を博し、連日の大盛況。

 これには「玉乗り腹」の館長にとっても、さらなる贅肉のもととなろう。


 そんな巨大な絵画のまえ。

 今日は貸し切り状態であった。

 車椅子姿のひとりの紳士が、寂しげに「ふたり」を見つめている。


 しばらくすると「待たせたね」と、とても威厳のある声が背後からかかる。

 彼女はいつもと変わらぬ雰囲気をまとわせて、軽やかにデニスのまえへと現れた。


「もうよろしいのですか?」


「たっぷり寝たからね」


 メイルゥが腹を叩いて悪態をつくと、デニスも思わず表情を緩めた。


「この絵。やっぱり、おまいさんがこしらえたもんだね?」


「ええ……。ご存知のように本物はすでにあの状態です。しかしこの『おふたり』の姿は、いつまでも後世に伝えねばと思いまして」


「ありがとよ。ふたりに代わって礼を言う。それにこの絵がなけりゃ、おまいさんとも会えなかったかもしれないね」


「運命……というものを信じておられますか?」


 デニスの口にした何気ない言葉は、しかしメイルゥの心の柔らかいところをそっと撫でたような気がした。

 ふとシーシーの祖父であるダニエル・チャップマンのことが頭をよぎったが、目の前にある肖像画の視線が気になって、思い出し笑いをかみ殺した。


「そうかもしれないね」


 魔女は少しだけ頬を染めて、そう答える。

 肖像画のなかの想い人は、ずっと彼女を見つめていた。


「これからどうなさいますか。貴族たちの間で、少なからず動揺が走るでしょう。それに元老院や王室からもいろいろとうるさいことを聞かれましょう」


 まったくもってその通りだった。

 ルブランの人間は本当に頭の回転が速い。

 だからこそメイルゥは、絵のなかで凛と微笑むこの赤毛の娘に、ニコを託したのだから。


「そうさね」


 しかしこんなとき、いつだってメイルゥはこう言ってきた。

 愛用の杖を片肩に担いで。


「まずはお茶でもしようじゃないか」


 白亜の宮殿に爽やかな風が吹く。

 のどかな日の光がいつまでも『ふたりの肖像』を明るく照らしていた。

 

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