第14話 狂々たる晩餐会
薄暗い照明と、妙に湿り気のある重たい空気。
黒猫のサラは全身の毛にまとわりつく香の匂いに辟易しながら、赤絨毯を散策している。
そこは今まさに酒宴が行われようとしているホールの真っただ中。
右を向いても左を見ても、着飾った人間たちの、脚、脚、脚である。
また彼らは一見して正体が分からないように仮装をしており、なかにはルヴァンのような獣面を被った紳士もいた。
みな競い合うように酒を酌み交わし、タバコを呑み、暴食の限りを尽くしている。
「失礼ですが、そちらのマスクはどこでお求めですか? よく出来ている。本物のようだ」
サラの目の前のテーブルでもこんな会話がなされていた。
問われた紳士は右目から外したモノクルのレンズを拭きながら、にこやかに答える。
「いやなに、特注でしてね。隣国から取り寄せました。よろしければのちほど工房の連絡先などをお教えいたしましょう」
「それはそれは! まるで噂に聞く、剣聖サー・アイザック・ルヴァンのようだ。もしや彼のマスクとおなじ工房なのでは?」
すると紳士はモノクルをはめ直してワインを一口。
かすかに口の端を持ちあげたかと思うと、静かに首を横に振る。
「さあ。それはどうでしょうな。彼のマスクには秘密が多い」
「ごもっとも。ささ、もっと飲みましょう!」
二匹の獣面をまえにして、サラはしらけた表情でその場を通り過ぎた。
ホールの喧騒が一足ごとに増していく。
いかにも退廃的な空間だ。
サラはいつぞや本で読んだ、王侯貴族たちの宴席を思い出していた。
仮面で顔を隠した紳士や淑女が、半裸の従者をはべらせている。
性的な愛玩を求められ顔をしかめている年端もいかない少女や、屈強な身体にムチ打たれる首輪につながれた奴隷たち。
吐き気がする。
それがサラの偽らざるいまの気持ちだ。
また貴族らには、それぞれ彼らを警護するボディーガードもはべっている。
こんな狂った状況にもかかわらず、いずれも職務をまっとうしている姿勢に、サラはちょっとだけ感心した。
遊蕩にふけるものあれば、給仕するものあり。
貴族たちに食い散らかされるテーブルを合間を縫って、ホールスタッフたちはせわしなく働いている。
サラは絵本で読んだ働きアリとバッタのお話みたいだと思い、頭の下がる思いだった。
しばらくうろうろとしていると、目の前にローストチキンの載った皿が置かれる。
つい、と視線をあげるとそこには黒服姿の給仕係が立っていた。
浅黒い褐色の肌が、ホール内の闇に溶け込むかのようだ。
かがんだ拍子に胸元からちらりとのぞいた二丁拳銃。
彼は柔らかな笑顔をサラに向けると、そのまま仕事に戻っていった。
客とホールスタッフを合わせて50人はいるだろうか。
けっして広くはない会場に集った貴族たち。
誰もが一癖も二癖もありそうだが、なかでもひときわ目立つ存在がこの部屋の最奥に陣取っている。
仄明るい壇上のすぐそば。
真っ赤な革張りのソファーにうずくまる中肉中背の老人。
蝶をモチーフにした紫の仮面と純白のスーツが燭台の炎に浮かび上がる。
両の手にはめられた黄金の指輪が、ぎらぎらと下品に照明をはね返していた。
琥珀の液体で満たされたグラス片手に、大きな口を開けて笑っている。
サラにはそれがとても醜悪なものに見えた。
「がっはっは。さすがはルブラン子爵殿だ。いい会場を知っておられる。まさか美術館の地下にこんな隠し部屋があったとは」
下品な老人が隣に座る痩躯の紳士にそう語り掛けた。
デニス・ルブラン。
サムザ公国子爵にして、桑樹王妃シエナの末裔である。
そんな彼が、貴族の誇りなど微塵も感じられない下品な老人と席を共にしていることに、サラは憤りを禁じ得なかったが、これも「作戦」のうちだと自分を納得させ、おこぼれにあずかったローストチキンにかじり付くのだった。
デニスは鳥のくちばしにも似た長い鼻を持つ踊り子の面で素顔を隠し、弱った脚を隠すためにひざ掛けをしている。
またかたわらには老女中マーサの姿もあった。
彼女もささやかながら仮面で目元を覆っており、一見して本人だとは分からない。
デニスは言う。
「本館はもともとルブラン領における大公陛下の別邸です。王族の住まいともなれば、抜け道やセーフルームはあって当然のこと。しかし美術館となったいまでは、もはやその存在は人々の記憶から忘れ去られている。現責任者であられる館長殿ですら、ご存知あるまい」
そしてこの場所はサムザに張り巡らされた地下水道網のひとつでもあり、ちょうど真上に美術館が誇るロイヤルガーデンの噴水があるとつづけた。
「まさに『夜会』をするにはおあつらえ向きというわけですな」
「おっしゃる通りです――ノートン伯爵」
デニスにノートン伯爵と呼ばれた老人は、一息にグラスを空にする。
そして手近にあった料理をむんずと素手でつかむと、無造作に口へと放り込んだ。歪む唇の端から、肉から滴り落ちる血があふれる。
年齢に似合わぬ健啖ぶりに、サラはびっくりしてくわえたばかりのローストチキンを、口から落っことすところだった。
「それにしても子爵。よくご参加くださった。どういった心境の変化ですかな?」
「……私も四十を過ぎて思うところがありましてね。もしこの身体が治るのであればと――。考え抜いたすえに『夜会』の錬金術におすがりしようと思ったわけです」
するとノートン伯爵は、酒と脂でテラテラになった頬を膨らませる。
そして満足げにホールの一画にあるテーブル席を指さすのだった。
「あちらをご覧なさい」
「あちらは……」
「名前は伏せますがとある男爵です。彼は長いこと胸を患っておりましてね。しかし『夜会』に参加するようになって、いまでは健康を取り戻した。そして失った青春を再び謳歌されておられるのです」
「ほぅ……それはその……ひとの肝を……」
「さよう」
ノートン伯爵はひときわ醜悪な笑みを浮かべ、デニスを見つめた。
このときばかりはサラも文字通りに総毛だつ。
「初めは誰もが良心に苛まれるが、すぐに正しい選択だったことを悟る。われわれのような尊い血筋のためならば、支払われる代償があっても致し方ない。むしろ誇るべきですな。流入民たちの命を価値あるものにしたのだと」
そう自信満々に語るやいなや、ノートン伯爵はその場に立ち上がり、両の手を打ち合わせた。
ホールに響き渡る柏手に、自由気ままに快楽を貪っていた参加者たちが一斉に彼のほうへと視線を向けた。
「諸君! 本日の『夜会』は特別なものになった。いまわれわれのいるこの場所こそは、かつて王宮の貴人たちも快楽と遊蕩にたゆたいし禁断の園である」
ただの別宅だっての――。
サラは思わず悪態をついた。
「ついにわれわれの『夜会』も王族を迎えるまでになった。すべては彼の計らいである。みな新たな友人を称えていただきたい」
ノートン伯爵が隣に座るデニスを紹介すると、薄暗いホールが万雷の拍手で満たされた。
アルコールや薬によって自制の利かなくなっている聴衆たちの反応はまるで、野生の山猿たちのようである。
ただでさえ耳のいい黒猫のサラはいよいようんざりとしている。
しかしノートン伯爵がそれを手で制すると、猿叫はピタリと鳴き止んだ。
よく訓練されている――。
デニスの表情から、彼もきっとそう思っているはずだとサラは汲み取った。
老人の演説は続く。
「この特別な夜に、私は特別な供物を用意した。これまでの『夜会』のなかでも最高の食材だと自負している。ご覧いただきたい!」
どこからともなくドラムロームの音がする。
ノートン伯爵が指し示す壇上には、スポットライトがぐるぐると回転している。
いかにも安っぽい演出であるが、会場のボルテージは最高潮だ。
やがてドラムの音も止みホールが静まり返ると、一瞬の暗転を挟んで壇上には強烈な光で満たされた。そしてひとりの人影が浮かび上がる。
少女であった。
亜麻色の髪をした十代と思しき少女。
手足に枷をされ、首は鎖でつながれている。
一糸まとわぬ儚げな姿。
うつろな瞳と白い肌のコントラストが、倒錯した性の魅力を放っていた。
誰からともなく感嘆がもれる。
ホールはため息の連鎖であふれ返っていた。
サラは壇上に立つメイルゥの姿を夜目の利く猫の瞳でとらえ、こんなときにも関わらず「キレイだな」と考えていた――。
「せ、潜入作戦ですかっ?」
それはメイルゥがデニス邸から帰った翌日のことだった。
このところ「報告会」という名目で、ちょいちょい午後のコーヒータイムに訪れていた新米女性刑事ことゾーイ・ストランダーは驚いた。
自慢のお団子頭が揺れているのをサラは楽しげに眺めていた。
無理もない。
救国の魔法使いことメイルゥは彼女にとって憧れの存在だが、同時に最悪のトラブルメーカーでもある。
そんな魔女が「自分に預けてほしい」と言っていたデニス・ルブランの件が、いつの間にやらひどく大きな話になって戻ってきたのだから。
「あんたの上司にゃ悪いがデニスはシロだったよ。そのかわりに黒幕が割れてね。ノートンっていう成り上がりの貴族さ」
「はぁ」
「近いうちに仕掛けるからね。あんたも顔出しな」
「えぇぇっ。ど、どどどうしてですかっ」
「現行犯で『夜会』の参加者を全員お縄にする。あたしがおとりになって臓物引きずり出されそうになったら助けておくれな」
「そ、そんな無茶なっ」
「あっはっは。そんな顔をするんじゃないよ。こっちも色々と仕込ませてもらうさ。それに生娘に化けるにゃ精霊石で細工もしないとね。どうせひん剥かれるだから、手かせとか首輪くらいがお似合いかね」
「な、なんかノリノリですね」
「そ、そんなことないよっ」
かくして『夜会』への潜入作戦が決行されることになった。
サラは会場での巡視役を仰せつかり、彼女の見たものは随時メイルゥに伝えられる。
今また黒猫の瞳が捉える少女メイルゥの姿は、一体本人にどう映っているのだろうか。
そればかりは彼女にも分からなかった。
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