第13話 シエナ妃に誓う


 ヒトノキモヲクラッタネ――。


 あまりにも唐突な魔女の問い。

 しかし車椅子の紳士はそれでもなお毅然とした態度を崩さなかった。


 ばかりかテーブルのうえから取り出した紙巻きを一服点けると「おひとついかが?」とメイルゥにもすすめる。


 彼女がそれを断ると、デニスは肺腑にまでため込んだ言葉を紫煙とともに吐き出した。


「らしくありませんな、閣下」


「どういう意味だい」


「幼き頃より寝物語に聞いた魔女メイルゥが、他人の口を割らせるのに言葉を弄するとは」


 デニスは紙巻きの尻を指で弾いて灰を落とすと、そのまま吸うでもなく口元へと当てる。

 色気のある仕草だ。

 メイルゥは内心、昨今ここまで妖艶な男を見たことがないと思った。

 それは不自由な身の上がそうさせるのか、はたまた彼そのものの魅力なのか――。


 デニスはもう一度紫煙をくゆらせると、紙巻きを灰皿へとねじ込んだ。


「お疑いなら私の心を読めばいい。そうなさらないのは、あなたのなかにも迷いが生じておられるからなのでは?」


「ほほぅ……あたしが何に迷うって?」


「例の刑事に何を吹き込まれたかは知りませんが、恐れ多くも当家は桑樹王妃シエナの時代からつづく由緒ある家柄。どれだけ時が流れようとも家名を汚すようなことはしまい――そう信じておいでなのではありませんか」


 この時ばかりは車椅子から身を乗り出して、デニスはメイルゥに熱っぽく語る。

 茶化すのもはばかられるその眼差しに、彼女は古い友人の面影を見た。

 厭世的な態度、すれた社会観。

 それらはすべて彼がまとっている鎧にすぎないことが分かった。

 没落してしまった自らを守る鎧。

 この男、本当は誰よりも貴族であることに誇りを持っている――。


「例の刑事――いまそういったね」


 メイルゥはニヤケそうになる頬を指で押さえて静かに問うた。

 例の刑事とはレナード・ヴィンセントのことだろう。

 しかしこの家に招かれてから、彼の名は一度たりとも口にしてはいない。

 メイルゥが不思議がるのも無理はなかった。

 ましてや「魔法」を意識的に封じているいまの彼女には。


 デニスは「コホン」と咳払いをすると、乱れた頭髪を後ろに撫でつけた。

 自分でも興奮していたことに気づいたらしい。

 照れ隠しに冷めた紅茶を一口含む。


「世事に疎いような顔しておいて、本当はかなりの事情通だね」


「買いかぶりです」


「ルブランはむかしから利にさとい。刑事どもが血眼になっても影すら踏ませなかったおまいさんのことだ、あたしが探していると知るやそっちから手を回したね」


「どうしてそう思われます?」


「いっちゃ悪いがうちのジョニーってのはそんなに出来のいいほうじゃなくてね。あれに見つけられるくらいなら、とうのむかしにお縄になってんだろ」


「別に捕まるようなことはしてませんけどね」


「それじゃあ獄中殺人の件も誘拐沙汰も関わりないってんだね?」


 するとデニスは胸に手を置いて、肖像画のほうを向いた。


「王妃シエナに誓って」


 真面目なんだかふざけているんだか。

 彼の様子がおかしくて。

 メイルゥは今度ばかりは耐えきれなくなり、大声を出して笑った。


「な、なんですか、急にっ」


 これにはさすがに心外だったらしく、デニスがささやかに抗議する。

 メイルゥは腹を抱えながらも「すまない、すまない」といっかな笑いをおさめようとはしなかった。


「はぁ~笑った。分かった。おまいさんはシロだ。これで臓物食いの下手人探しは振り出しに戻ったね」


 満足げに懐から紙巻きを取り出すと、今度はメイルゥがデニスに一服すすめる。

 意趣返しにと、彼は手をあげてそれを丁重に断った。

 さらにはきょう一番深刻そうな表情を見せて「じつはその件ですが」と。


「一部の貴族が『夜会』と称して、下衆な享楽にふけっているというのは以前から聞き及んでおりました。仮面を被り、身分を隠して行われるということですが、よもや人肉を食らっていようとは――」


「とぼけんじゃないよ、おまいさんほどの男が知らないはずないじゃないか」


「あ、いやはや……そのぅ……」


 鋭い切り返しにたじろいだデニスは、冷や汗を垂らしている。

 メイルゥは手にした紙巻きの灰を落とすと、火種を彼のほうへと向けた。


「で、実際のところどこまで掴んでんだい」


「……『夜会』の主催の名はノートン伯爵だと言われています」


「ノートン? あの成り上がりの?」


 百姓ひゃくせいを知るメイルゥの紳士録に、その名がなかろうはずもなかった。

 この国において貴族を指し「成り上がり」と呼ぶのは、それすなわち金銭によって爵位を手に入れたということ。

 準貴族という位の違いはあれど、シーシーのチャップマン家もまたそうである。


「私も何度か誘われましたが、この身体を理由に断りました。たとえ仮面をつけていたとしても身元がバレてしまいますし、なにより大公家への忠義に反します。まあそもそも、そんなおぞましい催しに興ずる気にはなれませんが」


「まったくだ」


「それに腐っても閣下とおなじ伯爵位です。半信半疑で訴えても、私どもでは何とも」


「いうね。たしかに序列だけは、おまいさんにゃどうしようもない」


 いつの間にか根元まで吸い切った紙巻きを灰皿へとねじ込むと、メイルゥは腕を組んだ。

 かたわらにある『ふたりの肖像』は何も語ってはくれないが、在りし日の優しい微笑みを彼女へと向けてくれる。

 メイルゥは加齢によるたるんだ頬を緩ませると、デニスに「頼みがある」と言った。


「ルブラン卿……ひとつ頼みがある」


「は」


「『夜会』を開いてほしい」


「こちらから仕掛ける――おつもりですか」


「ああ」


 不敵に笑ったメイルゥを見て、デニスも何やら楽しげである。

 それから小一時間ほど作戦会議に費やすと、きょうはお開きと相成った。


 メイルゥは別室にて待機しているブラックと合流し、老女中マーサから預けていたローブを受け取る。

 すると――。


「メイルゥさま……」


 仕事ぶりに一部のすきもない老女中が、この日初めて自主的に言葉を発する。

 マナーハウスにおける法度のひとつ。

 そんなことは彼女も重々承知していることだろう。

 並々ならぬ覚悟をメイルゥは感じた。

 彼女はしみだらけで節ばった手を伸ばすと、おなじく老いさらばえたメイルゥの手を取る。


「どうぞ、お坊ちゃまのことをお許しくださいませ」


「許すとは?」


 メイルゥは老女中の手の甲に優しく手を重ねると、慈愛に満ちた瞳で彼女を見た。

 お互い塞がれたまぶた越しに視線を交わし、訥々と老婆は語る。


「本来であれば、メイルゥさまがおくだりなって真っ先にはせ参じねばならぬところを……」


「あの身体じゃ仕方がないよ。それに真っ先に顔を出すべきだったのはあたしのほうさ。遅れてしまってすまなかったね」


「もったいないお言葉にございます……」


 ふたりの老婆はお互いの手を固く握りしめて、心を通わせた。

 続けて二三言葉を交わすと、メイルゥたちはルブラン邸をあとにした。


 外に出ると、すでに帰りの馬車が呼ばれていた。

 そのかたわらに穴だらけの帽子をかぶった見すぼらしい小僧が立っている。

 彼は物欲しそうな瞳で、メイルゥを見上げていた。


「坊主が馬車を呼んでくれたのかい?」


 坊主は無言でうなずいた。

 メイルゥは彼に駄賃をやるようにと、ブラックに目配せする。

 銅貨を握りしめた坊主は、笑顔で通りの向こうまで駆けていった。


「あのメイドの婆さん……ただもんじゃないぞ……」


 帰りの馬車で珍しくブラックが口を開く。

 そういう彼の表情は妙に明るい。

 別室での待機中にきっと何かがあったのだろう。


 対してメイルゥもまた「分かってるさ」と嬉しそうに言った。

 彼らの予想はこのあと数日後に現実のものとなるが、まだ誰もその未来を知らない。


 それは偉大なる救国の魔道士とておなじことである。

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