第20話 公女来たりなば
サムザ公国初の自動車レース『シエナ・グランプリ』での勝負をボーモント侯爵に持ち掛けた魔女メイルゥ。
その数日後、彼女の姿はチャールズ・チャップマンのガレージにあった。
風光明媚を絵に描いたような自然あふれるシーズンオフの避暑地。
潤沢なルツで満たされた小高い丘陵に建つ、かつての厩舎を改築したチャップマン家の別荘兼隠れ家である。
「探し物は見つかったかい、メイルゥさんよ」
ガラガラと――。
愛車のしたから寝板に乗って這い出してきたツナギ姿の伊達男に声を掛けられ、見た目は十代は中頃といった姿の魔女は微笑む。
御年222歳。
まだまだ花も恥じらう乙女である。
メイルゥは手にした筒状の『何か』を掲げると「これのことかい」と、顔中をススだらけにした伊達男――シーシーことチャールズ・チャップマンに答えた。
「なんだいそりゃ?」
「あんたの祖父さんからのラブレターさね」
「はぁ?」
驚いたシーシーが作業用のゴーグルを外すと、そこだけくっきりと白い。
それを見た魔女はまた「ぷっ」と息を漏らした。
「ま、これのことは後回しだ。そっちの方こそどうなんだい。捗ってるかい」
「捗ってるかだって? 見てくれよ、この仕上がりを!」
深いグリーンに光り輝く葉巻型のボディ。
アルミ素材に換装してあるエンジンフードを「ボンッ」と叩き、嬉々とした様子で愛車自慢を始めるのだった。
軽い気持ちで話を振ったのが運の尽き。
シーシーの嬉しそうな暑苦しい笑顔を見るや、
「まずは普段使いからレース仕様への変更だ。要らないものはとことん省いて最軽量を目指してある。バックギアも必要ないからパワートレーンはほとんど別物にスワップ。ま、蒸気機関は人力と違ってトルク特性が最適化されてるから、そもそも変速機構は付いてないんだけど、あ、そうそうそれから――」
「分かった! 聞いたあたしが悪かった! ちゃんとやってるならそれでいいから!」
「何言ってんの。クライアントにはきちんと詳細を把握してもらわないと。しかしいきなりのレースを公道サーキットでやるなんざ、サムザの魔女さんは分かってるねぇ!」
メイルゥがウォルター公に持ち掛けた自動車レースでの一勝負。
彼女が立てた代理人は当然のことながら、走り屋シーシーだ。そもそも彼との出会いがなければ『シエナ・グランプリ』の構想もなかっただろう。
実務的なデスクワークはデニス・ルブランに、裏社会の根回しはジョニーに任せ、メイルゥ号令のもとニュールブラン市の企業や市議会までをも巻き込んで『シエナ・グランプリ』は開催に向け、着々と準備が進んでいた。
「んで、エンジンなんだけどぉ~」
まるで新しいおもちゃで遊ぶ子供のように。
エンジンフード(動力機関部を覆っているカバー)を止めている革ベルトを外しながら口笛を吹いている。
細長い車体のほとんどをエンジンが占有する蒸気自動車。競技用ともなれば乗り心地など度外視の高速走行性能が追及されるわけだが、シーシーはさも「それがいいんだよ」と言わんばかりにエンジンフードを開け放った。
アルミ製の極薄板材は羽のように軽い。
そこに降って湧いたように、メイルゥとも違う若い女性の声がする。
「ふーん。見た目はライズ社製のRD26なのに、シリンダーはワットソン・スチーマーの
「お、気づいちゃった? 嬉しいねぇ。ペラシャ(プロペラシャフト)は特注になるが、ほぼほぼ無加工で載っかるからおススメだよ」
「ボイラーは見たことない形ね。これも特注?」
「そうだ。小型化したL31Bを四基、それぞれのシリンダーに振り分けてる」
「ボンネット(エンジンフード)もいっちょまえにアルミなのね」
声の主は、カモメの翼のように折りたたまれたエンジンフードを指先で弾いて、その感触を確かめる。
「ま、やれることは一通りねって――ん?」
「ん?」
シーシーはここで始めて自分がしゃべっている相手が、メイルゥ以外の誰かであるということを認識したらしい。
間の抜けた表情も相まって、目元だけが白いススだらけの顔はまるで仔ダヌキのようである。
「ど、どちらさん?」
シーシーのしごく当然の問いに対し、声の主は手を腰にあて「ふふん」と踏ん反りかえっていた。
燃えるような赤髪をフェルトのクロッシェ帽で包み、軽快なひざ丈のワンピースを身にまとっている。
腕には純白のロング・グローブ。メイクはあっさりとした春色を貴重に、大きな瞳にオレンジのアイライナーを引いていた。
女性と呼ぶにはまだまだ幼い。かと言って少女と呼ぶには若干の色気が出てきている。
そんな彼女と相対し、困惑するシーシー。
見かねたメイルゥがやっとのことで口を開いた。
「このお転婆。おまえったらまたお付きもなしでこんな山奥まで」
すると彼女はメイルゥに向かって勢いよく走り出し、ありったけのちからを込めて抱きしめるのだった。
「おばあちゃま!」
「はいはい。大きくなったね、シエナ」
「ベクスタではせっかく会えると思ったのに、すぐに帰ってしまわれるなんて、ヒドイじゃないですか」
「おまえだって公務でそれどころじゃなかったろう。ちゃんと気を利かしたババアをもっと褒めておくれな」
「私はおばあちゃまに会いたかったの!」
「はいはい」
一見するとまるで仲のいい姉妹のようなふたりだが、かたやサムザの魔導卿とも称される200歳越えの女傑である。
そんな人物を相手にして、赤毛の少女はあまりにも親しげだった。
「あのさ。で、けっきょくどこの誰さん?」
シーシーが不思議がるのも無理はない。
ましてや自分の隠れ家に無断で足を踏み入れられるなど、そんな人物は『脅威の部屋』を査定に来たときのメイルゥだけで十分だった。
彼女たちはひとしきり旧交を温めると、シーシーへと向き直る。
赤毛の少女は腰に手を当て、相も変わらず態度が大きい。
「この子はシエナ。いまの大公陛下の娘でね。甘やかされて育ったから、無作法なのは勘弁しとくれな」
「し、シエナ姫って――ニコラス10世の三女アーサー? あの有名な
「ちょっと! その呼び方やめてよね。あとアーサーってなまえも! 私はシエナって呼ばれるほうが好きなの!」
突然の剣幕にさすがのシーシーも鼻白む。
しかも相手は誰あろう、現王室のれっきとしたお姫さまだ。
その名もアーサー・シエナ・テイルズ・サムザント。
ニコラス10世の末姫である。
快活な公女として世間では知られ、多くの式典や外交の場で目立った業績を残している反面、男勝りな性格があだとなりほうぼうでトラブルを起こしていることでも有名だ。
ついたあだ名がサムザの姫騎士。
馬を跨げば万里を駆け、弓をとっては月をも落とす。
あれなるはサムザの姫騎士。
光を背負いて、向かうところ敵なし。
とは、国の内外で人気のあり過ぎる彼女を称えた詠み人知らずの詩である。
メイルゥは見慣れた懐かしい彼女のやりとりを後ろで眺め「クスクス」と笑いをこらえていた。
「いまの王室に太子がお生まれになるまで、陛下もがんばってね。次こそは男児を、と願ってこの子につけたなまえがアーサーだったのさ。それじゃあんまりだってんで、あたしが直々にシエナという公女号を授けたんだよ。この赤毛にちなんでね」
魔女は帽子に隠された姫騎士の赤髪を指して言った。
「で、おまえさん。ほんとのとこ何しに来たんだい。あたしに会いに来たってだけじゃないんだろ?」
シエナはメイルゥに問われると「ふふん」とまた胸をそらすと、シーシーの鼻先に向かってビシィっと指先を突き付けたのだった。
「宣戦布告をしに来たの。サー・チャールズ・チャップマン。覚悟なさい」
「は?」
「わ・た・し・が、ウォルター公のレーサーってことよ」
やれやれ――。
ある程度予想はしていたが、本気でウォルター公が彼女を代理人に立てるとは。
ハズレて欲しい予感に限って当たるものだ、と。
メイルゥは静かにかぶりを振った。
「『シエナ・グランプリ』に私が出ないでどうするのよ? 悪いけど初代グランプリの栄冠は、このシエナがいただくわ」
ふたりを相手に、姫騎士は自信たっぷりに宣言する。
呆気にとられたメイルゥはシーシーと視線を合わせて、大きく肩をすくめるのだった。
「ま、決まっちまったもんは仕方がないさ。相手がおまえさんだって容赦はしないよ。そうだろ、シーシー?」
「当然。走り屋の名に懸けて手加減は一切ナシだ」
するとシエナもあまりない胸を突き出して「望むところだわ」と。
一方、彼女が敵と分かるやいなや、いつもの軽薄さはどこへやら。シーシーはシエナを愛車から引き離そうと「シッシッ」とまるでやぶ蚊でも払うようにあしらった。
お互いを罵り合うこと数分間。
しばらく子供の喧嘩みたいな応酬が続いたが、そのうちシエナが「あ!」と何かを思い出したような奇声を上げる。
「そうだ、おばあちゃまに渡すものがあったんだわ!」
バタバタとガレージの外へ駆け出し、地べたに投げ置いてあったであろう荷物から綺麗に包装された小包を手に戻ってきた。
「相変わらず、せわしない子だねぇ。まったく」
呆れるメイルゥに向かって「はい」と手渡されたそれは、思いのほか軽く、どうやら中身は織物だと想像がつくほどの柔らかさだった。
「なんだい、こりゃ?」
いぶかしるメイルゥにシエナはとびっきりの笑顔を答える。
「ミナス村の
「なんとまぁ……開けてもいいかい?」
シエナが無言で首肯すると、魔女は年甲斐もなく心を躍らせ包装を解いていく。
現れたのは、彼女の髪とおなじ亜麻色のローブだった。
ゆったりとした大きめのフードの付いた、魔法使いが羽織るシルクの法衣。
羽のように軽く、赤ちゃんのほっぺのような肌触りの良さ。
メイルゥは感動のあまり、ローブをぎゅっと抱きしめた。
思い出すのは、若くして病に倒れたフレッド・ミナスの笑顔。そしてその母親と過ごした数日間の休暇の出来事。
――必ず、ミナスの養蚕文化は残すからね。
そう約束して別れたのはまだ二か月まえのことだ。
すぐさま王室庁へと嘆願を出したが、承認されるまでの時間を考えてもこれほどの品物をこの短期間で仕上げるには、きっと村の労働力を総動員したに違いない。
メイルゥはふと頬に熱い涙が伝うのに気づいた。
とうに涸れ果てたと思っていた感情が、胸の内から溢れてくるのは、ルツが取り戻した若さの影響か、それともミナス村への望郷か。
「ありがとう……ありがとうよ」
そこにはいないミナス村の人々の顔を思い出し、メイルゥはとうとうと流れる涙を止めることが出来なかった。
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