第10話 親愛なるきみへ
拝啓、黒猫さま。
お手紙ありがとう。
こうしたやり取りもこれで三度になりますね。
そろそろ春も終わりですが、朝晩はまだまだ冷え込みます。
風邪などは引いてないですか?
こちらは相変わらず、ずっと家のなかにいます。
最近は身体の調子もずいぶんと良くなったのですが、家の者がなかなか外に出させてくれないので毎日退屈しております。
だから黒猫さんとこうして手紙のやり取りをするのが何よりの楽しみとなっているのです。
勇気を出して新聞にペンフレンドの募集広告を載せて本当に良かった。
まえの手紙で読ませてもらった物語。
とても面白かったです。
文章も達者で、まるで自分が外の世界に出かけているような気持ちになりました。
魔女と剣士とガンマンが、邪悪な組織と戦うお話。
読んだその日は興奮して眠れなかった。
続きを心よりお待ちしております。
――中略――
どうにも取り留めのないお手紙になってしまいましたね。
今回はこの辺でペンを置きます。
いつかあなたと一緒に町中を駆け回ってみたいな。
それではまた。
白猫より
くるくると風車の回るメイルゥ商会の屋上にて。
物言わぬ少女は読み終わった手紙をぎゅうっと胸に押し付けて瞳を閉じる。丸い頬が真っ赤に染まっているは、おそらくお天道さまのせいだけではないはずだ。
少女はもう一度だけ手紙を頭から読み直すと、便せんを丁寧に封筒へと戻した。
それでもまだ顔のにやにやは収まらない。
屋上にはきょうもブラックが干したシーツやおしめがはためいている。
気恥ずかしさからか、誰も見てないというのに少女は洗濯もので紅潮した顔を隠した。
洗いざらしのいい匂いがする。
優しいサボンの香り。
それはかつてメイルゥに無理やり入れられた風呂のことを思い出させた。
いろいろあったな――。
気持ちを落ち着かせた少女はふと立ち上がって、逆さにした水桶を足場にして屋上の手すりへともたれかかる。
そこから見下ろす景色は、片付け損なったおもちゃ箱のようだ。
ごちゃごちゃと不揃いな店舗がひしめき合う風俗街は、雑多な人間模様がうずまく社会の縮図である。
いままた目の前の坂道をひとりの女性が登ってくる。
まるであの日のメイルゥと自分のように。
おや?
しばらくその様子を眺めていた少女が不思議に思う。
坂を登り切ったはずの女性が、自分の見下ろす店の軒先から何度も見切れているのである。
つまりは店を通り過ぎるでもなく、かといってなかに入るでもなく、さっきから何度も店の前をぐるぐると往来しているのであろう。
少女は手紙をエプロンドレスのポケットにしまうと、慌てて屋上をあとにした。
外付けの階段を降りると、建物二階へとつながるドアがある。
そこから屋内に入って通路を進むと、吹き抜けになったいつものホールが見えた。天井には屋上の風車を動力としたシーリングファンが回転し、こもりやすい店内の空気を循環させている。
メイルゥは火を消した暖炉のまえで安楽椅子に揺られていた。
手元には読みかけの本。
どうやらうつらうつらとしているらしい。
物言わぬ少女は取り急ぎ「本の森」のなかへと手紙を隠し、颯爽と黒猫のサラに変身した。
胸元では精霊石のペンダントが大きくスウィングする。
「ばあちゃん!」
メイルゥ以外の人間には「なぁご」としか聞こえないサラの呼び声に魔女はうっすら目を開けた。起き抜けに黒猫の鼻息がふごふごとしていた。
「ぅおおおうっ。なんだい、なんだいっ」
「なんだいじゃないよ、お客さん!」
膝のうえに乗ったサラが、店の外を指さして鳴いた。
メイルゥが「客?」と小首を傾げながらドアのほうに視線を送ると、確かにちらちらと人影が見える。しかし当の人影はいっこうに店内へと足を踏み入れる様子がない。
訝しんだメイルゥは読みかけの本のページにフレッドのものさしを挟み込むと、えっちらドアのほうへと歩いていった。
そして、
「おやアンタは?」
門外で行ったり来たりしていた人影に向かって声を掛ける。
すると彼女は――美術館で会った新米女性刑事は、案の定、過剰なまでの
「ひいいいいいいいいっ! め、め、めいるっさっ――」
「だから落ち着きなってば」
いまにも過呼吸で卒倒しそうな彼女をメイルゥはあらん限りの優しさで包み込む。
美術館で出会ったときのように手を取って、甲をポンポンと叩いてやった。
すると徐々にではあるが、新米女性刑事の呼吸が楽になる。メイルゥはそのまま彼女の手を引いて、ドアから一番近くのテーブル席へと座らせてやった。
「ちょいとお待ちよ。いまコーヒーを淹れるから」
「い、いけませんっ、そんなっ」
「いいから座ってなって。あたしが淹れてやりたいんだから」
「は、はぁ……」
「おかしな娘さんだ。ほれ、自慢のお団子頭がくずれてるよ」
「あっ、はうぅ」
新米女性刑事は顔を真っ赤にして髪を結わえ直している。
サラは彼女の姿に「白猫」の手紙を読んでいたときの自分を重ねて、なんだかまた気恥ずかしくなってきた。
どうにも他人事とは思えず「なぁご」と彼女のすねに頭をこすりつける。
「あ……猫ちゃん。ありがとう。気を使ってくれてるのね」
「にゃあん」
サラは上機嫌のひと鳴きをすると、その場で香箱を組んだ。
しばらくして店内は、魔女の生み出す淡いアロマで満たされてゆく。
「もう懐かれちまったのかい。大したもんだ。その子はわりと気難しい」
「そ、そうなんですか?」
「ああ。とくに初対面の人間にはね。ほい、おあがり」
「きょ、恐縮ですっ」
テーブルに置かれたカップを手にすると、彼女の表情が自然と和らいだ。
温かいコーヒーというのはひとの心を解きほぐす力があるらしい。
ブラックのときと同じだ――。
サラは心のなかでそっとつぶやいていた。
メイルゥはあははと陽気に笑い、自ら淹れた一杯を口へと運ぶ。
「コーヒー飲むのに恐縮もないもんだ。で、きょうは何の用事だい。えーと……」
「申し遅れましたっ。ゾーイ・ストランダーです、閣下!」
新米女性刑事――ゾーイは勢いよくそう答える。
もう大丈夫だとサラは思った。
「ストランダー……麻の時代からロープを編むのが達者な一族がいたね」
「ご、ご存知なんですかっ? もう途絶えちゃいましたけど、曽祖父の代まで船のもやいを製造してました。まさかうちみたいな下々のことまで……」
「
ゾーイは感動のあまり少しの間、言葉を失っていたようだ。
しかしコーヒーを一口味わうと、意を決したみたいに粛々と言葉をつむぎ出す。
「じつはきょう伺ったのは、先日のヴィンセント警部補の非礼をお詫びしにきたのもあるんですけど……こ、個人的に閣下とお会いするためなんですっ」
「あたしに?」
「はい、ぜひ……あの、その……お礼を一言申し上げたくて」
「礼だって? なんかしてやったかね?」
メイルゥはカップをふちを指でなぞりながら首をひねった。
三十路手前の美しい笹の葉眉を大きく歪ませる。
ゾーイは「はい!」と元気よく答えて、テーブルのうえに身を乗り出した。
「私が刑事になれたのは、閣下のおかげなんです!」
「なんだって?」
「私は子供のころから人の役に立つ仕事がしたいと思っていました。でも……女がそうした社会的地位のある職業に就くことは許されません。早く嫁に行って子供を生め。そればっかり」
ゾーイは一度言葉を切り、心の動揺を落ち着かせているようだった。
きっと胸中では数々の思い出が激しく渦巻いているのだろう。
魔女はその様子を黙って見守る。
茶化すようなことは一切しなかった。
「そんな旧態依然とした情勢のなか、閣下はあらゆる社会活動への女性参加を認めるようにと、元老院にお口添えくださったと聞きました。私――感動しました」
「言った。あれはさすがに煙たがられたねぇ」
「だからいまの私があるのはすべて閣下のおかげなんです!」
するとメイルゥ、間髪を入れず。
「なにを言ってるんだい。刑事になれたのは、あんたの努力があったからじゃないか」
えへへ、と。
そばかすに離れ目。
ただでさえ童顔に見えるゾーイが、サラには同い年くらいの少女に思えた。
絶対的な男性社会の刑事という職業において、彼女が並々ならぬ苦労を強いられていることは想像に難くない。
それをしてこの笑顔。
本当に褒めて欲しいひとから賞賛されたとき、きっとひとはこういう顔をするのだ。
「閣下はむかしから私のヒーローなんです」
「そりゃ光栄だ」
「子供のころにお手紙だって出したことあるんですよ」
「そうだったのかい……すまないがすぐには思い出せないね。ちゃんと返事は書いたかね?」
するとゾーイはジャケットの内ポケットからすかさず一枚の封筒を取り出した。
ほのかな桜色に染められた上質の紙と、真っ赤な蝋封。
開封されて久しいわりには保存状態が抜群だ。
よっぽど大切にしているらしい。
それを彼女は自分の胸に当て、とても幸せそうに言う。
「肌身離さず」
メイルゥはカリカリと鼻の頭をかいている。
封筒には「親愛なるきみへ」と記してあった。確かに自分の筆跡だ――メイルゥは照れ隠しに小さくそう口にする。
サラはこのとき、ちょうど文通のことを考えていた。
つぎの書きだしはこうしようと。
拝啓、白猫さま。
お手紙って本当に素敵ですね――。
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