第9話 ほんとは別件で


 世界を破滅させる――。

 そうはっきりと口にしたヴィンセントの言葉。

 一番反応したのは誰あろう、彼の後ろに控えていた新米女性刑事だった。


「け、警部補っ。私そんなの聞いてませんけどっ」


 泡食った彼女のほうを振り向いたヴィンセントは、干し肉をかじりながら面倒くさそうにしてつぶやいた。


「言ってないからな」


「そんな無責任なっ。ああ、せっかく刑事になれたのにこんなひとと組まされるなんてっ」


 小さな手のひらで顔を覆い、よよよと泣いている。

 そんな彼女を薄目で眇めて呆れたようにヴィンセントが言った。


「それはこっちのセリフだ。お荷物背負わされて迷惑してんだよ。あとウソ泣きやめろ」


「じゃあやめます」


 すん、と。

 冷めた表情をして「休め」の姿勢。

 頬には涙の一滴も確認できなかった。


「どうでもいいけどおまえ、憧れの魔導卿閣下のまえでそんなひょうきんな態度さらしてよかったのか?」


「ふぇっ?」


 ひねくれ者の上司から指摘を受けた彼女は、急速に顔色を失っていった。

 一瞬だけメイルゥと目が合ったが、すぐさまお団子頭を抱えて後ろへ振り向いてしまう。


「うぎゃあああっ。私としたことがあああああっ!」


 軽くパニックに陥った新米女性刑事の叫びが、ルブラン美術館が誇る優雅なロイヤルガーデンにこだまする。

 一方、彼女の上司といえば、あらためてメイルゥに向き直って。


「すまん、話の腰を折った」


 その頃にはもうブラックの拳銃もテーブルのうえから片付けられていた。

 ヴィンセントもまた例の銀貨をコートのポケットへしまい、口の中でもごついていた干し肉をほどよく冷めた飲みかけの紅茶で胃の腑へと流し込んだ。


 そんなやり取りをぼんやりと眺めながら。

 メイルゥはふと、せむしの男の屋敷へと行ったときのことを思い出していた。

 しびれる身体にムチ打って降りた地下研究室。

 そこで見た異形の装置。

 あの男はそれを「竜の心臓」と呼んでいた。


 不老不死、永久機関。

 ヴィンセントが先ほど吐いた言葉を心の中で反芻する。

 奇しくもその言葉たちにはシーシーの『脅威の部屋』ですでに出会っていた。

 サラの戯言ではないが、これにはさすがのメイルゥも、ダニーの導きというものをひとつ信じてみたい気持ちになってくる。


「フルカネリ、ローゼンクロイツ、パラケルスス。錬金術の三大門派だ」


 メイルゥはだしぬけにそう口にした。


「あたしも本でかじった程度にしか知らないが、おまいさんの言うのはもしやフルカネリ機関とかいうヤツのことかい」


「……どうしてあんたが知っている」


「長生きだけが取り柄でね」


「ふざけるな。あんたがどこの誰だろうと、おいそれ部外者の耳に入るような話じゃない」


 ヴィンセントはこの日一番のにらみを利かす。

 しかし相手が悪かった。

 魔女はそんなのどこ吹く風で。


「言ったろ、長生きが取り柄なんだ。ちょいと錬金術師に知り合いがいてね。そこで読ませてもらった写本に書いてあった。著者の名前は確かそう――」


「ゴドー・フルカネリ」


「……それだ。おまいさんが追ってる、フォンブラウンてのと同一人物だね?」


「ああ」


「あたしの勘違いじゃなきゃ、そいつは800年ほど生きてることになる。フルカネリ派の門人が名前だけを継承しているのかい。それとも――」


「分からん。それを確かめるためにもヤツを追っている。不老不死なんぞとふざけたことを言ってる狂人を放っておけるか」


 すると魔女はどこかいたずらをするような顔つきになって。


「おまいさん、いま誰を目のまえにして言ってるか分かってんのかい?」


「どうせあんたもつまらんカラクリがあるんだろ。魔法などとうに滅びた」


「言うね。ま、そんなところさ」


 気の済んだメイルゥは三段トレーの最下段からサンドイッチをひとつ摘まむと、さもおいしそうに頬張った。

 ヴィンセントもまたいつしか気の抜けたような表情へと戻り、おなじくサンドイッチを口の中へと押し込む。


「けっきょく捜査は行き詰まりってことか。あんたに聞けば、なんか分かると思ったんだが」


「お生憎さま。魔女たって万能じゃない」


「誰も万能だなんて思っちゃいないが……確かにな。この話は忘れてくれ」


 ここでちょうど女中が現れて紅茶のポットを淹れ直しにきた。

 会話が一度中断され、テーブルのうえには静寂の精霊が舞い降りたようである。

 もちろんメイルゥはそんなお仲間は見たことがないが。


「それじゃあいよいよ本題だ、ばあさん」


「あん? じゃあ、さっきまでのは何だったんだいっ」


 予想外の仕切り直しに思わずメイルゥの手が止まる。

 紅茶のおかわりと一緒に女中が持ってきた焼きたてのスコーンに、ちょうど苺のジャムを塗っていたところだった。


「さっきのは家業としての俺の使命だ。じつはゴーレムの件を上役に報告したとたん、ワットソン・カンパニーの横やりが入って捜査が打ち切られたんだ」


「ワットソン・カンパニーって……あの蒸気屋の?」


「ああ」


 ワットソン・カンパニー。

 近代の市場を掌握しているといっても過言ではない巨大企業である。

 中でも精霊石式蒸気機関の開発においては他の追随を許さない。


「こんな話がある。創始者のヘンリー・ワットソンは、自らの生涯を犠牲にして『生命の水』という秘術を得た。それは一族に富をもたらし、永遠の繁栄を約束するという」


「あたしの旧友は、水の精霊と恋仲になって精霊石の使い方を学んだと言ってたが?」


「おとぎ話だ。国によって伝わり方がまちまちなんだろう。だが確かなことがひとつだけある」


 ヴィンセントは一度しまった例の銀貨を、コートのポケットから出した。

 テーブルのうえに「パチン」と音をさせて。

 自らの尾を飲み込んだ大蛇を強調するかのように。


「こいつはウロボロスという。不老不死や永劫回帰を表す錬金術のシンボルだ。そしていまではワットソン・カンパニーの社章としても図案化されている」


「てことは?」


「そうだ。あの一族は、パラケルスス派の錬金術師さ。100年前の彼らの大成功の影で、他の錬金術師は地上から一掃された。うちの曽祖父さんもそのあおりを食らって、我が家はサムザへと落ち延びてきたんだよ」


「ああ。一時期、うちの国で錬金術がやたら流行ったのはそういう理由だったのかい」


「錬金術師はみんなプライドが高いからな。都合の悪いことは口にしなかったんだろう」


 ヴィンセントは一度言葉を切って、深いため息をついた。

 テーブルに両の拳を乗せ、そしてそのうえから自らの額を押し付ける。

 うなだれていた。

 人目もはばからずにぐったりと。


「おそらく奴らもゴドー・フルカネリを追っている。迂闊だったよ、あいつらの権力はとっくのむかしに警察組織にも及んでいやがった……」


「パブロ侯爵、ヴィンス卿」


 唐突にその名を呼んだメイルゥ。

 地の底まで落ち込んでいたヴィンセントもこれには思わずハッとなった。


「思い出したよ。南のほうにいくつもの爵位を兼任していた名家があったと」


「よしてくれ……落ちぶれたもんさ。もう名家でもなんでもない」


「名は誉れだヴィンス卿。もはや守るべき領土の一辺もなく、ただひとりの領民すらおらずともそれでもやはりそなたは貴族だ。その身体の中に流れる血の最後の一滴に至るまで」


 メイルゥは立ち上がり、愛用の杖を手に取った。

 そしてヴィンセントの両肩へと、杖の先端をかざす。


「われサムザント一代伯メイルゥの名において、汝レオナルドに剣を授ける。いついかなるときも悪に屈せず、弱きを助けることを終生の誓いとせよ。さすればわれは汝の盾となり、永遠の庇護をもって汝を公国に迎える」


「あ、え……?」


「家名に誓え、ヴィンス卿」


 にやりと。

 満面の笑みを浮かべた魔女は、すぐさま杖をおのれの肩へと担ぎ直してウィンクをした。


 呆気に取られていたヴィンセントは、ようやくいまのが冗談だったと理解する。

 血色の悪いひげ面が一気に紅潮していくようだった。

 困惑、歓喜、愉悦、失望。

 それらすべてがないまぜとなった感情が、ありありと彼の表情に貼り付いていた。


「……うっかり誓ってしまいそうだった」


「あたしにはもうその権限もないけどね」


「いや……そういうのじゃない。ただ」


「ただ?」


「……ヴィンス卿はさすがに照れる。レナードでいい。俺はレナード・ヴィンセントだ」


 瞳の中の濁りのようなものが一変に消し飛んだみたいだった。

 ヴィンセントはメイルゥを真っ直ぐに見返し、晴れ晴れとした笑顔を見せる。


「分かった。レナード・ヴィンセントとして覚えておこう」


 そう言ってメイルゥはようやく腰を落ち着けた。

 冷めた紅茶を一口含み、ジャムを塗ったまま放置していたスコーンを口元に運ぶ。


「で」


 やっとゆっくりスコーンが食べられる。

 そう思った流れでついつい聞いてしまった。


「本題ってな、一体なんだい」


 ヴィンセントは本気で忘れていたらしく「ああそれな」と呑気に返した。


「あんたこないだ列車で人さらいボコったろ? 捕まえたゴロツキのひとりがあっさり口割りやがって、どこぞの貴族が買い手らしいってとこまで分かったんだが」


「だが?」


「うまいもんが食いてえ、それまでしゃべらねえ、といっちょ前に取り引きしてきやがってよ。まあそれで黒幕が分かるなら話が早いと、とりあえず一晩牢屋にぶち込んどいたら」


「いたら?」


「朝になったら死んでた」


 そこまで聞いてメイルゥはやっとスコーンをありついた。

 冷めてしまったが苺ジャムのほどよい甘さが、ふんわり舌を包み込む。

 満足げに嚥下したら、紅茶も一口。

 口内を適度に潤しつつ。


「口封じかい」


 取り立てて慌てる風でもなく、二口目のスコーンを口へと運ぶ。

 この程度の事実にいまさら驚く魔女でもない。

 ましてや権謀術数が飛び交う王宮に、ついこの間まで籍を置いていた人物だ。

 ヴィンセントはさもありなんと、すでにメイルゥを敵視する無意味さに気付いたようで、自然と彼女の言葉を継いだ。


「ご名答だ。この国の警察はむかしから貴族との癒着がひどい」


「すまないね。それはあたしがこの200年で払い残したツケなのさ」


「どういう意味だ?」


「なまじっか他国からの侵略防衛なんぞに長けてるとね、覚え違いをした貴族どもが自分たちの国に勝てるものはいないと、遊蕩をはじめるのさ。多少のことには目をつぶってきたが、そろそろツケの払い時かねぇ……」


 管内では武闘派で知られるレナード・ヴィンセント警部補が、この時ばかりはゾクリとした。ただのばあさんが発する「気」にあてられ、正直殺されるかと思ったとのちに語っている。


「――と、というわけなんだが、あんたこの国の大物だろ。誰か怪しそうな貴族のひとりやふたり心当たりないかい」


「そんなことをわざわざ聞きに来たのかい。ゴドーの話のほうがよっぽど刑事っぽかったよ」


「もともとやる気がないんだから仕方がない。ついでだついで。で、知らないの?」


「そうさねぇ……あたしもまだ市井にはうといんだよ」


 腕組みをしたメイルゥは、頭を上下左右へとひねった。

 一見すると首のストレッチのようにも見えるが、古い続柄などを思い出している。


「んじゃいいや」


「諦めんの早ッ」


「いいんだよ、こんな事件。どうせうやむやになって終わるんだから」


「そうは言っても、あの姉妹のことを思うとねぇ」


 悪党にさらわれ、バラバラに身売りされようとしたあの姉妹。

 彼女たちの再会したときの涙を思い出すと、とても放ってはおけないメイルゥである。

 しかし、ヴィンセントはすでに椅子から腰を浮かして、ティーカップに残った紅茶を行儀悪くずずっと飲み干しているところだった。


「またなんかあったら連絡してくれよ。こっちの情報もあんたには逐一流すから」


 じゃあな――。

 そういうとヴィンセントはテラスから回廊へと歩き出した。

 会談の間、ずっと自暴自棄におちいってたい新米女性刑事は、慌ててメイルゥへと一礼すると頭のお団子をぽよんぽよん揺らしながら、彼の後ろを追いかけていく。


「貴族か……」


 ニュールブラン市警の凸凹コンビの後ろ姿を眺めながらメイルゥがポツリとつぶやく。

 ため息とも、呪詛ともつかない疲れた声だ。


「ブラックや。帰ったらジョニーに人探しを頼むからね」


「……人探し……一体誰を」


「誰をっていうか、会いに行きたい『絵』があるのさ」


 メイルゥは物思いにふけるかのように、それきりしばらく言葉を発さなかった。

 ややあって、女中が三度淹れなおした紅茶をすすめにくる。

 その一杯を静かに楽しんだのち、ふたりはルブラン美術館をあとにした。

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