第8話 時代を滅する者


 春の日差しが舞い降りるサムザント様式のロイヤルガーデン。

 鋭角に刈り込まれた新緑の壁を背景に、季節の花々が麗しく咲き誇っている。

 蝶が舞い、小鳥が遊び。

 自然なカーブに並べられた飛び石には、楽しげに会話をする淑女たちの姿が。

 彼女らを招き入れるのは、大きなバラのアーチ。

 のどかな昼食前のひととき。

 庭園散策の旅がはじまる。


 ルブラン美術館が誇る自慢の花園。

 かつて王侯貴族の目を楽しませた庭先も、いまでは訪れる者に等しく開放されている。

 いたるところに大小さまざまな噴水が設置され、見た目以上に涼やかなることこのうえない。これはサムザが王朝配下の国としては異例の早さで水道網整備を導入した賜物である。


 庭内の中央。

 ひときわ来訪者の目を引く、大きな天然石を使用した噴水がある。

 その壮麗な立ち姿は、まさに王者の威風そのものであった。


 メイルゥはいまそれらの光景を一望できる、館内のテラスにいた。

 二階の回廊からわずかに庭先へと突き出した素晴らしい眺めの特等席である。

 

 純白に統一されたテーブルセットに茶菓子の載った三段トレー。

 そして「王室御用達」とラベルの入った紅茶の缶がわざわざ目に見えるところに置いてある。


 館内付きの女中が淹れていったそれを一口含むと、メイルゥは露骨に眉をしかめた。

 それを見咎めたヴィンセントは軽口半分に「魔女は紅茶が嫌いか?」などと。


「紅茶は好きさ。ただ、こんな外国産の葉っぱにラベルだけ『王室御用達』と貼られてもね」


「違うのか?」


「鉱山開発なんかで大分少なくなってるけどね、国内にある御料地で収穫したものだけを本物のロイヤルティーと呼ぶんだよ」


「ふーん。じゃあ偽物ってことかよ」


 ヴィンセントはティーカップの取っ手を使わず、ふちをうえから鷲掴みするという粗野な持ち方で一息に紅茶をあおった。

 飲み頃の温度でやけどこそしないが、ずいぶんな飲み方である。


 それを彼の背後に立つ新米女性刑事がハラハラとした顔で見ていた。

 メイルゥはふたりのそのギャップが面白くて、思わず「くくく」と笑ってしまう。


「なんだ?」


 ヴィンセントは憮然とした態度で悪態をつくが、それがまたメイルゥにはおかしくて。

 彼の言うところの「偽物」という言葉。

 本当のところは財政難の王宮が、小遣い銭稼ぎに「王室御用達」を国外メーカーにも与えているだけだと説明しそびれ。


「いんや別に」


 そう誤魔化すので精一杯であった。


 メイルゥと凸凹市警コンビ、そして彼らの動向を鋭い眼光で見守るブラックを合わせた四人はヴィンセントの言う「本題」をするために人払いをさせたテラス席へと場所を移した。

 気を利かせた「玉乗り」腹の館長が茶の席など設けてくれたが、どうやらこの御仁にはそうした風流は通じないらしいとメイルゥは悟る。


「で」


 ティーカップから唇を離した魔女はいつものように簡潔に問う。


「何が聞きたい」


 ヴィンセントは自分の首筋を一度なでる。

 それが彼のクセだというのは容易に知れた。先ほどから何度もそうするのをメイルゥは目にしている。気になるのはどんなときに出るクセなのかということ。

 ストレスを感じているのか、はたまた嘘を吐くときなのか。

 しかしメイルゥは他人よりはるかに長い人生経験から、きっと彼が「なにか面倒事に巻き込まれたとき」に出るクセなのだろうと結論付けていた。


 それを証拠に彼はいま一枚の写真をテーブルのうえに出した。

 暗がりでの撮影だったのか、ほとんどの部分が影で覆われていたが、フラッシュの当たっている被写体だけははっきりと闇に浮かび上がっている。

 写っているのはひとりの男性だった。立っているのか、座っているのかさえ分からない。

 ただ普通と違っていた。

 頸椎から背中にかけて異様に肉が盛り上がっている、せむしの男だった。


「この男を知っているな」


 メイルゥは一目見て、それが誰なのか分かった。

 あの日。

 フレッド・ミナスが命を落としたあの日。

 彼女は、この写真の男に会っていた。


「ああ――。知ってるとも」


「どういう関係だ」


「どうってこともないさ。ただ用事があって、一度会いに行ったことがある」


「いつの話だ?」


「そうさねぇ……」


 メイルゥが懐から紙巻きを一本取り出すと、背後から「キンッ」という清んだ音色を奏でて真鍮製のオイルライターが突き出された。

 ブラックである。

 彼がメイルゥのたばこに火を点けると、なぜかテーブルの反対側で新米女性刑事が「おおぉ」と感嘆の声をあげた。


「十日――いやニ週間以上まえになるかね。その御仁がどうかしたのかい?」


 白々しいなと思いながらも、メイルゥにはそう答えるしかなかった。


「死んだ」


「ほう」


「驚かないな」


「驚いてるさ。だが、たった一度会ったきりの他人のご不幸をこれ以上どう驚けって?」


 するとヴィンセントは懐に手を入れながら「ふん」と鼻息をつく。

 そしてまたぞろ首筋をなでる。

 彼が手を懐に入れると同時に、ブラックもまたコートの内側へと手を差し伸べる。

 だがヴィンセントはそれに動じることなく、ジャケットの内ポケットから干し肉を取り出して平然と口にくわえるのだった。


「禁煙中でね」


 悪びれずにそう言うと、今度は反対側の内ポケットから折り畳んだハンカチに包んだある物を取り出す。それは一部分がいびつにひしゃげた小さな金属片だった。


「これは?」


「ご覧の通り、使用済みの拳銃の弾さ。こいつが事件現場に残されていた」


「こいつでせむしの男は撃たれたのかい?」


「いや。撃たれたのはこの男じゃない。だがこの弾に刻まれた線条痕を調べていくとあることが分かった」


 線条痕とは銃器を発砲した際、弾丸に刻まれるキズのことだ。


「あること?」


 メイルゥがたばこの灰を落としながらそう尋ねる。

 するとヴィンセントはかったるそうに「ああ」と返して、純白の腰かけに浅く座りなおした。


「あんたちょっとまえに『翠巾党』とかいう貴族くずれのカルトを潰したろ。どういうわけかその現場にいっぱい落ちてたんだな、これと同じ線条痕の弾が」


 ヴィンセントは潰れた弾丸を指でつまむと、それを自分の鼻先へと持ってくる。

 メイルゥから見ると、ちょうど目の高さだ。

 まるで彼が「目をそらすな」と言っているようだった。


「線条痕っては人間の指紋と同じで、撃った銃を特定できる。そこでひとつお願いがあるんだが後ろのあんた」


 ヴィンセントが胡乱な瞳でメイルゥの背後に控えているブラックを見上げた。


「あんたの懐のもんを拝見したい。さっきからちょいちょい俺の動きを警戒してたろ。得物を持ってるのは分かってる。あんたが有名な『賞金稼ぎ』だってこともな」


 ブラックはおのれの雇い主に目配せすると、素直にヴィンセントの要求に応じた。

 コートの内側から抜き出したのは、二丁の拳銃。

 しかしそれはヴィンセントが期待していたものとは、根本的に違っていた。


「こ、これがあんたの銃?」


「……そうだ」


 ヴィンセントのあきれ返った顔を見て、メイルゥは静かにほくそ笑んだ。

 ブラックがかねてより予見していた事態にまんまと出くわしたこと。

 そして何より、自らが講じていた事前の策が、こんなにも早く功を奏したことにである。



 ――木箱を開けてごらん。骨折ってもらった褒美だよ。



 それは数日まえのこと。

 シーシーとひと暴れした事件が新聞紙面を飾り、ブラックに忠告されたときの話だ。

 もし何かあったとき、丸腰の自分では役に立てないと。


 しかしメイルゥもまたブラックのためにと、シーシーの『驚異の部屋』から持ち帰ったものがある。それは――。


「ばあさん、こいつはまさか……」


 メイルゥの言いつけに従い、カウンターの背面にある戸棚からひとつの木箱を取り出したブラックは、その中身を確認して一瞬言葉を失った。

 黒猫のサラもカウンターへと飛び乗って興味津々の様子である。


 木箱に入っていたのは古めかしい二丁一対の拳銃だった。

 サテンの敷物のうえに上下互い違いに収まっており、底板の下にはさらに弾丸や火薬入れなどが収納されているのが重さで分かった。

 形状こそブラックの愛銃とおなじ回転式拳銃であったが、表面にはギラギラのめっき処理が為され、所せましと彫金装飾エングレイブが施されている。

 はっきり言ってブラックの趣味ではないが、それをして彼をときめかせたのは。


「『古き時代を滅する者エルダースレイヤー』か……」


「ご名答。魔導王朝最後の皇帝を撃ち殺した呪われた銃……当時500丁ほど作られたうちのふたつさね」


「ずいぶん……派手だな……」


「事変後に若い貴族たちの間で、決闘用にとその銃を二丁一対で手に入れるのが流行ってね。しまいにゃそうやって自分好みに派手にしていくのがエスカレートしたってわけさ」


「……これを……俺に?」


 ブラックの問いにメイルゥはまばたきひとつで首肯する。

 すると彼は半笑いで、小首を一度ひねった。


「しかし……いまどきパーカッション・リボルバーとは……」


「なんだい、文句でもあんのかいっ」


「……文句というか……前装式だからいざってときに連射もできんぞ」


 銃は時代とともに大きく分けてふたつの機構が進化してきた。

 それは点火方式と弾丸の装填方式である。


 火縄、火打石の時代を経て登場した管打式(パーカッションロック)は、あらゆる性能面での優位性からそれ以前の点火方式を駆逐した。


 雷管と呼ばれる小型の点火装置を撃鉄で打撃することで、薬室内に火花を飛ばすこの点火方式は、弾丸の装填に薬莢を使用する近代的な銃器にもなお採用されている。


 しかしパーカッション・リボルバーは形こそ実包を使用する回転式拳銃と似てはいるが、弾丸の装填方式は火縄銃とおなじ前装式のままなのだ。


 つまり銃口方向から回転式弾倉へと直接火薬と弾丸を込め、突き棒ラマーによって突き固めるという原始的な手法が取られている。

 結果、実包採用拳銃とは違い、一度弾を撃ち尽くしてしまったら、容易には再装填ができないというわけだ。

 そんな古式ゆかしい拳銃を見るや、さしものガンスリンガーも苦笑せざるを得なかった。

 だが大魔道士メイルゥには、そんなプロの事情などお構いなし。


「なんとかおしよ」


 けっきょくこの一言でかたずけられたのであった――。


「い、いまどきパーカッション・リボルバーって」


 日をまたいでヴィンセントがブラックとおなじことを口にすると、さすがのメイルゥも乾いた笑いしか出なかった。

 それでも堂々とした振る舞いで、彼に「どうだ、問題はあるか」と回答を迫る。


「どうったって……口径から弾の形状まで全然違うからなぁ……ほんとにこれぇ?」


 ヴィンセントの懐疑的な態度は尽きない。

 それもそのはず。

 前装式の銃の弾丸は球形であり、実包に装填されるようなどんぐり形状をしていない。さらに大きさで言えば、事件現場に残されていたものよりはるかにデカいのである。

 当たり前のことではあるが、調べる必要がないくらいべつの拳銃ということは明らかだ。


「ちくしょう、当てが外れたか。自信はあったんだがなぁ」


 悔しそうなヴィンセントは、鳥の巣のような頭を掻きむしった。


「じゃあ、あんたはその日、この男に会って、お茶して帰っただけってことかい」


「コーヒーに入ってた眠り薬はもう調べたかい?」


「な……」


「こちとら魔女なんでね。ああいう手合いの出したものには注意もするさ」


 メイルゥはあたかも自分は最初からせむしの男に対して警戒を解かなかったかのように演出した。実際には思いっきり一服盛られたのだが。


「なんでもお見通しってわけだ。じゃあ、あの男が人間じゃなかったことも知ってたな」


「は?」


 予想だにしなかった言葉をヴィンセントが吐くと、思わずメイルゥは救国の大魔法使いを演じることも忘れてまぬけな声を出してしまった。


 さらにヴィンセントはレインコートのポケットから小さな石の塊を出した。

 それは光を失った精霊石だった。

 しかも表面には古い大陸文字で「METH」と刻まれおり、Mの文字のまえには何やら硬いものでえぐられたような傷もある。


「こいつが眼帯の下にあった。もとの文字はEMETH。真理という意味だ。古代の錬金術師が土くれからゴーレムを生み出すときに使った秘術だと聞く。俺が一文字削ってMETH、つまり死の命令を下したとたんに、こいつは土へと還った」


 彼の発言に、後ろにいる新米女性刑事も激しく首を振る。

 メイルゥは吸い終わった紙巻きを灰皿のなかでもみ消すと、椅子に背をあずけて一度大きく胸をそらした。

 瞳を閉じ、しばしの瞑想。

 脳裏にはシーシーの「脅威の部屋」で見た二冊の本の背表紙が浮かんでいた。


 静かにまぶたを開ける。

 そこには無精ひげを伸ばした蓬髪の男が見える。しかしよく見れば、そこはかとない気品のようなものがうかがえた。


「おまいさん、ただの刑事じゃないね」


 明らかに先ほどまでと違う威圧感に、ヴィンセントの体躯が一瞬揺れる。

 そしていつもは冴えない目元に鋭い眼光が宿ったかと思うと、テーブルのうえに古い銀貨を載せて言った。


「レオナルド・ファン・パブロ=ヴィンセント。錬金術師の末裔として、ゴドー・フォンブラウンという男を追っている」


「ゴドー……」


「このせむしの男も生前にゴドーを名乗っていたがフェイクだ。どうやら誰かの作ったゴーレムが自我を持ち、自分のことをゴドー本人だと思い込んだらしい」


「……あんたはなぜその男を追うんだい」


 ふと彼から視線を外したメイルゥは、そのままヴィンセントの銀貨を見つめた。

 そこには自分の尾を飲み込んだ一匹の大蛇がレリーフされている。


「不老不死と永久機関。ヤツの研究がいずれ世界を破滅させるからだ」


 そう言ったヴィンセントの表情にメイルゥはどこか物悲しさを感じた。

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