第7話 赤い髪のシエナ


 その日、メイルゥは朝から某所へと担ぎ出されていた。

 世が世なら文字通り、本気で輿にでも乗せられていたかもしれない。


 かつての魔導王朝においては南方守護のかなめ。

 他国からの侵略を幾度も退けた当代最強とも謳われる大魔道士にして一代伯爵である。


 そんな彼女を呼びつけようとするならば、爵位のうえでは序列を同じくする伯爵以上、または公家に連なる血縁を三代とさかのぼらない格がいる。


 他国に至ってはサムザ大公の名代である。

 当然のことながら国賓として招かれるべき存在であるため、おいそれと軽はずみな外遊も出来ない身分であった。


 しかしながら、そんな話もいまはむかしだ。

 もともとフットワークの軽い彼女のこと。

 すでに隠居の身であると、このところ呼ばれればどこへでも招きに応じるという気前の良さ。

 今日も今日とて。

 彼女は一枚の大きな絵画のまえに立っていた。


「どうですか、メイルゥ閣下! 素晴らしいでしょう!」


 ニタニタと脂ぎった笑顔でそう尋ねるのは、メイルゥの隣に立つ男。

 まるで曲芸師が乗る大玉みたいな腹を震わせ、短い脚がいまにも総大理石の床にめり込みそうである。

 この不摂生の塊のような人物は誰かというと、メイルゥが本日呼ばれた美術館の館長だ。


「どうですかって言われてもさぁ……」


 メイルゥは眼前にある巨大な額を見上げて、小首を傾げる。

 高さにしておよそ3メートル。幅はその半分よりもやや長めといったところ。

 いわゆる黄金比による縦長の長方形のなかに、若いふたりの男女が描かれていた。


 ひとりは数々の勲章を胸に帯びた礼装姿の紳士。

 まだ幼い面影を残しつつも、気品あふれる並外れた風格を醸していた。

 もうひとりは椅子に座った赤毛の貴婦人である。

 純白のドレスを身にまとい、少女のような笑顔をたたえている。


 額の下に添えられたいぶし銀のプレートには『若き日のニコラス三世とシエナ妃の肖像』と刻まれていた。

 メイルゥはただでさえ老化でたるんだまぶたを細め、ふたりの肖像に熱い視線を送る。

 だが本音を言えば「またこれか」といったところ――。


 うわさが広まるのは本当に早い。

 またぞろ、風の精霊シルフィードのいたずらかと思うほどに。


 シーシーの一件以来、メイルゥ商会には中流貴族からの「お宝鑑定」依頼が殺到していた。

 なかには本当に食い詰めて先祖伝来の所蔵品を手放したいという輩もいたが、そのほとんどが公家からの流出物の真贋しんがんを見極め、いわゆるお墨付きを頂戴したいというものだった。


 本日ブラックをお供に訪れているのは、ルブラン美術館。

 ニュールブラン市のほぼ中央に位置するその白亜の建築物は、かつてサムザ大公の離宮として使用され、当地を治めていたルブラン子爵家が管理していた。


 ときは流れ。

 封建的社会の色が薄まると、その役目も王侯の慰安から文化遺産の保存、収集、展示へと変わっていった。

 いまや地方自治も市民議会の手に移り、わずかに土地の名称としてルブランの名が残った。


「お懐かしいでしょう、閣下! この肖像画はまだ王都に宮殿が建立されるまえ。桑樹王さまが南方の蛮族たちを相手に戦っておわした頃のお姿。当時はまだ山岳地帯の砦に居城を構えていらしたはず。少なくとも180年はむかしの作品です!」


 自信たっぷりにのたまう「玉乗り」の館長とは反対に、メイルゥの表情は次第に冷めていく。

 愛用の杖をもてあそびながら「ま、」と相手の調子をくじかない程度の一呼吸を入れてやってから、ここ最近いつもしている講釈をはじめた。


「ま、出来はいいよ。よく描けてる。この大きさの肖像画となると、さすがのあたしも目にしたのは初めてだねぇ」


「そうでしょう、そうでしょう!」


「陛下の礼装も、お妃さまのドレスも当時のままさ。細部までよく描き込まれているね」


「そうでしょう、そうでしょう、そうでしょう!」


「いやほんと。『写し』としてはかなりいい絵だと思うよ」


「そうでしょう、そうで……って、え? 『写し』ですとっ」


 館長は驚きのあまり、自重を支えきれずにあとちょっとで倒れるところだった。

 メイルゥは「ふん」と荒い鼻息をひとつ吐くと、手にした杖を担ぐように片肩に乗せる。


「この絵をウチに持ってきたのはあんたで五件目さ。おそらく名のある画家の作だろう。見たなかじゃ間違いなく傑作だよ。だが当時に描かれたものじゃない」


「な、ど、どうしてっ。どこにそんな証拠が――」


 立場も忘れて館長がメイルゥに詰め寄る。

 彼の狼狽ぶりに、さすがの魔女も気の毒に思ったのか「まあ落ち着け」と肩を叩いた。


「この絵のふたり。一体どこを見ていると思う」


「へぇ?」


 不思議な魔女の問いに、館長の声は思わずうわずった。


「あたしだよ。この絵のこっち側にはあたしと宮廷画家がいるのさ」


 言いながら「こっち」を強調するかのように、空いた手を胸元へと引き寄せる仕草をした。

 館長は気の抜けた顔で、絵とメイルゥとを往復する。


「ただでさえ身体の弱かった陛下に、この絵を描くようにとせかしたのはあたしさ。ふたりともいい顔してるだろ。この頃は幸せだったね……」


「え、と、じゃ、じゃあこの絵は本当に偽物……」


 膝から崩れ去った館長をなだめるように、メイルゥもまた隣にかがんで彼の背中をポンポンと撫でてやった。


「偽物って言い方は好かないね。いい絵じゃないか。ことによると本物よりもよっぽど出来はいいかもしれないよ」


「は、はあ……」


「なんて顔してんだい。描いた人間に失礼だよ。それにこれはもう立派に別の作品さ。贋作として描かれたようにも思えないしね。必要ならあたしが一筆書いてやるよ」


「そ、それは願ってもないことですが……はぁ……」


 館長は深いため息を吐いてゆっくりと立ち上がる。

 わずか数分の間にこれほど感情の起伏を経験することもなかなかないだろう。

 あれほど贅沢の脂でギラついていた丸い頬も、いまでは少しげっそりとした様子である。


 これにて出張鑑定の仕事は終了と相成った。

 諸々の事務処理などを手早くすますと、メイルゥは余った時間で館内を見て回る。

 

 かつての離宮が誇った荘厳さはそのままに、時代を彩った名画や彫刻が所狭しと並ぶ。

 メイルゥはそのひとつひとつに思い出と哀悼の念を抱き、粛々と歩みを進めるのだった。それはあたかも自分自身の歴史絵巻でも見るかのよう。

 懐かしさ半分、気恥ずかしさ半分。

 サムザ公国の歴史は、そのまま彼女の年代記でもあるのだ。


「お、お待ちくださいっ!」


 張り詰めたとまでは言わないが、終始、厳かな空気の流れる館内に突如として若い女性の叫び声があがる。困惑とも憤慨ともつかない音声おんじょうに、メイルゥはふと視線を向けた。


 長い回廊を抜けた大きな柱の陰から、いまひとりの男の姿が見えた。

 周りを慌てた様子の学芸員たちが取り巻いている。さっきの声の主もその輪のなかにいるのだろう。とても穏やかな様子とは言えないが、男は無視してこちらへとやってくる。


 ずっと後ろに控えていたブラックが一歩まえへと出た。

 だがメイルゥはそれをやんわり手で制すると、自ら喧騒のなかへと身を投じていく。


「館内はお静かに、じゃないのかい?」


「め、メイルゥさまっ」


 金切り声でわめいていた学芸員たちが、彼女の姿を認めるとこぞって居住まいを正した。

 なかには感動のあまり涙するものまでいたが、件の男は胡乱な瞳のままでメイルゥを見返してくる。ボサボサの蓬髪に無精ひげが印象的だった。


「あんたがメイルゥさんかい」


「そのようだね」


「有名人は探すのが楽でいい。ちょいと聞き込みをすりゃ、すぐ居場所が割れる」


 男は季節外れのレインコートのポケットから一枚の古い銀貨を取り出すと、それで手遊びを始めた。親指で弾いたコインが舞い上がり、あたりに清んだ金属音が響く。


 メイルゥは動揺する学芸員たちに目配せをすると、さがるようにと指示を出した。

 すると彼女たちは後ろ髪を引かれる思いで、三々五々に散っていくのだった。


「で、そういうあんたどこの誰さんだい?」


 ジロリと。

 しゃがれた声とともに、たるんだまぶたで相手をねめつける。

 老いてなお鋭い眼光は見たものを威圧するには十分すぎる覇気を備えていた。

 だがこの男――レナード・ヴィンセントはそれしきのことでひるむ器ではなかった。


「レナード・ヴィンセント。ニュールブラン市警だ」


「ほう。市警の刑事さんがあたしになんの御用だい」


「あんたにゃ聞きたいことが山ほどある。ちょいと顔を貸してもらおう」


「ずいぶんと居丈高じゃないか。ひとにもの尋ねるにはそれなりの態度ってもんがあるよ」


 ここでヴィンセントが「ふん」と鼻息をもらす。

 お互い一歩も引かない様子に、思わず笑みがこぼれた。


「食えねぇばあさんだ。俺はこの国の生まれじゃないんでね。あんたに平伏するつもりはハナからないんだ。口が悪いのは性分さ、勘弁してくれ」


「あんた所帯は持ってんのかい?」


「あ? なんでいまそんなこと」


「嫁さんが苦労するなと思ってね」


「ほっとけ!」


 けらけらとメイルゥが笑うと、つられて観覧中の客たちもクスクス笑いだした。

 さっきまでの重苦しい空気が一変。

 ヴィンセントは、もはや彼女のまえでは強面の鬼刑事などではなくなった。


「ああああ! いたああああ!」


 ささやかな笑顔と静寂に包まれた館内に、またしても絶叫がこだまする。

 それは最初の学芸員ともまた違う、若々しい女性の声だ。

 彼女はさっきヴィンセントが現れた回廊とは、真逆の方向から駆けてくる。


「ちょっと警部補! 置いてくなんてひどいじゃないですかっ」


 タイトなスーツ姿に身を包んだその若い女性は、お団子にした髪を揺らしてヴィンセントのまえへと立ちはだかる。

 もうどこにも逃がさないぞ、という強い意志が見て取れた。


「お前が遅いのが悪い。はぁ……なんでこんなポンコツ新人と組まにゃならんのだ……」


「誰がポンコツですか、誰が……って……」


 若い女性がふと後ろを振り返ると、そこにはひとりの老婆の姿があった。

 無論、誰あろう、サムザ公国の偉大な魔道士メイルゥそのひとだ。


「め、めいる、か、かかか、かっかっ」


 緊張のあまりに声が出ない様子。

 これがサムザ国民のあるべき正しい姿――にしても度が過ぎている。


「この娘さんも刑事かい?」


「ああ。不肖のパートナーだよ」


「お嬢さん、名前は?」


「ああ、あの、わ、わたくし、はっ」


 優しく語り掛けるメイルゥに手を取られ、いよいよ舌の回らない新米女性刑事。

 見かねたヴィンセントが自らの首筋をなでて、面倒くさそうに言う。


「なあ、ばあさん。ぼちぼち本題に入ろうや」


 しばしの逡巡。

 だがそれはメイルゥにとって、まばたきほどの時の刻みでもなく。


「いいだろう」


 魔女はそう応えると、学芸員のひとりに館内にあるテラスへと一同を案内させた。

 先頭に並んだヴィンセントとメイルゥ。

 その後ろから用心深く付き従うブラックとそして――いまにも頭から湯気でも出そうなくらいに舞い上がっている新米女性刑事の四人は、白い大理石の床を踏みしめていった。


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