[ 2 ] ふたりの肖像

第6話 思い出の自鳴琴


 メイルゥ商店の「本の森」には、その片隅に小さな円卓が設けられている。

 ある者は魔女謹製のコーヒーをお共に、有閑を読書で満たすために使い、またある者は日頃の喧騒を離れて、絶好の昼寝スポットだと決めつけ机上へと突っ伏す。


 ときに幼児たちの読み書きの勉強机となり、ときに拳銃のメンテナンス台ともなる、このわずか直径一メートルにも満たない板切れのうえに、きょうは書きかけの便せんとインク瓶、それから「世界の言葉」と題された一冊の辞書が置かれていた。


 ペンを手にするのは物言わぬ少女だ。

 さらりとした黒髪を小さな指でかき上げて、続きの文面をどうしたものかと思案中である。

 首から下げた精霊石のペンダントはまだ、鈍い輝きで明滅を繰り返していた。


 そのうち物書きにも飽いてきて、ペンを鼻と唇の間で挟んで気を散らしていると、なにやら聴きなじみのない陽気なメロディーが目の前を通り抜けた。


 見えるはずのない音符を目で追うと、そこにはメイルゥの姿が。

 いつものように暖炉のまえで安楽椅子を揺らしていた。


 ただいつもと違っていたのは、膝のうえに小さな箱を抱いていたことだ。

 物言わぬ少女は書きかけの手紙に吸取器ブロッターを押し当て手早くインクを乾かすと、それを「世界の言葉」に挟み込んで書架へとしまった。


 振り向きざまにピョンと跳ねると、つぎの瞬間には黒猫のサラへとその姿を変じた。

 彼女はいまだ鳴り続ける音符を辿って、メイルゥの肩へと飛び乗った。


「ばあちゃん、それなぁに?」


 メイルゥ以外の人間にはただ猫が甘えて鳴いているようにしか聞こえないサラの問いに、目元の小じわが気になり始める三十路の笑顔で魔女が答えた。


「オルゴールさ」


「おるごーる?」


「機械仕掛けの自動演奏機ってとこかね。ほれ、こうやってふたを閉めると音が止まる」


「ほんとだ!」


「そしたらこのネジを巻いて……またふたを開けると」


 一度止んだ演奏が再び鳴り始める。

 それは聞いただけで誰もが踊りたくなるような陽気さと、どこか郷愁を誘う不思議な旋律をしていた。


「へぇ~。こんな機械があったんだ。オイラ知らなかったよ」


「すぐに蓄音機ってのが発明されて、下火になっちまったからね。でもこんなに小さく作るのはちょっとしたもんなんだよ」


 ふたの裏側に書かれた「D・C」の文字を指でなぞり、メイルゥはふと優しげな目をした。

 そして目ざといサラはそれを見逃さない。


「あ! ばあちゃん、いま、恋する乙女の顔したでしょ?」


「な、なにを言ってんだい」


「ほらぁ~。ちょっと赤くなってるぅ~」


 サラは自慢の肉球で、メイルゥの頬をぷにぷにとつついた。

 よしなよ――と言う魔女のほうも、まんざらでもない様子である。


「この曲にはちょっと思い出があってね。まさかダニーがオルゴールにしてくれてたとは……」


「ダニー?」


「ダニエル・チャップマン。こないだ会いに行ったシーシーのお祖父さんだよ。若い時分は背の高い色気のある紳士でね。よくダンスホールに誘ってもらったもんさ」


「なんだよ~。フレッドといい、そのひとといいさ。ばあちゃん、ぜんぜん桑樹王さま一筋じゃないじゃん!」


 桑樹王――ニコラス三世。

 その名を語るとき、メイルゥの瞳は大魔道士のそれからひとりの女性へと戻る。

 出会ってから200年。

 片時も彼を忘れたことなどなかったが。


「長いこと生きてんだ。恋のひとつやふたつ勘弁おしよ」


「えぇ~」


「それにおまいさんだってひとのこと言えないじゃないさ。ここ最近ずっと書いてるアレ、恋文だろ?」


「えっ」


 明らかに動揺してしまったサラがメイルゥの肩のうえで毛を逆立てると、さっきのお返しだと言わんばかりに、のどの下あたりをくすぐられる。


「ほれほれ。一体、どこの誰に出そうってんだい。さっさと吐いちまいな」


「そ、そんなんじゃないよっ。ま、まだ秘密だから、勝手にのぞかないでよねっ」


 使い魔であるサラと魔女メイルゥの間には、見聞きしたものを共有できるという絆がある。

 だからといってメイルゥは、始終サラのことを見張っているわけではない。


 ひとしきり肩のうえで暴れたサラを「はいはい、分かった」となだめたメイルゥ。

 懐から出した紙巻きにマッチで火を点けると、ふぅっと紫煙をくゆらせた。


「……そういや最近、魔法使わないね」


 出し抜けにサラが口にすると、メイルゥは床にたばこの灰を落として安楽椅子を揺らした。


「このご時世、魔法じゃ誰も救えないからね……」


 さみしげにそう呟いたメイルゥの言葉は、サラに「あの子」を思い出させた。

 しばしの沈黙のあと。

 サラはメイルゥの膝のうえへと飛び降りた。

 器用にオルゴールをよけて座り、金色の目を魔女に向ける。


「ねえ、ばあちゃん。ダニーってひととは、けっきょくどうなったの?」


「うん? そうさねぇ……あれは何度目かの求婚のあとだったかね」


「きゅ、求婚って……プロポーズっ?」


 びっくりしたサラはその場に腹を向けてひっくり返る。

 いわゆる「へそ天」だ。


「誰にでも言うんだよ、あの男は。有名な遊び人だったからね」


「で、でもぉ」


「あたしだけは違うってかい? ご冗談。そんな勘違いはしないよ。でもね」


「うん?」


「一度、あたしのためだけに曲を作ってくれたことがあった。そのときはバンドネオンって蛇腹の楽器だったけどね。あまりにも嬉しくてうっかりポッとなっちまった」


「それがこの曲?」


 オルゴールに肉球をちょんと乗せて、サラは「なぁご」と甘えた声をあげる。

 メイルゥは微笑み、無言でうなずいた。


「思えばあれが最後だったんだね。あのあとサムザは隣国から精霊石の鉱山を狙われ、長い防戦を強いられるようになり、あたしも多忙になったんだ。そのうち王朝が滅んで、今度は南から領内に侵攻しようとする勢力との小競り合いに」


 魔女は一旦言葉を切って、天井を仰いだ。

 たばこの煙がのぼっていっては、視線の先で霧散する。

 それはまるで、戻ることのない時間の流れにも似ていて物悲しかった。

 

「いまから50年もむかしの話さ。まさかその孫に出会うなんてね」


「……ダニーの導きだと思う?」


 サラの純粋な瞳がメイルゥの胸を刺す。

 しかしドライな魔女は、くわえたばこをしたまま肩をすくめた。


「さあて。あたしゃそういうのは信じないことにしてるんでね」


「ちぇっ。つまんないの。魔法使いのくせに現実主義なんてどうかしているよ」


「さすがに辞書で勉強してるだけあって、こまっしゃくれてきたね」


「あ! のぞいてたな~!」


「うぷっ。ちょ、ちょいとやめなってばっ」


 オルゴールのふたを踏み台にして、サラがメイルゥの顔に飛び掛かる。

 不意に止まった演奏と、大きく縦に揺れる安楽椅子とのコントラストが激しい。


 そんな仲睦まじい様子を、ひとしきり眺めていた人物がいた。

 スウィングドアの真横にあるテーブル席に腰を落ち着け、朝刊の端から端までしっかりと目を通す男がひとり――ダンテ・ブラック。

 銃を握れば大陸に並ぶものなしと恐れられるガンスリンガーにして、名うての賞金稼ぎだ。

 しかし、いまの彼の腰にぶら下がる得物はなかった。


 読み終わった新聞を四つ折りにして、カウンターへと歩を進める。

 そこに空になったウィスキーグラスと「メイルゥ閣下、大活躍」と書かれた記事をうえにして折り畳んだ新聞を置いた。


「……ばあさん。もう記事になってるぜ」


 するとメイルゥとじゃれついていたサラが、ブラックの足元へとすり寄ってくる。

 彼女の秘密はブラックにはオープンにされている。

 それはルヴァンと違って、あれこれ無粋に訪ねてこないからだとサラは解釈していた。

 案の定、このときもまたブラックは必要以上のことは語らなかった。


「人助けもいいが、用心してくれ……いま俺は丸腰だ……いざってときに役には立てない」


 誠実さを固めて作った分厚い唇が、現雇い主に対してやんわりと諫言を吐く。

 口数が少ないだけに、その意味合いは深い。


 それは先日のランチタイムのときだった。

 メイルゥが作ったチェリーパイに舌鼓を打ちながら、ブラックは彼女の留守中に愛銃をオーバーホールに出していることを伝えた。

 ジョニーの紹介で腕のいいガンスミスが見つかったのだ。

 このときのブラックもまた、言葉少なに重要なことをメイルゥに語った。


警察サツも無能じゃない。あんたが撃ってきた俺の銃から、すぐここが割れるだろう……」


 サラもこのときの様子は覚えている。

 彼らの足元でおかわりした二枚目のパイを食べていた。


「メンテついでにちょいと手を加えた……あの弾を撃った銃はもうこの世にはない。なにかを聞かれてもシラを切りとおせ――」


 サラにもメイルゥにも詳細はよく分からなかったが、ブラックが言うからにはきっと安心なのだろう。しかしながらいつまでもこの男を丸腰にさせている訳にはいかない。ただでさえそこら中で恨みを買っているだろうから。

 そんなことをサラが感じながら、彼のすねに頭を擦り付けているときだった。


「ブラックや」


 安楽椅子に揺られている魔女が口を開いたのは。


「ちょいとそこの戸棚にある木箱を開けてごらんよ」


「木箱?」


 ブラックがカウンターの背面にある戸棚――多くはルヴァンが持ち込んだ酒類で埋まってしまってはいるが――から、ひとつの木箱を取り出した。

 大きさでいうと二つ折りの新聞よりは小さく、四つ折りと比べればかなり大きい。

 厚みもあり、ブラックの前腕に軽く筋が浮いていることからも決して軽い中身ではないことが想像できる。

 しかしいまのサラからでは仰ぎ見る位置にあり、よく分からなかったが、木箱を開けたブラックの表情は明らかに驚いていた。


「あたしのせいで骨折ってもらったからね。そのご褒美だよ」


 いたずらっぽい顔をしてメイルゥがうそぶく。

 安楽椅子に揺られながら、もう一度オルゴールのふたを開けた。


 流れ出したメロディーに彼女の表情がより幼くなった気がする――。

 サラにはそう見えた。

 そして、木箱の中身を確かめようとカウンターのうえにピョンと飛び乗るのだった。

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