第4話 放蕩息子の奇縁
メイルゥ商会のある『シエナの街』から汽車に揺られること二時間と少し。
山間に囲まれた風光明媚な避暑地がある。
観光資源としても有名で、そこにはむかしから中堅貴族や金持ちの別荘が数多く建てられており、シーズンともなればひと夏のバカンスに興じる紳士淑女の姿を見かけたはずだ。
しかしいまはまだ厚着をしてもちょっと肌寒く感じるほどの季節。
あるのは高山地帯の清んだ空気と川のせせらぎ。
冬眠明けではしゃぐ小動物や、それを追いかけて遊ぶ地元の子供たち。
そして大気のなかに含まれる潤沢なルツだけだった。
山登りといえば希代の幻想小説家にして盟友エドガー・ナッシュの執筆小屋を思い出すメイルゥだったが、今日は十代の肉体とコンディションにも恵まれ、ふもとの町から続くゆるやかな山道を鼻歌まじりに楽しむ余裕すらあった。
サラもいない単独行。愛用の杖を片手に、のんびりトレッキングとしゃれこんでいる。
出張査定の依頼など正直あまり乗り気ではなかったが「たまにはこんな仕事もいいね」と空ゆく小鳥のさえずりに耳を傾け、思わず微笑んでいた――。
話は昨日の昼時にまでさかのぼる。
まだかすかにチェリーパイの香を残す、食休みのひと時。
「聞かせな――ジョニー」
淹れなおしたコーヒーをテーブルに置くと、メイルゥは紙巻きに火をつける。床に放ったマッチの燃えがらは、足もとにいたサラが肉球でもって念入りにもみ消した。
一方、はじめて「ジョニー」と呼んでもらった巨漢のチンピラヤクザは驚きのあまりに気が動転してしまっている。
熱さも忘れて淹れたてのコーヒーを一気にあおり、当然の如くやけどした。
「ぅ熱っチチ!」
「なにやってんだい」
「す、すいやせんっ。で……な、なにからお話しやしょうか」
「そうさねぇ。そもそもどういう
「それがですねぇ……」
ジョニーの話を要約するとこうだ。
もともと彼らの出会いは、ハンソン一家を含んだ国外のヤクザ者たちが、サムザに新しく自動車による賭けレースを持ち込もうとしていたことに始まる。
シーシーはノミ屋の胴元であるハンソンの親方に雇われ、八百長の片棒を担ぐためにレーサーとして参加する予定であったという。
「おれらとツルむまえから札付きでしてね。愛車をいじるためなら金に糸目はつけねえ。しまいには実家をおんだされて、資産も凍結されたって話でさ」
「勘当中の放蕩息子ってわけだ」
「そうそう、それです。さすがは姐さん。学があんなさる」
「変な褒め方はおよしよ。で、いまどこにいんのさ」
「祖父さんが残したとかいう別荘で好きなだけ車をいじり倒してまさぁ。例のわんだーなんとかってのも、そこにあるとかで」
「ふーん。じゃ、明日にでも行ってみるか」
「行くなら昼間がいいですぜ。夜は仕事でヤサをあけてることが多いんでさ」
「仕事?」
「へぃ。あの野郎――」
小鳥の歌声にいざなわれるように。
メイルゥはシーシーという男が住む別荘地へとたどり着いた。
なるほど、樹々の合間を抜けて、所々に立派な屋敷が建っている。しかしどの家からも世話人が働いているくらいの気配しかしない。
ところがどうだろう。
たった一軒だけ、屋根のエントツから景気よく煙を噴き上げている建物があった。
切り開かれた林間の土地に、かつては牧場だったと思われる広い面積を木の柵がぐるりと囲っている。厩舎とおぼしき建屋もあるが、馬糞や飼い葉の匂いがしない。
近づいてみるとそれもそのはず。
厩舎には競走馬の代わりに噂の「馬なし馬車」が鎮座していた。
遠巻きに見ていたままじゃもどかしいと。
メイルゥは無礼を承知で、自分の胸元ほどの高さがある柵を「よいしょ」と軽やかに乗り越えていく。身体が若いと気持ちまでお転婆になってしまうのが玉に瑕――ルヴァンやブラックにもちょいちょいたしなめられていた。
先に投げ入れておいた杖を拾い上げると、はだけたローブの裾をちょちょいと直す。
閉ざされたゲートから続く「わだち」に沿って場内を行くと、本宅の建屋の隣にさっきの厩舎が見えてきた。
だだっ広い敷地にがっちりと締め固められた土の地面。
壁際には大小様々な工具が掛けられており、また大型の工作機械も確認できる。それらはもちろん蒸気で動く。室内にはいくつものパイプが這わされていた。
ときおり「プシュン」と蒸気圧が抜ける音がする。
また暗がりに差し込む陽光で、大気中を漂うホコリがキラキラと輝いていた。
その中央だ。
深いグリーンのボディカラーをした一台の「馬なし馬車」がある。自動車――ジョニーたちはそう呼んでいた。
低くて長細い車体で、搭乗スペースには屋根もない。馬車というより車輪の着いたコッペパンのようだとメイルゥは思った。
ハンドルのある運転席を含めて四人分の座席はあるものの、やけに簡素である。
もしかすると速く走らせるための工夫なのかもしれない。
ちょうどメイルゥが、そう思い至ったところ。
「おんや?」
ガラガラガラと。
コロ(小さい車輪)の付いた寝板に寝そべり、車の腹下からひとりの男が這い出してきた。
上下ひとつなぎになった作業服をたっぷりすすと油で汚し、手にはスパナレンチ。そして顔にはゴーグルを装着している。
「今日は誰ともデートの約束はしてなかったはずなんだけど……しかし、きみほどの美女のお誘いとなれば断れないな。ごきげんよう、マドモアゼル」
ゴーグルを外した男の顔は、愛嬌のあるタヌキのようだった。
すすとオイル汚れで黒ずんだところに、ゴーグルを着けていた目元だけがくっきりと白い。
彼はメイルゥの身体をうえから下までゆっくりと値踏みをすると、長い脚を折り畳んで彼女のまえへひざまづいた。
「今日は時間がないんだ。残念だけど色々すっ飛ばして早速ベッドへ――」
「あんたがシーシーかい?」
見た目に似合わぬドスの利いたメイルゥの物言いに、一瞬だけ男がひるむ。
しかし次の瞬間には、また陽気な口調とオーバーな身振り手振りを交えて、メイルゥの周りをぐるぐると練り歩くのだった。
「ガラの悪い野郎どもにはそう呼ばれているけどね。ぜひご婦人にはベッドのうえでチャーリーと優しくささやいて欲しいも……ってムギュッ」
耳元に近づいてこようとしたシーシーの鼻先をメイルゥが杖で押し退ける。
彼女はそのまま自動車のほうへ歩みを進めると、冷たいアルミ製のボディをそっと撫でた。
怪しく妖艶に――それでいて気高く。
「あたしはメイルゥ。あんたが質に入れるって『部屋』を見物に来た金貸しさ」
「メイルゥ……メイル――ってちょっと待った。引退した魔女がやってる金貸しだとはジョニーから聞かされたが、ありゃ200歳のばあさんの話だろ?」
するとメイルゥは「ふふん」と鼻を鳴らした。
「マジかよ……」
さすがのお調子者もこれには面食らったらしい。
混乱しているのか、しばらくはサラサラのブロンドヘアを掻きむしったりしていた。だが次第に彼の表情が曇っていくのをメイルゥは目の当たりにする。
さっきまでのおちゃらけた口調さえ、どこか剣呑な匂いに変わった。
「うちは祖父さんの代に王朝を見限ってサムザに移住してきた貴族とは名ばかりの準男爵だ。金で爵位を買い、公家とも近しいつながりはない。魔法使いなんてどいつも卑しい操心術に長けたまがいものだと思ってた……まさかあんたは本物の――」
「体質だよ、体質。今日は化粧のノリが良くてね。たまたま若く見えるんさ」
軽いウィンク。
ツナギ姿の色男は、一瞬にして毒気を抜かれる。
たったの二言三言を交わすだけ。
メイルゥにとって相手の緊張を解くにはそれで十分だった。
「は、ははは……あはっ。あんた面白いな。気に入ったよ」
「そりゃどうも。じゃあ見せてもらおうか。あんたの『驚異の部屋』を」
「祖父さんの――だけどね」
軽くウィンクをし返したシーシーに促され、メイルゥは厩舎から本宅へと所在をあらためた。
とりあえず洗顔だけ済ませてきた家主に案内されたのは、二階の角部屋である。
取り立てて装飾を凝らした風でもない、使い込まれた樫の木のドアが彼女を出迎えた。
「ようこそ魔導卿閣下。わが祖父による禁断の小部屋へ」
シーシーはドアノブを掴むと、ためらうことなくそれを引いた。
突如として古い屋敷の放つ独特のかび臭い空気がメイルゥの肺に襲い掛かった。加えて病院で嗅いだようなきついアルコールのような臭いもする。
メイルゥが眉間にしわを寄せていると、先んじて室内へと入ったシーシーが、カーテンを開け待っててくれた。窓から漏れ入る日の光によって、ようやく部屋の全貌が明らかとなる。
さほど広くない部屋の壁にはそれぞれテーマに沿って分けられた陳列棚が置かれていた。
ドアを入って右手側には、生物や植物の標本がある。さきほどのアルコールの匂いの正体は、ホルマリン漬けにされたカエルの死体であった。なかには哺乳類の胎児と思しきものや、人間の臓器のようなものまである。
いずれにせよ気分の良いものではないことは間違いはない。
一方、左手側にはまったく別の趣向を凝らした棚がある。そこには鉱物や天文学に関する資料がずらっと並べられており、見るものが見れば精巧に描かれたと分かる手書きの古地図が壁に掛けられていた。
望遠鏡や天球儀などもまた、どうやら故人の手作りらしい。
さらに部屋の中央には、古めかしい背表紙の並ぶ書架がある。メイルゥ商会の「本の森」にも勝るとも劣らない趣があった。
そしてドアの正面最奥の壁には――。
「なんとまあ……」
あの魔道士メイルゥをして感嘆の声が漏れる。
巨大な精霊石の原石からはじまり、それを溶かす硫酸や王水、これまた精巧に手作りされた顕微鏡や「哲学者の卵」とも呼ばれる蒸留用のフラスコまであった。
どれもメイルゥがはじめて目にするものばかりだ。
もちろん書物や人づてに見聞きしたことはあるが、実物に触れる感動には遠く及ばない。
見るだけでひとをも射殺す青い瞳が、きょうは好奇心で輝いている。
「うちの祖父さんはローゼンクロイツ派の錬金術をかじってたらしくてね。いまの時代にここまでの設備が残ってるのは珍しいと思うよ。どうだい。いくら都合してくれる?」
せっつくシーシーに対して、メイルゥはいささか冷静だ。
それもそのはず。
何もかもが門外漢なのだから。
しばらくは好奇心に任せてあたりを物色していたが、研究机のうえに堆積したホコリを指でなぞると、書架に納められた一冊の本を無作為に取り出した。「ホムンクルスとゴーレム」というタイトルで、人工的に生命を作る出すことを目的とした研究が書かれている。さらにその隣には「不老不死と永久機関、または『竜の心臓』」という本があった。
「『竜の心臓』……」
メイルゥにさしたる驚きはなかった。
むしろ、さもあらん。あれは錬金術の邪法であったかと。
耳の奥ではあの奇怪なせむしの男の「ふぇっふぇっふぇ」という声がへばりつく。
フレッドを思い、一縷の望みで無駄足をしたあの日をふり返ると、ただただ苦い胃液が逆流するような気持ちになる。
ふと本を抜き取った場所を見ると、奥のほうにまだ「なにか」があった。
そっと取り出してみるとそれは、両の手のひらに収まるサイズの、木で作られたオルゴールであった。
「オルゴール? なんだってそんなもんが、そんなところに?」
どうやらシーシーすら知らなかったらしい。
メイルゥがおもむろにふたを開けてみると、オルゴールから優しいメロディーが流れてきた。
「この曲は……」
ハッとしたメイルゥは、手にしたオルゴールをあらためて凝視する。
ふたの裏をよく見るとそこには「愛しのMへ。D・Cより」と刻まれていた。
「ディーシー……ダニエル・チャップマン……シーシー……チャーリーってまさか――」
メイルゥはもう一度シーシーの顔をよく見直した。
ブロンドの髪に整った目鼻立ち。
そして笑うと浮き出る頬のシワに、過ぎ去りし日の面影がある。
「シーシー。まだ本名を聞いてなかったね」
「そうだっけ? チャールズだよ。チャールズ・チャップマン。あらためてよろしく愛しのマイレディ」
そういうとシーシーは彼女の手を取り、甲にキスをする。
さきほどはオイルとすすで汚れていたので、どうやら遠慮していたらしい。
メイルゥは彼のキザな態度に「くっく」と笑みをこぼした。
「間違いない。おまいさん、ダニエル・チャップマンの血筋だね」
「えっ。なんであんたが祖父さんのことを?」
「いやはや、なんたる奇縁。懐かしいねぇ……」
メイルゥは手にしたオルゴールを慈しむように抱きすくめる。
かび臭い空気のなかにちょっとだけ、遠い日の記憶を呼び覚ます甘い匂いがした。
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