第2話 あの子に花束を


 日々、近代化してゆく都市のなかにあって、青々とした緑に恵まれた広場がある。

 朝露に濡れた芝生は丁寧に刈り込まれ、そこに整然とした碑が並んだ。


 墓地である。

 精霊堂を含む園内はまるで、時の流れに逆らうかのようだ。

 過ぎ去りし日々のままに、その姿を残す。


 早朝――。

 広大な墓園にぽつんと浮かぶ、影ふたつ。

 どちらも黒い衣服に身を包んで「ニコ」とだけ刻まれた墓石のまえにたたずんでいる。


 物言わぬ少女は、すこし目元を潤ませ手にした花束を墓前にたむけた。

 穏やかな風にさらわれて花びらが舞う。

 あたりに甘い香りが広がった。


「ずいぶん間が空いちまった。あんたを送ってからこっち、わりかし忙しくてね」


 懐から取り出した箱入りのマッチを擦ると、メイルゥは墓石に灯明とうみょうをともす。

 赤々とした柔らかな炎に照らされ、花たちはよりいっそう美しく咲いた。


 しばらくしてメイルゥが紙巻き(タバコ)を指の間に挟む仕草をする。


「サラ。ちょいと外すよ。ゆっくりしておいで」


 すると黒髪の少女は、こくこくと首を振って応えた。

 メイルゥはひとりその場をあとにして、精霊堂の脇にあるベンチへと所在を移した。

 道すがら目に飛び込んでくる風景もまた心にしみる。


 伝統的な精霊堂の墓園には、垣根として柑橘類の樹木が植わっている。

 春先から初夏に掛けて結んだ果実がさわやかな空気を循環させており、死の穢れを払うという重要な役割を担っていた。

 とくに昨今では国外からの移民受け入れのため、居住区にある精霊堂の肩身は狭い。

 生活様式の違いからくる民間の摩擦。

 近隣住民の反感をすこしでも和らげるには、なおさら重要である。


 メイルゥはベンチに腰を下ろすと、愛用の旅行鞄と杖をかたわらに置いた。

 懐から取り出した紙巻きをカサついた唇で咥えると、一度しまったマッチを擦って一服する。凪となった空に紫煙が吸い込まれていく。

 彼女は大きく伸びをした。


「くっ……腰がっ。さすがにくたびれたねぇ」


 誰にも聞かれていないと油断した独白。

 しかし数秒と待たずに、背後から相づちが返ってきた。


「どこかへご旅行でしたかな?」


 伸びをしたまま視線を後ろへやると、逆さになった世界に白髭の老人がいた。

 老人は「ふぉっふぉっふぉ」と特徴のある笑い声を発して、ベンチのほうへとやってきた。

 メイルゥは彼に対して半座を譲ると、懐から取り出した紙巻きをすすめる。


「これはこれは……。メイルゥさまからタバコをすすめられるとは、末代までの自慢になりましょう。ありがたや、ありがたや」


「大袈裟だね。――あんたがここの堂長かい?」


「さようにございます。先日はごあいさつもままならず、失礼を」


「なに。こっちが勝手に来たんだ。夜分に庭先騒がせて、悪かったね」


 先日とは「あの子」の遺体を焼きに来たときのことである。

 真夜中に約束もなく訪れて、若い道士に賄賂を握らせやっとのことで火葬した。

 当夜の騒ぎは、堂長たるこの老人の耳に入らないはずがない。


 メイルゥはすこしバツの悪さを感じたのか、頬をポリポリと掻いた。


「なにをおっしゃいます。大魔道士メイルゥの『善行』に、わが堂も潤いましたわい」


 そしてまた「ふぉっふぉっふぉ」と老人は笑う。

 どうやらあの若い道士は、メイルゥが個人的に握らせたつもりだった賄賂を精霊堂の運営費として計上したらしい。

 律儀というか、なんというか。

 それとも着服する気だったが、この食えない老道士の目を誤魔化すことができなかったか。

 さてはて。

 いずれにせよ、この堂には「あの子」への借りがある。

 彼らさえ望めば、メイルゥはいくらでも寄付金を都合してやるつもりだったのだが――。


「どこもかしこも貧しゅうございます。お恵みいただければそれは喜ばしいこと。ただ……」


 メイルゥからのもらいタバコをさもうまそうにくゆらせ、老人は言葉を続けた。


「金銭なんてものはしょせんはひとが作った制度に過ぎませんのでな。権力者の都合で薬草にもなれば毒にもなる。何事もほどほどがええですじゃ、ほどほどが。ふぉっふぉっふぉ」


「――まったくだ」


 まるでメイルゥの心のうちでも見透かすかのように。

 食えない老道士は幾重にも先回りして、機転を利かした。


「何かあったら、頼っておくれな」


 だからメイルゥはそう言うだけで良かった。

 亀の甲より年の劫とは、むかし何かの本で読んだ海外の言葉だがいま初めてしっくりきた。自分の歩んだ200年も、彼のまえではまだまだ未熟のように思う。

 ともすれば不躾けな金の話を持ち出して、恥をかくところであった。


「これで借りがふたつになっちまった……」


 ぽつりと口をついた悪態に「どうされたかな?」と老道士が問う。

 メイルゥは静かに首を振って、何でもないことを伝える。

 遠く空を見上げれば、さっきまで朝焼けに燃えていた太陽に薄雲の手が伸びていた。


「長雨にゃまだ早いってのに、どうにも湿っぽいね。どっかに景気のいい話はないのかい」


 わざとふてぶてしい態度でそうのたまうが「ございます」と、またしても隣に座る老道士の口から意外な言葉が返ってくる。

 老道士は長い白眉の隙間からキラキラとした視線をメイルゥへと投げ掛けると「あなたです」と語るのだった。


「あなたがこの『シエナの街』へとお越しになって、一体どれだけの人々が救われたことか。この『善行』には蔵いっぱいの金貨とて、霞んでしまいましょう」


「こちとら好き勝手やってるだけさね」


「なればこそ。あなたは根っからの英雄気質かたぎというわけですな」


 これにはさすがのメイルゥも鼻白んだ。

 気恥ずかしいやら、照れくさいやら。


「やめとくれっ。でも……ありがとうよ」


 背中のむず痒さをなんとかこらえるようにして、やっとこさ一言絞り出す。

 ふと空を見上げると、いつの間にやらいまにも落ちてきそうな鉛色をしている。


「ひと雨くるかね」


 誰に言うでもなくそうつぶやく。

 するとどこからか「まただ!」と、若い男の怒号のような声が聞こえてきた。


 声のしたほうへメイルゥが視線を送る。

 それは精霊堂の門前であった。


 ほうきを持った若い道士服の男たちが、輪になって騒いでいる。

 そのなかにはメイルゥの見知った顔もあった。

 例の袖の下を握らせた道士である。


「どうかしたのかい」


 メイルゥは老道士を伴って門前へと足を運んだ。

 救国の英雄に声を掛けられ、若者たちはにわかに後じさった。


 すると彼らの輪のなかには、ひとりの女性がうつぶせに横たわっている。

 粗末な衣服は無残にも引きちぎられ、あられもない姿だ。

 ピクリとも動かないところを見るとどうやらすでにこと切れているらしい。


「このところ流入民のご遺体が、こうして我が堂に投げ込まれることがありましてな」


 若者たちに先んじて、老道士は静かにそう答えた。


「今月に入ってもう三度目です!」


 とは、若い道士たちの言葉だ。

 語気も荒く、怒髪天を衝くとはこのことか。全身から怒りが噴き出している。


「なんだってまたこんなことを」


「これも貧困ゆえの所業なのでしょう。寄る辺なき彼らはこうして精霊さまの慈悲にすがった」


 女性の遺体をまえに老道士はその小さな身体を折り畳んだ。

 いまのメイルゥよりもさらに節ばった両手を合わせると「精霊の慈悲があらんことを」と祈りを捧げている。


「葬儀代が払えないから、こっそり投げ込んでるってわけかい。気の毒に……」


「だからって許されることじゃありませんよ、まったく!」


 事情が事情だからといって、若者たちの憤りは収まることはない。

 確かに彼らは正しい。

 それが許されるのではあれば、最初から法や決まりなどはいらないのだ。

 厳しいことを言っているようだが、きちんと法令を遵守しているものたちに対して誠実なのは彼らのほうである。

 メイルゥにも、もちろん老道士とて気持ちは同じだ。

 だからといってそう簡単に割り切れるものでもないのだが――。


「これで弔ってやんな」


 メイルゥは懐から数十枚もの紙幣を取り出すと、顔なじみの若い道士の手にそれを握らせた。

 ひとひとりを火葬して墓を建ててやるには、十分すぎるほどの額だ。


「ひとつ……返したよ……」


 老道士の隣にしゃがみ込み、女性の遺体のうえに手をかざす。


「魂の安息を――。四つの精霊の名のもとに願わん」


「……感謝します。サムザの守護者たるあなたの葬礼に、彼女の御霊みたまも必ずや救われましょう」


 そういうと老道士は、若者たちと共にお堂のなかへと入っていった。

 数時間後には、煙突から青白い荼毘の煙が立つだろう。


 遺体が堂内へと運ばれるとき、ふとメイルゥの目に飛び込んできたのは、身体中に付けられた刃物傷のようなもの。

 いまとなっては生前の彼女に何があったのかなど、知りようもない。

 だが過酷であっただろう人生を察するには余りある。


 身体ひとつが物語る、壮絶なる生き方。

 それは奇しくも「あの子」の最後と重なるものでもあった。

 遺体となった名も知らぬ女性。

 葬礼とともに彼女へとかざした手を、メイルゥはいま天高くに向ける。


「ニコ……あんたの名前をあの子にあげたよ。いいだろ? だからさ……またいい天気で見送ってやっておくれよ。ね?」


 そこに『魔法』などはありはしない。

 だが――。

 曇天だったサムザ公国の空は、いつしか虹のかかる蒼穹となっていた。

 メイルゥの老いた手のひら。

 誰かがそっと触れた気がした。

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