精霊物語りⅡ

真野てん

精霊物語りⅡ/大地の子守歌

[ 1 ] 錬金術のある風景

第1話 ゴドーという男


 長雨の季節にはまだすこし早い、とある曇天の日のことだ。

 男はいつものように古い銀貨をもてあそびながら、見知らぬ通りを歩いていた。


 親指の先でコインを弾いては落下してくるところをキャッチ。

 またそれを繰り返す。

 

 飽いたら今度は曲芸師の手遊びのように、指の背でコインを転がして、人差し指から順に小指のほうへと器用に往復させている。


 それでも眠たそうに半開きになった男の目はじつに退屈そうだ。

 万年着たままのレインコートの背中には、彼の半生を物語るかのように哀愁すら漂っている。


 レナード・ヴィンセント。

 サムザ公国ニュールブラン市警の警部補である。

 ゆるやかに犯罪発生率が上昇している昨今。

 激務に追われる日々のなか、彼はまた新たな現場に向かおうとしていた。


 ここは開発が放棄された新興住宅地の一画である。

 隣国との和平条約締結後に増加するだろうと見込んでいた移民希望者を受け入れるため、数年まえから大々的に進められていた計画だった。

 が、長引く不況のあおりを受けて、とうのむかしに頓挫している。

 サムザ国内には、このような場所が無数にある。


 往々にして無法地帯となっている場合が多く、浮浪者や不法流入民のかっこうの棲み処となっている。それからすねに傷を持つものたちにとっても、最高の隠れ家だ。

 当然ながら犯罪の温床にはなりやすい。

 ヴィンセントにしてみれば、とっとと更地にでもしてもらいたいというのが本音だ。


 未舗装のまま放置された赤土の道路は、所々に雑草が顔を出している。

 ほどよく野良犬の小便で湿り気を帯びたそれを、空腹に耐えかねた浮浪者のひとりが食べようかどうしようか煩悶としている様子が、ヴィンセントの眠たそうな目に飛び込んできた。

 思わず目を背ける。

 だがその数秒後にはまた、退屈そうな瞳であたりをねめつけるのだった。


 すると一区画先の道路が警官たちによって封鎖されている。

 どうやらあそこが今日の現場のようだと、もてあそんでいた古びた銀貨をコートのポケットへと突っ込み、肩をすくませ小走りに駆けていった。


 制服姿の警察官たちに敬礼で迎えられたのは、ドーム状の屋根をした奇妙な建物だった。

 名前も判然としない大量のツタにびっしりと覆われ、外壁はおろか窓すら見当たらない。かろうじて分かるドアもまた、捜査員の出入りの激しさに邪魔されて離れたところからではいっかな屋内の様子をうかがいようがなかった。

 だが、このまま玄関先でぼーっと突っ立っていても仕方がないのは確かである。


「ご苦労さん」


 ようやくお仕事モードのスイッチを入れたヴィンセントは、周囲を警護しているひとりに向かって声を掛けると、おもむろに建物のなかへと入っていった。


 屋内ではすでに捜査員たちでごった返していた。

 そして玄関から真っ直ぐ伸びる廊下は、タグ付けされた証拠品で埋め尽くされている。


 指紋を採取するもの。

 遺留物を項目ごとに仕分けするもの。

 はたまた大きな撮影機を手にして現場の様子を写真に収めるもの。いままたマグネシウムの粉で焚かれたフラッシュがあたりを強烈に照らした。


 彼らはみなプロである。

 近代にはじまった科学捜査の申し子たちだ。

 その表情は真剣そのもので、寝ぼけまなこでひょこひょこと現場へやってきたヴィンセントとは、まずもって仕事への情熱が違う。

 そんな温度差を肌でひしひしと感じながらも、ヴィンセントは屋内に目を凝らす。


 するとベテランぞろいの男所帯のなかに、たったひとりだけ若い女性を見つけた。

 緊張しているのか、廊下突き当りの一室をまえにしてそわそわと細見の身体を左右に振っている。時折、ほかの捜査員が窮屈そうに脇をすり抜けようとすると「わあ、すみませんっ」と声をあげ慌てて道を譲るのだった。


 いままたひとり、大きな箱詰めの押収物を抱えた捜査員とぶつかった彼女は、何度も頭をさげては「ごめんなさいっ」と言っている。

 いい加減いたたまれなくなったヴィンセントは、ため息交じりに彼女へと近づいた。


「そんなに謝るな。首がもげるぞ」


 開口一番。

 ヴィンセントのぶっきらぼうな物言いに、若い女性はハッと顔をあげた。


「あっ、あっ――」


 彼女は先ほどまでの様子に輪をかけて慌てふためき、足元の証拠品でつんのめり、もんどり打ちながらもヴィンセントのもとへとやってきた。

 頭頂部で大きなお団子にした栗色の髪が上下に弾む。


「お、おはようございますっ。レオナルド・ファン・パブロ=ヴィンセント警部補っ」


 きっと噛まないようにと、事前に何度も練習したのであろう。

 新米特有のやる気が空回りしたキレのある敬礼に、ヴィンセントは煙たさを禁じ得ない。

 首のあたりをやんわりさすって、顔面の右半分をくしゃりと歪ませた。


「フルネームは勘弁してくれ。レナードでいい。レナード・ヴィンセント」


「は、はいっ、警部補っ。あ、あの、本官は――」


 新米女性刑事が自己紹介をしようとしているのを察すると、ヴィンセントは大きな手を広げて彼女の鼻先へとやり、それを制した。


「いい。どうせ明日はお互いべつの現場だ。さっさとクソ仕事を片付けようや」


「あ……はい――」


 ヴィンセントの投げやりな態度に面食らったのか、新米女性刑事のやる気と緊張が一気にしぼんでいくようだった。

 だがかえってそれが功を奏したのか、彼女は乱れた居住まいをただすと、まだまっさらなおろしたての捜査メモを片手に「ではこちらに」と、ヴィンセントを眼前の一室へと促した。


 そこは応接室だった。

 使い込まれた暖炉があり、天井からは大きな燭台が吊るされているほかはとくに変わったところはない。

 部屋の中央にはテーブルセットがあり、机上には二人分のコーヒーカップが並んでいた。

 かなりの深煎りなのか、あたりにはまだ臭気が漂っている。

 カップはすでに指紋を採取されているらしく、検出用の粉末が所々に付着していた。


 当夜、家の主はひとりではなかった――。

 報告書通りの状況に、ヴィンセントはひとりうなずく。


「警部補、こちらです」


 新米女性刑事に呼ばれて彼が向かったのは、壁際の大きな本棚だった。

 雑然と並ぶ蔵書のなかから彼女がある一冊を選んで引き抜くと「ゴゴゴ……」と低いうなりをあげて本棚が動き出す。


「趣味だねぇ……」


 隠し通路である。

 ヴィンセントのつぶやきに呼応するかのように現れたのは、地下へと続く階段だった。

 すでに調べものはあらかた終わっているらしい。

 捜査員の手にしたランタンの火が暗闇を煌々と照らしている。

 ふたりはすえた臭いにいざなわれるようにして、深い階下に歩みを進めた。


 地下室は大まかに二部屋に分かれていた。

 ひとつは階下すぐにある手術室のような場所で、石造りの床には、医療器具が点々と散らばっている。新米女性刑事の話では、とくに血が流れた形跡はないという。

 指紋も家主のもの以外は検出されていない。


 だが問題は二部屋目にあった。


「こいつは――」


 ヴィンセントの目の前にあったのは、壊れた水槽のなかに設置された奇妙な機械だった。

 亀の甲羅のようでもあり、魔女の大釜のようでもある。

 ただもっとも奇妙だったのはその不可思議な機械のうえに、脳天を撃ち抜かれて絶命している禿げ頭の男の顔がちょこんと乗っていることだった。


「警部補、こちらにお願いします」


 しばし機械に見とれていたヴィンセントを新米女性刑事が呼んでいる。

 振り向くとそこには、真新しいシーツをかぶせられた小さな遺体があった。小柄な割にはずいぶんとシーツが盛り上がっているように見える。だがその原因はすぐに氷解した。


「奇形……いや、せむしか」


 頸椎から背骨にかけてが異常に変形し、大きなこぶのようになっている。また左目には眼帯をしており、それがまた死者を不気味な存在にしていた。


「ゴドー・フォンブラウン。この家の主です。死因は頭部への激しい打撲。おそらくあちらの機械に頭を打ち付けたんだと思います」


「……あっちのハゲた兄ちゃんのほうは?」


 ヴィンセントは親指で機械のほうを指した。

 すると新米女性刑事は「何もわかっていない」ということ強調するように無言で首を振った。


「ただ使われた銃弾は発見されています。いま科学捜査班に回してますので結果待ちです」


「ふーん」


 ヴィンセントはまばらに伸び始めた無精ひげをさすると、コートの内ポケットをまさぐった。

 タバコでも吸うのかと思ったのだろう、気を利かした新米女性刑事は、こんなときのため携帯しているマッチを擦ろうとする。

 しかしヴィンセントの内ポケットから出てきたのは、かじりかけの干し肉だった。


「禁煙中でね」


「は、はぁ」


 拍子抜けした新米女性刑事をよそに、ヴィンセントは干し肉をかじりながら続けた。


「ゴドー・フォンブラウン。よく聞く名前だ。その名前が歴史に初めて登場したのは、いまから800年ほどむかしらしい」


「え?」


「またの名をゴドー・フルカネリ。錬金術の三大門派フルカネリ派の始祖といわれている」


 吐き捨てるように言うやいなや。

 ヴィンセントはせむしの遺体が着けている眼帯をぞんざいにむしり取った。


 眼窩には本来あるべきはずの視力を失った眼球などはなく、粗く削りだされた小さな精霊石が収まっていた。

 失った眼球の代わりに義眼を埋め込んでいるというのはよくある話だ。

 しかしこの遺体のそれには、古い大陸文字で「EMETHエメス」と刻まれていた。


「け、警部補っ、なにをっ」


 するんですか、と。

 新米女性刑事の制止も間に合わず、彼女が気づいたときにはもう、ヴィンセントはコートのポケットから取り出した古びた銀貨で「EMETH」の「E」の文字だけ削り取っていた。


 するとどうだろう。「METHメス」となった精霊石の義眼は、一瞬だけ鈍く輝いたかと思うと、そのまま砕け散った。そしてそれに連動するかのように、せむしの遺体はボロボロと崩れ去ったのである。


「な――」


 新米女性刑事の声にならぬ声が地下室に響き渡ると、ついさっきまで人間の肉体であったせむしの遺体は、ただの土くれとなって真新しいシーツを汚している。


 ヴィンセントは手にしたコインを親指で高々と弾き飛ばすと同時に舌打ちをした。

 キーンという清んだ音色があたりに広がるまえに、空中でそれをパシンと受け止めると、


「この件はおれから上層部うえに報告する。新聞記者ブンヤにはもらすなよ、新入り」


 あたらめて不可思議な機械のほうを向いてヴィンセントは彼女にそう語った。


「こんなの……誰も信じませんよ……」


 そりゃそうだ――。

 ヴィンセントはそう軽口を言いかけてやめた。


 それから数日後。

 新聞の見出しにはただ「隣国で行方不明の科学者、サムザ国内で変死」とだけあった。


 救国の英雄こと魔女メイルゥは、そのときフレッド・ミナスの母をたずねて彼の生まれ故郷であるミナス村を訪れていた。

 長雨の季節にもまだすこし早い、曇天の日のことである。

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