第3話 日常クライシス③


 決して彼女のことを振り向きも、振り返りもせず、三号館の中へ入り授業の行われる教室へと駆け込んだ。

 

 既に教室に入り後ろの方を陣取っていた奴らが一斉にこちらに目を向ける。

 

 俺は何事もなかったかのように右手を丸め口元に近づけ、咳払いを一つ、呼吸を整える。

 

 そして空いている前の方の席へ向かう。くすくすと笑われているような気がしたが、今はそんなことは気にはならない。

 

 綺麗な顔立ち?大人びてる?  前言撤回。

 

 友達がいないとか、時間を共有する相手がいないとか言ってる間に俺の観察眼はここまでへっぽこになっちまったのか。

 

 席へと座り一息つくと、約二百人ぐらいが納まる程度の映画館のような階段状になった教室を見渡す。


 「さっきのパツキンジャージいねーだろーなー」

 

 この密室空間に細胞が条件反射してしまう天敵と共にすることはリスクが高い。が、見渡しているうちに自分の身体が落ち着いていくのを感じる。

 ふう、いねーみたいだな。俺はそれに安心したのか急に睡魔が襲う。間違いなく明け方までyoutubeを見ていたのが原因だろう。

 

 まぁいいか、一発目の授業だし、どうせ大したことはやらないだろう。

 

 そう考えているうちに俺は頭を机に乗っけて眠っていた。

 


 



 「きみ、大丈夫かね?」

 

 知らないおじさんの声と共に、肩を軽く叩かれる。


 「ん……あ、え、すみません」

 

 授業中に寝てしまったことに少々申し訳ないと思いつつ、起床を促してくれた教授の方へと目を向ける。これといった確信はないが、なんとなく違和感が漂う。

 整えられた一つの空間に、何か異物が混入しているような違和感を……

 

 ふと目の前に置いていたスマホのホームボタンを押してみると、その違和感がふわふわと浮遊していたものから、形ある、身体の芯まで伝わる確信的なものへと変わっていく。


 「すいませんでした」

 

 謝ると同時に、一気に荷物を抱え教室から撤退。急いで三号館を後にする。


 「やべー、次の講義が始まってる。しかも次って……」

 

 そう。寝ている間に自分が受けていた授業は終了し、さらには休憩時間も終わり、次の授業の時間になっていた。さらに俺の次の授業は授業といっても普通の授業ではない。ゼミなのだ。

 

 ゼミ。ゼミナールの略。大教室で教授が教壇に立ち、学生たちが教授のありがたいお言葉をいただく受動的な講義形式の授業とは違い、こじんまりとした小さな教室で少人数の学生が集まり、一人の教授の指導のもと、何かしらのテーマに基づいて学生が発表をしたり、意見を交換し合うディスカッションをしたする。

いわば学生参加型の授業である。

 

 俺の通っている大学では三年生からゼミが始まる。


 「初めてのゼミで遅刻って……まじかよ……」

 

 今日は新学期。一回目。初めましてのゼミ。初のお顔合わせ。

 

 くっっそ! なるべく目立たないように、無難に過ごすことを望んでいたのに……。

 

 俺は暗くなっていく気持ちを必死に堪える。

 

 幸運にもゼミが行われる校舎は三号館の隣にある五号館だ。俺は急いで隣接する校舎へと駆け込み、エスカレーターで三階の教室を目指す。

 

 右手に持ったままのスマホのホームボタンを押し、もう一度時間を確認する。


 「始まって十分が経ってる。せめて教授はまだ来てませんように……」

 

 大学では教授が授業に遅れてくることはよくあることだ。大抵の人は五分程度は遅れてくる。二十分ぐらいだって遅れてくる人だっているくらいだ。

 

 大学の授業は九十分なのだが、その三分の一である三十分遅れてしまうと休講扱いになり、帰っていいらしい。定かな情報ではないので帰る人は気をつけてね。俺は責任取らないからね。

 

 そしてようやく三階の教室の前へと到着する。ドアを開ける前に、小窓から中の様子を確認する。


 「よし。まだ来てない。生徒は数人来てるみたいだけど。ラッキー」

 

 俺は一人でそう呟きながら、教授がいないことに安堵し、教室に入る。

 

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