第13話 逃げる姫
「姉様」
クロードと魔女ミストが出て行ってからすこしうとうとしていたらしい。小さな声に目を覚ますと、枕元の椅子にちょこんと座る人影があった。
弟と一緒によく遊びに来る、すぐ下の妹だ。
何故ここにいるのだろう。窓も扉もすべてしっかり鍵をかけてあったのに。
体を起こすと、妹は心配そうにわたしを覗き込んだ。
「姉様、お嫁に行くの?」
「……え?」
「父様が……」
一気に血の気が引いた。いずれそう言いだすだろうとは思っていた。
でも、今日の今日、いきなりだなんて。
慌ててベッドから降りると居間への扉を開いた。
「アッシュ、ここに誰かいなかった?」
「誰も。わたしが来た時には誰もいなかったよ」
「ここに来るときに何か見なかった?」
「えっと……お城の近衛兵たちがお庭に並んでたよ。夜なのにおかしいなって思って」
夜なのに。
凄く嫌な予感がする。
「塔に上がる時に門番はいた?」
「ううん、いなかった」
やはり。
こんな時間に妹が一人で塔に上がってくること自体、父上が許可するはずがない。
なのに、上がってきた。となれば、この塔は今、丸裸だということ。
荷物をまとめ、隠しておいて鞄に放り込む。質素なワンピースだけを詰め込むと、鞄の口を閉じた。
きらびやかなネグリジェを脱ぎ、手早く着替える。去年魔女ミストのところに遊びに行った時に買った普段着、持ってきてもらってよかった。
「アッシュ、あなたは部屋に帰りなさい」
「やだ。なんか嫌な予感がするの」
妹がそう口にした時だった。
塔の階段を上がってくる複数の足音が聞こえる。金属のブーツの音、こすれる鎧の音。
クロードと魔女ミストがこんな音をさせるはずがない。
とっさに入口の扉に強固な結界を張った。外からも突入できないよう、部屋全体にも張る。カーテンも全部閉め、外から見えないようにする。
扉に到達した兵士たちがガンガン打ち付けている音が響く。
必要なものをすべて担ぐと、寝室に飛び込んで鍵を下ろした。
「姉様、怖いよ」
「ごめんね、怖い思いをさせて。でもあなたは大丈夫だから、ここにじっとしていて」
恐怖で動けないのだろう、真っ青な顔をしてベッドサイドに立ち尽くす妹を抱きしめる。
きっともう会うことはない。次に会う時には――わたしの呪いが解けたあとであってほしい。
「いや! 姉様どっかに行っちゃうんでしょうっ」
カーペットをめくり、秘密の通路を開く。この通路は王族にしか伝えられていない。今日の捕り物が、父上や兄様がかかわっていないのであれば、秘密の通路に兵はいないはずだ。もしいたとしたならば……気を遣う理由はなくなる。
それにしても、戻ってこないクロードと魔女ミストが気になる。
もしかして、わたしを城から出そうとしたことに感づかれたの? すでに拘束されているの・
だとしても……わたしには二人を探している余裕はない。
「姉様、この通路がどこにつながってるか知ってる?」
「知らない。でも外にはつながってるはずよ」
不意に口を開いた妹にそう返すと、今にも泣きそうな妹は、きゅっと唇を引き結んだ後、呪文を口にすると隠し通路の入口に身を躍らせた。
「アッシュ!」
「わたしはあちこち探検したことがあるから知ってる。案内できる!」
ぽっかりとあいた四角い黒い穴から顔を出した妹は、精一杯胸を張って手を延ばしてくる。
「姉様、わたしも手伝う。姉様の思いを無視する父様なんて、痛い目にあえばいいんですっ!」
妹が怒ってくれているのがうれしい。でも、巻き込むわけにはいかないの。
如何なだめようかと言葉を探しているうちに、妹はわたしの手をぐいと引っ張ると、穴に引きずり込んだ。
◇◇◇
どこをどう通ったのか覚えていない。
気が付けば城の外、しかも城壁からかなり離れた場所に、わたしと妹は立っていた。
「出てきてしまったわね……」
「はい」
決心して出てきたのに心が揺れるのは、今ここにいるはずの人がいないからだ。
空はうっすら白んできている。二人はどうしただろうか。わたしが抜けだしたことをもう知っているだろうか。……無事抜け出せただろうか。
万が一の集合場所は決めていたが、そのはるか遠くまで来てしまっていた。
「姉様、これからどうするの?」
「……二人を待つわ」
もし捕まっているのなら助けたい。でもそれは、二人の厚意を無視したことになるだろう。
戻れば監禁され、誰とも知らぬ男の妻となって、子を産まされて二年後に死ぬのだろう。
わたしは生き延びたい。
でも、一人じゃ意味がない。
「どこか、隠れられるところを知らない? 姉様」
どこか、と言われて唯一思いつくのは、ヤドリギの魔女の家。
あそこには手が回っていないだろう。普通の人には見えないその場所への行き方は頭の中にある。
最終手段だと思っていたけれど、もうそれ以外手立てが思いつかない。
妹に言われるままに、わたしは魔法陣を描いて空へと飛び立った。
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