呪われた姫と魔女の弟子

第7話 ヤドリギの魔女と姫

　わたしとクロードは北の果てにいた。

　どうやって父上たちを口説き落としたのかはわからないけれど、城の外に公務以外で出るのは初めてだった。

　今日のためにと急ぎ作らせた防寒着でも、寒さを完全には遮断できない。

　そんな北の果てに、魔女の家はあった。

　こじんまりとした小屋に一歩足を踏み入れると、そこは外見からは思えないほど広く、暖かかった。

「ようきたの」

　奥から出てきたのは、白髪に白いひげの背の高い老人だった。

　柔らかく微笑む笑顔に、見覚えがあった。

「大魔術師様……うそ」

　城でも何度もお会いしたし、声もかけていただいた。数年前に亡くなられたと聞いたのに。

「それはの。……わしがヤドリギの魔女ミストだからじゃよ」

　老人の声がだんだん高くなって女性の声になるにつれ、背が縮んで少し小太りの老婆の姿に変わっていく。

　悲鳴を上げそうになって、とっさに口を両手で押えた。

　いつから……いつからすり替わっていたの？

　国の守りの要である魔術師に、魔女が紛れ込んでいただなんて……。

　非難を込めた目でクロードを見ると、眉根を寄せて申し訳なさそうに頭を下げた。

「申し訳ありません、姫。口外してはならぬ決まりでして」

「――そう」

「心配することはない。今の宮廷魔術師はわしが手ずから鍛えた者ばかりじゃ。手抜かりはないよ」

「お師匠様、それでは心配が増すばかりです。……姫、このことは陛下もご存じです」

「え……？」

　父上は知っていたの？　王宮魔術師に、魔女がいたことを。しかも、筆頭魔術師が、魔女だったことを。

「そもそも建国の時から知っておるわ。わしがああやって魔術師として勤めることは、王となった者とその配偶者ぐらいしか知らんがの」

「建国の……」

「年は聞かぬがよいぞ」

　魔女の先制に、言いかけた言葉を飲み込む。数百年、もしかしたら千年以上生きているということは、伝説の始祖ミストルティよりも古い時代を知る魔女なのかもしれない。

「じゃから、わしがそなたを害する理由は一つもない。王家の者たちは皆わしにとっては子供や孫のようなもんじゃからの」

「ならばどうして……」

「お前を助けぬのか、か？」

　声が、震えた。

「わしは生誕のその日に遅れ、十の宴でも遅れた。わしにできたのは、十年の猶予を作ることだけじゃった。――すまぬ」

　頭を下げる老婆の姿に、鼻の奥がつんと痛くなる。声をあげて泣いたのは、物心ついてから初めてだった。

　◇◇◇

　長年ため込んでいた涙が全部出たのか、泣き止んだあとは胸のつかえも降りてすっきりしていた。魔女ミストのことも、すんなり受け入れられた。

　そもそも、彼を育てた魔女を受け入れると決めたからこそ、ここまで来たのだもの、いまさらやめるなんてこと、できないししたくない。

　身を変えて王宮に出入りしていたことには心底驚いたけれど、大魔術師様については悪い噂をついぞ聞いたことがない。悪意を持って潜り込んでいたのではないのだ。

「しかし、姫よ」

「はい」

「……本当にこやつでよいのか？」

「……え？」

　不意に問いかけられた魔女の言葉に、首をかしげると、魔女はにやりと意地悪そうな笑みを浮かべた。

　ちらりとクロードを見ると、きまり悪そうに視線を逸らした。

「十も年下の娘をたぶらかす、悪い奴じゃぞ？」

「お、お師匠様っ！」

　何を言われているのかわかった途端に顔が熱くなる。何で知っているの、彼がしゃべったの？

　クロードを睨みつけると、彼は心外だと言わんばかりに首を横に振った。

　魔女はひとしきり笑うと口を開いた。

「初々しくてよいのう。さて、本題に入ろうかの」

「はい……」

　去年の誕生日にあの魔女から告げられた予言は『姫は十五になったその日に城で命を落とす』というもの。

「ふうむ。どの魔女がかけた呪詛なのか分かれば対処もできるのじゃが」

　魔女は言葉を濁す。二度遅れた、ということは、魔女が現れたその場に彼女はいなかったのだ。それは本当に偶然だったのか、彼女に邪魔をされないように妨害されたのか。

「あの、もしかして、妨害されていたのではありませんか」

「うむ、おそらくの。となるとわしのことをよう知る古い魔女じゃな。……そういえば、姫は呪詛をかけたものの顔を知っておるのじゃったな」

「ですが、姿を変えていたのかもしれません」

「うむ、たいていは若く美しい姿を保とうとするものじゃからな、人の姿を映し取るのも得意じゃ」

「姫、あの紋様を見ていただいた方が」

　紋様、と聞いて眉根を寄せる。正直、毎日見てはいるものの、見たいものではない。

　しかし、魔女は逆に目を開いていた。その表情があまりにも恐ろし気で、己が身をかき抱く。

「なんじゃとっ！」

「あ、の」

　魔女ミストはわたしの腕をぐいと引っ張ると立ち上がらせた。

「見せてもらうぞ」

「……はい」

「辛ければ意識を刈り取る」

「いいえ……大丈夫です」

　自分で服を脱ごうと手を上げかけて、体の自由が利かないことに気が付いた。魔女ミストが何事かつぶやいた途端、体を締め付けていたものが失せたのが分かった。足阿野浦に柔らかな絨毯の感触、全身をひんやりとした空気が押し包む。

　首を回すことも目を動かすこともできないため、自分がどうなっているのかも見ることができない。けど、一瞬のうちに素っ裸にされたことだけは把握した。

「……茨姫の呪いか。厄介なものをつけおって」

「はい……去年よりかなり大きくなっています」

「そうか。……クロード、見たことがあったのか？」

「え、あの……はい」

　急にクロードの口調がしどろもどろになる。

　彼に見られたのは事故のようなものだった。でも、初めて見た時は動揺すら敷いてなかったのに、なんで今頃になって……？

「姫よ、男は好いた女子の裸には反応するものじゃ。覚えておくがよいぞ」

「お師匠様っ」

「それにしても……ここまで育ってしもうたか。姫は今年で十一じゃったな」

「はい」

「あと四年か。……姫の力がどれほど育つか」

　茨姫の呪いって何だろう。

　体は動かなくてもいいからくちいだけでも動かしたい。聞きたいことはいっぱいあるのに、結局魔女ミストの検分が終わるまで話すことはできなかった。

「すまんかったの」

　脱がされた時と同様にあっという間に服を着せられて、ソファに降ろされた。驚いたクロードが慌てて抱き起してくれたけれど、関節が動かしづらい。

　喋ろうとしたら舌がうまく回らなかった。カップを唇二当ててもらって、覚めた紅茶で喉を潤してようやく、聞きたくてたまらなかった言葉を舌にのせられた。

「あの、茨姫の呪いってなんですか」

「おとぎ話であるじゃろ、茨に刺されて眠りにつく王女の話」

　おとぎ話、と言われてもピンとこない。子供のころから読むものは魔法書ばかりで、そういう本は前任者が全く読ませてくれなかったのだ。

　侍女が忘れて行った、騎士と王女の物語を一度読んだきりだ。それも幼いころ話。

　わたしの表情で気が付いたのか、魔女は首をふりつつやれやれ、とソファに腰を下ろした。

「王女は迎えに来た王子のキスで目が覚める。じゃがの、迎えに来る王子がいなかった王女は、そのまま眠り続けて朽ち果ててしまった」

「えっ……」

「王女は来なかった王子を呪い、来るはずだった王子と幸せになろうとする妹姫を呪って死んだ。王女の呪いを吸った茨は、妹姫とその伴侶に絡みつき、二人を殺してしまった」

　震える手で胸元を抑える。

　魔女ミストを見あげると、ゆっくりとうなずいた。わたしに刻まれている茨の紋様は、その茨なのだ。

　唇が震える。

　茨姫の呪いだというなら、わたしが幸せになることも呪うのだろうか。だとしたら――私が恋してしまったクロードも、ともに殺してしまうの？

　隣に座るクロードを見あげると、クロードはわたしの震える手をしっかりと握りしめた。

「大丈夫だ、少なくとも俺は何ともなっていない」

「うむ、姫様はまだかたい蕾じゃからの。この程度の恋心では問題あるまい。――わかっておろうの、クロード」

「わかっていますよ。少しは弟子を信用してください」

　ほっほと笑ったのち、魔女は厳しい表情になった。わたしには何のことだかさっぱりわからなかったけれど、そっぽを向いたクロードの耳は赤かった。

「じゃが、そうなるとあまり時間はないの。――十五と魔女は言ったが、思ったよりも進みは早いように思う」

「あの、それなんですけど」

　わたしは茨の紋様が年に一度しか育たないことを告げた。すると、魔女はやはり合点が行かぬ、と頭をひねり始めた。

「普通、茨姫の呪いはかけた後は放っておくもんなんじゃ。呪いをかけられた本人の魔力を吸い上げてどんどん成長するものじゃからの。力が強ければ強いほど、あっという間に死に至る」

　ぞくりと背筋が凍る。もし、魔女ミストの言う通りなら、わたしなどとっくの昔に死んでいておかしくない。

「それをわざわざ死の宣告に来るなど、遊んでいるとしか思えん。茨の成長を年に一度に食いとどめ、十五のその日に死に至るように仕組んであるのじゃな。姫よ、誕生日の朝、何かいつもと違うことはなかったかの」

「わかりません。いつもと同じ朝だとしか思ったことがなくて」

「昔と比べて変わったと思うことはないか？　例えば、まだその紋様が小さかったころ」

　紋様が下腹部を覆ったのはいつだろう。五歳の時にはもう結構大きくなっていたように思う。

「わかりません。――後妻の頃には手のひら位の大きさにはなっていました」

　むぅ、と唸ったきり、魔女ミストは黙ってしまった。

　結局、魔女に関する書物を借りて、わたしたちは王都に戻った。魔女ミストは可能な限り魔女の間で情報を集め、呪いをかけた魔女を探すと約束してくれた。

　そして、つぎの誕生日に紋様が育つ様を確認することになった。

　今できることは、本当にこれだけ。

　一年を無駄にしないよう、わたしはわたしで魔力量の記録も合わせて日々の記録を日記に残すことを始めた。