第6話 大魔法使いの弟子

 魔術学院は実に居心地が悪かった。

 俺は一応、伯爵家の長男で、大魔術師の弟子として扱われた。

 貴族の息子で魔力持ちなら、ふつうは初等部から通っているところを、ショートカットで高等部からの編入となった僕は、貴族のお坊ちゃんたちの格好の餌だった。

 すぐ下に弟が先に入学していたこともあって、さらに面白おかしく揶揄される。

 そんな瑣末時にかかわっていられるほど、俺の残り時間は多くない。

 あと三年。

 卒業するまでに宮廷魔術師として認められるだけの力量と知識量がなければ、この十年が無駄になる。

 だけじゃない、姫の命も失ってしまう。

 全寮制の学院で、高等部からは上級生とのコンビが組まれ、下級生が同室の上級生の世話をすることになっていたが、俺はイレギュラーなせいで小さな部屋に押し込められた。

 もともと生徒の個室ですらない、おそらくは物置だったろう窓もない部屋にベッドと机が突っ込まれただけの小さな部屋。

 俺が学院内で伯爵家の嫡子として扱われていないことが知られている証拠だ。

 でも、かまわなかった。

 むしろ余計なことに煩わされずに済む。

 授業以外の時間は、自主訓練と体力づくり、そして図書館通いにすべて費やした。

 だから、年に一度、学院性の義務として引っ張り出されるパーティは苦痛でしかなかった。

 特に準備するつもりもなく、制服で出た俺以外は全員正装で、ほとんどがパートナーを伴っていた。

 一人で参加したのは俺と、変人として有名な奴だけだった。

 だから、目の前にやってきた、きらびやかな正装に身を包み、髪の毛をきちんとまとめた貴族の子息らしき少年が、腕に女をひっかけて引きつった顔でやってきた時は、壁際に立っているのにも関わらず、後ろに誰かいるのかと思ったほどだ。


『兄上』


 そう、少年は言った。


『ご無沙汰しております。……いいえ、初めまして、と申し上げたほうがよろしいでしょうか』


 初めまして。

 そう返したように思う。

 十年あっていない家族の顔を。

 しかも、ほんの小さなころの弟の顔なんか覚えているはずもない。

 引きつった顔で執拗に絡んでくる弟との会話を一方的に打ち切ると、俺は読みかけていた本を取り出して開いた。


『君、度胸あるね』


 そう声をかけてきたのは、眼鏡の変人だった。

 クラスで一緒になったことはないから、学年は違うのだろう。変人という意味合いでは俺と同じくらい有名だったから、知ってはいた。

 魔術の研究に没頭するタイプの彼は、俺と同じく壁の花になっていた。


『あれ、クロッシュフォード伯爵の息子だろう? 怒らせたりしたらまずくない?』


 初めて喋るのにもかかわらず、彼は砕けた口調で馴れ馴れしかった。が、悪意は感じなかった。それに、此方の会話をすべて聞いていたわけではないらしい。

 慣れている、と答えて本に目を戻すと、ひょいと本を取り上げられた。


『この本、最近改訂版が出てるよ。学院の図書館はなかなか新しいの入れてくれないんだよね』


 読んでいた本は、魔法陣の構築理論でも最新のものと言われていた。それでも十年前のもので、古いとは思っていたけれど。……まさか、改訂版が出ているとは。しかも、彼がそれを知っているとは。

 驚いて目を丸くしていると、本を返してきた変人はにかっと笑った。前歯が一本欠けているのが見える。


『だから、無理言って写本させてもらったんだけど――読む?』


 彼が差し出してきたのは、まさしく改訂版だった。あちこちよれよれで、折り癖もついているが、よく読み込まれている証拠だ。

 勢いだけで頷くと、彼は開いたままの本の上に、本を乗せた。


『内容はもう覚えたから、返却はいつでもいいよ』


 もう一度変人――黒縁眼鏡の少年を見つめる。肩までの黒髪は大きく波打ち、眼鏡の奥の瞳は黒曜石のように輝く。名を呼ぼうとして、彼の名すら知らないことに気が付いた。


『済まない……名を教えてもらえるだろうか。俺はクロード』


 そう頭を下げると、少年はびっくりしたように目を丸くしたのち、手を差し出してきた。


『よろしく、クロード。僕は――ピートって呼んで』


 初めての友人だった。

 以来、彼はよく俺の部屋にやってきた。

 彼のかしてくれる本は貴重な、しかも図書館にないものばかりだった。借りばかりになるのは嫌だから何か礼を、と言ったら写本を手伝ってほしいと言われた。

 借りた本をそのまま丸ごと書き写すことで、読むよりもすんなり頭に入る。

 気が付けば、俺の部屋にはフィリップも出入りするようになっていた。

 そういえば、フィリップを紹介してくれたのもピートだった。

 初めて俺の部屋に来た時、こんな汚い狭い部屋に押し込められていることに怒ってくれたのもよく覚えている。

 あいつはあいつで、貴族の嫡男にもかかわらず、家を継がないことが決まっているという、変な奴だった。

 どこかはみ出したところのある彼らが、学院で得た俺の宝物だ。

 ピートとフィリップが普段も一緒にいるようになってから、周りの目が変わってきた。

 悪戯や嫌がらせが減ったおかげで、充実した一年があっと遊真に過ぎて、卒業式の日。

 二年年上だったピートは卒業生代表として答辞を読むことになるのは知っていた。

 いつもと違い、身なりをきちんと整えたピートが答辞を読み進め、最後に読み上げた名前は――王族の家名が冠されていた。


『てめえ、よくもだましたな』


 式が終わって俺たちのところまでやってきたピートを、フィリップが小突く。いつもなら突っかかってるところだが、さすがに遠慮しているらしい。


『だましたつもりはないよ。誰も聞かなかったじゃないか』

『そりゃ、ふつう王族だなんて考えないだろ。……あーあ、学年上がったら面倒なことになるぞ』

『悪いと思ってるよ。でもちゃんと王子として卒業しロッテうるさっくってさ』


 王族と仲のいいはみ出し者。

 それが俺とフィリップの新しい肩書だ。学年が上がれば、パートナーの申し込みやコンビの申請が山と舞い込んでくるだろう。

 俺はピートをじっと見つめた。

 彼が何番目の王子なのかは知らない。

 だけど、今年六歳の姫の兄であることは変わりないのだ。

 ピートは俺の視線に気づくと、表情を引き締めた。


『悪かった、クロード。……お前の話、聞いてたんだ。爺さん――お前の師匠から』


 そう告げたピートの目は悲しげだった。


『俺も自分で何とかしたかったんだ。でも……時間切れだ』


 卒業後、すぐに遠方の領主として派遣されると聞いていた。小競り合いの続く場所でもあるから、そうそう魔術の研究にかまけてはいられないという。


『俺の集めた文献、部屋ごとやるよ。――力になってやってくれ』


 姫のことは一度も話したことはなかったのに、最新の論文の写しや、新しく出た本の写本を俺に回してくれていたのは、そういうことだったのだと理解した。

 誰にも言えず、一人で頑張っている気になっていたのは俺だけだったのだ。

 立ち去るピートの背中に頭を下げて、必ず姫を――妹を助けることを誓った。

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