第117話 勇者でない彼女は
「うぅ……勇者様がぁ、勇者様がぁ……! おパンツになってしまわれましたぁ……!」
光が聖剣を手にしたことで流石に『おパンツガール=勇者』と認めざるをえなくなった結果、菜々水は絶望の表情で項垂れていた。
「お、おパンツにはなってないんだけど……」
「限りなく近い存在になっているとは思いますけれど」
「ちゅーか、パンツそのものになる方がまだマシじゃよな」
「うぅ……! うぅぅぅぅぅぅぅ……!」
ポタポタポタッ!
未だ踏みつけられた状態にいる庸一の背に、大粒の涙がいくつも落ちていく。
「ちょっと光さん、流石に泣かせるのはどうなんですの?」
「えっ……!? こ、これ私のせいかな……!?」
「お主のせい以外に何があるんじゃよ」
「えぇ……?」
環と黒の批判的な言葉に、光は微妙に納得いかないといった表情だ。
「えーと……な、菜々水殿?」
しかし、それを気遣わしげなものに変えて。
「申し訳ない……その……おパンツになってしまって?」
「うぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ! わたくしめの勇者様はそんな珍妙な謝罪しないぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
光の謝罪を受けて、菜々水はますます激しく泣きじゃくった。
「貴方たちのぉ……!」
けれど、徐々にその声に怨嗟が宿り始める。
「ぐ、ぉっ……!?」
踏み付けられる足にこれまで以上に力が籠もり、庸一が苦しげに呻いた。
「貴方たちのぉ……! せいですねぇ……!?」
やがて、ゆらりと幽鬼のような佇まいとなった菜々水が泣き腫らした目を環と黒へと向けた。
「貴方たちがぁ! 勇者様をおパンツにしてしまわれたのですねぇ!?」
「違う、菜々水殿! 皆は関係ない!」
「そうじゃ! それは妾たちをあまりに過大評価しすぎじゃ! ちゅーか、びっちょびちょの濡れ衣を着せるでないわ!」
「人間には、誰かをおパンツにする力などございませんことよ!」
光に続き、心外だとばかりに黒と環が拳を握って叫び返した。
先程まで菜々水の視線が切れていたおかげで、環と黒も既に身体の自由を取り戻しているのだ。
「お主、コヤツがナチュラルボーン珍妙な女じゃという事実から目を背けるでない!」
「そうでしてよ! 光さんは、わたくしたちの存在など関与していない天然物おパンツな女なのです!」
「一応聞いておくけど、君たちの中ではそれ私への援護って認識ってことでいいんだよね!? 私への攻撃じゃなくて!」
光、そろそろ涙目であった。
「貴方たちが消えればぁ! 勇者様はおパンツから解放されるのでしょぉ!?」
「無理じゃ! ソヤツはもはや一生パンツから逃れられん!」
「別にそんなことはないけど!?」
「人は、一度おパンツを被ってしまうともう二度と被っていなかった頃には戻れないのです!」
「ねぇさっきから思ってるんだけど、この問答どっちが勝っても私にダメージが入るだけじゃない!?」
「勇者様をぉ!」
珍妙な問答の一方で、菜々水の身体から『聖炎』が激しく噴き上がる。
だが光はパンツの加護により既に洗脳は効かず、今は魔力を自然と身に纏っている環と黒もまた同じである。
「返してくださいぃ!」
「……まれ」
それでもあらん限りの勢いで『聖炎』を噴出させる菜々水の叫びにほとんど掻き消されたのは、庸一の静かな声。
「誰かのために命さえなげうつ覚悟を持った気高いあの御方をぉ! 誰をも見捨てない慈愛に満ちたあの御方をぉ! 勝てるかもわからない強大な敵に立ち向かう勇気を象徴する存在であるあの御方をぉ! 誰もが憧れるあの御方をぉ! 返してくださいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
「……黙れ」
先程よりはハッキリとした声も、やはり菜々水に届いた様子はなかった。
「そもそもぉ! 勇者様でなくなった貴女様にぃ! 如何ほどの価値があると言うのですかぁ!? なぜぇ! 自ら下賤な存在に成り下がろうとするのですぅ!? 勇者様でない貴方様などぉ……!」
「黙れよ、このクソ狂信者がぁ!」
「っ!?」
三度目、菜々水の足を押しのけての叫びと共に庸一は勢いよく立ち上がる。
予想だにしていなかったらしく、菜々水は大きくバランスを崩して地面に四肢をついた。
「はぁっ……! さっきから聞いてりゃ……アンタを、一時でも同好の士かと思った自分が恥ずかしいわ」
それを見下ろしながら、庸一はわざとらしく溜息を吐く。
「気高くてぇ? 慈愛に満ちてぇ? 勇気を象徴する存在でぇ? 誰もが憧れるぅ?」
そこで、一拍空けて。
「そんな英雄みてぇな奴が、こんなとこにいるわけねぇだろ!」
「あ、あれ……? 庸一……? 私、ここにいるよ……?」
庸一の叫びに、光がどこか不安げな表情で自分を指した。
「ここにいるのは!」
そんな光に目を向けながら。
「腑抜けで! 不用意で! ちょっとおバカで! ツッコミどころばっかで! おまけに友達もいねぇ!」
「ねぇ庸一、それもしかしなくても私のこと言ってるのかなぁ!? 仮にそうだとしても友達はいるんだけど!?」
「……だけど」
光の抗議にも構わず、庸一は少し声のトーンを落とす。
「やっぱり優しくて、誰かのために勝てるかもわかねぇ相手に立ち向かっちまう」
思い出すのは、この世界で初めて光と再会した場面。
彼女は、見知らぬ女子生徒を助けるために自ら危機に飛び込んでいた。
その姿は、前世と変わらないもので。
「そんな」
けれど。
「普通の、女の子なんだ」
彼女は決して、『勇者』ではないのだ。
「ただそれだけで、尊いんだよ」
「庸一……」
そこに言葉を染み入らせるかのように、光は自らの胸にゆっくり手を当てた。
「なぁ。あの人は……勇者様はもう、前世で立派に、この上なく役割を果たしただろ。勇者教なんてものを名乗るなら……それを認めて、讃えるのが筋なんじゃないのかよ」
感情が乗っていないようにも聞こえる、庸一の声。
「頼むよ……もう、『勇者』をさ」
それは、嘆きで。
「解放、してやれよ」
願いだった。
「……それにアンタだって、ホントのところはわかってんだろ?」
「っ……!」
庸一の指摘に、菜々水はビクッと震えた。
「洗脳して、アンタの思い通りの人格に書き換えたところでさ。それも本物の『勇者』なんかじゃないって」
「それ、は……」
図星だったのか、菜々水の声は掠れてほとんど空気に溶け込むほど小さなもの。
「……ですがぁ……ですがぁ……!」
その声が、また熱を帯びていく。
「ですがぁ! それならばぁ!」
彼女の、悲痛な叫びに。
「ようやく思い出せた生きる理由をぉ! またぁ! 手放せとおっしゃるのですかぁ!?」
『っ……!』
環と光が、鎮痛な面持ちとなる。
「またあのぉ……! 胸からポッカリ何かが失われた空虚な時を過ごせとおっしゃるのですかぁっ……!?」
彼女の言うことが、理解出来るのだ。
環にとってのそれが、『兄』だったように。
光にとってのそれが、『天命』だったように。
それを思い出すまで、ずっと半身が欠けている思いだった……あるいは、理由もわからないヒリつくような焦燥感に襲われていた。
菜々水にとってのそういったものが、『勇者』なのだろう。
環は、兄との再会を果たして満たされた。
光は、もう天命から解放されたのだと知って自由になれた。
けれど、今の菜々水は『勇者』をただ失ったままなのだ。
「なら、さ」
手と膝を地に着き泣き崩れる菜々水へと、光がゆっくり一歩ずつ歩み寄る。
「見つけよう」
微笑んで。
「この世界で、生きる意味を」
菜々水に向けて、手を差し出しながら。
「見つけよう」
もう片方の手を、自らの頭にやって。
「私と、一緒に」
光は……そっと、パンツを外した。
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いつも読んでいただいております皆様、誠にありがとうございます。
新作『男子だと思っていた幼馴染との、親友のような恋人のような新婚生活』、毎日更新中です。
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10年ぶりに再会した幼馴染との、楽しく甘い新婚生活を描くじれじれ系ラブコメ。
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