第116話 おパンツの女

 光の登場からしばらくフリーズしっぱなしだった菜々水が、ようやく再起動し。


「ん、ふふふふふぅ……」


 ぎこちなく笑いながら、首を何度も横に振る。


「わたくしめとしたことがぁ……! 一瞬だけぇ……ほんっの一瞬だけとはいえぇ……! アレ・・をぉ、勇者様であると誤認しかけてしまいましたぁ……! よりにもよってぇ……このようなぁ……!」


 そして、菜々水は鋭い目で光を見上げた。


「痴女をぉ……!」


「ち、痴女!?」


 そんな風に言われるとは思ってもみなかった、とばかりに光は驚きの声を上げる。


「逆に、お主が驚いておることに驚きなんじゃが」


「頭の中の辞書に最大フォントで書き込んでおきなさい。痴女とは、下はノーパン上はおパンツな女のこと指すのです」


 ここに来て、黒と環もようやく少しだけ平静さを取り戻してきたようだ。


「……あぁ、貴殿の言う通り」


 しばらく何やら考える素振りを見せた後、光は一つ頷く。


「私は、天ケ谷光などという可憐な少女ではない。あと、痴女でもない」


「今からその路線は流石に無理があるじゃろ!? なんじゃ、まさか今になってようやくパンツ被っとる女が恥ずべき存在じゃと気付いたんか!?」


「羞恥心という概念が一ミリでも存在するなら、最初からもっと他にやりようがありましたでしょう!?」


 戻りかけていた二人の平静さが、たちまち奪われた。


「私は、その、えーと……悪をくじき弱きを助ける、正体不明の正義の執行者……あのー……そ、そうだ! こうとでも呼んでいただこうか!」


 何か思いついた様子で、光はバッと両手を平行に上げてヒーローのようなポーズを取る。


「おパンツガール、と!」


「こんなところで最悪のネーミングセンスまで発揮するでないわ! お主、もはや概念レベルで触れたくない存在じゃぞ!?」


「恥の上塗り、という言葉を百万回写経なさい!」


 黒と環が、全力でツッコミを入れる中。


「うふふふぅ……もちろんですともぉ、わかっておりますよぉ。いくら珍妙な女に成り果てようとぉ……いくらなんでもぉ、流石にぃ、勇者様がぁ……このようなクソな格好でぇ、クソな名をぉ、名乗るはずがございませんものぉ」


「ふぐぅ……!」


 どこか虚ろな笑みで己に言い聞かせるような菜々水の言葉に、光は顔をしかめて己の胸を押さえた。


「自分で言うた設定じゃというに、クソ程ダメージ受け取るのぅ……」


 そんな様を見て、黒が半笑いを浮かべる。


「それでぇ、おパンツの人ぉ」


「おパンツガールだ!」


「なぜそのクソのような名前にこだわりがあるんですの……?」


 力強く名乗り直した光に、環が半笑いを浮かべる。


「………………それでぇ、おパンツガール様ぁ」


「コヤツ……現実逃避のために、全ての設定を受け入れる気じゃな……!? クソのような名を口にするのとアレを天ケ谷と認めるのとどちらがマシか、葛藤がめちゃくちゃ垣間見えておったぞ……!」


「お気持ちお察し致します……わたくしとて、出来ることなら前世でアレと旅をしてきた事実を抹消したい気分ですもの……」


 菜々水に向けられる黒と環の視線は、憐憫に満ちていた。


「おパンツガール様もぉ! わたくしめの邪魔をするおつもりですかぁ!? だとすればぁ! 容赦は致しませんがぁ!?」


「ま、まさかコヤツ……! 今からシリアス路線に戻そうと言うのか……!?」


「ヤケクソ気味の叫びでしたし、ご本人も無理筋であることはご理解されておるのでは……?」


 もはや、これが何の場なのかがわからなくなりつつある。


「『勇者』を失った貴殿の気持ちはわかる……とは、言えないんだろうな」


「はいぃ、これだけはぁ、たとえ勇者様であってもぉ、ご理解いただくことは不可能かとぉ………………今のはぁ、仮にこの場に勇者様がいてもという意味でぇ、間違ってもおパンツガール様と勇者様が同一人物であると見做しているわけではございませんのでぇ、念のためぇ」


「だけど、私は貴殿とちゃんと対話したい。そのために、わざわざ戻ってきたんだ………………今の『戻ってきた』っていうのは、えーと、その、私の本質はおパンツガールであるため今のこの姿に戻った的な? そんな感じで、天ケ谷光が戻ってきたって意味じゃないんだけど」


「マジじゃ……マジでシリアスに戻そうとしておる……」


「本題よりも注釈の方が長いシリアスって何ですの……?」


 光と菜々水、それ以外との温度差が酷かった。


 より正確に言えば、光と菜々水の間にもだいぶ温度差があると見られるが。


「この世界に『勇者』は存在しない。それが事実なんだ」


「はいぃ、そのようですねぇ」


 ゆらり、菜々水の身体から『聖炎』が立ち上る。


「ですのでぇ、わたくしめがぁ、呼び戻して・・・・・差し上げるのですぅ」


 先程までは、覿面に効いていた光への洗脳は。


「無駄だ……今の私に、それはもう通用しない!」


 言葉通り、光は全く意識を乱した様子もない。


「んふふふぅ……人としての尊厳と引き換えているだけありぃ、流石は強力な加護でございますねぇ」


「人としての尊厳と引き換えてはないんだけど!?」


「いや、完全に引き換えとるぞ」


「今にして思うと、最初から光さんにそんなものが備わっていたのかも疑問ですけれど」


「君たちはちょっと黙っててくれないかな!?」


「あっはぁ……! けれどぇ、おパンツさえ剥ぎ取ってしまえばぁ……!」


「貴殿の周囲の無視っぷりもなかなか凄いな……!?」


 普通に話を続ける菜々水に、光が驚愕の目を向ける。


「……しまえばぁ?」


 一方、菜々水はポキュッと首を捻ったところで固まった。


「おパンツがぁ? 勇者様ではないぃ、勇者様になりぃ? それをぉ、勇者様にすればぁ? おパンツがぁ? 勇者様にぃ? おパ? ゆう? おパパパパパパ?」


「バグり始めよったな……」


「自らの存在一つで人の脳を破壊するとは、なんと恐ろしい方ですの……」


「おパパパパパパパパパパパパパパ?」


「な、菜々水殿、大丈夫か……?」


 虚ろな目を光に向けたまま無表情で繰り返す菜々水に、光も流石に心配そうな表情になってくる。


「んんっ、はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


「っ!?」


 かと思えば菜々水の身体からこれまでで最大級の勢いで『聖炎』が噴き上がり、警戒態勢に。


 一同が見守る中、しかし『聖炎』はやがて菜々水の身体に吸い込まれるように収束していく。


 そして。


「おパンツガール様ぁ」


 どこか虚ろだった菜々水の瞳が、再び焦点を結ぶ。


理由はわかりませんが・・・・・・・・・・ぁ、貴女様のおパンツを剥ぎ取ればぁ、勇者様が戻ってくるようですねぇ」


「コヤツ、もしや……自分で自分に洗脳をかけた……のか?」


「そのようですわね……己の心を、おパンツから守るために」


 菜々水の行動に、黒と環がゴクリと息を呑んだ。


「菜々水殿、私の話はまだ終わっては……」


「信ずる力よぉ! 砕きなさいぃ!」


「くっ……!」


 対話を続けようとする光に対して、菜々水は問答無用で攻撃を加える。


 光は、鳥居の上から跳び下りることでそれを回避……浴衣の裾を、手で押さえながら。


「良かった、光さんにも最後の羞恥心は残っていましたのね……」


「残っておったら、そもそもあの姿にはなっておらんかえ?」


 呑気にコメントする外野の一方。


「信ずる力よぉ! 爆発なさいぃ! 斬り裂きなさいぃ! 押し潰しなさいぃ!」


「菜々水殿……そうか、わかった」


 菜々水の攻撃を危うげなく避けながらも、光は痛ましげな表情を浮かべていた。


「ならば……まずは力で貴殿を制圧し、ふん縛ってでも話を聞いてもらうとしよう! 来てくれ、天光ブレード!」


 その手の中に、木刀が現れ……閃光に包み込まれた、聖なる剣と化す。


「聖ぃ……剣……?」


 それを見上げ、菜々水が大きく目を見開いた。


「聖剣はぁ……聖剣はぁ……!」


 フルフルと、その身体が震え。


「………………聖剣はぁ、無理ぃ」


 突如、力尽きたかのように項垂れた。


「いかなおパンツを被っているといえどぉ……! 勇者様っぽい御方がぁ、勇者様の象徴を手にしていればぁ……! それはもぉ、勇者様ではないですかぁ……!」


「……あっ」


 叫ぶ菜々水に、光が「しまった」といった表情となる。


「聖剣とやら、パンツをも覆すのかえ……?」


「単に、自分を騙すのに限界を迎えただけではありませんこと?」


「ちゅーか妾たち、これ何を見せられとるんじゃろな」


「喜劇では?」


 事の成り行きを見守る二人は、どういう顔をしていればいいのかわからない様子であった。






―――――――――――――――――――――

いつも読んでいただいております皆様、誠にありがとうございます。

新しく、『男子だと思っていた幼馴染との、親友のような恋人のような新婚生活』という作品の投稿を始めました。

https://kakuyomu.jp/works/16816452221029879202


10年ぶりに再会した幼馴染との、楽しく甘い新婚生活を描くじれじれ系ラブコメです。

楽しんでいただけるものに仕上げているつもりですので、こちらも読んでいただけますと嬉しいです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る