第114話 窮地に現れるは

「ぜぇ……はぁ……信ずる力よぉ……渦巻きなさいぃ……」


「ぜぇ……はぁ……きゅ、球技大会でのホームランシーン……! ぐっ!?」


 動画を再生するのに気を取られ、ギリギリで避け損なった魔術が庸一の腕を抉る。


「はわぁ!? お見事で……ふぐぅ!」


 一方、先程からずっと噛み続けている菜々水の唇も既にボロボロになっていた。


 泥仕合。


 それは、まさしくそう呼ぶべきものであった。


 既に庸一の体力は限界近く、致命傷をどうにか避けているだけ。

 一方で菜々水も誘惑を振り切っての攻撃は相当に体力と精神をすり減らすらしく、彼女の息も大きく上がっている。


「兄様……」


 流石の環も、そんな戦いの行方を神妙な面持ちで見守っていた。


「うふふ……少し恥ずかしいですわね、わたくしがホームランを打つシーンなんて。もちろん、兄様が望まれるなら送りバントでもスクイズでも……」


 そんなことはなかった。


「コヤツ……脳内で己と天ケ谷を入れ替えることで心を……ちゅーか、ここはヨーイチの身を案じる場面ではないのかえ……?」


「いちいち怪我の心配をするなど、戦いに臨む兄様の覚悟に泥を塗る行為でしてよ」


「急に正気に戻りおったな……」


「泥……まっ、兄様の環フォルダには泥パックをしている環の写真まで? ふふっ、いつの間に撮ってらっしゃったの? えぇ、確かに一緒に暮らしているのですからいつだって……」


「正気と狂気の境目がシームレス過ぎるじゃろ……」


 といった、外野の様子はともかくとして。


「どーした、ヌルいなぁ勇者教! 博愛の精神でも発揮してくれてんのかぁ!?」


 息継ぎ一つ、そんな挑発する余裕……否、強がりを見せる庸一。


「……一つぅ、疑問がございますぅ」


 一方、ここに来て攻撃の手を止めた菜々水がジッと庸一を見つめた。


「貴方様はぁ、なぜそこまでされるのですかぁ?」


 本気で、心から理解出来ないといった表情である。


半歩間違えば・・・・・・ぁ、死にますよぉ?」


 菜々水の言う通り。


 彼女の攻撃は既に殺意の乗ったものであり、庸一が下手に避け損なえば死ぬ。


「こちとら、前世の頃から魔力もなしでやってんだ……ベットするコインなんざ、元から命くらいしかねぇんだっての」


「……理解しかねますぅ」


 言葉通り、菜々水はわけがわからないとでも言いたげに首を横に振った。


「もしやぁ、誤解がありますかぁ? わたくしめにぃ、皆様を害する意図などはぁ? まーったくぅ、ございませんよぅ? しばし拘束はさせていただきますがぁ、が終わればすぐに解放致しますぅ」


「別に、そこは誤解してないさ」


「ならばぁ、無駄に命を賭ける必要などございませんでしょぉ? わたくしめはぁ」


 まるで、駄々っ子を説得するような口調。


勇者様を・・・・ぉ、勇者様にする・・・・・・だけですよぉ」


だからだよ・・・・・


 その会話は、全くの平行線。


 根本的な価値観が異なるのだから、当然だろう。


 それでも庸一が会話に付き合っているのは、偏に体力回復に務めるためである。


「……ふぅ。よくわかりませんがぁ、いずれにせよぉ」


 だが、しかし。


「勝負ありぃ、ですぅ」


「っ!?」


 突如左足から重心が失われ、庸一は大きく体勢を崩した。


「しまっ……!?」


 咄嗟に足元へと目をやれば、左足の下だけ地面が大きく抉れている。


(会話は時間稼ぎ……! 密かにここの空間を掘ってやがったのか!?)


 どうやら、会話に意図があったのは向こうも同じ……否。


 完全に、上回られた。


「はいぃ、っとぉ」


「ぐっ……!」


 気の抜けるような掛け声ながら、一瞬で距離を詰めてきた菜々水が庸一を投げる。

 踏ん張りがきかない状態では抵抗も出来ず、されるがままになってしまった。


 正面から地面に落ちる直前、辛うじて受け身を取るのが精一杯。


「失礼致しますぅ」


「ぐぇっ……!」


 両腕ごと背中を踏みつけられ、潰れたカエルのような声が出た。


 スマホも手を離れ、石畳の上を転がっていく。


「く、そっ……!」


 身体を起こそうと力を込めるも、ピクリとも動けなかった。

 素の身体能力は庸一の方が圧倒的に上だろうが、魔術による強化はそんなものを軽く逆転させる。


「この程度でぇ……!」


 それでも、どうにか逃れられないかと精一杯にもがいた。


「……無駄かと存じますがぁ、一応もう一度尋ねますぅ」


 庸一を見下ろす菜々水の目は、珍妙な生物でも見るようなものだ。


「なぜぇ、そこまで抵抗されるのですぅ?」


「……だよ」


「はいぃ?」


 背中を踏みつけられているせいで上手く声が出ず、菜々水まで届かなかったようだ。


 だから、庸一は今の体勢で吸えるだけの空気を吸う。


天ケ谷光を奪わせない・・・・・・・・・・ためだよ!!」


 そして、その全てを叫びに費やした。


「はいぃ?」


 届いたところで、菜々水のリアクションは同じである。


 庸一が何を言っているのか、一つも伝わった様子はない。


「やはり無駄な時間でございましたぁ……さっさと拘束してぇ、あの御方をぉ……おぉっ?」


 庸一へと伸ばされかけた手が、ピタリと止まった。


「『聖炎』の掛かり・・・がぁ……? それにぃ、この進路はぁ……?」


 踏みつけたままながら、庸一からは完全に興味を失った様子で菜々水は彼方を見やる。


「嗚呼、嗚呼、そうでしたかぁ……! ここでぇ、そう来られますかぁ……!」


 眩しそうに細められた目が向けられたその先では、木々の枝を跳び継ぎ軽快に近づいてくる者の姿が。


「ありがとう、庸一……環と、魔王も」


 シンと不気味に周囲が静まる中、その声が明朗に響く。


「ここからは、私自身の戦いだ!」


 凛とした声と共に、一層高く跳び……金色が、夜空を背景に舞った。


 古びた鳥居の上へと降り立った人物へと、踏みつけられ顔を上げられない庸一以外の視線が集まる。


「はぁっ! そうでございますぅ! 自らが危機的状況にありながらもぉ! 仲間のピンチに駆けつけるぅ! それこそがぁ………………ぁ?」


「ちょっと光さん、何を戻ってきてますのよ! 兄様の奮闘を無駄にするつもりですの!? この状況で貴女が洗脳されたら最悪………………ぅ?」


 ほとんど同時に正反対の感情を乗せた叫びが上がり、やはりほとんど同時に萎んでいった。


「お主……お主……それは……その姿は・・・・何じゃ・・・?」


 少し遅れて、心からの畏怖が籠った黒の問いかけ。


「あぁ、今の私に洗脳は効かないはずだから安心してほしい。環の編んでくれた解呪の術式を応用して、術式転写で加護を……」


「待てぃ、そのようなことは一ミリも聞いとらん!」


 光の説明を、黒の叫びが遮った。


「お主は……お主は、なぜ……」


「え? 何? 何が起こってんの?」


 震える黒の声にただ事ではない気配を感じ、庸一はもう少し顔を上げようと試みるも鳥居の下の方しか視界に入らない。


「なぜ!!」


 勇気を奮い立たせるかのような、黒の叫び。


「パンツを! 頭に! 被っておるのじゃ!?」


 どうやら……そういうこと、らしかった。

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