第113話 絆の力
なぜ光の写真をそんなに撮っているのか、という環の魂の叫びに対して。
「なぜかと言われると、その機会があったからとしか言えんが……」
庸一は、菜々水の目の前にスマホを差し出した苦笑した。
「……はわっ!?」
それとほぼ同時、スマホに意識を奪われていた菜々水が我を取り戻した様子を見せる。
「じょ、女性の背後に忍び寄るとはぁ、少々無作法ではぁ?」
「おっと、それは失礼」
身体を回転させながら放たれた肘打ちを、庸一は後ろに跳ぶことで回避。
「………………おやぁ? 貴方様はぁ……?」
とそこで、菜々水はようやく相手が庸一であることを認識したようだ。
「おやおやぁ……?」
ユラリ。
ほとんど引っ込みかけていた『聖炎』が、再び不気味に立ち上る。
「どうかしたか?」
だが、庸一は余裕の表情のまま肩をすくめた。
「……確かにぃ、魔力は感じられないのですがぁ?」
勇者専用カスタムとはいえ、魔力を持たない一般人相手ならば十分に通じる……菜々水自身そう語っており、実際に環や黒まで魔力無しの状態では『聖炎』に捕らわれた。
にも拘らず平然としている庸一の存在が不可解なようで、菜々水は大きく首を捻る。
「魔力無しでやってた冒険者を舐めんなよ? 洗脳系のやべぇ魔法なんか、
庸一の唇から、つぅと血が一筋流れる。
「ま、つってもガチの洗脳魔法相手じゃこんなもんほとんど意味ないんだけどな。極々微弱な洗脳効果で助かったよ」
血を手の甲で拭い取り、庸一は不敵に笑った。
「………………正直これはぁ、本当に驚かされましたぁ」
言葉通り、菜々水の表情には驚きが見て取れる。
「貴方様のことなどぉ、頭の片隅にも残っておりませんでしたぁ」
「はっ、だろうよ。だからこそ、一般人でも付け入る隙が出来た」
「いぃえぇ、ご謙遜をぉ。いくらわたくしめの『聖炎』が勇者様特化とはいえぇ、魔力も無しに
「貴女、なかなか良いことをおっしゃるわね! 今度ご一緒にランチでもいかが!?」
「お主、状況を弁えぃよ?」
喜色を浮かべる環へと、再び黒のツッコミが入った。
「本当はぁ、手荒なことはしたくなかったのですがぁ」
一方の菜々水は、残念そうに溜め息を吐く。
「信ずる力よぉ、捕らえなさいぃ」
「ふっ……!」
魔力で構築された巨大な手が、横合いから庸一を襲う……が、庸一は素早くそれを察知して回避。
「魔術のアシスト無しにその動きもぉ、驚嘆に値致しますぅ」
言葉通り、菜々水の声には称賛の色が満ちていた。
「ですがぁ」
だが、庸一を見る目は敵を見るそれではなく。
「魔術を使えばぁ、どうということはありませんのでぇ。物理的にぃ、排除させていただきますぅ」
ただ、邪魔な小虫でも払いのけるかのようなものだった。
しかし。
「信ずる力よぉ……」
「体育祭の400m走でぶっちぎり一位を取った瞬間の光!」
「はわわわぁ!? 勝負に臨む凛々しさと勝利を喜ぶ表情が絶妙にブレンドされた奇跡の一瞬を捉えた一枚でございますぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
庸一がスマホの画面を向けた瞬間、菜々水の手に収束しかけていた魔力がたちまち霧散する。
「……ハッ!?」
ヨダレを垂らさんばかりだった菜々水が、再び我に返った様子を見せた。
「まさかぁ、貴方様ぁ……」
ここにきて、初めて。
菜々水の瞳が、まともに庸一を映した。
「
「あぁ……俺の光フォルダが火を吹くぜ?」
「なんとぉ……!?」
スマホを掲げてニヤリと笑う庸一に対して、菜々水は戦々恐々とした顔となる。
「『聖炎』の特質上ぅ、目を瞑ったままにすることもままならずぅ……! これはぁ、不味ぅござますぅ……!」
ずっと余裕を保っていた菜々水の表情が、今や激しい焦りに染まっていた。
「のぅ……妾にはようわからんのじゃが、あれは高度な心理戦的なやつなのかえ……?」
「兄様! わたくしのは!? 環フォルダもございますわよねっ!? ねっ!?」
「あっ、もう話が通じんやつじゃなこれ」
血の涙を流さんばかりの環に、黒は諦めの表情となる。
「ですがぁ……! ですがぁ……! わたくしめの使命はぁ……!
「応援合戦で学ランを着た光!」
「嗚呼、なんと凛々し……っ! ふぐぅ!」
一瞬爛々と目を輝かせた菜々水だったが、すぐに険しい表情でガリッと唇を噛み切った。
つぅと血が流れ出る。
「うふふぅ、真似させていただきましたぁ」
「どうぞどうぞ、俺の専売特許でも何でもないからな」
互いに不敵な笑みを浮かべ合うが、菜々水の頬には冷や汗が一筋。
「その程度でしたらぁ、ギリぃ、耐えることも可能ですぅ……!」
だが、菜々水の目はまだ死んではいない。
「作戦ミスでございましたねぇ……! 最初のぉ、メイド姿の衝撃が一番でしたぁ……! いくらなんでもぉ、それ以上の手札があるはずがぁ……」
『えっ? これ、動画? 撮ってるの? ちょっ、庸一……わかったわかった。その……いらっしゃいませ、ご主人様!』
「ふわぁぁぁぁぁぁぁぁ!? ど、動画は! 動画は卑怯でございますぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
何か眩しいものでも見たかのように大きく仰け反りつつも、菜々水の目はスマホの画面に釘付けとなっていた。
「これが……これが、俺と光が培ってきた絆の力だ!」
「なんかえぇ感じに言うとるが、要は自分だけが持っとる推しのデータで同担にマウント取っとる感じじゃよな?」
なお、誇らしげに胸を張る庸一に黒の声が届いている様子はない。
「今からでも、兄様のスマホへとわたくしのスマホにある全データを送って……って、よく考えたら自撮り写真とかいう自己顕示欲の塊のようなデータなど存在しませんわ!?」
「とりあえず、自撮りする勢に謝罪せぇよ?」
「けれど、ならば今からでも撮影するのみ……くっ、動け! 動きなさい! この身体ぁ! 今動かねば、いつ動くというのです!」
「お主、天ケ谷のピンチの時より必死になっとらん?」
一方、必死の形相で叫ぶ環だったがそれでも身体が動きそうな様子はなかった。
「ふぐぅ……! うぐぅ……!」
そんな外野との温度差も激しく、胸を押さえ菜々水は苦しげに呻いていた。
「ぜ、是非データをぉ……! いえぇ、それでは向こうの思う壺ぉ……! 優先順位を間違えるのではありませんんっ……! 使命がぁ……! 使命が全てぇ……! 何よりぃ……
俯き、荒い呼吸の合間にブツブツと呟く。
「信ずる力よぉ!」
そして、再び上がってきた菜々水の目には。
「無数の刃となりなさいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
今度こそ、本気の敵意が宿っていた。
「くっ……!」
四方八方から襲いかかってくる半透明の刃を、庸一は半ば勘で避け続ける。
「こうなればぁ、そのスマートフォンを破壊させていただきますぅ!
「はんっ……ハードモード突入ってか」
口元に笑みを浮かべる庸一ではあるが、頬には冷や汗。
菜々水自身が言った通り、先程の魔術には極力こちらを傷付けないようにせんとする気遣いが感じられた。
だが、今の一撃にそんな慈悲は一切ない。
ここからが、光を護るための本当の戦いと言えよう。
「信ずる力よぉ! 爆発なさいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ! っしゃ避けたぁ! 光の寝顔ぉ!」
「残念ながらぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! 寝顔は前世で見慣れておりますぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ! 信ずる力よぉ! 叩き潰しぃ、捩じ切り、微塵に刻みなさいぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
「チィッ……! 攻撃が激しくて選んでる隙が……これでどうだ!?」
『兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様』
「しまった、これ環から送られてきた延々俺を呼ぶ声が記録された音声ファイルだ!?」
その絵面は、ともかくとして。
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