第109話 決壊
嬉々として光に近づいていく菜々水の姿を視界に収め。
「ま、まさか、わたくしの魔術が破られたと……!?」
環の顔には、「信じがたい」と書かれていた。
聴覚を強化し、二人の会話を拾い上げる。
「あ、あれ……? 菜々水殿……?」
「はいぃ、わたくしめでございますぅ!」
「えっ、と……きょ、今日は遅かったんだね」
やや震えている声から、光の動揺が伝わってきた。
「はいぃ、それがぁ。わたくしめはぁ、朝より勇者様の元に馳せ参じていたつもりだったのですがぁ。勇者様の所作に違和感を覚えぇ、念のため『聖炎』を使ってみればぁ、勇者様のかき消えてしまいぃ……! 慌てて本物を探しに参った次第でございますぅ……! 幻の勇者様を勇者様と誤認するなどぉ、二度の生を通じて最大の不覚でございますぅ……! 今からぁ、お腹を掻っ捌いてお詫び致しますぅ……!「
「か、掻っ捌かなくていいいから!」
どこからか取り出した包丁を勢い良く自分の腹へと振り下ろす菜々水の手を掴み、光が慌てて止める。
「確かに原理上、幻であることさえ見抜けば『聖炎』を自身に使用することで破るのも可能でしょうけれど……そもそもの話、幻に囚われた時点で違和感など覚えられるはずが……まさか、完全に無意識下で本物との僅かな差異を感じ取ったと……!?」
引き続き、環の声には色濃い動揺が宿っていた。
「理由はともあれ、来てしもうたんは事実じゃろう。こっから、どうするんじゃ?」
「どうもこうも、こうなっては光さんの手腕に期待するより他ありませんけれど……」
お手上げ、とばかりに環は肩をすくめる。
「はぁっ……! 勇者様のお姿ぁ、勇者様のお声ぇ、勇者様の香りぃ、勇者様の感触ぅ……やはり、本物の勇者様は別格でございますぅ……! 勇者様ぁ、すこーしだけ舐めさせていただいてもよろしいでしょうかぁ?」
「出来ればやめていただきたいかな……!」
一方、光は完全に菜々水に押されている様子で。
「……期待薄そうじゃな」
「ですわね」
早くも、試合終了ムードを漂わせる二人であった。
◆ ◆ ◆
そして、当の光の方はといえば。
「あー……っと」
ここに来ての菜々水の参戦に、全力で頭を働かせていた。
(さっきの菜々水殿の話から察するに、環が幻覚魔術で足止めしてくれていたってところか…………だとすれば、環の魔術が破れた? そんなことがあり得るのか? 『聖炎』でって言ってたけど……んんっ? そういえば私、前世も含めて実際に『聖炎』が使われていることが見たことがないような……強力な反魔術の類なのか……? って、今はそんなことどうでもいい!)
今日は来ないと思って完全に頭の中から消していただけに、混乱も一入だ。
(流石に、来てすぐに帰れとは言いづらいぞ……! クソッ、よりにもよってなぜこのタイミングなんだ……! せめて最初から来てくれていれば、花火の間だけでも撒くとかの手も取れたのに……えーい、こうなったら体裁を取り繕ってる場合じゃない!)
多少迷った末に、覚悟を決める。
「菜々水殿。実は、私……今日なんだけど」
羞恥心が、一旦そこで言葉を止めた。
「こっ……告白、しようと思っているんだっ」
けれど、意を決してそう続ける。
「はいぃ、そうなのですねぇ!」
菜々水の反応はそれだけで、光の真意が伝わっているのかはわからない。
「だから、その……」
「はいぃ、もちろん心得ておりますぅ!」
「あっ、そうなんだ」
しかし、元気の良い返事に光はホッと胸を撫で下ろした。
「わたくしめは息を潜めておりますのでぇ! いつも通り空気だと思ってくださいましぃ!」
「んんっ……!」
と思ったら全く伝わっていなかったようで、頭を抱えたくなる。
(一時的に離れていてくれ、で通じるかなぁ……? なんか、ちょっと離れるだけだったり一瞬で戻ってきたりしそうなんだよなぁ……時間と距離を指定すればあるいは……?)
如何にして菜々水に伝えれば良いのか、しばし悩み。
(……いや)
ふと、頭を切り替えた。
(良い機会だ。もう、全部言っちゃおう)
仮にここで一時凌げたところで、事ある毎に同じ苦労をするのは勘弁願いたいところである。
「菜々水殿……少々、言いにくいのだけれど」
「はいぃ! わたくしめにぃ、何なりとお申し付けくださいましぃ!」
一瞬、躊躇した後。
「こういうのは、もうやめていただきたいんだ」
「………………はいぃ?」
意を決して告げると、菜々水は大きく首を捻った。
「誠にぃ……誠に申し訳ございませんんっ! わたくしめが如き凡夫ではぁ、勇者様のお言葉を理解すること叶いませんでしたぁ!」
「うん、だからね」
大仰に頭を下げる菜々水に、思わず光は苦笑する。
「私の傍で仕えるとか、そういうのをやめてほしいんだ」
「いえいえぇ、お気遣いなくぅ! わたくしめが勝手にやっていることでございますからぁ!」
「いや……気遣いとかじゃなく、本当にやめてほしくて」
「これはこれは申し訳ございませんんっ! より一層ぉ、勇者様にご満足いただけるご奉仕に努めて参りますぅ! それこそがぁ、勇者教の本懐にございますればぁ!」
「……あのさ」
珍しく……本当に、珍しく。
僅かながら、光が苛立った様子を見せる。
「正直言って、迷惑なんだ」
「はいぃ! ご迷惑おかけしておりますぅ! それでは今後はぁ、より一層気配を消しぃ、まさしく空気の如くぅ……」
「そうじゃなくて!」
声を荒げると、菜々水がビクッと少し震えた。
「そもそもの話なんだけど……今の私は、貴殿らの信奉対象でさえないじゃないか」
「……?」
根本的な事実を突きつけると、菜々水はキョトンとした表情となった。
まるで、知らない言語で話しかけられたのように。
「私は、もう『勇者』じゃないんだから」
光がそう続けると、たっぷり数十秒はその場に沈黙が満ちて。
「………………は?」
菜々水の顔から、一切の感情が抜け落ちた。
「っ……!?」
能面のような無表情となった菜々水に根源的な恐怖を覚え、光は思わず一歩下がった。
「………………」
そんな光を、闇夜のような真っ黒な瞳で菜々水は只々ジッと見つめる。
そこから、更に数十秒が経過した。
「……うふふぅっ」
光が身構える中、それまでの能面っぷりが嘘だったかのように菜々水は破顔する。
「勇者様ぁ、ナイス勇者様ジョークでございますぅ!」
どうやら、冗談ということで片付けることにしたらしい。
「……この世界には人々を害する魔王もいなければ、ゆえに魔王を倒す使命を背負った勇者だって存在しないんだ」
だが光が静かな口調で諭すと、笑みを形作る口元がヒクッと動いた。
「で、ですがぁ……! 勇者様の役割はぁ、魔王を打ち倒すことだけとも限らないかとぉ……!」
「限るのさ」
光は、前世での己の最期の瞬間を思い出す。
「今際の際、明確に感じたんだ。私の役割は、もう終わったんだって」
「それでもぉ……! ほらぁ、この世界にも倒すべき悪は存在するわけでぇ……!」
「そうかもしれないけど、それを倒すのは私の役割じゃない」
「ですがぁ……! ですがぁ……!」
言葉を探すかのように、オロオロと首を振る菜々水。
「ですがぁ……! それではぁ……!」
ぐっと唇を噛み締め。
「それではぁ、貴方様はぁ……!」
光を見る目は、幽霊でも見ているかのようなもの。
「今のぉ、貴方様はぁ……! ただのぉ……!」
彼女にとっては辛い事実なのかもしれないが、いずれは受け入れなければいけないことだ。
そう思って、光も落ち着いた態度で真っ直ぐ視線を返す。
「ただのぉ、珍妙な女だとおっしゃるのですかぁ!?」
「そうはおっしゃってないけど!?」
が、思っていたのとだいぶ違う言葉が出てきて思わず叫んでしまった。
「ていうか、やっぱり貴殿にもそう思われてたの!? まぁまぁショックなんだけど! 私、貴殿の前ではそんなに珍妙なところ見せてないだろう!?」
「珍妙でない女はぁ! 告白の場面を妄想してだらしない顔になったりぃ! 面白画像を撮影されたりぃ! 突如頭が炎上したりは致しませんんっ!」
「最初の以外は私のせいじゃなくない!?」
激しく頭を振りながら、光の珍妙さを捲し立てる菜々水。
「……嗚呼」
かと思えば一転、急に静かな口調となって顔を俯ける。
「今ぁ、理解致しましたぁ」
経緯はともかくようやく菜々水も認めてくれたかと、光はホッと胸を撫で下ろした。
「お辛ぅございましたねぇ、勇者様ぁ……あの勇者様がぁ、珍妙な女などに成り果てるとはぁ……」
「うん、まぁ、どっちかっていうと珍妙な女に成り果てた扱いされている今がまさに少し辛いんだけどね……」
俯いたまま同情なのか何なのかよくわからない言葉を口にする菜々水に、思わず半笑いが浮かぶ。
「菜々水殿、ご理解いただけたのならその『勇者様』という呼び方も……」
「ですがぁ!」
声量を上げると共に、菜々水の顔が勢いよく上げられた。
その表情はつい先程まで今にも泣き出しそうなものだったのに、綺麗な……とても、清々しい笑顔に切り替わっている。
「ご安心くださいぃ、勇者様ぁ!」
そのあまりに急激な変化が妙な不気味さを感じさせ、光は反射的に身構えた。
「わたくしめがぁ!
直後、菜々水の全身をから半透明の蒼い炎が噴出し。
「っ!?」
その瞬間、光の意識は途切れた。
◆ ◆ ◆
「魔王、厄介な事になるやもしれません! 急いで光さんの元へ!」
「んお? お、おぅ」
蒼い炎が立ち上ったのを見た瞬間に環が血相を変えて駆け出し、黒も疑問顔ながらそれに続く。
「……? なんじゃ、これは……?」
違和感には、すぐに気付いた。
「周囲の人間が、全員……」
つい今しがたまでの祭りの喧騒はピタリと止み、人混みの全員がその場に立ったまま呆けた様子となっているのだ。
「『聖炎』。あの世界での公称としては、魔を退け人々を導く聖なる炎……とされていましたが、実態は大きく異なります」
危機感を募らせた顔で走りながら、環が早口で説明する。
「その真の力は、魔をも操り人々の思想を歪める……
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