第108話 フラグ立ってる

 お祭り当日、夕刻の会場にて。


(確かに今日は、菜々水殿が来ない……な)


 ここ数日磁石のように付いて回っていた存在が今日に限って一度も現れていないことに、光は妙な収まりの悪さのようなものを感じていた。


「悪い、待たせたか?」


 とそこで、後ろからそんな声。

 振り返ると、こちらに向けて手を上げる庸一の姿が。


「や、私も今来たところだよ」


 菜々水のことは一旦置いておき、差し当たり微笑んでそう返した。


「聖さん、残念だったな。今日、急用が出来たんだって?」


「んぁぅ……そう、だね」


 そういうことになったらしいと、話を合わせておく。


「にしても、なんで環からその連絡が来たんだろうな? まぁ確かに俺ら、聖さんと連絡先交換してないけど……環の奴も交換してなかったろ?」


「た、たまたまバッタリ出くわして、言付かったとかなんじゃないかな?」


「あぁなるほど、あり得るな」


 納得した様子で頷く庸一に気付かれぬよう、光はそっと安堵の息を吐いた。


(環、協力してくれたのはありがたいけど処理が雑じゃないか……!?)


 環のことだ、とりあえず菜々水本人がこの場にいなければ後はどうでもいいと考えているのだろう。


「あー……っと」


 とそこで、なぜか庸一が気まずげに光から目を逸らす。


「その……似合ってるぜ、浴衣。そういう『和』っぽいのも着こなせるんだな」


「っ……!」


 続いた言葉を聞いた瞬間、ぶっちゃけ光の頭から菜々水のことは吹き飛んだ。


「あ、ありがとう……その、お母さんが着付けしてくれて……」


「そ、そうか……」


 お互い、赤くなった己の頬を掻く。


「い、行こうか」


「う、うんっ」


 そして二人、ぎこちなく歩き出した。



   ◆   ◆   ◆



 一方、人混みの中を進む二人の遥か後方。


「魔王……よくお聞きなさい」


 環が、平静な声で隣の黒へと話しかける。

 なのにその顔は完全に修羅そのものであり、ギャップが見る者くろに恐怖を与えていた。


「光さんは今日、決める・・・気でいます……まぁ、わたくしの見立てでは直前でヘタレる確率99%ですけれど」


「妥当な線じゃな」


 やる気なさげな表情で、黒が肩をすくめる。


「それでも、少しでも可能性を上げるため……今日だけは、今日だけは何があっても妨害してはなりません。良いですね?」


「妾、そもそも今まで一回も妨害なぞしたことないんじゃが」


「どれだけボンッゲージが上昇しようとも……! 涙を飲んで、耐えるのです……!」


「妾、そのボンッゲージとやら実装されとらんのじゃが」


「えぇ、貴女のおっしゃりたいこともわかります。それでもボンッの衝動を押さえきれぬこともあるでしょう。その時は……特別に許可致します。わたくしにボンッすることで発散なさい」


「妾、もしやお主に見えとる妾と別の妾じゃったりする?」


 黒の言葉を無視して一方的に語る環に、黒は半笑いを浮かべる。


「ちゅーか、そういう意味では最大の問題点はあの狂信者の女じゃろ。今のところ、見当たらんようじゃが」


「あぁ、それならもう処理済み・・・・です」


「処……!?」


 しれっと言った環に、黒がギョッとした表情を向けた。


「もしや、殺……」


「貴女、わたくしのことをなんだと思っておりますのよ」


「他人に躊躇なくボンッする女、かの」


「わたくしが誰にでもボンッする軽い女であるかのような物言いは心外です。わたくしとて、光さん以外にはボンッ致しませんわよ」


「のぅ、お主にとってボンッて何なんじゃ……?」


「ま、まぁ、魔王がどうしてもと言うなら? 貴女になら、特別にボンッして差し上げてもよろしいことよ?」


「何やら照れ顔でツンデレ感出しとるが、これ妾は喜ぶべき場面なのかえ? 基本、ただの爆破予告なんじゃが」


 聞けば聞く程に謎の概念、ボンッである。


「ボンッはともかく……ならば、拉致監禁でもしてきたか?」


「そんな警察にバレたら面倒な手は取りませんわよ」


「倫理観からストップがかかったわけではないんじゃな……」


「しばし、幻の世界に旅立っていただいているだけです」


「あぁ、洗脳したっちゅーことか……」


「人聞きの悪い……軽い催眠術のようなものですわ」


「妾にはだいぶ重く聞こえるが……」


 とはいえ、環の倫理観にツッコミを入れるのも今更である。


(さて……どうやらマジで邪魔は入らぬようじゃぞ。天ケ谷よ、妾のところ・・・・・まで到れるか?)


 光が告白出来るのか、高みの見物を決める黒だった。



   ◆   ◆   ◆



「おっ……光、口元にソース付いてんぞ?」


「えっ、ホント?」


「おい馬鹿、浴衣で拭こうとすんな」


 反射的に浴衣の袖で口を拭おうとした光の手首を掴み、庸一が押し止める。


『……あっ』


 一瞬の後、繋がった手に視線を向けた二人の頬に朱が差した。


「わ、悪い!」


「い、いや、その、悪いなんてことないし、何なら……そのままでも……」


 慌てて手を離す庸一に対して、光は少し残念そうな表情となってごにょごにょと呟く。


 幸か不幸か後半は消え入るような小ささで、庸一の耳にまでは届かなかったようだ。


「ほら、これで拭けよ」


 やや気まずげに、庸一がポケットから取り出したハンカチを差し出してくれる。


「ありがとう……でも私、今は両手が……」


「……あー」


 右手にたこ焼きのパック、左手の指でりんご飴とチョコバナナとフランクフルトと唐揚げ串を握り込むるというストロングスタイルの光にハンカチを受け取る余地はないと、庸一も遅れて気付いたようだ。


「えーと……じゃあ、どうしような……」


「その……よ、庸一が拭いてくれないかなっ?」


 困ったなと苦笑する庸一に対して、お願いする光の声は語尾が裏返っていた。


「……いいのか?」


「良いも悪いも、それしか方法はないのだし?」


「そうか……じゃあ、仕方ないな」


「そう、これは仕方ないことなんだ」


 お互い妙に「仕方ない」と強調し合った後。


「んっ……」


 庸一のハンカチ越しの指が唇に触れた瞬間、光の口から思わず小さく声が漏れた。


「ん゛んっ……ほら、取れたぞ」


 ソースを拭い取り、庸一が咳払いしながらそう報告する。


「……ふふっ、ありがとう」


「っ……」


 光が微笑んで礼を言うと、なぜか庸一はポーッと呆けたような表情となった。


「庸一?」


「んっ!? あぁ、うん、なんだ?」


 光が声をかけると、我に返った様子でやや早口に問い返してくる。


「いや、何だかボーッとした様子だったから。何かあったかな?」


「や、別に……そう! そろそろ花火の時間だなって思ってたんだよ!」


 いかにも今思いついたという感じではあったが、言われて光も時計に目をやれば確かに花火の開始までもう間もなくという時刻だった。


「本当だ、いつの間に」


「楽しい時間は、あっという間だよな」


「……うん」


 庸一の言葉を、しみじみと噛み締める。


 今日は、本当に楽しかった。

 庸一と一緒に屋台を回って、笑って、はしゃいで、時に照れたりして。


 そんな様は。


(まるで……恋人同士、みたいじゃなかったかな!?)


 今回ばかりは、光のその考えを否定する材料も少ないと言えよう。


「そんじゃ花火だけど、どこで見る? このままこの辺を流しながら眺めるか?」


「いや。実は私、穴場スポットを見つけたんだ」


 厳密に言えば、この日のために血眼で周囲を探索したわけだが。


「向こうの方に、古びた神社があるんだけどさ。そこに続く道がこっちの道からは死角になってて、普通の人はまず気付かないと思う。せっかくだし、静かなところで見れたらと思うんだけど……どうかな?」


「おっ、いいじゃん。そうしようぜ」


 庸一の色良い反応を受け、光は先日見つけた『道』へと案内する。


「ほら、ここ」


「……これは通常、獣道と言うのでは?」


 木々の間、目を凝らせば辛うじてその存在を認識出来るという程度の『道』を見て庸一が半目となった。


「ははっ、私たちなら舗装された道路を歩くのと何ら変わらないだろう?」


「まぁそうだけどさ」


 笑い飛ばす光に、庸一もクスリと笑う。


「これ、一本道なのか?」


「うん」


「そんじゃ光、先に行っといてくれ。俺、ちょっとトイレ寄ってくから」


「心得た」


 頷き合った後、二人別々の方向へと歩き出す。


「よっ、ほっ、はっ……と」


 というか、光に関しては軽やかに跳んで獣道を踏破する形だ。

 浴衣と下駄であることを全く感じさせない、力強い跳躍だった。


 程なく終点、神社の鳥居が見えてくる。


「よし、誰もいないな」


 鳥居をくぐり、望み通りの環境であることを確認して光は満足げに頷いた。


「ちょっと寂れた神社で、花火を見ながらの告白……完璧じゃないか!? パーフェクトじゃないか!?」


 あまりに完璧に自分のプラン通りに事が進んでおり、有頂天気味である。


 とはいえ、油断は禁物。

 過剰な興奮を冷ますべく、ガリガリとりんご飴を齧る。


(立ってる! 告白成功までのフラグ、立ってるぞ!)


 ちなみに客観的に見ればこの神社は『ちょっと寂れた』というより『朽ち果てた』といった風情であり、その境内で一心不乱にりんご飴を齧る女の姿が目撃されれば新たな都市伝説の誕生不可避であろう。



   ◆   ◆   ◆


 一方その頃。


「ボンッ……ボンッ……ボンッ……うふふ、何度でも光さんは綺麗に散りますわねぇ……」


「脳内に留められるんなら、口にも出さんで欲しいんじゃよなぁ……」


 死んだ目でブツブツと呟く環は端的に言ってだいぶ怖く、黒は迷惑そうな顔を浮かべていた。


「……時に」


 そこでふと、とある人物を目にして小さく眉根を寄せた。


「お主の催眠術とやらは、割と簡単に解けたりするもんなんかの?」


「は? そんなわけないでしょう。わたくしは、かつて世界最高峰と讃えられた魔術師。光さんや魔王が相手だとて、一度効きさえすればその時点で勝ち確でしてよ」


「ふむ……ならば」


 黒は、魔力で強化した視界に光の姿を収め。


「あれこそが、幻の類なのかえ?」


「はい?」


 嬉々とした様子で光に近づいていく菜々水の姿・・・・・を指差すと、環は訝しげに眉根を寄せる。


「は、はいぃっ!?」


 そして、珍しく酷く動揺した様子で素っ頓狂な声を上げたのだった。

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