第107話 ファンの集い

「つまり、ここはこの公式を使うわけ」


「なるほど」


 本日は、菜々水の登場によって有耶無耶になっていた勉強会を開催していた。

 閉室時間が近いこともあって、緩い方の自習室に残っているのは現在五人のみである。


 光に勉強を教える庸一、黙々と夏休みの宿題を片付ける環と黒、そして。


「はぁっ……! 今日も勇者様はお美しゅういらっしゃいますぅ……!」


 光の隣に座り、間近からその横顔をガン見してポーッと恍惚の表情を浮かべる菜々水である。


「その……菜々水殿は、ご自分の宿題をなされなくて良いのかな?」


 流石に居心地悪そうに、光が苦笑と共に尋ねた。


「はいぃ! わたくしめはぁ、七月中に全力で終わらせるタイプでございますためぇ!」


 光に話しかけられるだけで嬉しいらしく、菜々水の笑みがパァッと輝く。

 他方、光は若干微妙そうな表情となっていた。


「……ちなみになんだが、成績は学年何位くらいなのだろう?」


「はいぃ、平均やや上くらいの凡夫にございますぅ!」


「………………」


 菜々水の回答に、光の表情の微妙さが加速した。


「自らを崇拝する相手よりだいぶ成績が下っちゅーのはどういう気分なのか、参考までに聞かせてたもれ?」


「なかなかない機会ですものね、成績最底辺の光さんといえど」


 対面より、手を止めた黒と環の野次馬的な視線が刺さる。


「ま、まぁあれだよな? こうやって教えればちゃんと吸収出来るし、光も地頭はいいもんな?」


「そ、そう! 私、地頭悪くない! むしろいい!」


「そのカタコト感は絶妙に頭悪そうじゃがな……」


「そも、この場合は地頭が良いにも拘らず成績が悪いことの方が問題なのでは?」


 庸一のフォローに喜色を浮かべた光だが、二人の視線は冷めたものであった。


「ぐむむ……!」


「はぁっ……! 何も言い返せず呻く勇者様もお美しいですぅ……!」


 そして、引き続き菜々水はそんな光をガン見中。


「えーと……菜々水殿、ちょっとその……鼻息が頬に当たってくすぐったいんだが……」


「はははははいぃっ! 失礼致しましたぁ! 息を止めます永久にぃ!」


「出来れば距離の方で対応していただけるかな!?」


「はいぃ、仰せのままにぃ!」


 光の言葉を受け、菜々水は光から若干距離を取った。


 その離れた距離……目測、約一ミリ。


「ははっ……光も大変だな……」


「前世の頃は、旅の緊張感もあってあまり気にならなかったんだけど……」


 苦笑する庸一に、光も苦笑を返す。


「まぁ、見惚れる気持ちはわかるけどな」


「えっ……?」


 少し口元を緩めた庸一の言葉に、光は目を瞬かせた。


「俺だって、未だに見惚れちまう時あるからさ。どんだけ見てても飽きることがないっつーか」


「はいぃ! その通りなのでございますぅ! いつまでも見ていたい美しさなのですぅ!」


「特に、凛とした表情の時はすげぇ格好良いよな」


「はいぃ! しかし、もちろん笑顔も素敵なのでございますぅ!」


「わかるわー。はにかんでる時とか、可愛いよな」


「はいぃ! とはいえ、憂いのお顔も儚くゾクゾクする程に美しいのですぅ!」


「わかるわかる。いやぁ、同好の士が出来て嬉しいよ。環も黒も全然同意してくれないしさぁ」


「勇者教はぁ、いつでも門戸を開いておりますぅ!」


「ははっ、俺も入信するかな?」


 意気投合した様子で、盛り上がる庸一と菜々水。


「実は俺、なんだかんだでツッコミ入れてる時の顔も好きだったりするんだよなー」


「はいぃ! チャーミングでござますねぇ! 涙目の時のお涙も舐め取って差し上げとうございますぅ!」


 意外と気が合うようだ……というか、なんのことはない。

 エフ・エクサとて、エルビィ・フォーチュンのファンボーイだったのだから。


 そして、そんな会話を聞く光はといえば。


(ふぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ! 気持ちいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!)


 内心、めちゃくちゃ喜んでいた。


 というか、普通に顔もデレデレに緩みまくっていた。

 好きな人から褒められて悪い気がしないのは、当然のことであろう。


「ま、光さんの顔が良いことはわたくしとて認めるところではありますけれど。そう……まさに、顔だけは良い女」


「親御さんに感謝せぇよ? お主、その顔じゃからギリでアウトに収まっとるところがあるんじゃからな?」


 環と黒の発言も、今だけは気にならなかった。


 とそこで、下校時刻十分前を告げるチャイムが鳴り響く。


「っと、俺らもここまでにしないとな……俺、ちょっとトイレ行ってくるわ」


 気持ち足早に自習室を出ていく庸一の背中を何とは無しに見送った後、光は菜々水に笑顔を向けた。


「菜々水殿、貴殿のアシストに感謝す」


 ボンッ!


「うぉ熱っちゃぁ!?」


 る、という最後の言葉は光の頭部が燃え上がったことで遮られた。


「お主、ついにガチでボンッしおったな……」


「先日ようやくボンッ解禁となったということで、これからは気軽にボンッしていこうと思っておりますの」


「そういう制度なんか……?」


 ジト目を向ける黒に対して、環は澄まし顔である。


「今年のボンッ、は程よく殺意の乗った十年に一度の出来でしてよ」


「ボジョレー的な何かなんかえ……?」


 目の前で人の頭部が炎上しているにも拘らず普通に雑談を続けている辺り、黒もだいぶ超常現象に慣れ始めている証左と言えよう。


「はぁっ……! 炎上する勇者様もお美しゅうございますぅ……!」


 他方、こちらはこちらで一切の動揺を見せずに菜々水は燃え上がる光の頭部をうっとりと見つめていた。


「先程からちょいちょい思うとるが……お主、本当にコヤツのこと信奉しとる……?」


「この方は、前世の頃からこんな感じですわよ。徹頭徹尾、あるがままの『勇者』を信奉されるスタイルですの」


「頭部が炎上しとる状態は、本当に『ありのままの姿』と呼んでえぇのか……?」


「ねぇ、誰も私の心配をしてくれないこの状況は流石にちょっと酷くないかな!?」


 そう言う光ではあるが、頭部が鎮火した後には焦げ跡一つない無事な姿が現れ黒を半笑いにさせるのだった。



   ◆   ◆   ◆



 その日の帰り道。


「そういや、夏祭りって今週末だっけ?」


「っ……!」


 何気ない庸一の呟きに、光がピクリと反応する。


「そ、そういえばそうだったかなー? いやぁ、すっかり忘れてたなー」


 ぴゅーと口笛を吹く姿は、大根役者そのものである。


「その……庸一は、行く予定はあるのかなっ?」


「んあー、どうすっかなー。この歳になって祭りってのもなー」


「そ、そんなことはない! 祭りは何歳になっても楽しいものだし何より神を祀るという本来の目的を考えれば是非とも参加すべきだと思う! 元勇者にはマスト!」


「へー? じゃあ、光は行ってくれば?」


「ぐむっ……!」


 呻いた光の顔を見て、庸一は「ふはっ」と吹き出す。


「冗談だよ、一緒に行こうぜ。つーか、なんで祭りに行くのを誘うだけでそんな回りくどいんだよ」


「そ、それは……」


 なぜかと言えば。


(そのお祭りで……告白する!)


 と、決意しているためである。


 こちらから誘うと意味深な感じになってしまうかと、無駄に気を回した結果であった。


「まぁいいや、お前らも行くよな?」


 幸いにして庸一はそれ以上突っ込んでくることもなく、環と黒の方へと水を向ける。


(さて……ここからは若干賭けになるけど、私の見込みでは……)


 いつもの面子でとなると、なかなか告白にも踏み切れまい。

 とはいえ、光には計算があった。


「いえ……今回、わたくしは遠慮しておこうかと」


「え……?」


 果たして断りの回答を返した環に、庸一はいかにも意外そうに大きく目を見開く。

 兄との予定が最優先、他の全てはゴミクズに等しいとこれまで散々示されてきた彼女の価値観と大きく異なるためであろう。


 実際、『光の告白を邪魔しない』という目的さえなければ一も二もなく頷いていたに違いない。

 その証拠に、庸一から見えない角度で環はギリギリと血が出そうな程に拳を握りしめていた。


「今週末は、家族で過ごす予定がございますの」


「あぁ、そうなんだ?」


 それでも表面上はニコリと綺麗な笑みで、そう続けた環に庸一も納得の表情となった。


 環の価値観について、『家族』を何より大切にすると認識している庸一は──それ自体、間違いでもないのだろうが──現世の家族との予定を優先させたと考えたのだろう。


「それじゃ、楽しんでな」


「えぇ、存分に」


 かつての肉親が、微笑みを交わし合う。


「そんじゃ、黒は?」


 庸一が視線を向ける直前、彼からは見えない角度で環の肘が黒の脇腹を小突いた。


「……はぁっ」


 わかっておる、とばかりの黒の溜め息。


「妾もパスじゃ。人混みは好かん」


「そっか」


 これも黒らしいと思ったのか、庸一はやはり納得の表情だ。


「そんじゃ、聖さんと三人だな」


「はいぃ! りんご飴を齧る勇者様ぁ、たこ焼きを頬ばる勇者様ぁ、花火に照らされる勇者様ぁ、レアな勇者様のお姿が楽しみですぅ!」


 残った問題は、菜々水のみである。


(たぶん、『お願い』すれば二人きりにしてくれる……かな?)


 これについては若干不安要素ではあるものの、前世の経験から光はそう判断していた。


(とはいえ流石に、そもそも来るなって言うのは感じ悪いし……でも、一時的に離れてもらうだけで大丈夫なのかな……なんか、すぐ戻ってきそうなんだよなぁ……)


 なんて、ぼんやりと考えていたところ。


「っと、じゃあな」


「うむ」


「ごきげんよう」


 いつの間にかいつも別れる場所に差し掛かっていたらしく、三人それぞれ別れの挨拶を口に出す。


「あ、うん、それじゃ」


 光もやや慌ててそう口にして、全員がそれぞれの方向へと足を向けた。


「兄様兄様! お祭りに一緒に行けない分、今のうちに兄様成分を補給させていただきましてよぉ!」


 なお、楽しげに庸一の隣を歩く環の家は全くの別方向なのだが今更である。


 そして……環が、光とすれ違う瞬間。


そちら・・・は、わたくしが担当致します」


「えっ……?」


 ポソリと光にだけ届く声量でそう言って、光の返事を待つこともなく環はそのまま歩みを進めていく。


(そちら、って……菜々水殿の件……だよな?)


 言葉は少なかったが、前世からの付き合いの長さから半ば以上確信は出来た。

 そして、環がやると言った以上は恐らく完遂するに違いない。


 一つ、懸念があるとすれば……。


(……無茶しないといいんだが)


 環の匙加減については、前世からの付き合い長さを以てしても未だ測りきれない光であった。

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