第106話 狂信者 VS 珍妙な女と化した偶像

 元勇者教の大司教、パナシィ・イーヴこと聖菜々水について語る光。


「昨日あの後一日かけて、ようやく宥められたんだ……」


 何を思い出しているのか、とてもげんなりとした表情だった。


「コヤツがここにおるっちゅーことは、宥められておらんのではないか……?」


「いや……」


「使命を思い出した以上ぉ、勇者様に常付き従うのがわたくしの役割でございますぅ!」


「前世から、元々こんな感じの方なんですのよ」


 苦笑する光に、溌剌と語る奈々未。


 環は澄まし顔ではあるものの、どこか諦め気味の表情にも見えた。


「先程も申し上げました通りぃ、わたくしめのことはお気になさらずぅ! 空気とでも思ってくださいましぃ!」


「空気と見做すには自己主張激しすぎじゃろ……」


 妙に生き生きとした菜々水に、黒は半笑いを浮かべる。


「……ちゅーか」


 次いで、疑問顔となった。


「妾が言うのもアレじゃが……お主、妾が同席しておることについて何も思わんのか? 妾、魔王じゃったんじゃろ?」


「はいぃっ! 彼の魔王すらをも改心させるとはぁ、流石は勇者様でございますぅ!」


 光へと、キラキラとした目を向ける菜々水。


「そういう風に補正されとるんじゃな……」


「というかぁ」


 菜々水は、引き続き光を見つめたまま。


「魔王の存在なんてぇ、どうでもいい・・・・・・のですぅ」


 その表情、口調に嘘をついている様子はない。


「はっ!?」


 とそこで、テーブルに目を向けた菜々水が世紀の大発見でもしたかのような表情となった。


「勇者様ぁ、ドリンクが空いてございますぅ! 次は何になさいますかぁ!? オレンジュースでございますかぁ!? メロンソーダでございますかぁ!? コーラとコーヒーを混ぜたやつでございますかぁ!?」


「……じゃあ、烏龍茶で」


「はいぃっ! 使命ぃ、承りましてございますぅ!」


 光の前に置いてあったコップを手にとった菜々水は、ピュンとドリンクバーンの方へと駆けていった。


魔王すらもどうでもい・・・・・・・・・・。勇者教のトップは、マジのガチで勇者以外はどうでもいいというアレな価値観なのですわぁ」


 興味なさげにその背を眺めながら、環がお手上げとばかりに肩をすくめる。


「ほんで、お主もパシリとして使うとるっちゅーことか?」


「用事を頼んでる間はまだマシだから……」


 光が浮かべるのは、完全に諦めた者の苦笑である。


「お待たせ致しましたぁ! 烏龍茶をお持ち致しましたぁ!」


 とそこに、菜々水が戻ってきた。


「ありがとう、菜々水殿」


「そんなぁ、わたくしめには勿体のう言葉でございますぅ!」


 そう言いつつも菜々水は恍惚とした表情を浮かべており、その様は主人に褒められた子犬……否、そんな可愛いものではない。


「狂信者……なるほどのぅ」


「然りですわ」


 納得の表情を浮かべる黒に、環が小さく頷く。


「ささぁっ、皆様ぁ! お話を続けてくだしましぃ!」


 どうぞどうぞ、と手で指し示す菜々水。


「それで……流石にフラグが立ったと思うんだけど、どうかな?」


「お、おぅ……マジで続けるのかえ……?」


 本当に最初の話に戻す気らしい光に、黒は半笑いを浮かべる。


「本人が言う通り、気にしないのが一番だから……」


「そのうち、意識の端っこの方で『何かいるな?』程度の認識になりますわよ」


 流石、前世で慣れた者たちは顔つきが違った。


「さて、フラグでしたわね」


 環も、もうすっかり元の話題に戻るつもりのようだ。


「えぇえぇ、もう完全に立っております。間違いございません、ビンビンでございましてよ。先日のデートも、上手くいったのでしょう?」


「う、うんっ……! その、手とか繋いじゃったりしてさ……! どうにも不運に見舞われて上手くいかないことも多かったけど、全体としては凄く良かったと思う……!」


「まぁっ、よろしゅうございましたわねぇ」


 コロコロと笑う環は、友人の成功を喜ぶ顔そのものである。


(コヤツ、裏で妨害しておきながらこの邪気の感じられぬ笑顔……どんな面の厚さじゃよ……)


 そんな環に、黒は薄ら寒さを覚えるのだった。


「では、そろそろ告白なさってはいかがです? きっと今なら成功致しますことよ?」


「またまた、そんなこと言ってぇ。肝心なところで邪魔するつもりだろぉ?」


 そう言いつつも、光の顔はデレデレとだらしないものである。


「ふふっ、わたくしとて親友の告白を邪魔するほど野暮ではございませんわよ」


「親友だなんて……まさか、君の口からそんな言葉を聞けるとは思わなかったよ」


 そのデレ顔が、素で感動の表情となった。


(げに恐ろしきは、この言葉そのものには嘘はないっちゅーことじゃよな……)


 黒はブルリと震える。


 恐らく環は、本気で光のことを親友・・・・・・・・・・だと思っている・・・・・・・


 そして実際、告白の場で邪魔をすることはないのだろう。


 なぜならば、告白までの段階で調整・・・・・・・・・・するからである。


 環がこう言っているということは、恐らくまだ必敗のタイミングであることを意味する。


(コヤツ、さては色ボケし過ぎて魂ノ井の本質を完全に忘れておるな……?)


 光とて……というか光なら黒以上に、環がそんな性格・・・・・であることはよく知っているだろう。


 これも、恋は盲目の一種ということか。


「ま、確かに泳がせる方針の環が私の告白を邪魔することはないか」


「えぇ、兄様に誓って白の邪魔は致しません・・・・・・・・・・


「……ちなみになんだけど」


 スッと光の目が細まった。

 

告白より前の邪魔は・・・・・・・・・?」


「まっ、光さんったら疑り深いんですのね」


「ふっ……嘘は言わない辺り、君らしいな」


 あくまで綺麗な笑みを崩さない環に、光は微苦笑を浮かべる。


「……ほーん」


 そんな光の様子を眺めながら、黒は素で感心の呟きを漏らした。


(そこまで知って尚、魂ノ井の知恵を頼るか……これも、ある種の信頼なのかのぉ)


 実のところ、もしかすると光は環が既に妨害を始めていることにも気付いているのかもしれない。


「にしても、告白となるなぁ……やっぱり、何かきっかけはほしいよなぁ」


「でしたら、今度の夏祭りなどちょうど良いのではございませんこと?」


「夏祭りか、いいな! 花火をバックに告白……近づく二人の距離……一瞬照らし出されるは、重なる唇……うへ、うへへへへ……」


 ……と思ったが、やっぱりただ単に色ボケしているだけな気がするな? と思う黒である。


「のぅ、お主」


 二人の会話に交ざる気にもならず、菜々水に話し掛けてみる。


「はいぃ、何でございましょぉ?」


 視線は光の方に向いたままながら、一応会話に応じる気はあるらしい。


(にしても……マジで、妾のことなぞどうでもえぇんじゃのぅ)


 環も、光も、庸一でさえも。

 黒に対して、最初に向けてきたのは敵意だった。


 だが、菜々水から黒に向けられる感情は完全なる『虚無』である。


(ま、下手に敵意を持たれたり妙な陰謀を抱かれるよりはマシじゃが)


 先日の紫央里との一件のように、と考えながら。


「お主は、なんとも思わんのか? 己が崇拝していた存在の……」


 そこで言葉を切って、黒は光を指差す。


「この、無惨に変わり果てた姿に」


「無惨に変わり果ててはいないんだが!?」


 デレデレと締まりの欠片もない表情を浮かべなら妄想を垂れ流すという無残な姿を晒していた光が、少しだけ戻ってきた。


「はいぃっ! わたくしめ如きが勇者様の崇高な御心を理解出来るはずなどございませんのでぇ! わたくしめはぁ、ただあるがままに勇者様を崇拝するのみでございますぅ!」


 そして、言葉通り……そんな光を見てさえも、菜々水の信仰は微塵も揺らいではいないように見える。


(なんちゅーか……揃いも揃って厄介な性格の奴しかおらんのか? 転生者っちゅーやつは……)


 自らのことを棚に上げ、そう思わずにはいられない黒だった。



   ◆   ◆   ◆



 その日の帰り道。


(告白……うん、告白……する!)


 光は、何度も何度も頭の中でそう繰り返していた。

 そうしなければ、すぐに意気が萎んでしまいそうだったから。


 そしてそれゆえに、かなり周囲に対する注意は疎かになっていた。


「ただいまー」


「お邪魔致しますぅ」


「……ん?」


 自宅の玄関を開ける際になぜかすぐ後ろから声が聞こえて、振り返る。


「って、うぉわ!? 菜々水殿!?」


 そして、ようやく気付いた。


「はいぃ! 何か御用でございましょうかぁ!」


 そこに、いて当然とばかりの顔の菜々水がいることに。

 前世での彼女は、『勇者』を煩わせぬようにと気配を遮断するのが異様に上手かったが……どうやら、現世でもそのスキルは健在らしい。


「な、なぜ私の家に……!?」


「はいぃ! 勇者様のお傍でお使えするのが我が使命でございますためぇ!」


 前世で何度も聞いた言葉であった。


 実際に役立つ場面も多かったので、前世ではしゃーなし感もありつつ受け入れていたわけだが。


「いや……その、貴殿だってもう十数年この世界の住人をやってるんだから、わかるだろう? 親御さんも心配するだろうし、帰りなさい」


「はいぃ、仰せのままにぃ!」


 光の言葉に従い、菜々水は大仰に頭を下げた後にあっさりと走り去っていく。


「言えば聞いてくれるんだけどなぁ……」


 逆に言えば、言わない限りはほぼ全自動で『勇者』の傍に付き従うシステムも前世の頃から変わらないらしい。


「……環が邪魔をしないと宣言した今、告白するに当たって一番の障害は菜々水殿かもしれないな」


 何の疑問も抱いてなさそうな顔で家までついてきた彼女を思うと、告白の場にも当たり前のようにいる様がありありと想像出来てしまったのだった。

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