第102話 出るか、ボンッ

「さて……映画とオシャレなカフェだっけ? どっちから行く?」


 光と共にとりあえず歩き始めたところで、庸一はそう尋ねる。

 その気負いのなさは、これを『デート』と認識していないがゆえであろう。


「うん、ちょうどそろそろカフェがオープンする時間だからそっちから行きたいな。お昼時になると混むだろうし」


「了解だ。店の場所はわかるか?」


「バッチリとググってきたから安心してくれ!」


「その台詞から、一見さんであることがありありと伺えるな……」


「し、仕方ないじゃないか! 誰にだって初めてはある!」


「そうだな、今日初めてを経験するとしよう」


「うん!」



   ◆   ◆   ◆



 そんな風に二人が談笑しながら歩く一方で。


「ボンッ、ですわね」


「ボンッの要素、今のは流石になかったじゃろ……」


 二人より一キロ程離れたところから尾行しながら、暗殺者の目となっている環へと黒がツッコミを入れた。


「兄様と『初めてを経験』ですって……? コキュートスで永久に凍結されても文句は言えない所業です」


「こんなんで地獄の最下層に送られたら、地獄サイドから文句が来るわ……」


 いつ爆発するかわからない爆弾の傍らにいる気分で、黒は早くも疲れ気味であった。



   ◆   ◆   ◆



 一方、爆発の危機に晒されているとは露知らず。


「へー、これがパンケーキかー。思ったよりボリュームあるんだなー」


 光は、注文したパンケーキを前にして目を輝かせていた。


「そうだな。種類も思ったよりいっぱいあって迷ったよな」


「よし、いただきまーす!」


 早速、光は手を合わせる。


「いただきます」


 向かいで庸一も手を合わせ、二人同時に食べ始めた。


『うん、美味いっ』


 そんな声がちょうど重なって、二人で笑い合う。


「光の、べリーソースのも美味しそうだな」


「うん、良ければ……」


 食べる? と問いかける直前。


(これは……『あーん』のチャンスなのでは……!?)


 光に、天啓降りる。


(よし……!)


 心の中で、気合いを入れ。


「あー……」


 フォークを持ち上げ、「ん」の言葉と共に庸一の方へと差し出そうとした瞬間だった。


『クルッポー!』


「っ!?」


 どこからともなく飛来した鳩が、猛烈な勢いで光のフォークからパンケーキを奪い去っていったのは。


『……は?』


 一瞬何が起こったのかわからず、庸一と光の疑問の声が重なって。


「な、なっ……!?」


「あははははははははっ! 鳩って! 光、『持って』んなー! 動画撮っときゃ良かった! あっはははは!」


 光がワナワナと震える一方で、庸一はどうやらツボに入ったらしく大笑いしている。


(くっ……! 『あーん』の雰囲気じゃなくなっちゃったじゃないか……!)


 絶好の好機を逃し、密かに拳を握る光であった。



   ◆   ◆   ◆



 そんな光景を見ながら、黒は横目で環の様子を伺う。


「……今のは、もしや?」


「えぇ、わたくしの手によるものです」


 半信半疑といった黒の問いに対して、環はあっさりと頷いた。


「あーんの気配を感じたので、近くにいた鳩を一時的に操りました」


「前半もだいぶアレじゃが、鳩の操作まで出来るんか……?」


「わたくしの魔術の本質は、魂の力を使役すること。流石に人間相手となると時間と手間が必要ですけれど、小動物くらいならいくらでも操れますわよ」


「そういや以前、お主の信者も作っとったしな……」


「あれは魂に信仰を刻み込んだ形ですので、単純な行動操作とはまた少し別ですけれど。それと、わたくしの信者ではなくわたくしと兄様の愛に傅く信者です」


「その訂正、毎回必要なんか……?」


 そろそろお決まりになりつつあるやり取りに、黒は半目となる。


 それはともかく。


「ちゅーか、結局ボンッはせんかったんじゃな。そりゃそうじゃよな、流石に本当にはやらんよな」


 先の環の行動に、ようやく安堵出来た。


「……苦渋の決断でした」


 が、なぜか環は口惜しげに拳を握る。


「光さんがフォークを持ち上げた瞬間から『あーん』に至るまで、最速一秒程度。光さんを一撃で仕留めるだけのボンッには、少々魔力を溜める時間が足りなかったのです」


「お、おぅ……仕留められるならボンッするつもりだったんか……」


 真面目な表情で語る環に、冗談を言っているような雰囲気はない。


 ワンチャン冗談である可能性を残すため、黒は「冗談じゃよな?」とは聞かなかった。

 シュレディンガーのボンッである。


「ちゅーかお主、割と天ケ谷との友情めいたもんを仄めかすくせに殺意がガチじゃよな……」


「ほほほ、恋の前では女の友情など石ころ程度の価値もございませんわぁ!」


「好感度最低の発言じゃな……」


 誰憚ることもないとばかりに高笑いを上げる環に、だいぶ引き気味の表情となる黒だった。



   ◆   ◆   ◆



「光、どれ観る?」


 カフェを後にした庸一と光は、次に映画館へと来ていた。


「これ! これに決めてるんだ!」


 と、光は言葉通り事前に決めていた映画を指差す。


「えっ……? これ恋愛映画だけど、大丈夫か……?」


「どういう意味の質問なんだ……!?」


「光はアクションとかの方が好きかと思って……あぁでも、そういや少女漫画も乙女ゲーも好きだって言ってたもんな。なら大丈夫か」


「納得のされ方がオタク認定されているようでアレだけど、納得してくれたならそれでいいよ……」


 本日のテーマは、『女の子らしく』。

 ツッコミも控えめにしようと決めている光である。


 そして、もう一つ。


(ここで……手を、握るぞ!)


 それもまた、胸に秘めた決意であった。



   ◆   ◆   ◆



「ボンッ、ですわね」


「お主、もうボンッって言うとけばえぇと思うとらんか?」


 例によって、そんな庸一と光を遠くから見張りながらの二人。


「暗がりに兄様を連れ込んで、何をしようというのです……!? 淫魔……! これはもう淫魔の所業であり、炎で焼き尽くすことこそが正義……!」


「何をしようというのかっちゅーと、映画を見ようというんじゃないかの」


「淫魔の映画を!?」


「普通の映画を」


 というか仮に淫魔の映画だったとしても咎められる所以はないだろうと思った黒だったが、そろそろツッコミが面倒になってきたので一言で済ませた。


「さて、冗談はここまでにしてわたくしたちも参りましょう」


 スンッと真顔になった環が、映画館の方へと足を向ける。


「お主、情緒がクソ過ぎて冗談かどうかの判別マジでつかんよな……」


 普通に今のも本気で言っていると思っていた黒である。

 そうであってもおかしくない実績は十分であるため、仕方ないことと言えよう。


「ちゅーか、妾たちも映画館に入るんか? 同じシアターじゃ、アヤツの検知範囲とやらに入ってしまうじゃろ」


「今の光さんは兄様の方に意識が完全に向いていますので、索敵もだいぶガバっているはずです。目立つようなことをしなければ問題ないでしょう」


「それはフラグとして言うておるのか……?」


 環が今回何をする気なのか想像する気も起きないが、きっと碌な事ではないんだろうなという嫌な確信だけは抱いてる黒であった。



   ◆   ◆   ◆



 映画も既に佳境。

 スクリーン上では、困難を乗り越えた主人公とヒロインが抱き合っていた。


(よし……ここだ!)


 それを、光は機と捉える。


(いざ……!)


 視線はスクリーンに向けたまま。

 ゴクリと喉を鳴らして、光は肘掛けに載せられている庸一の手に己の手を重ねる。


(よしっ!)


 ミッションコンプリートであった。


(庸一の手、結構冷たいな……このシアター結構冷房が効いてるし、寒いのかな? ふふっ、それなら私が暖めてあげようじゃないか……! よし、これでいざという時の言い訳も出来た……!)


 なんて思いなが、光はチラリと一瞬だけ庸一に目を向ける。


「………………」


 庸一の表情には、動揺や照れは少しも見られない。

 ただ、一心にスクリーンを見つめている。


(んんっ……? 映画に集中して、私の手に気付いてないのかな……? フッ……それならそれで、気付いた時が楽しみだ)


 その時を想像し、ニマニマと笑う光だった。



   ◆   ◆   ◆



 映画が終わり、庸一と光が立ち上がる前に環と黒は素早く映画館を後にしていた。


「……今回も、ボンッせんかったんじゃな。手を繋いどるように見えたが?」


「映画館でボンッは非常識でしてよ、魔王」


「お、おぅ……妾は何のマナーを説かれとるんじゃ……?」


 確かに上映中にボンッが発生すれば大惨事だろうが、それはどこだろうと同じである。


(今回は何もせんかった……? コヤツの中で、『あーん』はアウトで手を繋ぐのはセーフっちゅーことか……?)


 黒は環の涼しい顔を眺めながら、その真意を探る。


「……ふ、うふふっ」


 かと思えば、ニマァ……ッと環の口が横に広げていき。


「ほほほほほっ! 愚かなり、光さん! 兄様と手を繋げたと一人ぬか喜びするがいいですわぁ!」


「……?」


 高笑いを上げる環に、黒は首を捻る。


「ぬか喜びも何も、実際に繋いどったじゃろ」


「ノー、ですのよ!」


 疑問を呈す黒へと、環はビシッと指を突きつけた。


「なぜならば……光さんが握った手は、兄様の手の少し上に重なる形でわたくしが召喚した霊の手なのですから!」


「ひえっ……」


 急に怖い話が始まって、黒の喉がヒュッと鳴る。


「暗がりとガバ索敵によって、霊の姿に気付かれることなく! 光さんの聖属性ゆえ普通に霊に触れられるという点を利用する完璧な作戦でしてよ!」


 一方、ほほほと高笑いを上げる環は己の勝利に酔っているようであった。


「……ちゅーか、じゃな」


 とそこで、ふと黒は一つの疑問を抱く。


「あえて泳がす方針なんじゃろ? ある程度の進展はないとマズいのではないか?」


「光さんだけが進んでいると認識し、兄様は特に意識していないという状態がベスト! 見事に光さんだけを浮かれさせることが出来たという点でも、今回は芸術点高めでしてよぉ!」


「コヤツ、まだ好感度が下げ止まらんじゃと……?」


 なんて言いながらも。


(とはいえ、妾の時は妨害ゼロじゃったはずじゃが……? それだけ天ケ谷を『強敵』と見做しておるということか……? それとも、今のように妾が気付いてなかっただけ……?)


 内心で、環の真意を探る黒だった。

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