第101話 デートスタート
「……何をやっとるんじゃよ、お主は」
とある休日の午前、頭にバンダナを巻きサングラスとマスクを装着して物陰に隠れながら何かを伺っている不審者を発見して黒はそう問いかけた。
「しっ! 光さんに気取られてしまうではありませんの!」
なお、ゴリゴリの顔見知りである。
黒の存在には気付いていたのか、背後から話しかけても環は振り返ることもなく鋭い声でそう返してきた。
「ぞろぞろ連れているSPの方々と一緒に、わたくしの後ろに隠れなさい!」
「まぁ構わんが……」
言われた通り、SPたちと共に環の後ろに移動する。
「で……何をやっとるんじゃ?」
概ね察しながらも、再びの問い。
「光さんを見張り、兄様を見守らんとしているのです」
果たして、返ってきたのは予想通りの答えだった。
本日は、庸一と光の『デート』の日である。
「天ケ谷が相手ならどうとでもなる、ではなかったのか?」
「それとこれとは話は別ですわ」
やはり振り返ることもなく、環はピシャリと言い切った。
「万一、光さんが不埒な行為にでも及ぼうものなら……」
「ものなら?」
「ボンッ、ですわ」
背中越しに、環が握った拳を素早く開く様が見える。
「怖いんで、何の音かは聞かんでおくな」
以前であれば中二病乙で済ませるところだが、やろうと思えば出来るのであろうことを踏まえると詳細まで尋ねる気は起きなかった。
「ちゅーか……天ケ谷とヨーイチはどこにおるんじゃ?」
黒も環の後ろから顔を出して周囲を伺っているのだが、二人の姿は発見出来ない。
「兄様はまだ到着してらっしゃいません。光さんは、あそこのオブジェ的なものの前にいます」
「や、そこは真っ先に見たがおらんくないか? あの、雲みたいなやつのことじゃよな?」
改めて少し先にある雲っぽいオブジェの周辺を凝視するも、やはり光の姿は見当たらなかった。
「それではなく、向こうの星っぽいオブジェのところです」
「星……星?」
言われて先の方を探してみても、やはり見当たらず……と思った黒だったが。
「って、まさかこの通りの一番向こうに僅かに見えるあのデカいやつじゃなかろうな……?」
「それです」
「それなんかえ!?」
件のオブジェまでは、距離にして一キロ近くはあろう。
「いや、こっからじゃ顔なぞ確認出来んじゃろ……お主、マサイ族的な育ち方でもしてきたのかえ……?」
オブジェの前に何人か人がいることくらいは辛うじて確認出来るが、逆に言えばそれが限界だ。
「さしもの私も、裸眼では無理ですわよ」
「……?」
そう言う環に、黒は首を捻った。
環はメガネを掛けているわけでも双眼鏡等を用いているわけでもなく、裸眼にしか見えない。
「魔力による補助で一時的に視力を上げているのです。貴女もやってみなさいな」
「やってみなさいな、と言われてもな……」
「目に魔力を集めるようイメージなさい。魔力溜まりを解消した時の感覚を思い出せば、今の貴女なら出来るはずです」
「そうかえ……?」
そう言うならと、黒も物は試しにという心境に傾き始める。
「むぅ……魔力、魔力……」
自身の身体に意識を向けてみれば、以前は感じられなかった『何か』が全身を巡っていることがぼんやりとわかった……ような気がした。
その流れを、目の方へと向けるようなイメージを頭の中に思い描く……すると。
「ぬおっ!? なんじゃ!?」
急激に視界がクリアになって、思わず驚きの声を上げてしまった。
確かに、遠く離れた光の顔までハッキリ視認出来る。
光はソワソワと、周囲を見回したりスマホに目を落としたりと落ち着かない様子を見せていた。
「静かになさい、光さんに気取られると言っているでしょう」
「この距離では向こうも気付きようがないじゃろ……」
「いえ、ここが光さんの検知範囲から外れるギリギリの距離なのです」
「アヤツは野生動物が何かかえ……?」
「尾行中、決して風上には立たないよう注意なさい」
「魔法的なアレで探知するわけですらないんか……?」
黒が半笑いを浮かべる中、環が懐に手を入れワイヤレスイヤホンを取り出した。
そして、それを黒の方に差し出す。
髪の間から垣間見える環の耳にも、同じものが装着されているようだ。
「魔王、これを」
「何じゃ……?」
「ワイヤレスイヤホンです」
「それはわかっとるわ」
このタイミングで手渡された意図がわからないのだが、とりあえず装着してみる。
すると。
『やっべ、ギリ間に合うよな……?』
そんな声がイヤホンから聞こえてきた。
「この声、ヨーイチか……?」
「兄様に仕掛けた盗ちょ……マイクから受信しています。感度は良好なので、光さんの声も問題なく拾えることでしょう」
「言い直した意味ほぼなかったじゃろ……お主、ナチュラルにストーキング行為しとるよな……」
「兄様に発信機を仕掛けていたという貴女に言われたくありませんわ」
「妾のは同意の上じゃ、一緒にするでない」
と、そんなやり取りを交わしているうちに。
「あっ、兄様がいらっしゃいましたわ! はぁん、今日も素敵ですわねぇ!」
自分で言っておきながら、環はシャウトに近い声量と共にクネクネと身悶えするのであった。
◆ ◆ ◆
「む……?」
ピクリと、光は片眉を動かす。
(何か今、妙な気配が感じられたような……?)
探りを入れてみるかと、そちらに目を向けようとしたのとほぼ同時。
「悪い光、待ったか?」
想い人の声が聞こえ、光の意識はたちまちそちらへと持っていかれた。
「や、全然待ってないとも! 今来たところ!」
慌ててそう言いながら振り返ると、軽く片手を上げる庸一の姿が目に入ってくる。
(服装は……普通、だな……)
四人でいる時と変わらない装いに、少しだけ落胆の気持ちが芽生えた。
「あれ……? 光、今日の服……」
そんな光の内心を知ってか知らずか、庸一は光の全身を見て片眉を上げる。
「いつもと、なんかちょっとイメージ違う気がするな?」
「あ、うん……」
本来、光は動きやすいラフな格好を好む。
だが本日は『デート』ということで、『女の子らしさ』を最重視したコーディネートにしてきたのだ。
「や、やっぱり私にはこういうのは似合わないかなっ?」
問いかけの声は、早口になった上に後半少し裏返った。
庸一が口を開くまでの一瞬がやけに長く感じられ、バクバクと大きく心臓が鳴る。
けれど。
「や、そんなことはないと思うぜ」
最初の言葉に、ホッとして。
「その……か、可愛いと思う……」
続いた言葉で、先程よりずっと心音が高鳴った。
「あ、ありがとう……!」
胸が詰まる想いで、どうにか礼を伝える。
(気付いてもらえた……! 可愛いって言ってもらえた……!)
なお、内心ではそんな気持ちと共にハートマークが乱舞していた。
◆ ◆ ◆
といった会話を、イヤホン越しに聞き。
「ボンッ、ですわね」
「お主、判断が早すぎるじゃろ……」
小さく呟いた環に、黒は苦笑する。
「我が魂に宿る力よ、我が至宝を穢さんとする愚か者に正義の……」
「ちょちょちょ、なに唱え始めとるんしゃ!? まさか、本気で爆発させるつもりではあるまいな!?」
「これが冗談を言っている目に見えまして?」
僅かに振り返ってきた環の目は、ハイライトが消えており。
「コヤツ、暗殺者の目をしておる……!」
幼少の頃より暗殺マシーンとして鍛え上げられてきた者と同じ類のものであった。
ちなみに黒は何度も暗殺者に狙われる立場であったため、ガチの暗殺者の目を知っている存在である。
「まだ会話しただけじゃろが、お主どんだけ沸点低いんじゃ……!」
「ただの会話ではありません……兄様に『可愛い』と褒められた。万死に値する罪です」
「修羅の国の六法全書か……!? 確かに、ヨーイチにしては気の利いたことを言いよったけども……!」
「それに、問題ございません。いくら不意をつくとはいえ、光さんの耐性なら首が飛ぶまではいかないでしょう」
「その手前までいく時点でだいぶ問題はあるじゃろ!?」
割と真面目に爆発させそうな気配を感じて、黒もだいぶ焦り始めていた。
「ちゅーかお主、妾の時はちゃんと我慢出来とったじゃろうが! なぜ天ケ谷が相手じゃとそうなるんじゃ!」
「はーん? 兄様の前では涼しい顔を保っていだけで、裏では魔王の顔写真を貼り付けた藁人形へとバチクソに釘を打ち付けておりましたがー?」
「それお主がやるとマジでシャレにならんやつじゃないんか!?」
そして、ここに来て焦りの方向が別ベクトルへとシフトする。
「えぇ……? 妾、呪われたりしとらんじゃろな……?」
「魔力を込めたつもりはないので、恐らく大丈夫でしょう」
「それは無意識にやらかしておるパターンじゃないんか!? なんじゃ、そう言われると最近お腹の調子がよろしくないような……」
「しっかりなさいな。わたくしの呪いが効いているならその程度では済みませんし、そもそも魔王相手に呪いをかけられる術士なんて存在しませんわよ」
「そう……なのかえ……?」
未だに異世界基準はよくわからず、不安はゴリゴリに残ったままである。
「っと……二人が移動するようです。貴女に呪いをかけた件なんてどうでも良いので、一定の距離を保ったまま追いかけますわよ」
「今ハッキリ『呪いをかけた』っちゅーたよな!?」
真剣な表情で移動を開始する環に続きながら、黒は謎の寒気を感じてブルリと震えるのであった。
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