第83話 環の心情

 環から噴き出した殺気によって、思わず飛び退ってしまった光。


「ちょっ、君、やめておくんだ!? この世界で魔王を殺すのは流石にマズい!」


 これはマジでヤバい・・・と、必死に説得を試みた。


「……わたくしとして、それくらいはわかっていますわよ」


 それに対して、環はふっと笑って力を抜く。

 今しがたまで溢れ出ていた殺気も、綺麗に引っ込んでいた。


 流石の環も本気で実行に移す気まではないらしいとわかり、ホッとする光だったが。


「魔王を下手に刺激することの危険性は、二度の人生で十二分に認識しておりますもの」


「そういう理由なのか……」


 理由が、思っていたのとちょっと違った。


「まぁ、実行に移す気がないならどっちでもいいけど……いや、いい……のか……?」


 先程倒してしまった椅子を戻して再び座りながら、光はブツブツと疑問を呟く。


「……そういう意味では」


 そんな光を見る、環の目がスッと細まった。


「『暗殺しなくてはいけない者リスト』……二番目にいる貴女を先に始末する、という方が簡単ですわね」


「うおぉぁっ!?」


 今しがた直したばかりの椅子を再び蹴って、光は先程以上に大きく飛び退る。


 先程の殺気が漏れ出た程度のものであったのに対して、今回のは直接的に向けられた殺気。

 半ば以上無意識に、意識が戦闘モードに切り替わったレベルだった。


「き、君、それは流石にシャレにならないぞ……!? 思わず、やられる前にやれの精神で先制攻撃しそうになっちゃったじゃないか……!」


「ほほほ、それは残念。そうなっていたら正当防衛という理由が出来ましたのに」


「念のための確認なんだけど、それ冗談なんだよね!?」


「いやですわ、光さんったら。わたくし、光さんが自ら友人を攻撃するような方ではないとちゃんと理解しております」


「んんっ……! その信頼自体は嬉しいんだけど、この文脈だと『だからこっちから先制攻撃しますわ宣言』に聞こえちゃうんだよなぁ……!」


「貴女に危害を加える気はございませんので、安心なさって? ……今のところは、ですけれど」


「最後に付け加えられたことで、今まで安心してた部分まで安心出来なくなった……! ていうかここまでの感じ、もしかして私が『暗殺しなくてはいけない者リスト』とやらの二番目に入っているというのは冗談じゃなくてマジなのか……!?」


「逆に聞きますけれど、兄様を付け狙う女の名が載っていない理由がありまして?」


「なるほど、それは確かにな」


 ここまで怯えに彩られていた光の表情が、スンッと真顔になる。


「急に冷静になりましたわね……」


「理由もわからず友から殺意を向けられるとさしもの私も動揺してしまうけれど、理由さえわかればただの殺意だからな」


「まぁ、そうですけれど」


 これで通じる辺り、前世での殺伐さが垣間見えるというところであろう。


 ちなみに、環からの殺気はもう綺麗に消え去っている。


「……それにしても。これは、聞こうかどうか迷っていたことなんだけど」


 迷いを示すかのように、光は左右に一度ずつ視線を彷徨わせて。


「暗殺云々はともかくとして……君はなぜ、この状況で静観を貫いているんだ?」


 それから、再び真っ直ぐに環を見る。


「……この状況、と言いますと?」


 ふいと視線を逸らす環は、明らかに何の件か察しているのを誤魔化していた。


「魔王が庸一に告白して、庸一も少なくとも即座に断ったわけじゃない。というか……ぶっちゃけ、どっちに転ぶかわからないと私は思ってる。てっきり君のことだから怒り狂って妨害するか、さもなければ自分も庸一への猛アタックでも開始するのかと思っていたんだけど……」


 実際のところは、あの告白などなかったかのように振る舞っている。


 否、それどころか今までのような庸一へのアプローチもすっかり鳴りを潜めていた。


 まるで……何が起ころうと全ての結果を受け入れる、とでも言うように。


「……ふぅ」


 環は、小さく息を吐く。


「今、兄様はとても真剣に悩まれています」


 それから、そう話し始めた。


「その深慮に水を差すことは、わたくしの本意ではありません」


「……なるほどな?」


 一応、納得出来る理屈ではある。


 ただし……相手が、魂ノ井環でなければだが。

 光が知る環は、そんな小賢しい理屈など蹴っ飛ばして兄への愛を優先する女であるはずだ。


「無論」


 果たしてと言うべきか、話はそれで終わりではないらしい。


「例えば……これが茶化したような告白だったならば。あるいは半端な想いでの告白だったならば、わたくしは即座に全力で妨害に入りましょう」


 目を伏せ物憂げな表情を浮かべる環は美しく、普段の珍妙さとのギャップもあって同性の光の目から見てもドキリとしてしまう。


「けれど……魔王のアレは正真正銘、乙女の全身全霊をかけた告白でした」


 それは、もちろん光もまた感じていることだった。


「ゆえに」


 ゆえに。


(なるほど……流石の環も、本気の告白を邪魔するほど野暮ではないというわけか)


 そう、納得した光だったが。


「ここに下手に介入すれば、流石に兄様からの好感度が下がること請け合いです」


「まぁ、そんなわけはなかったよな」


 続いた言葉に、即座に納得し直した。


「……? そんなわけ、とは?」


「いや、気にないでくれ」


 視線を戻して問うてくる環に、半笑いを返す。


「普通に気になるのですけれど……」


「まぁまぁ、それより話の続きを頼む」


 環の話がこれで終わりでないことは、光も重々承知していた。


 庸一からの好感度を気にしている……それ自体は納得出来る理由ではあるものの、これまでの彼女の行動を考えればそれだけとは思えない。


「……というか」


 納得した表情ではないが、環もそれ以上追及してくる様子はなさそうだった。


「わざわざ、わたくしの口から聞かずとも」


 再び光から目を逸らし、窓の外へと視線を向ける環。


 光もつられてそちらを見るが、暮れかけた夕日が少し眩しいなと思った程度だ。


「もうしばらくすれば、わかりますわよ」


 一方、環のどこか遠くを見るような目が何を示唆しているのかはわからない。


 複雑な感情を宿して見えるそれは、前世から数えても光は初めて見る類のもので。


 そんな環を見ながら。


(……あれ? ところで、私が庸一から恋愛相談されないっていう相談に関しては?)


 今更ながらにそう思うも、流石に口には出来ない光だった。






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次回更新は1回分スキップし、次の水曜とさせてください。

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