第75話 声
「くはは、どんな作戦を立てておるものやら」
真っ暗闇の中、そんな声が降り注いでくる。
黒は、夢の世界にいた。
夢? 本当にそうなのだろうか?
なぜだか、そうではないという確信があった。
こんなにも、意識はフワフワして覚束ないのに。
(……お主は、誰なんじゃ?)
自分の中にいる、誰かに話しかける。
あるいは、自分が誰かの中にいるのか。
いずれにせよ、自分以外の存在を間近に強く感じていた。
「妾は、エイティ・バオゥ」
果たして、ハッキリとした意思を伴った声が返ってくる。
「貴様には、こう言った方がわかりやすいか?」
顔は見えない。
それどころか、どこからその声が聞こえてくるのかもわからない。
ただ、なぜか相手が笑ったのはわかった。
「かつて、人の子らに『魔王』と呼ばれた存在であると」
(魔王……?)
それは、暗養寺黒に対する呼称の一つである。
もっとも、そう呼ぶ者は酷く限られるが。
(お主は……)
確信に近い、予感があった。
(妾、なのか?)
ここしばらく、己の内に感じた酷く不吉な存在。
それが、今話している相手であると。
「そうであるとも言えるし、そうではないとも言える」
しかし、相手の返答は曖昧なものであった。
「魂が同一であることを基準に語るのあれば、妾は貴様であると言えよう」
つまり、同じ魂を共有する者同士ということか。
「今の妾は、実体を持たん存在じゃ。本来であれば、彼の者共のように貴様と統合されれ完全に一つの存在となっていたことであろう」
彼の者共、というのが黒のよく知る人物たちであることは直感的にわかった。
「じゃが、妾と人の子では情報量に……生きた年月に、差異がありすぎる。恐らく本能的に、統合されることなく別個の人格として分かれたのじゃろう」
(……いずれ、妾はお主に飲み込まれるのじゃな? 妾は、お主の全てを受け止めるだけの器を持っておらん。ほとんどが溢れて、最終的に妾はお主となる)
これも、直感的にわかった。
あるいは、無意識化である程度情報の共有が成されているのかもしれない。
「このままでは、な」
(……?)
しかし、今回の言葉の意味はわからなかった。
「そうさせぬよう、必死であがいている者共がおる」
真っ暗闇の中に、光が差す。
最初はぼんやりとしていた光景が、徐々に鮮やかになってきた。
「──!」
「──!」
「──!」
見慣れた三人だった。
声は少しも聞こえてこないが、やけに真剣な表情で何かを叫んでいる。
「──!」
「──!」
光がこちらに向けて駆け出し、庸一がそれに続いた。
こちらから、半透明の黒い触手のようなものが無数に射出される。
「──!」
恐らくは、裂帛の気合の声を出しているのだろう。
大きく口を開いた光が、手にした剣で次々と触手を斬り伏せていった。
強い輝きを纏う刀身が触れた瞬間、触手は溶けるように消滅する。
あまりに速い斬撃の軌跡は線状ではなく面状に見え、それはまるで輝く怪物が漆黒を呑み込んでいくかのような光景だった。
「──!」
やがて触手を全て切り捨てところで、光の動きが止まった。
振り下ろした剣の切っ先が、何かに阻まれて止まっているようだ。
今の黒ならばわかる。
阻んでいるのは、魔王の魔力だ。
けれど、それも一瞬のこと。
「──!」
光が強く息を吐き出すと同時に剣の輝きが一層増し、ググッと切っ先が進んだ。
「──!」
そして、気合い一閃。
振り抜かれた剣から輝きが迸り、巨大な奔流となったそれが漆黒を食い破ってこちらへと突き抜けてきた。
「ほぅ、流石は聖剣。生まれ変わっても、その力は健在か」
黒には『生まれ変わった聖剣』というくだりはちょっと何を言っているのかわからなかったが、ともかく光が手にしている剣は魔王の力に抗することが出来るらしい。
「さて……その聖剣で、妾を切り捨てるか?」
余裕の気配が伝わってくる。
たとえ生まれ変わった聖剣(?)であろうと、この身体を傷付けることは叶わないという確信を持っているのだ。
「……む?」
次いで伝わってきた気配は、疑問だった。
「──!」
「──!」
何事か──恐らく「行けっ!」といったところだう──を叫んだ光に頷き、庸一がこちらに向けて駆けてくる。
「小僧の方が……?」
どうやら、その判断が釈然としないらしい。
「捨て石か……? だとすれば、存外つまらぬ手を使うものよのぅ」
失望、そして興味を失った気配が伝わってきた。
だが、黒は理解している。
(ヨーイチ……)
庸一の目には、諦めの色など微塵も宿っていないことを。
「──!」
必死に、黒の名を呼んでいるのだと。
そう……必死に、だ。
庸一の顔には脂汗が吹き出していた。
心臓がバクバク不規則に脈打っていることまで伝わってくる。
全身から、明確な恐怖が感じ取れた。
それでも。
「──!」
庸一が止まることは、なかった。
「無駄死にじゃな」
黒の口から出たつまらなそうな声が、周囲の空気を震わせる。
(無駄な……ものか)
だが、黒の見解は違う。
(死ぬ、ものか)
これまでにも、幾度の危険を乗り越えてきた。
無論、今の状況はそんなものとは比べ物にならないのだろう。
それでも。
(妾のために危険を冒すな……などとは、言わぬぞ)
庸一は自分の元まで辿り着くと、信じて疑っていなかった。
「──!」
真っ直ぐこちらに手を伸ばした庸一が、苦悶の表情を浮かべる。
その手に、魔王の魔力が絡みついていた。
光が先程空けたトンネルが、徐々に塞がってきている。
(全ての危機を乗り越え、妾の元に辿り着くが良い)
庸一は、手を伸ばし続ける。
(妾は、お主を待っておる)
魔王の魔力が、庸一の行く手を阻む。
(いつだって、待っておる)
そう、黒はいつだって庸一を待っていた。
高校で取り巻く女子が増えても、庸一が自分の方を向くのを待った。
中学の頃、庸一の『使命探し』について行っては用件が終わるのをすぐ傍で待った。
そして、恐らく……庸一と出会う前の黒もまた、待っていた。
彼のような存在が現れてくれるのを、無意識のうちに待っていた。
自分一人の退屈な世界に入ってきてくれる者のことを、待っていた。
だから。
(ここまで来るが良い、ヨーイチよ!)
今も、庸一がここに辿り着くことを確信して待つのだ。
「……?」
戸惑いの気配が伝わってくる。
「これは……?」
塞がりかけていた魔力の穴が、逆に広がり始めていた。
「まさか貴様、自力で妾の支配を……?」
何やら驚いている様子だが、黒にとってはどうでもいい。
「──!」
庸一が、自分を呼んでいるのだ。
(ヨーイチよ、妾はここじゃ!)
ならば、それに応えるだけ。
(ここにおるぞ!)
庸一の手が伸びてくる。
「──!」
く、ろ。
庸一の唇が、確かにそう動いた。
(あぁ、なんじゃ? 何でも言うが良い? 一字一句違わず、聞き届けてやろうぞ)
たとえ聞こえずとも、庸一の言葉は聞き逃さない。
その程度、造作もないことなのだ。
(妾は、暗養寺黒なのじゃからな)
庸一が、大きく息を吸い込んだ。
そして。
「好きだ!」
その声が、
(うむ、確かに聞き届けたぞ! 好きだ、とな!)
そう……間違いなく、聞き届けたのだ。
(……………………ん?)
ゆえに。
「ふぁっ!?」
その言葉の内容を理解して、
「無駄に自信過剰なとこが好きだ! なのに肝心な時に抜けてたりするとこも好きだ! 肩書きに反してやけに常識があって、意外なくらいに思いやりがあって、ちょっと脆いところもあって、そんなところも大好きだ!」
黒の様子にも気付いていない様子で、庸一は矢継ぎ早に叫ぶ。
「お前の強さが、好きだ!」
恐らくは、二人を阻む魔力が薄くなってきていることにも気付いていないのだろう。
「お前は!」
必死の形相で、手を伸ばし続けていて。
「魔王如きには負けないくらい、強い!」
こちらからも、手を伸ばして。
「なぁ、そうだろ!?」
二つの手が。
「暗養寺、黒!」
ついに、重なった。
「く、ふふっ」
「今の言葉……半分くらい悪口じゃろが、痴れ者めが」
なんだかくすぐったくて、思わず漏れた笑みだった。
「全く以て、無礼な奴よの」
目を閉じる。
「出会った時から変わらず」
蘇ってくるのは、出会い頭に「んげぇっ!?」などという声を向けてきた少年の姿。
「お主の言葉は、妾の心の奥底にまで入り込んできよるわ」
目を開ける。
「……黒、なのか?」
あの時の面影を残しながらも随分と成長した顔に、ポカンとした表情が浮かんでいた。
「何を、間抜け面を浮かべておるか」
黒は、笑みを深める。
「妾を呼んだのは、お主じゃろう?」
不敵な笑み。
「妾が、暗養寺黒であるぞ」
庸一は、一つ目を瞬かせて。
「……あぁ」
そして、微笑んだ。
「おかえり、黒」
その瞬間、黒の身体を覆っていた漆黒の魔力が一気に霧散する。
「兄様! いけます!」
環の声が聞こえたかと思えば、自身の中の
(……お主)
完全に消えてしまう前に、語りかける。
(最後、もしやお主の方から……?)
(くはは、異なことを)
己が内から、笑う気配が伝わってきた。
(我は『魔王』エイティ・バオウ。奪うことがあっても、譲ることなぞあるものか)
(……そうかえ)
同じ身体にあっても全てが伝わるわけでもなく、それが本当なのかはわからない。
だがいずれにせよ、黒はこの相手に妙な親近感を抱いていた。
それは、己の身体に同居しているから……と、いうだけではなく。
結局のところ、彼女と自分は同じ存在なのだと理解したから。
価値観・生き方・考え方、全てが異なりはする。
けれど、それは結果論でしかないのだと思う。
──あぁ、壊したいものじゃのぅ
事実、かつて「この世界を壊したいのか」と問われた際に黒はそう答えたのだから。
こんな退屈な世界、壊せるものならば壊したいと思った。
きっと彼女は、あの頃の黒の延長上にある存在だ。
もしも当時、自身に宿る力に気付いていれば。
あるいは、あの頃のまま時を重ねて暗養寺の大きな力を継ぐことになっていたら。
黒も、彼女と同じような道を歩んだのかもしれない。
だが、そうはならなかった。
なぜならば。
「黒……良かった……」
力尽きたかのように気を失った、この少年と。
──俺が、止める
あの日、出会ったから。
(のぅ、お主よ)
庸一の身体を抱きとめながら、己が内の存在へと再度呼びかける。
(この世界は、本当に退屈かえ?)
退屈を何より嫌う彼女へと、問いかける。
(くははっ)
その笑い声を最後に、彼女の言葉が返ってくることはもうなかった。
けれど、それ自体が答えであるような気がして。
「あぁ、そうじゃろうとも」
黒は、微笑んだ。
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次回更新は1回飛ばして、来週の土曜とさせてください。
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