第73話 畳み掛け

 無事に黒のツッコミ……そして環の名前まで彼女の口から引き出し、庸一と環の目には前向きな色が戻ってきていた。


「よーし、この調子だ! 環……は、いつも通りでいい!」


「いつも通りでいいんですの……?」


 続く庸一の言葉に、環は不思議そうに首を傾げる。


「あぁ、たぶんお前の場合はその方が効果的はずだ……!」


 庸一としては、半ば以上確信を持っての発言であった。


「では、兄様の香りをひたすら嗅いでいれば良いのですね!」


「うん……うん?」


 それも環らしいと思って頷きかけて、「なんかおかしいな?」と思って首を捻る。


「では、失礼して……!」


 ワクワクした顔で、環が正面から抱きついてきた。

 身長差的に、庸一の胸の辺りに環の顔が来る形である。


「クンクンスハスハ……」


 早速、環の鼻息が荒くなり始めた。


「………………」


 それを、黙って受け入れる庸一。


「クンクンスハスハ……」


「………………」


「クンクンスハスハ……」


「………………」


「クンクンスハスハ……」


「………………」


 しばし、ただひたすらにそれだけの時間が続いた。


「……いや、無言やめてくれる!?」


 場を支配する沈黙に耐えかねて、真っ先に庸一が叫ぶことになる。


「ていうかなんか流れで頷いちゃったけど、よく考えたらいつもはこんなことしてないだろ! 変なとこで変化球投げてくんなよ!?」


 黒を待つ前に、思わずツッコミを入れてしまった。


「クンクンスハスハ……はにゃぁん……にゃーん……にゃーん……にゃーん……」


「……いやなんかソヤツ、変な感じにトリップし始めとらんか!? ちゅーか、単純にちょっと気持ち悪いんじゃが! だいぶコヤツの奇行にも慣れてきたような気がしておったが、完全に気のせいじゃったわ!」


 と、ようやく黒のツッコミも入る。


「いや待て黒、気持ち悪くはないだろ。むしろ可愛いだろ」


「ほんでお主のその、魂ノ井に対してだけガバガバになる常識何なんじゃ!?」


 別にボケたつもりはなかったのだが、またツッコミが入った。


「……ん?」


 若干傍観者気味になっていた光が、そこでふと天を見上げる。


「神託……? 神よ、この危機を乗り越える知恵を授けてくださるというのですか……!? はい……はい……え? 魔王が……? 武器……? あのすみません、もう一度……あの、ちょっと声が遠いようで……あっ、そっちも聞こえづらい? じゃあ、お互いもう少し大きな声で……あっはい! お互い! 大きな声で! って、神よ? もしもーし、神よー? 聞こえていますかー? あれっ、これ一旦切った方がいいのかな……?」


「えーい、ボケの欲張りセットか!? お主ら、全部盛りな感じやめい!」


「あっ、でもなんか魔王に効いているみたいです! ありがとうございます神よ!」


 またも飛び出した黒のツッコミを受けて、光は宙に向けてペコペコと頭を下げた。


「ふぇっふぇっ……」


 そんな中、笑い声と共に場に新たな人物が現れる。


 それは、誰あろう。


「売店の婆ちゃん……!?」


 麓の売店の店主であった。


「婆ちゃん、ここは危ないから……!」


 慌てて、退去を促そうとする庸一であったが。


「おやおや……もう、始まっていた・・・・・・とはねぇ」


「えっ……?」


 黒いオーラ的なものを纏う少女、という異常事態を見ても動じず……それどころか意味深な言葉を口にする老婆に、庸一は一つの可能性に思い至る。


「まさか、魔王のことを……知って、るんですか……!?」


 それも先の発言は、まるでこの状況を予期していたかのようだった。

 思えば、売店でも宿泊施設でも妙に意味深な物言いをしていたような気がする。


「魔王の人格が目覚めた理由を、知ってるっていうんですか……!? もしかして、それをどうにかする方法まで知ってるから来てくれたとか……!?」


 かなりの希望的観測であることは、自覚している。


「ふぇっふぇっふぇっ、いかにも」


 しかし老婆は大きく頷いて、庸一の表情がパッと明るくなった。


「あたしゃ、米村マオと申しますが?」


「いや、そんなことは聞いてないです!?」


 かと思えばなぜか突如自己紹介を始めた老婆に、思わずツッコミを入れてしまった。


「……待て、庸一」


 とそこで、顎に指を当て思案顔となる光。


「マオという『魔王』と似た響きの名を持つ人物と接触したことによって魔王の人格が刺激され、その結果表に出てくるようになったという可能性は……?」


「ないだろ!? そんな覚醒理由嫌すぎるわ!?」


 真顔でトンチキな推測を述べる光にもツッコミを入れる。

 状況を考えれば黒のツッコミを待つべきなのだろうが、庸一とてボケをあまり放置出来る性分ではないのであった。


「そんなことより……婆ちゃん、さっきの『始まっていた』って言葉の意味は……?」


 気を取り直し、先の発言の真意を確かめようと老婆の方へと目を向け直す。


「えぇえぇ、もう紅葉が始まっておりますなぁ……」


 するとそこには、フルフルと震える指でめちゃくちゃ緑色の葉が生い茂っている木々を指し感慨深げな表情を浮かべる老婆の姿があった。


「あっ駄目だこの人、たぶんちょっと状況認識に難がある感じの方だ!」


 先の発言も別に意味深でもなんでもなかったと、なんとなく察した庸一である。


「えぇそうです、あたしゃおはぎはこしあん派でねぇ」


 見えない誰かと会話しながら、老婆はゆったりとした足取りでその場を去っていった。


「……いや、結局何の関係もなかったんかい!?」


 一瞬遅れて、黒のツッコミが入る。


「ついに部外者までボケ始めたんじゃが!? 二重の意味で!」


 ぜぇはぁ……何度も叫んだせいか、黒の息が切れ始めた。


「くっ……!」


 大きく顔を俯ける黒。


「……よもや」


 少しだけ間を空けた後、再びゆっくり顔が上がってきた。


「よもや、この妾が……」


 改めて確認するまでもなくわかる。


「このような馬鹿らしいことで……追い詰められようとはな……!」


 苦悶に歪むその顔は、またも魔王のものに戻っていた。


 場の緊張感が、一気に高まる。


「んんっ……! それについては、本当にすまない魔王……! かつて君を滅ぼす使命を負っていた身としては、正直この状況を心苦しく思っている……!」


「ほほほほ! 手段など、どうでもいいのです! 勝てば官軍、この世界には良い言葉がありますわねぇ! 魔王、今どんなお気持ちですの? おほほほほほ!」


「だから君それ完全に悪役側の台詞だからな!?」


 場の緊張感が高まったのかは、非常に微妙なところであった。


「……認めよう」


 徐々に、魔王の顔から苦悶の色が薄れ始める。


「確かに、貴様らの言葉には妾の中にいるもう一人の妾を呼び起こす力があるようじゃ」


「力というか……うん、まぁ、うん……」


 その力の正体が『ボケ』であるためか、光は大層微妙そうな表情であった。


「く、はは」


 対照的に、魔王の表情は楽しげな笑みに変化していく。


「そしてもう一つ、認めよう」


 その瞳が、初めて庸一たちのことをまともに映したような気がした。


「貴様らは、妾の敵たり得ると」


 尊大ながら、その目には新しいオモチャを見つけた子供のような煌きも見て取れる。


「喜ぶが良い? 妾が敵と認める存在なぞ、初めてじゃからな」


「こんなので認められちゃったかー……ていうか、前世の私たちは認められてなかったのかー……まぁ、最後の不意打ち以外は結構押されてたしなー……」


 光の表情が、ますます微妙なものとなった。


「さぁ、存分に妾の退屈を紛らわせよ」


 この状況にありながら、魔王の余裕は崩れない。

 というか、ここまでで一番活き活きしているようにさえ見えた。


「我が力よ! 吹き荒れよ!」


『っ!?』


 詠唱通り暴風の如く吹き荒れた漆黒を、庸一たちは大きく跳んで回避する。


「どうじゃ、速度も範囲も先程までとは比べ物にならんぞ?」


 魔王が、ニヤリと笑った。


「この状況で、まだ珍妙なことをする余裕はあるのかのぅ?」


 魔王の口調は挑発的というよりも、純粋に結果を楽しみにしているように感じられる。


(ぐっ……! 実際、これをされるとキツいな……!)


 一つ一つの威力よりも手数が重視されているようだが、どうにか避け続けることは可能だ。

 しかし逆に言えばそれで手一杯であり、ボケる余裕など全くないように思えた。


「チィッ……!」


 環も舌打ちするだけで、状況を打破する手は持っていないらしい。


「せめて聖剣さえあれば、この程度の攻撃問題じゃないんだが……!」


 光が悔しげに呻く。


 聖剣……それは、勇者にのみ扱える武器。

 魔王を滅ぼすことが出来る、唯一の存在である。


 たとえ滅ぼすのが目的でないとしても、魔王に対してはに大いに役立つことだろう。


 だが、しかし。


(ないものねだりをしてもしゃーないだろうよ!)


 残念ながら、聖剣は前世の世界にしか存在しないのである。


「ん……? なんだ……?」


 庸一が内心でそんなことを考えていたところ、光がふと明後日の方向に目を向けた。


「こっちから、何かが……? って、うわっ!?」


 進路をそちらに変更したところで何かに躓いたらしく、大きく体勢を崩す。


「ちょっと光さん、転んだのが原因で死ぬとかシャレになってないダサさですわよ!?」


「わ、わかってるよ!」


 どうにか持ち直して回避を続けているが、実際今のはかなり危なかったように見えた。


「ただ、何かに呼び寄せられたような感じがして……」


 転倒しかけた原因は、どうやら例の木刀だったらしい。

 躓いた拍子に宙に浮いたそれを、光が咄嗟にといった感じでキャッチする。


「……えっ?」


 そして、その顔が驚きで彩られた。


「天光剣……?」


 どこか呆然とした様子で、光はその木刀を見つめている。


「光、こんな時に何を……!?」


 流石に、庸一も尋ねずにはいられなかった。


「貴女マジで舐めてますの!? そんな木刀で遊んでいる場合ではないでしょう!?」


 環に至っては、概ね全ギレである。


「……違う」


 それに対して返ってきたのは、静かな否定の言葉だった。


 木刀に目が釘付けになったままなのに、光は魔王の魔法を上手く回避している。

 むしろ、全て見切っているかのような危うげなさだった。


 ……というか。


(あれ……? なんか魔王の魔法、弱まってる……?)


 庸一も、いつの間にか避けるのが楽になっていることに気付いた。


 その理由にも、少しだけ心当たりがある。


(なんか……もう、現時点でツッコミどころの気配しかしねぇんだよなぁ……)


 光と木刀という組み合わせから、そんな予感がするのだった。


「違うんだ」


 そんな中、光は何やら確信に満ちた呟きを漏らす。


『……?』


 庸一と環は、疑問の視線を交わし合わせた。


 ──コイツ、何言ってんだ?

 ──さぁ……?


 前世も含めれば長い付き合いだけに、お互いのそんな意志が伝わり合うのがわかる。


「あぁ、そうか……先程、神が言っていたのは……」


 一方の光は、引き続き独りごちていた。


「やっぱり私は、間違ってなかった……出会った時から、始まっていたんだ」


 そして、なぜか晴れやかな笑みを浮かべる。


「おかえり」


 光が、木刀を天に掲げた。


 その瞬間、木刀が強い輝きを放つ。


 それはまるで、木刀自身を燃やし尽くすかのようで。


 やがて、その輝きが収束した時。


「いや……おかえり、とも違うかな」


 いつの間にか、光が手にしているのは白銀の剣になっていた。


 否、正確にはそうではない。

 木刀全体が魔力で覆われており、それが剣の姿を形作っているのだ。


 よく見れば、その奥に薄っすらと元の木刀の姿も確認出来る。


「また出会ってくれて、ありがとう」


 光が、愛おしげに刀身の腹をそっと撫でた。


(……んんっ?)


 その段に至り、庸一も気付く。


 かつて……前世の頃に、その形状によく似た剣を見たことに。


(いや、まさかそんなはずは……)


 そう、心中でで否定しようとしたが。


「私の聖剣、エルビィ・ブレード」


 光が口にしたのは、庸一が考えていたのと同じ内容だった。


「いや……そう呼ぶのは少し違うな」


 光は、ゆっくりと頭を振る。


「私はもうエルビィ・フォーチュンではないし、君だってかつてと同じじゃないものな」


 一瞬思案顔となった後、すぐに何かを閃いたような表情となる。


「ゆえに……天光ブレード。君のことを、この世界ではそう呼ぶことにしよう」


 そう口にする光は、とても良い笑顔であった。


「この世界でも共に戦ってくれ、天光ブレード!」


 それから、表情を引き締めて。


「はぁっ!」


 気合一閃、横薙ぎに木刀……もとい、聖剣を振り抜いた。


 同時に聖剣から強い輝きが噴出し、それに触れた魔王の魔力はたちまち消え去っていく。

 一陣の風が霧を吹き飛ばすかのように、吹き荒れていた漆黒は霧散し魔王の周囲を漂うものを残すのみとなった。


「よし……! これなら、いける! 魔王にも対抗出来るぞ!」


 自信に満ちた顔で、光はグッと拳を握る。


 回避の必要がなくなったことで、庸一と環も足を止め。


「えっ? なに、結局どういうこと?」


 庸一は、なんとなく答えは予期しながら……ゆえに、若干の頭痛を感じながら尋ねた。


「あぁ、この天光剣……実は、エルビィブレードが転生した姿だったんだ。恐らく私たちとは転生した時期がズレたせいで、長らく私のことを待ってくれていたんだと思う」


 果たして、ドヤ顔の光から返ってきたのは予想通りの言葉で。


『いや、剣の転生ってどういう概念!?』


 庸一と黒の、ツッコミの声が重なった。

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