第72話 連れ戻すために

 魔王の口から、環へのツッコミが発せられて。


「………………今の、声」


 唖然としたような表情で、魔王は自分の口元に触れる。


「妾が、発したのか……?」


 意図してのものではなかったらしく、彼女も困惑の最中にあるようだ。


「……どうやら、黒の人格が別で残ってるってのはマジみたいだな」


 先の黒の・・声で、庸一は確信を抱いた。

 暗養寺黒との日々が、確認を抱かせた。


 希望は、まだあると。


「……ふっ」


 そんな庸一を嘲るように、魔王が笑った。


「なるほど確かに、妾の中に別の人格が存在するというのは事実のようじゃ」


 それだけを聞けば、希望を確固たるものにする言葉。


「じゃが」


 けれど。


「それが、どうした?」


 実のところ、庸一の胸に生じたのは希望とは真逆の感情だった。


「妾自身にその認識がなかったがゆえ、先は少々虚を突かれたが……己が内にいる何者かを押さえつける程度、この妾に出来ぬとでも?」


 魔王の、傲慢とも取れる表情。

 しかしそれは、恐らく彼女の自信の表れだ。


 その言葉に一つの嘘もないと、否応無しに理解させる圧倒的な強さを感じる。


「さて」


 何気ない調子で、魔王が軽く手を上げる。


「我が力よ」


 ゾワリ。

 背筋が震えた瞬間には、反射的に後ろへと跳んでいた。


「羽虫を散らすが良い」


 直後、庸一がいた場所を漆黒が駆け抜ける。


 今までのような漏れ出るままの漫然とした魔力とは違う、明確な指向性を持った『魔法』。

 その直線上にあった全てが、跡形もなく消失した。


 庸一が避けられたのは、奇跡……というより、ただの偶然に近い。


「どこまで保つか、見ものじゃのぅ?」


 魔王の顔に浮かぶのは、甚振るような嗜虐的な笑みだった。


「や、やめろ黒! お前は、こんなことする奴じゃ……」


「我が力よ」


 今度は庸一の声に反応を示すことすらなく、魔王に先のような揺らぎは一切感じられない。


「全てを無に帰せ」


 今度は、背筋が震えることさえなかった。


(駄目だ、避けれねぇ……!)


 前世では何度か経験している、死に際の思考加速。

 既にそれが始まっているらしく、妙に客観的に己の死という事実を理解した。


 視界は白黒で、全てがスローモーションに見える。

 いつの間にか、音は一切聞こえなくなっていた。


 魔王の身体を中心として、半球状に漆黒が広がる。

 スローモーションの世界にあってさえ、庸一ではほとんど視認出来ない程の速度だった。


 漆黒は、そのまますぐに庸一のところまで到達する……かに思えたが、実際にはそうはならなかった。


 自分の前に、誰かの背中が割り込んできたから。


 それを認識した瞬間、世界が色と音を取り戻す。


「破魔の力よ、ありったけを!」


 目の前に立っているのは、全身を強く輝かせた光であった。

 濁流の中に聳える大岩のように、光の存在が漆黒を切り裂き庸一を守っている。


「わ、悪い、助かっ……」


「魔王よ」


 漆黒が全て過ぎ去ったところで礼を言おうとしたが、光は振り向く気配もなかった。


「そういえば、前回・・は問答をする暇もなかったな」


 真っ直ぐ前を見据えたまま、魔王に話しかける。


「今回も、問答をするつもりなぞ妾にはないが?」


 魔王はつまらなさそうな表情ではあったが、ちゃんと答えを返すのは彼女からしても光に対しては何か思うところがあるからなのだろうか。


「まぁそう言うな、今は友人関係……だったんだ」


 なぜだろうか。

 光が最後を過去形で終わらせたことに、庸一は酷く嫌な予感を覚えた。


「妾には関係ないな」


「なぁ、魔王」


 魔王の言葉を無視して、光は引き続き語りかける。


「君はなぜ、人類を憎む?」


「憎む?」


 ピクリ、魔王の頬が動いた。


「この妾から憎まれるに足る存在じゃと考えるとは、随分と傲慢なことよのぅ?」


 魔王が、その口角を少し持ち上げる。


「……違うというのか?」


 庸一から見えるのはその背中だけであり、光の表情はわからない。


「ならば、なぜ……人間界に、侵攻した?」


 抑揚の少ない声に如何なる感情が込められているのかも、読み取れなかった。


「退屈じゃから」


 対する魔王の目には、言葉通りの倦怠が浮かんで見える。


「……退屈?」


 光が、グッと強く拳を握った。


「ま、暇潰しの一環というやつじゃの。お主らも幼い頃、戯れに虫や動物を飼うてみたりはせんかったか? それと、似たようなものじゃ」


「……ならば君は、生まれ変わったこの世界でどう過ごす?」


 未だ抑揚が少なくはあるが、その声には爆発的な感情が籠っているように聞こえる。


「ふむぅ……? そうか、今の妾は……別の世界に転生、したということか」


 どうやら魔王は、今更ようやくその事実に気付いたらしい。


「そうじゃなぁ、人の子らを支配するというのも存外退屈じゃったしのぅ」


 魔王は、そこに答えを探すかのように一度視線を左右に動かした。


「今度は、妾以外の生命を根絶やしにするのも一興か?」


 恐らくは、単なる思いつきだろう。

 しかしそれを口にした瞬間彼女の目にほんの少しだけ楽しげな色が浮かび、本気で実行しかねない気配が感じられた。


「……そうか」


 一度力なく手を開いた後、もう一度……先程以上に強く強く、光の拳が握られる。


「庸一」


 背中越しに、光が振り返ってきた。


「魔王……いや」


 いつもの印象とは全く異なる、冷たささえ感じる無表情。


「暗養寺黒のことは」


 嗚呼、それは恐らく天ケ谷光ではなくて。


「諦めよう」


 エルビィ・フォーチュンとしての表情なのだろう。


 『勇者』としての言葉だったのだろう。


「………………えっ?」


 知らず、呆けた声が口から漏れ出る。


「やはり魔王は、今ここで絶対に止めねばならない存在だ」


 言葉の内容は、理解出来ていた。


「光……? 何、言ってんだよ……?」


 それでも、問い返さずにはいられなかった。


「申し訳ありませんが、兄様……今回ばかりは、わたくしも光さんに賛成です」


 光の隣に、環が並び立つ。


「魔王が魔法まで行使し始めた以上、いつまでも逃げ回れるわけでもありません。我々が五体満足でいる今のうちに、目的を殲滅に切り替えるべきかと。黒さんを取り戻せる可能性は……正直、高いとは言えないようですし」


「……それ、は」


 なるほど、その通りである。


 庸一だって、理解している。

 理性でも、本能でも。


 それでも。


「そんなこと……ないよな、黒?」


 そんなことは、認められるわけがなくて。


「なぁ、黒……答えてくれよ。そこに、いるんだろ?」


 頬を引き攣らせながら、震える声で呼びかける。


「答えろよ、黒……」


 魔王は退屈そうな目を向けてくるのみで、少しも言葉が響く様子はない。


「やっぱり俺たちは……殺し合う運命だってのかよ……」


 絶望、悲しみ、怒り、悔しさ。

 様々な感情が、胸に渦巻いていた。


「そんなのは、一回死んで全部なくなったんじゃねぇのかよ……!」


 徐々に、声が荒ぶっていく。


「この世界じゃ、ダチになれたんじゃなかったのかよ!」


 ついには、叫び声に。


「答えろ! 暗養寺黒ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


 声が枯れんばかりに咆哮しても、やっぱり魔王には……黒には、届かなくて。


「チッ、クショウ……!」


 膝を付き、庸一は拳を地面に叩きつけた。


「兄様……」


 そんな庸一に、環が痛ましげな目を向ける。


「少し不謹慎ですが……こういう表情の兄様もゾクゾクするほど素敵ですわぁ……」


 別に痛ましげな目ではなかったようである。

 と、そこで。



「いや、少しってレベルじゃない不謹慎さじゃろどう考えても!? ちょっとだけ自覚しとるとこが逆にタチ悪いわ! ちゅーかこの場面でその台詞て、お主自由過ぎか!?」



 そんなツッコミが入った。


 魔王……否。

 暗養寺黒から。


『………………は?』


 一同の疑問の声が重なる。

 その中には、魔王のものも含まれていた。


「馬鹿な……妾の支配を脱した……じゃと……?」


 むしろ、一番呆然とした表情を浮かべているのが魔王とさえ言えるかもしれない。


「……まさか」


 そんな姿を見て、庸一はピンと一つの可能性に思い至る。


そういうこと・・・・・・なのか?」


 自分でも、信じがたい仮説ではあったが。


「昔から、黒は一定以上場のボケ濃度が高まるとツッコミを入れずにはいられない奴だった……その習性が、魔王の支配をも上回るとすれば……?」


 先程もツッコミを入れた際に黒が出てきたことを考えると、辻褄は合う……気がする。


「流石兄様、シャープな視点ですわね! 賭ける価値はありますわ!」


「えぇ……? 魔王の支配、そんなのに上回られるの……?」


 環が即座に庸一の考えに同調する中、光はちょっと嫌そうな顔をしていた。


「実際、さっきの俺らの呼びかけより全然効いてる感じがするだろ?」


 庸一が目を向ける先で、魔王は未だ戸惑った表情である。


「よし……!」


 決意と共に、庸一は立ち上がった。


「ボケるぞ! どうにか黒のツッコミを引き出すんだ!」


「嘘でしょ、そんなヒロイン救出方法ある……?」


 その提案に、光は半笑いとなる。


「兄様が望むのであれば、わたくし全力でボケましてよ!」


 対照的に、環はやる気満々の表情であった。


「以前、冒険者ギルドのカウンターで『モチャマロンウください!』なんて言っている男性がいましたの。だからわたくし、『ここは冒険者ギルドですのよ?』って注意して差し上げたんです。そうしたらその男性、次にこう言ったんです。『モチャケッチョパロ』って。おほほほほ! どうです、おかしいでしょう?」


「スマン、環……! 今必要なの、そういう小粋なジョーク的なのじゃないんだ……!」


 環から目を背け、庸一は光の顔を見やる。


「こういう時に頼りになるのは、やっぱり光だよな! さぁ、いつもみたいについイジりたくなってしまうようなボケを放り込んでくれ!」


「こんなことで頼りになると思われたくないんだが!? というかそもそも、普段から意図的にボケてるわけでもないんだが!?」


「あら光さん、そうでしたの……?」


「あ、あぁ……それは悪かった……」


「私、ずっとボケていると思われていたのか!? ていうか、ちょっと気まずい感じになるのやめて!? なんか私が可愛そうな子みたいになっちゃうだろう!?」


「いやお主ら、こんな時にわっちゃわっちゃするでないわ!? あと魂ノ井、さっきのジョークの笑いどころisどこ!? せめて一ボケ一ツッコミどころに留めんか!」


 魔王……ではなく黒が、再び叫んだ。


「よっしゃ、ツッコミ入ったぞ!」


「わたくしの名前も引き出しました! かなり黒さんの人格が表に出てきてますわよ!」


 庸一がガッツポーズを取り、環も手を叩く。


「一体何の勝負なんだ、これは……」


 一方の光は、脱力した感じになっていた。

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