第71話 魔王
「……黒?」
庸一は、苦しそうに俯く黒へと呼びかける。
それだけに留めたのは、黒の切羽詰まった叫びに止められたから。
……だけではなく。
なぜなのだろうか。
かつて冒険者として過ごしていた頃に培われた危機察知能力が、全力で警鐘を鳴らしているのは。
「一体、どうしたってんだよ……?」
本能は、すぐにでもこの場を離れろと喚き立てている。
それを、理性で抑えつけた。
「なぁ、黒……?」
黒に向けて、手を伸ばした瞬間。
「っ!? 兄様!」
「庸一!」
環が叫び、光が庸一の肩を後ろから掴んで強く引いた。
引き倒される形で、庸一は光の少し後方で地面に尻を着く。
同時に光は木刀を前に突き出し、防御の構えを取った。
直後。
「ぐ、あっ!?」
黒の身体から吹き出した『漆黒』に、光は成すすべもなく吹き飛ばされる。
手にしていた木刀も、光とは別方向に飛んでいった。
そんな光景を視界の端に映しながら、庸一は目の前の存在を呆然と見つめる。
「嗚呼」
「随分と」
「長い、夢を見ていた気分じゃ」
爛々と光る、紅い瞳。
「平和な世界」
つい先程まで見ていたものと、変わらないはずなのに。
「争いのない生活」
なぜだろうか。
「笑い合う日々」
その瞳が、やけに不気味に感じられるのは。
「嗚呼、なんとも」
直感的に、理解する。
「退屈なことよのぅ」
決定的に、
「なんとも、壊しがいのある退屈よ」
「さて」
暗養寺黒ではなく。
「このつまらぬ夢、終わらせるとしようか」
魔王……エイティ・バオウ。
「簡単には、死んでくれるなよ?」
ニッと不敵に笑って、庸一に向けて手をかざす。
何もせずとも可視化されるレベルで漏れ出ている漆黒の魔力が、その手から噴出した。
(……あ)
瞬間、庸一は理解する。
前世での経験。
そして、現世での鍛錬。
(これ、俺、死……)
そんなものは、
久しく忘れていた無力感。
前世では常に付き纏っていたそれを、思い出した。
庸一の二度目の生は、ここで終わりを迎える。
またも、何を成すこともなく終わる。
そう、覚悟を決め……否。
諦観を、受け入れざるを得なかった。
けれど。
「兄様っ!」
あの時とは、逆の構図と言えるのかもしれない。
「我が魂よ!」
目の前に、自分より幾分小さな背中が立ちはだかる。
「その全てを賭してでも、絶対なる盾を!」
両手を翳した瞬間、彼女の目の前に障壁が展開された。
それがギリギリで漆黒を防いでくれて、自分は命を失わずに済んだらしい。
「メーデン……」
黒いローブに包まれたその後姿から、妹の名を呆然と呟く。
「……っ!?」
しかし一瞬の後、それが幻視の類であったことに気付いた。
「環っ!」
今の彼女は、小堀高校指定のジャージを着用した女子高生なのだから。
「馬鹿っ、無茶すんな! 俺のことなんて放って……!」
「それは出来かねます!」
「お前、こんな時まで……!」
ブラコンを拗らせた妹に、ジリジリと心が焦れる。
「実際、わたくしが今、兄様をお守りしている理由の大半は、わたくしの個人的な気持ち……兄様を二度も失いたくない、という想いからです……!」
息も絶え絶えになりながら、環は背中越しにそう語ってきた。
「ですが!」
真剣味を帯びた声色は、庸一に甘えてくる『魂ノ井環』のそれではなくて。
かつて勇者と共に旅立った、『メーデン・エクサ』のものと同じ響きであった。
「理に従って考えても、ここで兄様という戦力を失うわけにはいかないのです!」
「は……?」
半ば無意識に、呆けた声が漏れる。
まさか自分が、魔王に対しての『戦力』とカウントされる日が来るとは思ってもみなかったためだ。
「恐らく、この世界で魔王に抗える可能性があるのはこの三人だけなのですから……!」
けれど、そう言われてハッとした。
確かにエフ・エクサは前の世界において下から数えた方が早い程度の力量しか持っていなかった。
けれど、魔王の脅威を正しく認識している人間ではあった。
この世界においてその条件に該当する者は、転生者のみ。
そして魔王の脅威を正しく認識していない者が魔王と対峙した場合、恐らく高確率でそれを理解した瞬間には死んでいる。
そういう意味で、囮になるなり盾になるなりで多少なりとも役に立てる可能性があるだけで十分『戦力』と呼んで良いのかもしれない。
「とはいえ、このままではジリ貧ですわ……!」
ギリッ、と環が歯を食いしばる気配が伝わってきた。
「聞いていますの、光さん!? 先程から、半分は貴女に言ってますのよ!? もしさっきの攻撃で死んだようでしたら、魂引き抜いて永遠の苦しみを与えてやりますわよ!?」
環の口調が荒ぶる。
それは恐らく、『戦友』に対する気安さゆえなのだろう。
本人は否定するかもしれないが、彼女は間違いなく庸一に対するものとは別ベクトルの敬愛を光に対して抱いている……と、庸一は思っっている。
「げほっ……ふ、ははっ……それは、ちょっと勘弁願いたいな……」
少し咳き込んだ後、笑いながら光が立ち上がった。
「危なかった……魔王に引っ張られてこの場の魔素濃度が前世と同程度にまで上がっていなければ、さっきの一撃で死んでいたかもしれないな……」
調子を確かめるように手を開閉させる彼女に、ひとまず深い傷はなさそうだ。
「そんなわかりきったことを呟いている暇があったら、とりあえずこの状況をどうにかなさいな! 貴女、それだけが取り柄でしょう!」
「君、こんな場面なのに私に辛辣すぎない!?」
二人のやり取りだけを聞けば、ここがいつもの談笑の場なのかと勘違いしそうになる。
「破魔の力よ!」
けれどもちろん、そんなはずはなくて。
「拳に宿れ!」
表情を引き締めた光の手が、淡く輝き始めた。
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
裂帛の気合いと共に環を追い抜き、障壁とせめぎ合っていた魔王の魔力に向けて拳を振るう。
輝きが、漆黒を一気に吹き飛ばした。
「ふぅ……」
環も障壁を消し、ようやく一息つくことが出来たようだ。
「……あぁ」
そこで魔王が、ふと片眉を上げた。
「少し、思い出してきた」
その瞳が、どこかぼんやりと庸一たちのことを映す。
「妾を殺したのは、貴様らであったな」
自らの死についてに話しているというのに、至極どうでもよさげな口調であった。
「くぁ……」
それを証明するかのように、魔王は大きくあくびする。
「にしても、なんとも退屈な存在に成り果てたものよのぅ……」
光に向ける目は、言葉通りつまらなそうなものだった。
「なんじゃ、その腑抜けた面は?」
そこには、落胆のような感情も垣間見える。
「くっ……! 確かに、光の顔が前世の頃に比べて無茶苦茶腑抜けてるってのは俺も常々思っていることではあるからな……! それを言われると辛い……!」
「全く反論出来ませんわね……!」
「君たち、どんな時でも私をイジらないと気がすまないのか!?」
「事実なんじゃし、別にイジりでもないんじゃないかえ?」
「魔王まで!?」
と、いう光のツッコミに対して。
「……?」
魔王は、不思議そうに目を瞬かせて己の口元に手を当てた。
『……?』
その行為の意味がわからず、庸一たちも眉根を寄せる。
「ふむ……?」
引き続き、不思議そうに首を傾けてから。
「まぁ、よい」
気を取り直したのか、魔王はニィと口角を上げた。
「せっかくじゃ、存分に遊ぼうぞ?」
魔王の纏う魔力が、脈動するかのように一瞬強く揺らめく。
かと思えば、そこから触手のように無数の漆黒が飛び出して庸一たちへと襲いかかってきた。
『っ……!』
三人、それぞれ大きく跳躍してどうにかそれを回避する。
「ほれほれ、どうした。妾は、まだ魔法すら行使しておらんぞ?」
言葉通り、魔王は未だ垂れ流しの魔力を操っているだけ。
「少しは妾を楽しませるが良い」
手を抜いているのは、明らかだった。
「魔王……! 君に何があったというんだ!? なぜ急に私たちを攻撃する!? 少しは友誼を結べたと思っていたのは、私の幻想だったと言うのか!?」
「はぁん……?」
光の叫びに、魔王は怪訝そうに眉を顰める。
「戯言を。貴様らとは、最初から最後まで殺し合う間柄でしかなかったであろう」
「……?」
魔王の言葉に真っ先に反応したのは、環であった。
「まさか魔王、この世界での記憶が……?」
暴れまわる魔王の魔力を避けながらも、思案顔で呟く。
「で、あるなら……もしかしたら……」
それが、何かを思いついたような表情に変わった。
「兄様! 光さん! どうにか、魔王……黒さんの人格を表に引っ張り出してくださいまし! もしかすると、それでどうにかなるかもしれません!」
「人格……!?」
「今のこいつは、黒とは別の人格ってことか……!?」
同じく魔力を避けながら、光と庸一が疑問を返した。
「仮説でしかありませんが……! 黒さんが魔王の人格を抑えてくれるようなことがあれば、どうにか魔王の人格だけを魂の奥底に封じられる……かも、しれません……!」
環の言葉は、珍しく自信なさげなもの。
「わかった、可能性があるのならそれに賭けよう!」
それでも、庸一は大きく頷く。
『友人』と戦わずに済むのなら、何でも試す価値はあると言えよう。
「黒! そこにいるんなら、目を覚ませ!」
魔王へと……黒へと、呼びかける。
「戻ってきてくれ、黒!」
「くはは、何を面妖なこと……を……?」
言葉の途中で、魔王は目眩でも覚えたかのようにクラリとよろめき頭に手を当てた。
「なんじゃ……? 今、頭の中に覚えのない光景が……妾が、コヤツらと……?」
暴れまわっていた魔力も、僅かに勢いが弱まる。
「流石ですわ、兄様! 効いているようですわよ!」
「よーし、なら私も……!」
環と光の表情も、前向きなものとなってきた。
「魔王……いや、黒! どうか、戻ってきてくれ! また一緒に談笑したり遊んだりしたりしようじゃないか! 実は私は、君とのそんな時間が嫌いじゃないんだ!」
「チッ……やかましいわ!」
顔をしかめた魔王が手を振ると、今度は先程まで以上に魔力が活性化する。
触手のように伸びてくる漆黒の数も倍増し、避け続ける難易度が大きく上がった。
「ちょっと光さん、貴女の呼びかけで逆に魔王の人格の方が強くなっていません!? 効いているどころか逆効果ではありませんの!?」
「いや、流石にそんなことはないだろう!? 今のはむしろ効いているがゆえの苛立ちとか、そういうやつだと思う! そう思いたい!」
「とにかくここは兄様に任せて、貴女は余計なことを言わないでくださいまし!」
「こういう場面での友への呼びかけが『余計なこと』扱いされることなんてある!?」
と、環との会話に気を取られていたせいだろうか。
「っ!? しまっ……!」
光は、行く先に漆黒が回り込んでいることに気付くのが一瞬遅れたようだ。
「危ねぇっ!」
ギリギリで庸一が手を引いたことで、どうにか回避する。
しかし、その拍子に光の体勢は大きく崩れてしまった。
それを認識した瞬間、庸一は次の行動を開始する。
「ふんっ!」
光の背中と膝裏に手を回して、持ち上げた。
そのまま、迫りくる魔王の魔力を避けるために駆ける。
「兄様、なぜわたくしではなく光さんをお姫様抱っこするんですの!?」
「お前の方はそれ言えるだけの余裕があるからだよ!」
こんな時なのに抗議してくる環に叫んでから、とある懸念が頭をよぎった。
「環、一応言っとくけどわざと避け損なったりするなよ!? 今のはたまたまどうにかなったけど、マジで死にかねないからな!?」
「いくらわたくしと言えど、そんなことは致しませんわよ! 光さんじゃあるまいし!」
「まるで私がわざとやったみたいな言い草はやめてくれないか!?」
「はーん? 兄様の腕の中からメスの顔で言われても説得力がありませんわね」
「メスの顔って言わないで!? ていうか、そんな顔してないし!」
「では今、何も思うところはないと?」
「い、いや、それはその……やっぱり庸一は逞しいなとか、この距離はドキドキするなとか、私がお姫様だっこされる側になるとは、とか……色々あるはあるけど……」
「お前らな……!」
こんな時にアホな話をするな、とツッコミを入れようとした庸一。
しかし、それよりも一瞬早く。
「お主ら、ちっとは空気を読むっちゅーことを知らんのか!? ここはどう考えても、どシリアスな場面じゃろが! なに突然ラブコメ始めとるんじゃい!?」
魔王が、叫んだ。
否。
その声の調子は、完全に。
「……黒?」
聴き慣れた、暗養寺黒のものであった。
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安心してください、本作は『ラブコメ』ですよ!(30話ぶり2回目)
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