第70話 交代の時

 宿泊施設で一晩を過ごした後の、林間学校二日目。


「くぁ……」


 山を下りながら、黒は大口を開けてあくびしていた。


 昨晩、環と光は結局最終的に『二人で入る』という選択をし……そこでようやく黒の抜け駆けに気付いた環からむちゃくちゃ文句を言われたわけだが、それはともかく。

 その後は少し庸一と話した後、「さっさと戻れ」と苦笑する庸一に従って自分たちの部屋に──また外部ルートを通って──帰還。


 そこから、少しは眠れる時間もあったのだが。


(眠ると、己が消えてしまうような気がして怖かったんじゃよな……)


 そんな恐怖に駆られて、一睡も出来なかったのだ。


「にしても、残るイベントが下山だけっちゅーのもテンションが上がらんのぅ」


 今も胸の内に燻るその恐怖を誤魔化すべく、軽口を叩く。

 実際、何事もなく山を下るだけのこの時間が退屈というのも本音ではあった。


 なお、道なき道を駆け上がって行った昨日とは違って、本日は普通に整備された山道を普通のペースで歩いている。

 山頂でまた庸一を巡るあれこれがあったりなかったりして出発が大幅に遅れたため、現在庸一たちは最後尾だった。


「お前、登ってる時もテンション低かったじゃん……」


「ヨーイチよ、なんぞ面白い話でもないのかえ?」


「無茶振りきたな……」


 庸一は、苦笑を浮かべ。


「けどまぁ、そういう意味ではちょうどいいんじゃないか?」


 それが、どこかイタズラっぽい笑みに変化する。


「こういうの、黒好みの展開だろ?」


「はぁん……?」


 言っている意味がわからず、黒は眉根を寄せた。


「……あぁ、そういうことかえ」


 ただ、直後に今の言葉の意味を知る。


 光の背後の茂みがガサガサッと大きく動き、そこから四人の男が飛び出してきたためである。

 ガッチリとした筋骨隆々の体格で、全員が目出し帽を装着していた。


「動くな!」


 先頭の一人が後ろから光を羽交い締めにして、その顔にナイフを突きつける。


「暗養寺黒だな!? 友達に怪我をさせたくなったら、大人しくしていろ!」


 その言葉だけで、男たちの目的も概ね察せられた。


「あー……」


 黒は、視線を上向けて木の葉に遮られた空を見上げる。


「んー……」


 次いで俯き、今度は踏み固められた山道へと目を落とした。


「うーむ……」


 最後に、光の方へと視線を向ける。


「一つ、疑問なんじゃがな」


「あん……?」


 疑問の声を上げる男。

 どうやら自分への言葉だと思ったらしいが、黒が話しかけているのは光に対してである。


 実にいつもの通りの、落ち着いた口調。


「妾たちって、友達なんかの?」


「うっそだろ君、よりにもよってこの場面で出す質問がそれか!?」


 当の光も、突きつけられたナイフを気にする風もなくツッコミを入れていた。


「というか結構一緒に遊んだりしているし、普通に友達だろう!? いやもうこの際百歩譲って普段は友達だと思っていないにしても、ここは素直に頷いておけばいいじゃないか! なぜわざわざ流れを遮ってまで質問するんだ!?」


「すまぬ、ちょっと気になったものでついな……」


「つい、で私の心をザックザクに傷つけるのはやめてくれないか!?」


 若干涙目になる光だが、恐らくその理由は突きつけられたナイフのせいではあるまい。


「そうだな、黒。今のは良くなかったぞ」


「友達が少ないことが光さんの悩みだと、貴女もご存知でしょうに」


「君たちも、生暖かい目で見てくるのはやめてくれ! それ、思いやりじゃなくてただの追撃だからな!? あと、友達少なくもない! 高校に入ってから出来てないだけ!」


「光はそれ毎回それ言うけどさ、自分で言ってて虚しくならねぇの?」


「なんというか、本当に気にしてるんだな……というのが察せられてしまいますわよね」


「言うて、言い訳にもなっとらんしな」


「ついに優しさというオブラートにすら包まれていない物言いになってきたな!?」


 そんな風にやいのやいのと騒ぐ様は、全く以ていつもの四人であった。


「……って」


 しばしそれを呆然と眺めていた男が、ハッとした様子を見せる。


「おいこらお前ら、これが見えねぇのか!?」


 と、光に突きつけたナイフを大きく上下させた。


「まさか、偽物だと思ってんじゃねぇだろうな……!?」


 ギリ、と歯を噛み締めている様から随分と焦れているのが見て取れる。


「当然見えてるし、本物なのも見ればわかるな」


「兄様のおっしゃる通りです」


「妾的には見てもわからんが、まぁこの場面で偽物使う輩がいればただのアホじゃろな」


「私からはイマイチ見えないが、なんとなく肌の感覚的に本物の刃物なのはわかる」


 律儀に、質問を字面通り受け取った答えを返す一同。


「そういうことを言ってんじゃねぇんだよ……!」


 業を煮やしたようで、男がナイフを大きく振り上げた。


「思い知らせてやる!」


 刃が、光に突き立てられる……その、直前。


「ほっ、と」


 軽い掛け声と共に、光が男の腕を掴んで止めた。


「えっ……? あれっ?」


 男は身体を揺するが、腕ばびくとも動いていない。


 客観的に見れば細身の光が筋骨隆々の男の腕を完全に御している様はどこかトリックアートじみてすらいて、男が首を捻るのも納得出来るところであると言えよう。


「おい、いつまで遊んでるんだ」


 仲間も彼がふざけていると思ったのか、後ろに控えていた男の一人が前に出た。


「さっさとやっちまうぞ。ターゲット以外は殺しても構わん」


 男の指示に従い、残りの二人も動き出す。


 男たちは、一人が庸一、一人が環、とそれぞれ相手を定めたようだ。

 共に大ぶりのナイフを手にしており、その構えから素人でないことは一目でわかる。


 が、しかし。


「危ないから、人に刃物を向けるのはやめような?」


 庸一はナイフを持つ相手の手を押さえ、もう片方の手で男の顎に掌底を放った。

 グルンと男の目が回り、その場に倒れ込む。


「汚い手で触れようとしないでいただけます?」


 環に至っては相手の額に指先を当てたようにしか見えなかったのに、それだけで大の男がバタンと倒れ伏した。


「それじゃ、私もそろそろ」


 未だ囚われたままの格好だった光も、僅かに目を細める。


「ほいっ」


「ぐがっ!?」


 傍目には木刀の柄頭で軽く男の腕を小突いただけに見えたが、顔を苦痛に歪める男の様子から察するに結構な痛みを伴う攻撃だったのだろう。

 拘束も緩み、その隙に光はスルッと腕をすり抜け男の背後に回る。


 そして、男の襟首を掴んでキュッと締めた。


「ぐえっ……!?」


 数秒も保たず、この男も白目を剥いて落ちる。


「ん、なっ……!?」


 一瞬で逆転した形勢──そもそも黒たちからすれば、一度とて向こうに傾いていたとは思っていなかったわけだが──に、驚愕の表情を浮かべるリーダー格らしき男。


「ま、アレじゃな」


 黒は、軽く肩をすくめて見せた。


「妾がなぜ近くにSPも連れずにこんな無防備な姿を晒しておるのか、ちぃとは考えるべきじゃったな」


 相手としてはこの機をチャンスと見たのだろうが、ぶっちゃけSPにガッツリ守られている時以上にノーチャンである。


「チッ……クソがっ!」


 リーダー格の男が駆け出す。

 その目は、真っ直ぐ黒に向けられていた。


 せめてターゲットだけは連れ去ることを試みよう、といった魂胆だろうか。


「ちなみに、じゃが」


「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


 黒が半身に構えたところに、男が気合いの声と共に襲いかかった。


 黒は慌てることなく、相手の襟口を取って『崩し』に入る。

 次いで男の懐に自ら潜り込む形で動いて、地面を蹴った。


 男の勢いをそのまま利用し、クルンと縦に半回転。

 男と一緒に宙を舞った黒は、落下に合わせて相手を地面に叩きつける。


「ぐぁっ……!?」


 肺腑に溜まっていた空気と共に、男が呻き声を吐き出した。


「妾も、多少は『やる』方じゃぞ?」


 それこそこんな時のために、黒自身も幼い頃から一流の指導者の元で護身術を学んでいるのだ。

 もっとも、庸一たちと比べると数段落ちるのは黒も認めるところではあるが。


(ちゅーか、コヤツらが異常なんじゃよなぁ……言うて妾、結構強い方じゃぞ……? いくつか免許皆伝も貰うとるし……)


 苦笑気味に笑いながら、男の『処理』にかかる。


(にしても……妾の誘拐なんぞ一件も成功例がないっちゅーに、次から次へとよう現れるもんじゃな……前に来たのはいつじゃったか……)


 この手の作業も慣れたもので、ぼんやり考え事をする余裕もあった。


「ちょっ……!? おい、黒っ!?」


「んあ……? なんじゃい、そんなに慌てよって」


 とそこで声を荒げた庸一に肩を揺らされ、首を捻る。


「いや、なんじゃいって! いくらなんでも殺すのマズいだろ!?」


「はぁん?」


 庸一の言葉に眉を顰めつつ、手元に目を落とした。


(普通に落としとるだけじゃっちゅーのに、何を大げさな)


 そう、思っていた黒だったが。


「っ!?」


 男はとっくに意識を失って顔が土気色になっているにも拘らず、黒はその頸動脈を未だ強く圧迫し続けていた。

 そのことに気付いた瞬間、慌てて手を離す。


 つい、うっかり……などということは、ありえない。

 はず、だった。


 黒が学んできたのはあくまで護身術であり、人を殺す術ではない。

 『やりすぎ』ないようにする力加減は十二分に身体に染み付いているのだ。


 たとえ考え事に気を取られていたとしても自然に加減が出来るレベルで、である。


(……なら、これは何じゃと言うんじゃ?)


 自問するが、答えは出なかった。


「妾は……」


 己の両手を見ながら出てきた声は、自分で思った以上に弱々しいもの。


 そっと、自身の胸を押さえる。


(この感覚は……何なんじゃ……?)


 そこに、冷たい何かが宿っているような気がして。


「妾は、怖い……」


 その冷たさに押され、弱音が口を衝いて出る。


「己が、己でなくなっていくようで……」


「えっ……?」


 庸一が、疑問の声を上げた。

 恐らく、何のことかわからなかったのだろう。


 それはそうだ。

 黒自身でさえも、自分が何を言っているのかわかっていないのだから。


「魔王、貴女体調でも悪いんですの……?」


「ちょっと様子がおかしいぞ……?」


 環と光が、心配そうな顔で話しかけてくる。

 なんだかんだで身を案じてくれる『友』の存在が、純粋に嬉しかった。


 そう……考えた、はずなのに。


(くはは)


 確かに、考えたはずなのに。


(こちらのオモチャは、多少は頑丈そうじゃな)


 胸の内に浮かんだのは、全く別の感情だった。


「………………は?」


 戸惑いが、呆けた声となって口を衝いて出る。


 他方、黒の意思とは無関係に己の手が三人に向けて伸ばされた。


『……?』


 黒の行動の意味がわからなかったらしく、三人揃って首を傾げる。


 そんな三人の仕草が、面白くて。


 否。


 そんな三人で遊べる・・・ことが、楽しみで。


「くはは」


 黒は、笑った。


 奴らは油断しきっている。

 こちらを信頼しきっている。


 嗚呼、それはなんと。


「愚かな」


 少しだ。


 あまり力を入れすぎるのは良くない。

 それでは、すぐに壊れてしまう。


 まぁ、多少壊れたところで……。


「おい、黒……? ホントにどうした……?」


「っ!?」


 庸一に問いかけられたところで、ハッとした。


(妾は今、何を……!?)


 本気で考えていた。

 三人を壊す・・ことを。


 そして、それが出来ると疑っていなかった。


 少し指先に力を込めるだけで……それで何かが起こるわけもないのに、それで全てが終わると当たり前に考えていた。


(起こるに決まっておろう? 終わるに決まっておろう?)


 その考えを、他ならぬ黒自身・・・が否定する。


(さぁ、遊ぼうぞ?)


 己が内からの声に、従いそうになる。


 否。

 声が、黒の身体を従えようとしてくる。


(どういう、ことなんじゃ……?)


 気を抜けば、すぐに違和感さえも忘れそうになる。


(妾は今、何を考えておる?)


 だから、意識して考える。


妾の中で・・・・誰が考えておる・・・・・・?)


 ハッキリと、自分という存在を意識する。


じゃよ)


 なのに、すぐにそれ・・との境界は曖昧になっていく。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 大きく息が切れる。

 汗が吹き出す。


 先の運動による影響ではない。

 ただひたすらに、それ・・からの圧力によるものだ。


 気がつけば、フラフラと数歩後ずさっていた。

 やけに頭が重く感じられて、顔が俯いていく。


「黒……」


「来るでないっ!」


 この期に及んで呑気さを感じる庸一の声に対して、苛立ち混じりに叫んだ。


(さて)


 そして。


(お主はここまで、のようじゃな)


 それが。


(それでは、ようやく)


 暗養寺黒として発する、最後の言葉となりそうだ。


妾の番・・・じゃ)


 嬉々としたその声に、黒の意識は塗り潰されていった。

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