第69話 嗤い声

 庸一が宿泊している部屋のベランダに辿り着き、窓のセンサーも無効化した環たち一行。


「鍵は……やっぱり、かかっているみたいだな」


 中を覗き込んだ後、光が環の方へと振り返った。


「で、今度はどうするつもりじゃ?」


 ここまで来ると、まぁどうにかなるんだろうなという謎の確信を抱いている黒である。


「こんなもの、どうとでもなります」


 カチャン。

 環の言葉と同時、窓越しに鍵の回る音が聞こえた。


「……今のは、何なんじゃ?」


 手を動かしたようにすら見えず、黒は頭の上に疑問符を浮かべる。


「小規模なポルターガイストを起こすくらい、死霊術師の基礎も基礎ですわ」


「ひぇっ……!?」


 またも生ぬるい風が吹いた気がして、黒はビクッと震えた。


「鍵だけを動かすなんて繊細な動かし方が出来るのは、相当な上級技術だけど」


 光が軽く笑う。


「……さて」


 そして、それを真剣な表情に変化させた。


「いよいよ、本丸だ」


「ですわね」


 一つ頷き合って、窓に手をかける。


 ……環と光、二人同時に。


「……光さん、邪魔ですわよ? どいてくださいませんこと?」


「それはこちらの台詞なんだが?」


 そして、至近距離で火花を散らし合った。


「わたくしが発案者なのですから、わたくしが一番に行くのは当然の権利でしょう?」


「だが、主に力仕事を担当したのは私だろう? その働きには報いが与えられるべきだ」


「別段、光さんがいないならいないでどうとでもなる道中でしたわ」


「辿り着くだけならともかく、君の元のプランだと翌日大騒ぎになるだろうに」


「というか、そもそもの話……貴女は、監視のために来たのだとおっしゃっていたはず。監視だけなら、ここまでで問題ないのではなくて?」


「そ、それはその……えーい! 私だって、一番に庸一の寝顔が見たいんだ!」


「普通に本音が出ましたわね……」


「だから、ジャンケン! ジャンケンで決めよう!」


「仕方ないですわねぇ……」


 手を突き出した光に合わせて、環も手を伸ばす。


「魔王、貴女は?」


 それから、そこに加わらない黒へと目を向けてきた。


「妾はえぇわい、別に一番こだわる理由もないからの」


「……そうなんですの?」


 肩をすくめる黒に、意外そうな表情となる。


「ヨーイチの寝顔なぞ今までに何度も見て、もう見飽きとるからな」


「はぁん……!?」


 フッと挑発的に笑ってやると、環のこめかみにビキィと血管が浮かび上がった。


 ちなみに、今の言葉は半分嘘である。

 四年以上の付き合いの中で、庸一の寝顔を何度も見たこともあるという部分は本当。


 ただ、見飽きたという部分は嘘だ。

 今でも、見られるものなら積極的に見たいとは思う。


 だからといってわざわざジャンケン争いに参加するつもりまではない、というだけで。


「ま、まぁ、権利を放棄するというのでしたらそれで構いませんわ」


 怒りを抑えているのか、若干震え声ながら環は小さく頷いた。


「では、一騎打ちということで……」


「あぁ」


 環と光の視線が交錯し、そこに火花が散る。


 そして。


『ジャン、ケン! ほい!』


 初手は、互いにグー。


『あいこで、しょ!』


 次の手はチョキで、ここもお互い同じ形であった。


 それから。


『あいこで、しょ! しょっ! しょっ! しょっ! しょっ! しょっ! しょっ!』


 環と光の手が、何度もお互い同じ形を作る。


「ちょっと、光さん……! 貴女これ、こちらの手を見てから直前で自分の手を変えてますわね……!? 身体能力に飽かせて、卑怯ですわよ……!」


「霊を纏わり憑かせて私の動きを鈍らせている君に言われたくはないんだが……!?」


 端から見れば普通にジャンケンをしているようにしか思えなかったが、二人の間にだけ存在する『何か』があるのかもしれない……なんて、思いながら。


「くぁ……」


 黒は、小さくあくびした。


「ちゅーか、全然勝負付かんな……」


 当人たちにとっては白熱した勝負なのだろうが、眺めている方は退屈なだけだ。


 待つのも面倒になって、黒はそっと窓を開けて部屋の中に入る。


「……ちょい寒くなってきよったし、先に入っとるぞ?」


『しょ! しょっ! しょっ! しょっ! しょっ! しょっ! しょっ!』


 一応声はかけたものの、熱中している二人に届いた様子はなさそうだった。



   ◆   ◆   ◆



 それが夢だということは、ハッキリと認識出来ていた。


 既に今の庸一にとって、その光景・・・・はどこか現実感を伴わないものにさえ思えたから。


 かつて……エフ・エクサとして生きていた頃に、確かに体験したことなのに。


「は……ははっ」


 顔が、引き攣ったような笑みを浮かべている。


 何も面白いことなど存在しない。

 むしろ恐怖しか感じていなかったにも拘らず、それを止めることが出来なかった。


「何やってんだろうな、俺……」


 口が、勝手にそんな言葉を紡ぐ。


 全くもってその通りであると、心から思う。


「俺がこんなところにいたって、出来ることなんて何一つないってのにさ……」


 なぜならば……ここは、妹たちと魔王との決戦の場なのだから。


 目の前では、この世界で最も激しい戦いが繰り広げられていた。

 自分が出来ることなどない……どころか、巻き込まれた瞬間に死ぬ。


 それでも。


「メーデン……! どうか無事で帰ってきてくれ……!」


 妹を心配する気持ちが恐怖を、理性を上回り、彼をこの場に導いた。


「魔王! このわたくしの最大の魔法を見せて差し上げますわ!」


「っ!?」


 メーデンが大声で魔王にそう告げた瞬間、心臓が止まるかと思った。


(死ぬつもりか……!?)


 彼女の悲壮な表情が、そう確信を抱かせたから。

 そして、その瞬間には無意識に駆け出していた。


 魔王が、メーデンに向けて大きく腕を振りかぶる。

 その前に飛び出せばどうなるか……なんて、考える余裕はなかった。


「──────!」


 メーデン!

 そう叫んだつもりだったが、カラカラに乾いた喉は乾いた音を僅かに響かせただけだった。


 頭は真っ白で。


「が……ふっ」


 視界が、真っ赤に染まった。



   ◆   ◆   ◆



「っ!?」


 飛び起きる。


 一瞬、ここが現実なのか夢の世界の中なのかわからなかった。

 けれど、いずれにせよやることは同じ。


 目の前の、殺気を放つ存在・・・・・・・へと対処せねばならない。


「何モンだっ……!?」


 正面に佇んでいる相手を引き倒し、その上に馬乗りになる。

 全く抵抗がなかったため、思っていたよりずっと簡単に成せた。


 月明かりが、眼下の姿を照らし出し──。


「………………って、あれ?」


 それがこの世界で最も見慣れた相手の一人であることを認識し、庸一はパチクリと数度目を瞬かせる。


「黒……か?」


 わかりきったことを尋ねてしまったのは、信じがたい気持ちに囚われていたからだ。

 まさか・・・殺気を読み違えるとは・・・・・・・・・・


「なんだよ……驚かすなっての……」


 それでも、黒が相手だったのであれば己の誤りを認めざるをえない。


「………………驚かすな、はこっちの台詞じゃわい」


 酷く驚いた表情で固まっていた黒が、ようやく口を開いた。


「いきなり押し倒すとは、いつの間にか随分とお主も積極的になったもんじゃのう?」


「えっ……? あっ」


 そこで初めて、庸一もこの体勢のマズさに気付く。


「悪い」


 軽く謝って、黒の上から身体をどかせた。


「なんか、殺気を感じた気がしたもんだからさぁ……」


 正直に言えば、『ありえない』という思いが先立つ。


 殺気への感度は、生死を分ける重要な能力である。


 いくら平和ボケした環境に転生したからといって……いや、だからこそ。

 それこそ山籠りしてまで、鈍らぬよう保ち続けたはずなのに。


「殺気て、お主……」


 黒は、真顔のまま。

 恐らくは、庸一の勘違いに呆れているのだろう。


「寝ぼけてたのかな……?」


 若干の気まずさを胸に、庸一は自らの頬を掻く。


「前世じゃあるまいし、今更お前が俺に殺気を向けることなんてあるわけないってのにな」


 この世界で黒と過ごした時間の積み重ねが、庸一に間違いなくその確信を抱かせていた。


 それに対して、黒は。


「く、ふふっ」


 ヒク、と口元を歪ませるようにして笑った。


 笑った……はずなのに、なぜだろう。


 それは、泣き笑いのような表情に見えた。



   ◆   ◆   ◆



 どうにか口元に笑みを形作りながら、黒はこの部屋に入ってからのことを振り返る。


(妾は……今、何をしようとしていた?)


 眠る庸一を見つけて。


 愛しいその寝顔に触れようとした瞬間、またフラッシュバック・・・・・・・・した。


 血の匂い。


 湧き上がる愉悦。


 庸一の胸を刺し貫く、己の手。


(わからぬ……)


 気が付けば、頬に向けていたはずの手は彼の胸へと伸びていていた。

 まるで、脳裏の光景をなぞるかのように。


 そして──


(庸一が起きねば……どうしていた?)


 自分がどうしようとしていたのか、自分でもわからない。


(妾は……どうしたというのじゃ……?)


 何も、わからない。


 そんな黒を、嘲笑うかのように。


(くはは)


 誰かの嗤う声が、頭の中に響いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る