第68話 夜這い騒動

 草木も眠る丑三つ時。


「なぁ環、本当にやる気か……?」


 暗闇に紛れながら、光は眉根を寄せて環へと尋ねた。


 本来であれば月明かりに照らされ輝いているはずの金髪は、ほっかむりによって隠されている。

 木刀を所持していることも併せて、その姿はほぼパーフェクトな不審者っぷりであった。


「しつこいですわよ、光さん。嫌なら来なければいいでしょうに」


「いや、まぁ、君が暴走しないか監視する必要があるし?」


 どこかソワソワとした様子で、光はそう返す。


「その割には、お主もノリノリに見えるが」


 光のほっかむりを見ながら、黒は呆れ気味の表情であった。

 こちらの髪は生来の色合いもあって、本当に闇の中に溶け込んでいるかのようだ。


「ちゅーか、アレじゃよな」


 建物の外から、宿泊施設を見上げる。


「風呂での時も思うとったが……こういうの、普通男女逆ではないかえ?」


 そんな風に、黒が言う通り。

 現在、三人は『男子部屋への侵入』を試みているところなのである。


「兄様が夜這いをかけてくださるような方でしたら、わたくし前世の時点でとっくに子沢山になっておりましたわよ!」


「お、おぅ……それは知らんけども……」


「まぁいいじゃないか、魔王。こういうのも青春の一環ってやつさ」


「やはりお主、ノリノリじゃよな?」


 キッと黒を睨みつける環に、肩をすくめる光。

 実際、二人共乗り気にしか見えなかった。


「乗り気でないなら、魔王はもう部屋に帰ればよいでしょう?」


「ふっ、誰が乗り気でないと言うたか。妾は面白そうなことには基本噛むタチじゃからな」


 そして、それは黒も例外ではない。


「だったらお二人共、黙ってついてらっしゃいな」


 フンと鼻を鳴らして環が宿泊施設の方へと踏み出し、光と黒もそれに続いた。


「にしても、なんでわざわざ外から行くんじゃ? 普通に中を通っていけばいいじゃろ」


「もちろん、最初はそちらを検討致しましたけれど」


「流石にと言うべきか、男女のフロアを繋ぐ要所は教師陣に押さえられていてな」


「まぁ確かに、そりゃそうじゃろうの」


「というわけで、先生方を片っ端から昏睡させるか外を通るかの二択でしたの」


「そこを私が、強固に外ルートを推したというわけだ」


「お、おぅ……」


 真顔で話す二人に、黒は何とも言えない表情となる。


「わたくしとしては、昏睡ルートの方が手軽で良いのですけれど」


「馬鹿言うな」


 呆れた調子で否定する光。

 それはそうだろう……と、ぼんやり考えていた黒だったが。


「そんなことしたら、事件性が出てしまうじゃないか。どれだけアリバイ工作しようが私たちがその時間帯に自室にいなかったのは事実だし、捜査されるとバレかねない」


 否定の理由が、思っていたのとかなり違う感じだった。


「……天ケ谷、お主地味に倫理観ヤバない?」


 環のようにあからさまでないだけ、むしろ余計に厄介な気すらする。


「ん? どういうことだ?」


「そも、昏睡させる時点でヤバいじゃろ……」


「いや、見張りに対する侵入者の対応としては一番穏便だろう?」


「えぇ……?」


 この通り、本人に自覚もないようだ。


「……お二人共、止まってくださいまし」


 小声で会話しながら移動していたところ、先頭の環が立ち止まった。


「ここから先は、防犯カメラに映ってしまいますわ」


「……わかるのかえ?」


 周囲を見回す環に倣って黒も観察してみるが、カメラの姿は確認出来ない。


「付近の低級霊を使役して探らせていますの。あそことあそこ、それと向こうにもあるようですわね。あと、ベランダの窓にはセンサーも設置されているそうです」


「ほ、ほぅ……?」


 環の指の動きに合わせるように生ぬるい風が吹いた気がして、黒はブルリと震えた。


「意外としっかりとした防犯ですわね……死角を抜けるのは少々厳しいやもしれません」


 顎に指を当て、環は思案顔である。


「まぁ、一つくらい破壊しても……」


「待て待て」


 何かの予備動作かのように振り上げられた環の腕を、光が素早く掴んだ。


「リアルタイムで監視している人がいたら、様子を見に来てしまうかもしれない。バレる可能性は少しでも減らしたいから、破壊はやめておこう」


 その理由は、やはり犯行の発覚を恐れてのことらしい。


「では、どうしますの?」


「察するに……」


 そう言いながら、光は足元の小石を拾った。


「ふっ!」


 それを、鋭い呼気と共に宿泊施設の方へと投げる。


 コツン……恐らく小石が何かに当たったのであろう音が僅かに届いた。


「この角度ならいけるんじゃないか?」


「あら、お見事」


 振り返ってくる光に、環は感心した様子で口元に手を当てる。


「……何がどうなったっちゅーんじゃ?」


 一人、黒だけは状況がわからず首を捻った。


「魔王、貴女もしかして今はあまり夜目が効きませんの?」


「今は、っちゅーか……うむ、まぁ、そうじゃの」


 いちいち前世トークに付き合うのも面倒で、軽く頷いておく。


「監視カメラの角度を少しだけズラしたんだ。これで私たちが通るだけの死角は出来たはずだし、映像自体は生きているから怪しまれる可能性も低いと思う」


「そう……なのかえ?」


 言われて目を凝らすも、やはり闇の中に監視カメラの姿を見つけることは出来なかった。

 というか、仮に明るかったとてこの距離で見えるものでもない気がする。


(コヤツらの身体能力、どうなっとんじゃ……?)


 流石に、若干薄ら寒く感じる黒であった。


「それでは、わたくしが先行します。死角が出来たとはいえ僅かなものですので、しっかりわたくしの足跡を辿ってくださいまし」


「心得た」


「なんか、忍者みたいじゃな……」


 環と光がスイスイと進んでいく中、黒は苦心して僅かに見える環の足跡を辿っていく。


「……ところで、ここまで来たは良いがこっからどうするんじゃ? ヨーイチたちの部屋、確か五階じゃったよな? 普通に詰んどらんか?」


 そして、どうにか外壁のところまで辿り着いたところで今更ながらに尋ねた。


「ははっ、やっぱり今日の君は冗談が冴え渡っているな」


 マジのガチでの質問だったのだが、なぜか光に笑い飛ばされる。


「私たちなら……」


 と、木刀を口に咥えたかと思えば壁に両手を付く光。


「ふっ……!」


 僅かな気合いの声と共に、その身体が持ち上がった。


 そのまま、光はスイスイと垂直な壁を登っていく。


「……は?」


 CG加工でもされたかのような光景が目の前に展開されて、黒は呆けた声を出した。


「こふぇくふぁい、ふぁくひょうふぁろう?」


 恐らく「これくらい、楽勝だろう?」と言っているのだろうが、木刀を咥えているせいで伝わりづらい。

 その間にも光は壁を登り続けており、瞬く間に五階まで到達した。


「壁に存在する僅かな凹凸に指を引っ掛けて、身体を持ち上げる……流石に、楽勝で出来るのは光さんと魔王くらいでしょうよ」


 そんな光を見上げながら、環が苦笑を浮かべる。


「いやー……妾、あれはちょっと……」


「ふっ、わかっていますわ」


 絶対に無理だと告げようとしたところ、環がその笑みを黒の方へと向けた。


「こういった優雅でないことはやりたくない、と言いたいのでしょう? ちゃんと、光さんに上からロープで引っ張ってもらう手筈となっておりますわよ」


「お、おぅ……」


 このメンツにおいては割とよくあることだが、勝手に『わかられて』しまったらしい。


 とそこで、上からロープが降りてくる。

 見上げると、五階のベランダで光がロープを握っている姿が目に入った。


「流石は光さん、こういう時の手際は良いですわね」


 満足げに頷いて、環がそのロープを握る。


「ほら魔王、何をボーッとしていますの? 早く貴女も掴まりなさいな」


「えぇ……?」


 てっきり順番に上って行くものだと思っていた黒だったが、そう促されて戸惑い混じりにロープを掴む。

 すると程なく、光がグイグイとロープを引っ張り上げ始めた。


(二人の人間を軽く引き上げとる……じゃと……?)


 光は滑車の原理を使うでもなく、素の力でロープを引いている模様である。


「さて……窓にはセンサーが付いているという話だったな? それはどうする?」


 それを全く大したこととも思っていなさそうな顔で、光が引っ張り上げた環に尋ねた。


「……このタイプでしたら、問題ありませんわね」


 窓の端の方をしばし見つめた後、環がセンサーらしきものへと手を伸ばす。

 カチャカチャという音が鳴ること、数秒。


「はい、これで無効化完了ですわ」


 環は、なんでもない顔でそう言いながら振り返ってきた。


「……どうやったんだ? 壊したわけでもなさそうだけど」


 これについては、光も疑問を覚えているようである。


「兄様の家に付いているのと同型でしたので」


「なるほど………………って、なるほどじゃないが!? 君、庸一の家の防犯センサーを無効化してどうするつもりなんだ!?」


 一瞬納得の表情を浮かべた光だが、すぐに顔が驚愕で満ちた。


「光さん、お静かに。ここまで来ておいてバレては馬鹿らしいでしょう?」


「あ、うん、すまない……いや、えぇ……?」


 唇に指を当て注意する環に謝った後、どうにも釈然としない顔を浮かべる光。


「……まぁ確かに、今はこのミッションの方に集中する必要があるな」


 しかし、最終的に煩悩の方が上回ったようである。


「だからお主ら、倫理観ガバガバすぎじゃろ……」


 半笑いで呟く黒ではあるが、その気になれば警備会社を通じて防犯システムごと無効化することも不可能でない彼女が言っても説得力は薄いかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る