第62話 環のターン

 自分たちが天狗に見間違えられているとは露知らず、黒を背に乗せた庸一はゴール時点である木を目指す。


『あーっ!?』


 程なく辿り着こうかというところで、前方からそんな叫びが聞こえてきた。


 木の下では、庸一たちの方を指差してワナワナと震える環と光の姿が。


「魔王、それはどういうことですの!?」


「露骨な抜け駆けじゃないか! 説明を求める!」


 果たして庸一の予想通り、二人は怒り心頭といった様子であった。


「くふふ、妾はおんぶ初回の権利を賭けるとは一言も言うとらんぞ? お主らは、妾の次の権利を巡って争っていたわけじゃな」


「ぐむむ、詭弁を……!」


 ドヤ顔で言う黒に、光が悔しそうに歯噛みする。


「……ま、過ぎたことを言っても仕方ありませんわね。魔王の企みを見抜けなかったわたくしたちにも落ち度はありますわ」


 他方、環は意外なほど程にあっさりとそう認めた。


 やはり、彼女も勝つためなら手段を選ばないタイプであるがゆえだろう。


「それより、兄様! 今回の勝負はわたくしが勝ちましたのよ! さぁ、おんぶしてくださいまし! さぁさぁさぁ!」


 あるいは、早くその権利を行使したかっただけなのかもしれないが。


「ほほほっ! 魔王と光さんは次の権利を巡って醜く争うが良いですわ!」


 自分が勝者になった途端に、この態度である。


「ちょ、ちょっと待て! 順番的に、次は私だろう!?」


「あらあら? 光さん、戦う前から敗北宣言ですの?」


「そ、そうは言わないけど……!」


「なにしろ、『勇者』ですものねぇ? 『魔王』には負けませんわよねぇ?」


 環は、完全に光で遊ぶモードに入っているようだ。


「む、無論だ!」


 そして、光はチョロチョロしくその策略に乗せられていた。


「いや、妾はもうえぇわい」


『え?』


 しかし黒の発言に、二人の声が揃う。


「ちゅーか、アレじゃよな? お主ら、おんぶとか子供っぽいと思わんのかえ?」


「君、どの口で……」


 言い出しっぺの物言いに、光が乾いた笑みを浮かべた。


「いいえ、全く思いませんわね! というわけで兄様、おんぶを!」


 対する環は、誰憚ることもないとばかりに堂々と胸を張っている。


「はいはい」


 庸一は、微苦笑を浮かべながら環に背を向けしゃがんだ。


「それに、庸一におんぶしてもらうなぞ特別なことでもなんでもないしのぅ?」


 ニヤニヤと笑う黒の言う通り、実際庸一が黒を背負った場面はこれまでにも度々存在している。


 今回のようにめんどいからという理由のこともあったし、急ぐ必要が生じた際に庸一から申し出ることもあった。

 黒の身体能力も一般的に見ればかなり突出している部類なのだが、現世においては庸一の方が上なのである。


 魔法による補助がなければ、という注釈は着く──と、少なくとも庸一は思っている──が。


「ちょいちょい魔王から出てくる、現世における兄様の付き合いの長さアピール……毎度イラッとしますわね……!」


「わかる……!」


 ビキリとこめかみに血管を浮かび上がらせる環の言葉に、光もうんうんと頷いた。


「まぁ今はそんなことよりも、兄様との密着タイムですわぁ!」


 だが庸一の背に乗った瞬間に環の不機嫌さは嘘のように消え去って、とろけ顔となる。


「兄様の匂い兄様の匂い兄様の匂い……!」


「鼻息が荒い……首筋に当たってくすぐったいから、もうちょい自重してくれ……」


「はいっ! 兄様が言うならわたくし、永久に息を止めましてよ!」


「そこまでは言ってねぇよ……止めるなよ?」


 放っておくと本当に息を止めかねないので、一応釘を差しておいた。


「さて、それでは……魔王の実績を鑑みて、わたくしの番はあそこのあまり木が生えていない辺りくらいまででいいですわね?」


 立ち上がる庸一の背の上で、環が前方を指す。


「まぁ、えぇんじゃないかの?」


「異存ない」


 黒がどうでも良さげに、光が真面目くささった表情で頷いた。


「そして……もう勝負する必要はなくなったのですから、走る理由もありませんわよね? 兄様、ゆっくり参りましょう」


「待て待て待て!」


 しかし、続いた環の発言に慌てた様子で手の平を突き出す。


「流石にそれは認められないぞ! まぁ、ゆっくり行くこと自体はいいけど……それなら、距離ではなく時間を基準にすべきだ」


「チッ……流石の光さんも、これには騙されませんでしたか……」


「君、私のことを何だと思っているんだ……?」


「わざとかってくらい魔王軍の罠に尽く嵌まろうとしていたお間抜けさんだと思っていますけれど。貴女、わたくしが止めなければ何度死んでました?」


「そ、その件については感謝しているが……」


 白い目を向けてくる環に、光はしどろもどろな態度となった。


 そんな二人を見て、思う。


(なんだかんだ言って、環にとって光は特別な存在だよなぁ……)


 環がここまで気安い態度を取る相手など、前世まで遡っても他には思いつかなかった。

 黒に対するものとも、明確に違うように思える。


 もっともこれに関しては、黒と比して光に隙が多すぎるからではないかという可能性も否定は出来ないが。


「お主ら、前世トークが始まるとすぐに話が脱線する癖どうにかせぇよ……?」


 黒が呆れ顔で肩をすくめる。


「時間を基準にするっちゅーことは……さっき、妾がおぶさってた時間は十分くらいじゃったかのう? 魂ノ井、そんなもんで良いか?」


「いえ、正確には十分十四秒でしたわよ! 同じ時間だけ、キッチリ兄様の背中は独占させていただきます!」


「……数えとったんかえ?」


「兄様の傍を離れている間は一日千秋の想い過ぎて、半ば以上無意識に脳内でカウントが始まってしまうのです」


「なにそれ怖いんじゃが……」


 平然と言う環に、黒はドン引きの表情であった。


「なら、時間については私の時計で測ろう」


 一方の光は環のこういった部分にも慣れているようで、比較的平静な表情で自身の腕時計に目を落とす。

 デジタルのそれは、ストップウォッチの機能も有しているようだ。


「今から十分十四秒……スタートだ」


 光がボタンの一つを押すと、ピッと音が鳴ってカウントダウンがスタートした。


「どうにかこの至福の時間を長く続ける方法はないものでしょうか……光さんと魔王さんを気絶させれば……? いえ、光さんは不意打ちでいけるとしても流石に魔王と事を構えるのは避けたいですわね……では……そう、時間という概念を超越するというのはどうでしょう……? 四次元の存在に至れば……はぁん、しかし兄様の背にいながらこんな雑念は良くないですわね……! 二律背反……! 嗚呼、わたくしどうすれば……!」


「それじゃ、出発するぞ。環、気を散らして落ちるなよー?」


「お主、相変わらずのスルースキルじゃな……」


「というか君の妹、サラッと人の枠を超えることを検討していないか……?」


 ブツブツと呟く環に言及することもなく歩き出した庸一に、半笑いを浮かべる黒と光。


 そんなこんなで、登山は再開された。

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