第61話 天狗の仕業
「前、誰もいないな。これは俺ら、一番乗りいけんじゃね?」
「サッカー部には負けんなって先輩に言われてるからな……」
「ふっ、走り込みの数じゃ負けてねぇぜ?」
「レギュラー以外は走り込みばっかだしな……」
「それを言うなよ……」
庸一たちのクラスメイト、『八組第六班』の男子たち。
野球部に所属する彼ら五人は言葉通り体力には自信があるようで、軽快に山道を登っていた。
しかし、中腹に差し掛かった辺りだろうか。
「……あれっ?」
一人が、ふとそんな声を上げて足を止めた。
「今、何か聞こえなかったか……?」
耳に手を当て、山中に目を向ける。
「何かって、何だよ?」
「つーか、そりゃ無音ではないだろ。山なんだからさ」
「いや、そういう自然音的なのじゃなくて……何かが迫ってきてるみたいな……?」
仲間のツッコミに、少年は不安そうな顔で答える。
「おいおい、ビビらそうたって無駄だぜ?」
最初、彼のことを笑っていた周囲であったが。
ガサガサガサガサッ……!
『っ……!?』
ハッキリと葉の擦れるような音が聞こえてくる段に至り、全員の顔が強張った。
麓の方から聞こえるその音が、徐々に大きくなってくるのがわかる。
「確かに、何か……近づいてきてる……?」
「まぁ、動物くらいいるわけで……」
「ただ、やけにデカそうな感じじゃない……?」
「小動物って感じではないよな……」
「イノシシとか……まさか、クマ……?」
徐々に彼らの顔が青ざめ始めた。
「と、とりあえず、少しでも登ろう!」
『あ、あぁ……!』
一人の提案に、他の面々が頷いて返す。
それが正解なのかを吟味している時間も惜しく、とにかくこの場から離れたい気持ちが強かった。
だが、直後。
ガサガサガサッ!
『うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?』
叫ぶ彼らから少し離れた場所……獣道ですらないそこを、飛び跳ねながら物凄い勢いで『何か』が通り過ぎていった。
「い、今の、なんだったんだ……?」
一人が尻もちを付きながら、『何か』が通り過ぎていった場所を指す。
「わ、わからん……ものっそい勢いで駆け上がっていったから……」
「ただ、なんか人っぽかったよな……? 二人? いたような……」
「あぁ、少なくとも四足歩行ではなかったと思う……」
なんて、顔を見合わせる中。
ガサガサッ!
『っ!?』
またも茂みが揺れて、『何か』が飛び出してきた。
今度の影は一つ。
先程の二つよりは幾分遅いようにも思えるが、やはり物凄い勢いであることに変わりはない。
その正体を確かめる間もなく、瞬く間に通り過ぎていった。
「い、今のも……人? だったよな……?」
「あぁ、たぶん……」
「さっきの二人? よりは、ちょっとハッキリ見えたしな……」
「でもさ……今の、人? なんか黒い羽? みたいなのが背中に生えてなかった……?」
「あと、顔の辺りに……あれ、鼻だったのかな……? やけに赤くて大きいのが……」
各々が記憶に残っている情報を持ち寄る。
その結果、出た結論は──
◆ ◆ ◆
『天狗だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?』
後方から、男子たちのそんな叫び声が聞こえて。
「うん……?」
「ほぅ……?」
庸一が首を捻り、その背の上で黒が興味深そうな声を上げた。
「ヨーイチ、天狗が出たようじゃぞ? ちょっと戻って見に行ってみんか?」
「見間違いか何かだろ……? 天狗なんてどうせいないんだし、行くだけ無駄だっての」
「なんじゃ、夢がないのぅ。前世だの魔法だのと普段から騒いどるくせに」
「それとこれとは全く別の話だろ」
「何が違うっちゅーんじゃ……」
呆れた様子で返す庸一に、黒は半笑いでポツリと呟く。
と、そんな風に。
なにゆえ、このようなことになっているのか。
時間は、少し遡る。
◆ ◆ ◆
「妾は疲れたのである。庸一、おんぶするが良いぞ」
山道を登り始めてしばらく経った頃、黒がそんなことを言い始めた。
「お前、かなり体力あるんだからこんくらいじゃ疲れないだろ……」
庸一は呆れた調子で返す。
中学時代、鍛えに鍛えていた庸一の無茶に嬉々として付いてきていた程だ。
流石に魔王時代の無尽蔵とも思えたレベルには及ばないが、黒だって運動部にも劣らない程の体力は持ち合わせているはずである。
「ならば、言い直そう」
それは黒自身も認めるところではあるのか、特に否定することもなかった。
「妾は飽きたのである。庸一、おんぶするが良いぞ」
と、庸一に向けて広げた両手を差し出す。
「まだ登り始めて一時間も経ってないんだが……」
光が苦笑を浮かべた。
「ちゅーか、山登りの何が楽しいんじゃい。どうせ後で降りるんじゃから、最初から登らんかったらえぇじゃろが」
「君、山登りの全てを否定したな……」
「というか、だからと言ってどうして兄様におんぶという話になりますの!? わたくしだって我慢しているというのに!」
「我慢していたのか……」
環の発言に、光の苦笑が深まる。
「しゃーないな、まったく」
庸一も苦笑を浮かべながら、黒に背を向けてしゃがんだ。
「やってあげるのか、庸一……」
光の苦笑が更に深まる。
「こうなった黒に対しては、説得するよりやってやった方が早いんだよ……ま、俺もただの山登りじゃ負荷が足りないと思ってたからちょうどいい」
「はいはいっ! 兄様、それがアリならわたくしもおんぶを希望致しますわ! 兄様の背中は、わたくしこそが相応しいのですから!」
と、環が全力で何度も手を挙げて自己主張を始めた。
「まぁ確かに、環が一番背負い慣れてはいるけどさ」
無論、前世での……それも、幼い頃の話である。
冒険者になるよりずっと前、それこそ疲れたとグズる妹をよく背負ったものであった。
それを思い出すと懐かしく、庸一の口元は微笑みを形作る。
「そ、そういう流れなら、私も……! その……! おんぶしてほしい……!」
そんな中、おずおずと光も小さく手を挙げた。
(こいつら……)
結局全員がおんぶを希望しているというこの状況に、庸一は呆れ顔である。
(そんなに楽をしたいのか……?)
その思考のズレっぷりは、実に庸一であると言えた。
「ふむ、ならばこういうのはどうじゃ?」
黒が、したり顔で人差し指を立てる。
「妾は、ただ登るのがつまらんと思うとっただけじゃからな。そこにゲーム性が加わるのであれば、登ってやるのも吝かではない。ちゅーわけで……」
ニッとその口の端が上がった。
「どこか……そうじゃな、あそこに見える高い木辺りでよかろう。そこまでレースし、勝者が庸一の背に乗る権利を得るというのはどうじゃ?」
少し先の、頭が飛び出して見えている木を指す。
「その勝負、受けて立ちますわ!」
環が、自信ありげに腕を組んだ。
「ふっ……いいのか? 単純な身体能力なら、私に分があるんだが?」
光もまた、自信満々の表情である。
「身体能力で全てが決まると思っているから、貴女は脳筋と呼ばれるのです」
「そう呼ぶのは君だけなんだが……まぁいい。デカい口を効けるのも今だけだ」
視線を交わす二人の間に、バチバチと火花が散った。
「合図は、庸一で良いな?」
一人、黒だけは涼しい顔である。
「もちろんですわ!」
「異存ない」
黒の提案に、二人は大きく頷いた。
「ほれ、庸一」
「わかったよ」
黒の目配せを受け、庸一も苦笑気味に頷く。
「それじゃ、ヨーイ……ドン!」
庸一が言い切ったと同時、光と環が見事なスタートを切った。
その時点ではほぼ互角に見えたが、やはりと言うべきか徐々に光がリードしていく。
……かに、見えたが。
「そこに漂う動物たちよ! その野生をわたくしに宿しなさい!」
そう唱えると環の足に黒い靄のようなものが絡みつき、一気にスピードが増した。
だけでなく……山道を外れて、ピョンピョンと軽やかに跳躍。
時に石の上、時に木の枝の上と、僅かな足場を利用して進んでいく。
詠唱内容からして、恐らく動物霊の力を宿して身体能力を底上げしているのだと推察された。
「だから君、なんで勝負事に魔法を持ち出すことに全然躊躇ないの!?」
「ほほほほ! 持っている力を使って何が悪いというのです!」
「それたぶん悪役の台詞だからな!?」
高笑いを上げる環が、驚愕する光をグングンと突き放していく。
「くっ……そっちがその気なら……! 破魔の力よ! 我が脚に宿れ!」
叫ぶと同時に今度は光の足がぼんやりと輝き、走るスピードがグンと増した。
彼女もまた山道を外れ、大きく跳躍。
障害物を避ける環と違い、ある程度の枝や茂みは手にした木刀で切り払って最短距離を進むストロングスタイルで環の背を追っていく。
一方その頃、黒はといえば。
「のぅ庸一、この辺りの草ってどれが食えるやつなんじゃ?」
レースに参加どころかスタート時点でしゃがみ込み、そこらの野草を観察していた。
「左から順番に、食える、食える、食えるけど不味い、食えるけど痺れる、食えるけど下手すると死ぬ、食える、食える、食えるけどたぶん死ぬ、ってとこだな」
順に指差しながら、庸一はそう解説する。
この世界で野営する場合に備えて、野草に関する知識はかなり詳細に詰め込んであった。
「不味いのはともかくとして、死ぬ可能性があるのを食える判定に入れるでないわ……」
「食えば、ワンチャン生き残れる可能性はあるからな。そのまま餓死するよりマシだろ」
「どんな状況を想定しとるんじゃ……」
「……って、んなことよりも。お前はスタートしなくていいのか?」
半笑いを浮かべる黒へと、疑問を投げかける。
「妾は基本、勝てぬ勝負は避けられるなら避ける主義じゃからな」
「まぁ、うん……」
意外にもと言うべきか、黒は何が何でもと勝ちに執着するタイプでない。
それは知ってはいたが。
(確かに俺なら無理だけど、黒なら魔法を使えばあの二人にだって……)
そこまで考えて、思い出す。
(って、黒は絶対に魔法を使おうとしないんだよな……この世界で真っ当に生きようとしてる証拠、ってこと……なの、かな……?)
転生後に出会ってからこっち、度々疑問には思っているもののなんとなく尋ねる機会を逸している庸一であった。
「さて、庸一よ」
今回も、尋ねる前に黒の方から呼びかけてくる。
「しゃがむがよい」
「うん……?」
言っている意味がわからず、庸一は首を捻った。
が、黒ともそれなりに長い付き合いだ。
すぐにその意図に気付く。
「お前……最初から二人を遠ざけるつもりで勝負を持ちかけたな?」
「くふふ、ちゃーんと『次』の権利は勝者に譲ってやるわい」
ジト目を向ける庸一に、黒はイタズラを成功させた子供のような笑みを浮かべた。
「ま、今回は黒の方が上手だったってことだな……」
微苦笑を浮かべながら、庸一はリュックを前に背負い直してからしゃがむ。
「ほら、乗れよ」
卑怯だ、などと黒を断じるつもりはない。
戦いとは、あらゆる手段を使ってでも勝った者が正しい……とまでは言わないが、それに近い思想は持っているのだ。
そういう意味では、環に近い価値観であると言えよう。
兄妹二人だけで厳しい世界に生きてきたがゆえに培われたものなので、価値観が似るのも当然と言えば当然なのかもしれない。
「大義である」
堂々とした態度で、黒が庸一の背に乗ってくる。
小柄な体躯に相応しい重量で、荷物分を加味しても負荷としては物足りないくらいだ。
「それでは、ゆったりハイキングと行こうぞ?」
「そういうわけにもいかんだろ……」
辿り着いた時の二人の怒った顔を想像すると、苦笑が漏れた。
「そんじゃ、行くぞ……っと!」
表情を引き締め、駆け出す。
早々に山道を外れ、環や光と似たような進路を選択。
素早く周囲に目を走らせて足場になりそうな場所を見つけ、跳躍に次ぐ跳躍でスピードを落とさず進んでいく。
あの二人が魔法の補助を得ることで可能となったルート選択を肉体一つでやっているという時点でかなり凄いことなのだが、この場にその点を指摘する者は存在しなかった。
環や光に比べれば劣るスピードであることもあって庸一自身は自分への評価が低かったし、黒は既にこの程度慣れっこであるためである。
そのまま山を登り行くこと、しばらく。
「くぁ……」
背中越しに、あくびの声が聞こえてくる。
「これはこれで、退屈じゃのぅ……」
「お前……この場で振り落とすぞ」
おんぶについて言い出した本人からのまさかの発言に、庸一は乾いた笑みを浮かべた。
「なんぞ、暇を潰せるようなもんでもあったかのぅ……?」
後ろから、ガサゴソとリュックを漁る気配が伝わる。
「結構揺れるんだから、中身ぶち撒けたりすんなよ……?」
「斯様な間抜けではないわい……っと。くふふ、えぇもんがあったわ」
ニンマリとした笑みを浮かべているのであろうことは、振り返らずともわかった。
「ほれ、庸一」
と、何かが目の前に差し出される。
前方不注意にならない程度に視線を向けると、赤い物体が確認出来た。
「……ニンジン?」
今夜の夕飯の材料は各自が持ち寄ることになっているので、それがリュックに入っていること自体は不思議ではない。
が、差し出された意図がわからなかった。
「ほれ、鼻の前にぶら下げてやればやる気も出よう?」
「馬じゃねぇんだよ……っと」
浮かべかけた半笑いを引っ込め、口元を引き締める。
「そこの茂み、突っ切るからしっかり掴まっておけよ」
「うむ」
庸一の首に回された腕に籠る力が、少し強まった。
しかし、ニンジンは目の前に差し出されたままである。
その徹底っぷりに、今度こそ半笑いが漏れた。
とにもかくにも、ガサガサッと茂みに突っ切り──
◆ ◆ ◆
そうして、『天狗』シャウトに至る。
宙に舞う黒の髪が漆黒の翼に、庸一の前に差し出されていたニンジンが真っ赤な鼻に見間違えられたのであった。
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