第60話 剣の名は。

 こちらを、いただこう。

 そう言って、木刀を店主たる老婆の方へと差し出す光。


「ほぅ……それに目を付けるとは。娘さん、只者ではないね?」


 瞬間、キランと老婆の目の奥が光った……ような、気がした。

 恐らくは気のせいだろう。


「……何か、曰くでもあるのですか?」


 光は、神妙な顔で尋ねる。


「あぁ、実はそれはねぇ」


 老婆も、真剣な表情で一つ頷いた。


「あたしが嫁に来た時からあるやつでねぇ。他の木刀がポツポツと売れていく中で数十年、いっっっっっ回たりとて手に取られたことすらないものなのさ! ひゃひゃひゃっ!」


 そして、大きな笑い声を上げる。


「……そ、そうですか」


 光は、何とも言えない微妙な表情を浮かべていた。


「それで、おいくらでしょう?」


「一本、五百円だよ」


 老婆が、シワだらけの細い手を光の方に差し出しプルプルと開く。


「無駄に良心価格なのが、逆にダメさを増長しておる気がするのぅ……」


「……というか魔王、なぜ木刀の相場を知っていますの?」


「ヨーイチが、中学の修学旅行で買っておったからの」


「いや、違うからな……!? あれは、現地で武器を調達する必要があった時にちょうど手頃だったからってだけで……!」


 などと外野が騒がしくしているうちに、光は会計を済ませたようだ。


「すまない、待たせた」


 木刀を手にする表情は、晴れやかなものであった。


「ご母堂、お邪魔しました」


「ひゃひゃ、またのお越しをお待ちしておりまぁす」


 老婆の笑い声に見送られ、店を出る。


「ふんっ……!」


 そして、光はすぐにその場で木刀を両手で握って振るった。


 前世の世界では有数の剣の達人としても有名だった光だ。

 その素振りには、確かに頂点に至るまでに磨き上げられた美しさのようなものが感じられた。


「……ふふっ」


 光自身手応えを感じたのか、小さく微笑む。

 久方ぶりに凛とした雰囲気を纏っているのも相まって、最高峰の画家を以てしても切り取れないだろう神々しい光景に見えた。


 ……が、しかし。


「光、いくらなんでもそれは……」


「貴女、メンタルが男子中学生ですわね……」


「ちゅーか、男子中学生でさえも流石に修学旅行以外では自重すると思うんじゃが……」


 周囲は、ドン引きである。


 奇行に走ることに定評があるこのメンバーの中にあって、ここまでドン引きさせた者がかつていただろうか……というレベルだった。


「ち、違うんだ!」


 焦りを前面に出して、光が大きく首を横に振る。


 そうすると先程までの凛とした雰囲気も粉々に消え去り、そこにいるのは単なる場違いに木刀を手にした顔の良い女であった。


「だ、だって、なんか凄く手にしっくり来るんだ! まるで、私のことを長らく待ってくれていたかのような……! さっきだって、私のことを呼んだみたいで……!」


「お、おぅ……」


「光さん……その発言も、その……」


「お主、魂ノ井が口にするのを躊躇しとるっちゅーのは相当アレなアレじゃぞ……?」


 一同の視線に宿る感情が、ドン引きから憐憫へと変化してきた。


「なぁ光、一時の気の迷いだよな? な?」


「今から返品するなら、誰にも言いませんわよ?」


「悪いことは言わんから、返品するが良いぞ?」


 その口調は、子供を諭すようなものであり。


「い、嫌だ! 天光剣は、この世界での私の相棒なんだ! さっきそう決めたんだ!」


 光の口調も、何やら駄々をこねる子供のようになってきた。


「お、おい、光……嘘だろ……? まさか……天光剣って……」


「名付けたん……ですの……?」


「しかも……すまぬ、言わずにはおれん……すまぬ……」


 あの黒が、軽くではあっても頭を下げるという異常事態。


「その名前……クソダサじゃ……」


「自分の名字と名前がバッチリ入ってるところがポイント低いよな……」


「……ですが、思い返してみれば彼女が前世で聖剣に付けた名はエルビィ・ブレードでしてよ? それよりは、だいぶマシな響きではなくて?」


「確かに、それよりはな……なんか、直球感がなくなってるし……」


「じゃが待つが良い、それは漢字がなんとなく格好良さに寄与しとるだけではないのかえ? 妾には、五十歩百歩に思えるのじゃが」


「ド直球に『光剣』とか名付けていないだけ幾分の成長が見られるのでは?」


「いずれにせよ、己の姓名に救われるところは多分にあるのぅ」


「言われてみれば、そのまま適用すると俺の場合は『平庸剣』とか『野一剣』になるのか……」


「わたくしだと、『魂環剣』……タマカンケン? 中華料理屋さんでしょうか?」


「ふはっ、妾は『暗黒剣』じゃ。ストレートで逆に良くないかえ?」


「君たち、批判するのかイジるのか遊ぶのかせめて方向性を統一してくれないか!?」


 徐々に談笑の雰囲気になってきた一同に、光のツッコミが入る。


「そうだ、確かウチに名前辞典みたいなのがあったから今度貸そうか?」


「ネットでも、色々と参考に出来るサイトがあると思いますわよ?」


「なんにせよ、子供やペットに名前を付けることなどあればちゃんと両親とかに相談するんじゃぞ? お祖父ちゃんかお祖母ちゃんでも良いでな」


「確かに方向性を統一しろとは言ったけど、出来れば真面目な感じでアドバイスする方向で統一するのはやめていただきたかった……! それ、一番心にくるやつだから……!」


 どうやら、光の負っているダメージは甚大なものであるようだった。


「ま、まぁともかく……光の用事も済んだわけだし、さっさと行こうか」


 気を取り直し、庸一は山道の方へと足を向ける。


「私へのフォロー的なものはないのか……」


 力なく半笑いを浮かべる光。


「フォローも何も、完全なる自爆でしょうに」


「ちゅーか、半ば強引にこの事態を招いておきながら図々しい発言じゃな」


「この際もうフォローは無しでもいいから、せめて追撃はやめてくれないか!?」


「……その木刀、山を登るのには便利そうだな?」


「これを使うくらいなら普通にトレッキングポール持ってくるよ! でもなんとかフォローしようという心意気ありがとう庸一!」


 こうして、他の班に遅れることしばらく。


 ようやく庸一たちも、本来の目的である山登りを開始したのであった。

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