第58話 夜明けと幕開け

「なぜ、夜が明けていますのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」


 魂ノ井家での朝は、そんな環の絶叫と共に始まった。


「兄様との語らいは!? ふと途切れる会話、見つめ合う二人、近づいていく唇、そして授かる新たな生命……! 確かに存在したはずの未来は、どこに行ったと言いますの!?」


「そんな未来は元から存在しないけどな」


 真顔で否定しつつ、庸一も訝しげな様子である。


「にしても、確かに寝た記憶が全くないんだよな……環が騒いでたところまでは覚えてるんだけど……」


「私も同じだな……」


 光の顔にもまた、疑問の色が満ちていた。


「ただ、最後に魔王のことを呼んだ記憶が……あるような、ないような……?」


 曖昧な調子で言って、首を捻る。


「そうなのか……? 黒は?」


 と、庸一が黒へと水を向け。


「って、隈が凄いけどどうした?」


 黒の顔を見て、驚きを顕にする。


「別に……少々、寝不足なだけじゃ」


「大丈夫か……? にしても、寝不足って珍しいな……?」


 少し嗄れた声で答える黒に、庸一は気遣わしげな表情を浮かべていた。


「しかし、ということは魔王は私たちが眠る瞬間を見ていたということか?」


 光の質問に、黒はピクリと反応する。


「……うむ。つい今しがたまで騒いでいたのが嘘じゃったように、パタリと全員綺麗に寝落ちしおったわ」


 一瞬間を開けてから、そう返した。


「そんなこと、あるのでしょうか……?」


「そうは言っても、事実我々はそうとしか思えないような状況にいるわけだしな」


「つーか、目撃者の黒が言ってんだからそうなんだろ」


 釈然としない感じは残るものの、三人も一応それで納得した様子である。


「さて……」


 と、環が表情を改めて。


「兄様、今夜の晩ごはんは何がよろしいですか?」


「サラッと言っても、流石にもう一泊はしないからな?」


「くぅっ! 千載一遇のチャンスを寝落ちで逃すとは、一生の不覚です……!」


「君の一生の不覚、昨日から物凄い勢いで更新されていくな……」


 悔しそうに拳を握る環へと、光が胡乱げな視線を向ける。


「というかもうすぐ林間学校もあるんだし、今回が最後のチャンスということもあるまいよ」


「確かにそれもそうですわね」


 光の言葉に、環はスンッと真顔になった。


「また物凄い勢いで立ち直ったな……」


「わたくし、過去は振り返らない女ですので」


「つい今しがたまで過去を振り返って悔しがっていた女とは思えない発言だな……」


 環と光が、そんな会話を交わす中。


(そう……じゃよな)


 黒は、そっと小さく息を吐いた。


(あれは、たまたまコヤツらの寝落ちタイミングが重なっただけじゃ。昨日は随分と騒いどったし、そういうこともあろう)


 先の己の言葉で、自分を納得させようとする。

 論理的に考えれば、そう結論づけるしかないのだと。


 にも拘らず、胸の内から「違う」という声が聞こえてくるような気がするのはなぜなのだろうか。


「……黒?」


 ふと視線を上げると、心配そうな表情を浮かべる庸一とまた目が合った。


「マジで大丈夫か? なんか顔色も悪いけど」


「う……む」


 一瞬迷った末に、コクンと頷く。


「妾は基本、睡眠はちゃんと取るタチじゃからな。たまに寝不足になると、露骨にパフォーマンスに影響するのじゃ」


 実際、調子が悪いのは寝不足によるもの……で、あるはずだ。


 決して、胸に吹き溜まる不安に似た妙な感情のせいではない。

 そう、思い込もうとする。


「そっか。まぁ、今日は早く寝ろよ」


「うむ」


 再度頷いて返す黒の顔を、なぜか庸一はジッと見ていた。


「……黒」


 そして、どこか真面目な雰囲気で再び名前を呼んでくる。


「何かあったら、言えよ? 俺に出来ることなら、出来る限り協力するからさ」


 まるで、黒が秘めたものを見抜いたかのような言葉。


「……ふっ」


 思わず、微笑みが漏れた。

 決して不快ではない……それどころか、胸にじんわりと暖かいものが広がっていくような感覚。


 彼がそんな風に言ってくれる限り、大丈夫だと思った。


「その時が来れば、存分に使うてやるから覚悟するが良い」


 だから、不敵な笑みを浮かべてそう返す。

 今度も、自然と笑うことが出来た。


「ははっ、そりゃ怖い」


 庸一も、冗談めかして肩をすくめる。


「兄様、今なんでもするとおっしゃいました!?」


 と、そこに猛烈な速度で環が割り込んできた。


「なんでもするとは言ってねぇよ……」


「魔王ばかりズルいですわよ!」


「いやまぁ、お前が相手でも同じことを言うけどさ」


「なんでもしてくれると!?」


「お前の耳、バグってんの?」


「環の場合、バグっているのは脳の方じゃないかな……」


 そんな一同のいつもの様子を見ているうちに、黒もなんだか落ち着いた気分になってくる。


(まったく、相も変わらずやかましい奴らじゃ)


 そう、微苦笑を浮かべた瞬間であった。


 視界が、歪む・・

 三人の姿に、何か・・が重なる。


 ──このわたくしの最大の魔法を見せて差し上げますわ!

 周囲の景色を歪ませながら、敵意に満ちた目で睨みつけてくる環。


 ──……感謝する! 悪いが、共に逝ってもらうぞ!

 白銀の鎧を身に纏い、強く輝く剣を向けてくる光。


 ──が……ふっ

 口から鮮血を溢れさせる、庸一。


 そんな光景が、次々と目の前に広がった。

 血の匂いが、鼻に付く。


「………………は?」


 呆けた声が、口を衝いて出てきて。


「んっ……」


 次いで目眩を覚え、黒は瞼を閉じて目頭を押さえた。


 数秒の後、ゆっくりと再び目を開ける。

 すると、視界に映ったのは……未だ、騒がしく喋っている三人の姿。


 勿論、血の匂いなんて少しもしない。


(何じゃ……? 今のは……)


 白昼夢……にしては、やけに鮮明だった気がする。


「うん……? 魔王、私の顔に何か付いているか?」


 ぼんやり眺めていたらふとした調子で光が視線を向けてきて、ドキリと大きく心臓が跳ねた。


「というかなんだその、幽霊でも見るような目は」


 怪訝そうな表情ではあるものの、光の顔に敵愾心の類は微塵も感じられない。

 鎧姿でもなければ、輝く剣を手に持っていたりもしない。


 当然である。

 ここは日本であって、剣と魔法の世界ではないのだから。


「……いや、なに」


 ゆっくりと、首を横に振ってから。


「ほんに、腑抜けた面をしとるのぅと思うてな」


「唐突に失礼だな!?」


 先程幻視した表情との差について率直な感想を述べてみると、光が腑抜けた顔で叫ぶ。


「まったく、なんだっていうんだ……」


 ブツブツと心外そうに呟きながら視線を外す光を見ているうちに、ようやく人心地ついたような気分となってきた。


「ふっ……」


 自嘲気味に笑う。


「斯様な妄想をするとは、妾も遅れてきた中二病かのぅ……」


 先程の件は、行き過ぎた妄想だと断定。


 生まれや尊大な態度から誤解されがちだが、黒は実のところ至極常識的な少女である。

 前世だの何だのと公言して憚らない者たちとは違うのだ。


 そう……この時点では、まだ。

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