第57話 紅い瞳

「に、い、さ、ま~!」


 風呂上がり。


 浴衣──若頭が用意してくれたものである──を着た庸一の元に、そんな声と共に慌ただしい足音が近づいてきた。


「お会いしたかったですわぁっ!」


「おっと」


 勢いよく胸に飛び込んできた環を、庸一はややよろめきながらも受け止める。


 同時にふわりと良い香りが漂ってきて、庸一を少しだけ動揺させた。


「はぁ、やっぱり本物の兄様は良いですわぁ……クンクンスハスハ……!」


 しかし環が露骨に庸一の匂いを嗅ぎ始めたため、即座に動揺は収まった。


「本物の俺……? 偽物の俺が出回ってるのか……?」


 が、謎の言動は流石に気になる。


「すまない庸一、やはり神の身ならぬ我々では贋作の域は脱しきれなかった……!」


「妾は何も見とらん……ものっそい勢いでヨーイチっぽい何かが生成されていく様など見とらんからな……」


 続いて、何やら悔しげに拳を握る光と、どこか虚ろな目でブツブツと呟く黒がやってきた。


「……うん、何があったのかは聞かないことにするな?」


 普通になんか怖かったためである。


「そんなことより兄様、早くわたくしの部屋に参りましょう? 前世ぶりに同じ布団で過ごす今夜、せっかくなので夜通し語り合うのも良いですわね! あっ、もちろんもっともっと熱い夜も……兄様が望むがまま、ですわよっ!」


「うん、まぁ、流石に同じ部屋には泊まらないぞ?」


 風呂の件から考えるに、ここは庸一が粘らずとも若頭が諌めてくれるだろう。


 幼い頃から知られている弱みか、環も若頭の言うことにはそこまで逆らわない印象がここまでで生まれていた。


 黒もじいやさんには弱い部分があるので、そういうものなのだろう。


 そう思って、若頭の方を窺うと。


「へいっ! もちろん、旦那の分も含めて既に布団は用意しておりやす!」


 若頭は、頭を下げつつ。


「全員分、お嬢の部屋に!」


「なんでだよ!?」


 そんなことを言い出したので、思わず素でツッコミを入れてしまった。


「ん? せっかくのお泊り会ですし、別の部屋なんざ用意するのは野暮ってもんでやしょう?」


「いや、でもですね、仮にも高校生の男女が同じ部屋で寝るというのは問題というか……」


「がはは、問題なぞありやせんぜ!」


 明るく笑い飛ばす若頭。


(この人、もしかして俺らのことまだ子供だから大丈夫だと思ってんのか……?)


 そう考えた庸一だったが。


「今夜はお嬢の部屋に誰も近づかねぇよう全員にキツく申し付けてありやすんで、ご安心を!」


「アンタそれでいいのか!?」


「双方の合意が取れてるなら、何の問題が?」


「なんでそんな不思議そうな顔なの!?」


「ふっ、自分も高校生の頃にゃあ三人四人を相手にハッスルしたもんでさぁ」


「駄目だこの人、土台の価値観がナチュラルにイリーガル寄りで話が通じないタイプだ……!」


 ここに来て、庸一は完全に味方を失った形であった。


   ◆   ◆   ◆


 結局光も消極的賛成といった感じで反対意見は述べず、黒は心ここにあらずで何も言わなかったため、なし崩し的に庸一含め全員が環の部屋で寝ることに。


「……まぁ、間違いを起こさなければいいだけの話だしな。流石に布団は人数分ちゃんと敷いてくれてるし」


 そう呟く庸一。

 流石に人の家において勝手に他の部屋で寝るわけにもいかないだろうし、頭を切り替えた様子である。


「はぁっ、お風呂上がりの兄様から発せられる空気で満たされた部屋にいるというこの状況……感無量ですわぁ……!」


「環……言いにくいんだが君、絶妙に気持ち悪いぞ……あと、私たちもいるから別に庸一から発せられる空気で満たされてるわけでもないと思う……」


 すぅはぁと何度も深呼吸する環に対して、光がドン引きの視線を向けていた。


「……くぁ」


 そんな中、黒はあくびを漏らす。


「どうでもえぇから、もう早う寝ようぞ……妾は疲れておる……風呂場で、あのような幻覚を見るくらいじゃからな……」


 眠気を感じているのは事実であるが、どちらかといえば先の幻覚の方を否定したい気持ちの方が強かった。


 が、しかし。


「にしてもお前ら、仮にも男の前なんだからもう少し慎みを持てよ……ほら環、浴衣がはだけてるぞ」


「まぁ兄様、兄妹の間柄なのですから何を気にすることがございましょう? 前世では、裸など何度も見せ合ったでしょう?」


「誤解を招くような表現すんなよ……つーか、今は血も繋がってないんだから……ってこら、環! 余計にはだけさせようとすんな!? ……んんっ!? ちょっと待てお前、そこまではだけて下着が見えないってことはまさか……!?」


「兄様、ご存じないのですか? 浴衣の時は、下着は付けないのですよ?」


「それは西洋下着じゃ合わないかもしれないってだけで、何も付けないわけじゃないからな!?」


「とはいえ、我が家には和装の下着などございませんから」


「なんで浴衣は常備してんのにそっちは無ぇの!? いや、無いのはいいにしてもだったら普通に普段のやつ付けろよ!?」


「わたくし、妥協を許せない女ですので」


「どこにこだわり見せてんだよ!? ……って、まさかとは思うけどお前らも……!?」


「あっあっ、安心してくれ庸一! 私はちゃんと下着を付けているぞ! ほら、この通り!」


「ちょぉぁっ!? 見せなくていい! 見せなくていいから!」


「っ!? きゃぁっ!? ご、ごめん庸一……その、粗末なものをお見せしてしまいまして……」


「い、いや、粗末だなんてとんでもない! むしろ、素晴らしいものをお持ちで……って、何を言ってんだ俺は!?」


「その、庸一……? 本当に、私の身体は……その……」


「あぁ、えぇと……なんか、言っていいのかわかんないけど……綺麗、だったと思う……」


「そ、それは、あの、あ、ああああ、ありがとう……嬉しい……」


「嬉しい……のか?」


「う、うん……」


「はぁん!? ちょっと、なんですのこのクソのような流れは!? 光さん……いえ、今となっては貴女をそう呼んでいた過去すら忌々しいですわ! 売女よ、その薄汚れた血を全て我が家の庭に染み込ませて差し上げましょう!」


「ちょっと待って環、それ君マジのやつ放つ勢いで魔力高めてない!? 流石の私も君の全力をモロに受けると本当に死んじゃうんだけど!?」


 黒の発言を聞いた風もなく、一同はむしろどんどん騒がしさを増していく。


 普段の黒であれば、「やかましい奴らじゃのぅ……」とでも呟きつつもなんだかんだでそれをそれなりに楽しく眺めていたことだろう。

 けれど。


「……やかましい」


 その呟きには、少しだけではあるが本気の苛立ちが含まれていた。


 あるいはそれは、このメンバーと……庸一と行動を共にするようになってから、初めてのことかもしれない。

 それだけ、黒にとっては全てが楽しいことでしかなかったから。


 どうやら、風呂場での件が想像以上に応えているらしい。


 そう、冷静に自己分析は出来ていたが。


「さぁ、覚悟なさい!」


「いやだから、本当にそれはシャレになってな……!」


 自身の魔力が・・・・・・高まっていくのを感じ・・・・・・・・・・ながら・・・


「やかましいと、言うておろうが」


 黒は、力を込めて・・・・・再び呟いた。


 すると。


「んおっ……?」


 まず庸一が、糸が切れたかのように倒れ伏す。


「あらぁ……?」


 次いで、つい今しがたまで荒ぶっていた環が目をトロンとさせたかと思えば倒れ込んで。


「あっ、魔王これ……」


 最後に光が、何やら抗議の視線を向けてきたかと思えばグルンと目を回してやっぱり倒れた。


「………………………………………………は?」


 その光景に、黒は呆けた声を上げる。


「な、んじゃ……これは……?」


 三人は、既にすぅすぅと気持ちよさげに寝息を立てている。

 まるで・・・魔法にでもかかったみ・・・・・・・・・・たいに・・・


「わ、妾をからかっとるん……じゃよな……?」


 問いかけてみても、誰からも返事はなかった。


「の、のぅヨーイチ……? ほれ、早うネタばらしをせい……? そんなに引っ張るネタでもあるまい……?」


 庸一の身体をゆすってみるも、起きる気配はない。


「く……ふふ……なん、じゃ、お主ら……一斉に寝落ちかえ……?」


 黒は笑ったつもりだったが、実際には頬がヒクと動いただけに過ぎなかった。


「まったく、子供みたいじゃのぅ……」


 そしてこれも、黒本人にはもちろん自覚はなかったが。


「それじゃ、電気消すからの……良いな……? よし、消すぞ……」


 自ら、部屋の灯りを消した後。


「わ、妾も、寝るとしようかの……」


 その瞳は、暗闇に浮かび上がるように爛々と輝いていた。


「寝る……眠れば……明日の朝には、何事もない日常が訪れるんじゃからな……楽しい楽しい、いつもの……」


 紅く。


「く、はは……」


 どこか、不気味に。

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