第55話 入浴×入浴

 カッポーン。

 どこからともなく、そんな音が響く。


「ふぅ……兄様、良いお湯ですわねぇ……」


「……環」


「兄様、ウチのお風呂もなかなかのものでしょう?」


「なぁ、環」


「お祖父様がお風呂にはこだわりのある方で、この家を建てる際に露天風呂は絶対に必要だって主張されたそうですの。あっ、ご安心なさって? もちろん、外からは見えないよう万全の設計となっておりますので。ふふっ、環の裸体は兄様だけのものですもの」


「環ってば!」


 三度目の呼びかけを受けて、環は鬱陶しそうにそちらへと目を向けた。


「……光さん、なんですの? 入浴中くらい、静かになさいな」


「いや、君が急に誰もいないところに向かって話し始めるから何事かと思ったんだよ!」


 光が、心外だとばかりに叫ぶ。


「……誰もいない?」


 一方の環は、不思議そうに首を傾けた。


「ほほほ、何をおっしゃるのやら。そこには兄様がいらっしゃるではないですか。ねっ、兄様?」


「君、本格的に大丈夫か!?」


 何もない空間に向かって微笑む環に、光が再び叫ぶ。


「……もう、本当にうるさいですわねぇ。人がせっかく、エア兄様と楽しく会話を交わしているというのに」


「エア兄様って何!?」


「まず、そこに兄様がいると強く想起します。すると、徐々にそこに兄様の姿が見え始めます。後は、それを更に具体的に……」


「別に方法論を聞いてるわけじゃないんだが!?」


「あら兄様、なんです? ……うふふ、確かに光さんの腰は……ですわね」


「ていうか、それ見えちゃいけないやつが見えてないか!? あと、私の腰がなに!? エア庸一の言葉とはいえ気になるんだが!」


 光、先程から叫びっぱなしであった。


「やかましい奴らじゃのう……」


 露出した肩にパチャッパチャと湯をかけながら、黒が二人にジト目を向ける。


 現在、三人は魂ノ井家に備え付けの露天風呂にて入浴中であった。


「……はぁっ。本当なら今頃、本物の兄様と一緒に入浴しているはずでしたのに」


「君、いつものことながら庸一のことになると途端に計画性がガバガバになるよな……」


 こうなった経緯はといえば──



   ◆   ◆   ◆



 光の優勝にて、料理対決を終えて。


「ささっ、兄様! お風呂のご用意が出来ましてよ!」


「……は?」


 セットの片付けを手伝っていたところで環にそう言われて、庸一は疑問の声を上げる。


「いや、なんで風呂?」


「まぁ、兄様は入浴せずに致す派でしたか? わたくしったら、そうとは知らず……そうですわよね、お互いの香りが色濃く残っている方が燃えますものね!」


「話通じてねぇな?」


 前世の頃から、割とよく遭遇した光景であった。


 ゆえに、妹と話す時には行間を補完する癖がついている。


「俺、泊まってくつもりとかないぞ?」


 恐らく、既に庸一が宿泊することが環の中で決定事項になっているのだと推察した。


「そんな、ご遠慮なさらずに」


 果たして、どうやら正解だったようである。


「遠慮とかじゃなくて……」


 庸一は、チラリと周囲の様子を窺った。


 一部の強面から、射殺さんばかりの視線が注がれているのを感じる。


「うふふ、もし兄様の宿泊を快く思わない不届き者などがいましたら庭に埋めておきますのでご安心を」


 環もそれは察しているようで、笑顔で『圧』を放つと庸一を睨んでいた男たちがササッと視線を逸らした。


「……一応言っとくけど、本当に埋めるなよ?」


 ワンチャン本当にやりかねない環に、念を押しておく。


「既に何人も埋まっているのですから、数人追加したところで変わりはないでしょう」


「……え?」


「ほほほ、マフィアンジョークというやつですわ」


 一瞬固まってしまった庸一に、環はイタズラっぽく微笑んだ。


「君がこの家で言うと、色んな意味でシャレにならないだろう……」


「まぁ、いかなヤクザといえど流石に本家の庭に埋めはせんじゃろう」


「そういうこと言ってんじゃないんだよなぁ……」


 傍らでは黒が肩をすくめ、光が微妙な表情を浮かべている。


「お二人も、泊まっていくでしょう?」


 そんな二人へと、環が綺麗な微笑みを向けた。


「……意外だな、私たちのことはなんとしても排除しようとするかと思ったけど」


「妾たちを追い返しては、ヨーイチが泊まりを断る理由が一つ増えるからじゃろな」


「その通りです」


「普通に肯定するのか……」


「つーか、二人が泊まろうと俺は帰るからな……?」


 と、この時点での庸一は言葉通り帰る気満々だったのだが。


「まぁ、いいじゃないですかい」


 若頭が、ポンと肩を叩いてくる。


「せっかくですんで、泊まっていってくだせぇ。歓迎しやすぜ」


「は、はぁ……」


「若ぇのに言って、もう布団の準備もしてありやすんで」


「手回しいいっすね……」


 環だけならともかく、若頭にまでそう言われては断りづらかった。

 若頭の手に込められた力には、何かしらのメッセージが宿っているようにも感じる。


 昨日の件や中学時代の件を不問にしてもらったことで、若干借りを作ったような気分にもなっていたところだ。


「……じゃあ、お言葉に甘えます」


 結局、そう頷いて返した。


 果たしてこれは環の仕込みなのかと、チラリと視線で伺う。


「カシラ、よくやってくれましたわ!」


「へぃ! それではお嬢たちは露天風呂の方へ! 自分は旦那を内風呂に案内しやすんで!」


「カシラ、やってくれましたわね!?」


 しかし、どうやら若頭の独断であるように見えた。



   ◆   ◆   ◆



 という流れを経て、現在に至るわけである。


 そして、女性陣が露天風呂にてエア兄様がどうのと騒いでいる頃。


「旦那、湯加減はどうですかい?」


「えぇ、まぁ、良い感じかと」


「そりゃ良かった。自分が自慢するもんでもねぇですが、なかなか立派な風呂でしょう?」


「そうですね、まるで旅館みたい広くて」


「ウチの奴らが泊まることも多いんで、大人数でも入れるようにしてあるんでさぁ」


「なるほど」


「あっ、お背中流ししやしょうか?」


「いえ、お気遣いなく……」


 内風呂の方で、庸一は若頭と並んで湯に浸かっていた。


(俺、なんでこの人と二人で風呂入ってんだろ……)


 若頭の方をチラリと窺いながら、今更ながらに思う。


 別に風呂場を独占したわけではないが、今日会ったばかりの相手と裸で二人きりという状況は絶妙に気まずかった。

 せめて他の人も入ってきてくれれば良いのだが、今のところその気配はない。


「……なぁ、庸一くん」


 ふと、若頭の雰囲気が変わった気がした。


「お嬢のことなんだけどな」


 接待モードも終了のようだ。


 直感的に、ここからが本題なのだろうと悟った。

 恐らく、その話をするためにこの状況を作ったのだろうということも。


「礼を言わせてほしい」


「……?」


 ただそんな風に言われるような覚えはなくて、庸一は小さく首を捻った。

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