第54話 勝負の行方

「さて、暗養寺選手も料理の審査を希望しておりやすが……ここまで一切調理は行っておらず、料理は影も形もねぇときた。こいつぁ一体、どういうトンチですかい……?」


 若頭の困惑に満ちた言葉は、会場全体の代弁であると言えよう。


 そんな中、黒はそこに答えがあるとばかりに空を見上げた。


 そして、実際。

 答えは、そこ・・に現れた。


 バラララララララララララ……!

 徐々に大きくなってくるプロペラ音と共に、すっかり暗くなった空の彼方から一台のヘリが近づいてくる。


「なんだ!? カチコミか!?」


「どこの組のもんだ!?」


「おい、カシラをお守りしろ! あとロケラン持ってこいやぁ!」


 これまでの騒がしさとは全く異なる種類の、殺気立った声を上げるギャラリーたち。


「静まれい!」


 それが、黒の一喝によって一斉に口を噤む。


 全員がまるで神にでも命じられたかのように素直に従い、一瞬の後に狐に摘まれたような表情となっていた。


「あー……確かに、場所を踏まえれば予め伝えておくべきじゃったな。あれは、暗養寺家のヘリじゃ。安心するが良い」


 シンと静まり返る中、流石に少しバツが悪そうに黒がそう付け加えた。


 そんな中、ヘリは魂ノ井家の上空に到着する。


 ホバリングするヘリの扉が開き、そこから一つの黒い影が飛び出した。


 重力に従って降下……というか、落下すること数秒。

 一同それがパラシュートも身に着けずに飛び降りた人間であることを認識出来た頃に、綺麗な五点接地で地面を転がる。


 かと思えば、スッと何事もなかったかのように立ち上がった。


 普通であれば、五点接地とか以前に飛び降りて無事な高度ではない。


 だが、庸一は驚かなかった。


 件の人物……老齢の男性が、執事服を着ているためである。


 執事なら、このくらいはやる。

 それは、庸一がこの世界で学んだことの一つであった。


 なおそのサンプル数は彼一人であり、他の執事も出来るのかは知らない。


「お嬢様、ご所望の品をお持ち致しました」


 風呂敷で包まれた何かを、執事が恭しく黒へと差し出した。


「ご苦労である、じいや」


 それを、鷹揚に頷き黒が受け取る。


 彼こそが、黒が生まれた時から世話係を務めている執事。

 通称、『じいや』である。


 通称というか、庸一はその呼び名しか知らない。

 何度か本名を尋ねたこともあるのだが、その度にはぐらかされていた。


「さて」


 受け取った風呂敷を手に、黒が庸一の方へと歩み寄ってくる。


「これが、妾の……!」


 風呂敷をテーブルに起き、開封。


「国産牛フィレ肉のポワレ 季節の温野菜とマスタードソース オレンジの香りを纏ったブールパチューでございます」


 黒の言葉を引き継ぎ、じいやさんが料理名を告げる。

 あれだけ派手に五点接地で転がっておきながら、風呂敷の中から出てきた皿にはつい今しがたシェフが盛り付けたかのように見事に整った料理が載せられていた。


 だが、庸一は驚かない。

 執事なら、これくらいはやるのである。


 そして、それはともかくとして。


「うん、失格」


 容赦なくそう判定を下した。


「ほぅ……?」


 黒が、愉快そうに笑う。


「ルールには、外部から料理を持ち込んではいかんという記載なぞなかったはずじゃが?」


「いーや、入ってるさ」


 庸一も、不敵な笑みを返した。


「もう一度、最初から最後までルールを復唱するぞ? いいか……『魂ノ井環、天ケ谷光、暗養寺黒の三名は、これよりそれぞれ一品についての調理を行う。制限時間は一時間。調理器具及び材料については、会場にあるものを好きに使って構わない。なお制限時間を越えた場合は、仮に未完成でもその時点での状態で審査を行うものとする。また、温度保持の観点などを鑑み、制限時間前でも料理が完成した段階で審査を希望することも可能とする』」


「やはり、どこにも禁止なぞされとらんではないか」


 黒の表情は、不満というよりは不思議そうなものである。


「おいおい、ちゃんと聞いてなかったのか? ポイントは、ここだ。『調理器具及び材料については、会場にあるものを好きに使って構わない』」


 一方の庸一は、揺るぎない自信と共に続けた。


「つまり、会場にあるもの以外を使うのは反則だ」


「ぐむ……」


 ここに来て、初めて黒の余裕が揺らぐ。


「そ、それは恣意的解釈というものではないかえ……?」


「どっちかっつーと、これが反則じゃないって方が恣意的解釈だろ」


「……ふっ、なるほどのぅ?」


 しかし、すぐにその揺らぎも消え去った。


「じゃがこんなこともあろうかと、ヘリには我が家の料理人たちも乗せてきておる! 奴らを使って、この場にあるもので調理を行えば……!」


「はい失格」


「なんじゃとぉ!?」


 即座に同じ判定を下した庸一に、今度こそはっきりと黒が動揺の色を見せる。


「なんのために、わざわざルールの先頭にお前らの名前を入れたと思ってるんだ? 本人が調理しなければいけない、ってのをこの時点で規定してんだよ」


 ちなみに最初からハッキリと『本人以外の調理を認めない』といった風に書かなかったのは、より高度な抜け道探しを防ぐため。

 あえて穴っぽいルールを提示しておくことで、そこを『突かせた』形だ。


 黒ならばルールの穴を突いてくるだろうというある種の信頼があっての、そしてガチで抜け道を探された場合防ぐのは難しいだろうと認めてのことだった。


 先程、わざわざ迂遠な方の記載を根拠としたのも同じ理由である。

 プライドの高い黒のことだ、何度も苦しい言い訳をするようなことはあるまい。


「くっ……!」


 果たして、黒は言葉に詰まっている様子である。


「くっ……ふふ」


 かと思えば、今度は笑い始めた。

 それも、どこか嬉しそうに。


「確かに、今にして思えば不自然な部分が多々存在するのぅ」


 ふっ、と黒の身体から力が抜けた。


「このルールの文章を作成したのはお主。つまり、妾がこの手を使うことを最初から予想しておったということじゃな?」


「ま、それなりに長い付き合いだからな」


 全く以てその通りだったので、肩をすくめて見せる。


「よかろう。お主の妾理解度に免じて、今回は負けを認めてやろう」


 黒の表情は、清々しいものであった。

 普通に反則を犯して負けただけなのに、なぜか接戦を演じて負けたかのような雰囲気すら感じる。


 なお、国産牛フィレ肉のポワレ 季節の温野菜とマスタードソース オレンジの香りを纏ったブールパチューについては庸一と黒とで分けて美味しくいただきました。



   ◆   ◆   ◆



 といったやり取りから、時間はもう少し経過し。


「さぁ、制限時間は残り三十秒まで迫って参りやしたが魂ノ井選手の手はまだ止まりません! 果たして、調理は間に合うのか……!?」


 ギャラリーが固唾を呑んで見守る中、環はスタート開始直後から変わらぬ淀みない手付きで調理を続けていた。


「残り時間、五、四、三、二、一、ゼ……!」


「調理完了です」


 環の静かな声と、若頭の「ロ!」の声が重なる。


「ここで魂ノ井選手の調理が完了! なんと、制限時間を一秒たりとも余すことなく使い切りやした!」


 その神業的時間調整に、会場は大きく沸いた。


「さぁ、それでは審査に入っていただきやしょう! 魂ノ井選手、どうぞ!」


 若頭の声に従い、環が粛々とクローシュ付きの皿を運ぶ。


「兄様、どうぞ召し上がってくださいまし」


 銀色の蓋を開けると、そこから。


「野菜のスープ、です」


 見た目、とてもシンプルな品が現れた。


 否、もはやそれはみすぼらしいとすら言えるかもしれない。

 野菜くずがいくつか浮いているだけの、とても簡素なスープだ。


「これは……」


 しかし、だからこそ庸一の記憶を刺激する。


 それは前世の……駆け出し冒険者で碌な食材も変えなかった頃に、日常的に食べていたものだったから。


「もちろん、あの頃のスープそのままではありませんけれど」


 庸一が前世のそれと重ねていることを疑った様子もなく、環はクスリと笑う。


「具がほとんど入っていないように見えるのは、細かく刻んだ具材を圧力鍋でよく煮込んだことによってスープに完全に溶け込ませたためです。それに、あの時は使えなかった……それどころかあの世界には存在しなかった調味料だって、たっぷり使っているんですのよ」


 懐かしさの中に、少しイタズラっぽさが混じったような表情。


「わたくしたちは、もうあの時とは違う……平和で、豊かな世界に生きているのですもの」


「環……」


 不覚にも、庸一はその言葉に少し泣きそうになってしまった。


 あの頃の辛い日々を乗り越え、冒険者としてそれなりに稼げるようになってもやっぱり豊かさとは無縁で。

 そして、結局何も成すことなく一度目の生を終えた。


 けれど……二度目の生で再会し、こうして食を楽しむ余裕まで出来た。


 その幸運を、今更ながらに噛み締めた気分だ。


「くっ……! 二人共、転生して良かったな……!」


「えぇ……? なんじゃこの、感動的っぽい雰囲気……ツボが、ツボがわからん……ちゅーか百歩譲ってコヤツらのツボがズレとるんはいつも通りとして、なんで会場全体がしんみりとした空気になっとるんじゃい……」


 なお外野では光が涙ぐみ、黒がこの上なく微妙な表情となっていた。


「ささっ、兄様。わたくしが手づから食べさせて差し上げますわ」


 聖母のような優しげな笑みでスプーンを取り、スープを掬って庸一の方に差し出す環……その手を、庸一がガッと掴んで止める。


「あら兄様、どうされまして? 人前でのあーんが恥ずかしいということでしたら、もちろん控えますけれど……」


「……環」


 引き続き健気な妹を演じる・・・環を、庸一は鋭い目で睨んだ。


盛った・・・な?」


 問いかけは、シンプル。


「何のことでしょう?」


 環の表情は、あまりに見事なポーカーフェイス。


「俺の死角を狙ったつもりだろうが……僅かに、不自然な波が立ったのは見逃さなかったぜ?」


 だが、既に庸一が纏う雰囲気は戦闘時のそれである。


「……流石は、兄様ですわね」


 一方の環は、あくまで涼しい表情であった。


「何を盛った……?」


「うふふ、ちょっとした隠し味でしてよ。そう、言うなれば愛情」


「具体的には?」


「勃……もとい、ドキドキが止まらなくなる薬です」


「オーケー、失格」


 笑顔で述べる環に対して、庸一も笑顔で親指立てる。


「な、なぜです!? 媚薬を盛ってはならないなどという制限はルールに存在しないでしょう!? 媚薬は最初から会場内に用意していたものですし、魔王のようなルールへの抵触もないはずです!」


「もう媚薬って言っちゃったよ……」


 もはや隠す気さえない環の物言いに、半笑いが漏れた。


「環。言っとくが、俺が失格って言った理由は媚薬を混入したからじゃない」


『えっ……?』


 環と、概ね会場全員の声が重なる。


 環の表情には「どういうことでしょう?」といった疑問が浮かんでおり、他全員は「マジかコイツ……」という感じの表情であった。


「失格の理由は、ただ一点」


 庸一は、人差し指を立てる。


「『制限時間を越えた場合は、仮に未完成でもその時点での状態で審査を行うものとする』……つまり、制限時間超過後に手を加えてしまった時点で審査の対象外になるんだよ」


「っ……!?」


 庸一の言葉に、環は稲妻でもその身に受けたかのように激しく震えた。


「わ、わたくしとしたことが……! そのような、基本的な見落としをするとは……!」


 憤死せんばかりに悔しげな表情ではあったが、庸一の判定そのものに異を唱える様子はなさそうだ。


「……なぁ、環」


 だからこそ、庸一は尋ねたかった。


「お前なら、制限時間内に混入することも可能だったろう? なんで、あえて制限時間が終わってから入れたんだ?」


「……そんなこと、決まっています」


 環は、諦観混じりの微笑みを浮かべる。


「兄様に、食べていただくものなんですもの。最後の最後まで、こだわりたかったのです」


「……そうか」


 その答えは、概ね予想した通りのものであった。


「環。お前のことだ、媚薬とやらを中和する薬も用意してんだろ?」


 ゆえに、問いを重ねる。


「え? えぇ、まぁ……万一のこともありますので……」


 質問の意図がわからなかったようで、環の返答は疑問混じりのものであった。


「なら、それをくれ」


 庸一は、環に向けて手を差し出す。


「それを飲んだ後に、料理自体は普通に食うからさ。お前のとっておきの料理、食わないわけがないだろ?」


 そして、微笑んだ。


「兄様……!」


 感涙を目に滲ませ、環は手で己の口を覆う。


「はいっ、召し上がれっ!」


 それから、満面の笑みを浮かべたのであった。



   ◆   ◆   ◆



 こうして、黒と環の反則負けによって料理対決は光の優勝で幕を閉じたわけだが。


「なんだろうな、この試合に勝って勝負に負けた感……」


 当の光は、めちゃくちゃ微妙な表情で黄昏れていた。


「感っちゅーか、まさしくそうとしか言えん状況じゃからな。妾が言うのもアレじゃが、お主の場合試合の方は勝手に相手が負けただけじゃし」


 そこに、黒が追い打ちをかける。


「そんなことより、お主らが媚薬っちゅー存在そのものは当然のようにスルーしていることの方が気になるわ……」


「まぁ、それは環だし媚薬くらい今更かなって……」


「ちゅーか妾、リアルで媚薬なんぞという言葉を使う日が来るとは思わなんだぞ……」


「私も、出来ればそんな日は来てほしくなかったと思っているよ……」


 二人が、そんな会話を交わす一方。


「兄様、お味はいかがです?」


「最高に美味いに決まってるじゃないか」


「まぁ、兄様ったら。けれど、改善点を言っていただかないと次に活かせませんわ」


「改善点なんてないさ。また……いつか、同じものを作ってくれないか?」


「いつかと言わず、毎日だって大歓迎ですわよっ!」


 ブラコンとシスコンは、ひたすらずっとイチャついていた。

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