第52話 すぐに戦い始める女たち
環のアルバムを眺めたり、雑談を交わしたり。
庸一拉致騒動から始まった慌ただしい魂ノ井家訪問だったが、一同ここに来て落ち着いた時を過ごしていた。
お互いに、再会への感謝を伝え合った影響だろうか。
すぐにギスギスした空気になりがちなこのメンツだが、今は非常に穏やかな雰囲気である。
「さて……そろそろ帰るか」
そんな中、ふと時計を見た庸一が伸びをしながら立ち上がる。
「あら兄様、もう帰ってしまわれますの?」
環が、どこか意外そうな顔でそれを見上げた。
「もう、って結構いい時間になってきてるだろ」
庸一が目を向ける窓の外では、山間の空がそろそろ赤らみ始めてきている。
「せっかくですし、夕飯も召し上がっていってくださいな」
「いや、流石にそれは悪いし」
おねだりするように袖に引いてくる環に、庸一は苦笑気味にそう返した。
「いえいえ、わたくしが振る舞って差し上げたいのです!」
「環が作ってくれんのか?」
「もちろんですわ! 腕によりをかけますので!」
首を傾けながら尋ねると、環は力強く頷く。
前世の頃、家事の類は二人で分担していた。
材料も調味料も限られる環境だったため誰が調理してもそう変わらない味になりそうなのに、妹が作る食事は自分が作るものよりずっと美味しく感じられたものだ。
「……なら、お言葉に甘えようかな」
あの味をまた味わいたくないと言えば、嘘になる。
そんな心持ちと共に、庸一は答えを翻した。
「ありがとうございますっ!」
庸一の言葉に、笑顔の花が咲く。
「環、さてはここで自分だけポイントを稼ごうってハラだな……!?」
「ほほほ、己の家にいらしたお客様にて料理を振る舞うことに何の問題があると?」
「まぁ今回に関しては、魂ノ井の言い分に理があると言えような」
「ぐむむ……!」
光もそれは理解しているらしく、悔しげに呻くだけで続く反論はなかった。
「……とはいえ」
勝ち誇った表情を浮かべていた環が、スンッと真顔になる。
「わたくしは慈悲深いので、お二人にチャンスを差し上げてもよろしくてよ?」
『……?』
次いで聖母のような慈しみに満ちた顔となる環だが、聖母とは程遠い中身であることを知っている黒と光は当然の如く滅茶苦茶訝しげな表情であった。
「料理対決、という形を取るのはいかが?」
「……どういうつもりだ?」
眉根を寄せながら、光が問う。
「ほほほほほ! 手っ取り早く格付けを済ませて差し上げようと言っているのですわ! 兄様の胃袋を掴むのに最も相応しいのは誰なのかと!」
聖母のような顔から一転、高笑いを上げる様は完全に悪役のそれであった。
「ふっ……」
対して、光は余裕たっぷりに笑う。
「いいだろう! その慢心が命取りであると、思い知らせてやろうじゃないか!」
その顔つきは、戦いに赴く戦士のそれであった。
「どーでもえぇけどお主ら、なんでそんな好戦的なんじゃ……?」
一方、黒は未だ胡乱げな表情である。
「あら、そんな台詞が出てくるということは魔王は不参加ということでよろしいのね? ほほほ、勝てる見込みのない勝負を避けるとは賢明ではありませんの」
「やっすい挑発じゃのぅ……」
露骨に煽る調子で笑う環だが、黒に揺れた様子はなかった。
「じゃが」
ニッと、黒も笑う。
「今回は、乗ってやろうではないか」
それもまた、挑発的な笑みであった。
「こんな簡単に勝ちを拾える勝負を、みすみす逃す手もないからの」
バチバチバチッ、三者の視線が交錯して火花が散る様が幻視される。
先程の穏やかな空気が嘘のようであった。
「なんかもう勝負するのは決定事項みたいになってるけど、俺の意思は……? これ、たぶん俺が審査員やる流れだよな……?」
半笑いでの庸一の呟きは、熱くなった三人の耳には届かなかった模様、
◆ ◆ ◆
それから一同、魂ノ井家の厨房へと場所を移したわけだが。
一般家庭に比べればかなり広いとはいえ、流石に三人で使うのは手狭感があった。
そして、どこから聞きつけたのかワラワラとギャラリー(総強面)も集まってきて厨房の入り口付近は押すな押すなの大混雑状態となっていく。
というか実際「押すなよ!」「そっちが押したんだろうがい!」といった声も上がっており、小競り合いがそこかしこで発生しそうであった。
そんな中。
「てめぇら、揃いも揃ってなにこんなとこで馬鹿やってんだ!」
若頭が現れ、強面共を一括する。
その後はギャラリーも散り、場所を譲り合いながら三人が粛々と調理する……という流れを想像した庸一であったが。
「お嬢」
若頭は、ニカッと笑い。
「せっかくですんで、庭でもっと派手にやりやしょうぜ!」
なぜか、そんなことを提案してきたのであった。
そこからは、あれよあれよという間に事態が進んでいく。
「さぁてめぇら、お嬢さん方の晴れ舞台だ! チャキチャキッと準備を整えろ!」
「ウッス! 自分、調理台をセットしてきやす!」
「自分は、調理器具全般を!」
「外はもう暗くなり始めてるんで、ライトも持ってきやす!」
「マイクとスピーカーも必要だな!」
「審査員席の設置も忘れんなよ!」
「可愛いエプロンとかも用意しようぜ!」
「おう、珍しく冴えてるじゃねぇか! せっかくなんで司会の分も用意っすか!」
「ぎゃはは、じゃあ司会はカシラに決定だなぁ!」
このヤクザたち、ノリノリである。
◆ ◆ ◆
こうして、現在に至るのであった。
今や魂ノ井家の広い庭にはテレビ番組もかくやというくらいの立派なセットが用意されており、雛壇状のギャラリー席は強面で満席だ。
人手はともかくとして、なぜここまでのものを整えるだけの材料がヤクザの家に存在していたのかは謎である。
「んん゛っ」
マイク越しに若頭が咳払いを一つ入れると、湧き上がっていたギャラリーが一瞬でシンと静まった。
この辺りの統制の取れ方は流石と言えよう。
「選手と審査員の紹介は、以上。続いて、今回のルールを説明する」
若頭も、一転して静かな声で手元の資料に目を落とす。
ちなみにこのルールについては会場が整うのを待つ間に三人が協議して決めたものであり、実際の文章を作成したのは庸一だ。
「魂ノ井環、天ケ谷光、暗養寺黒の三名は、これよりそれぞれ一品についての調理を行う。制限時間は一時間。調理器具及び材料については、会場にあるものを好きに使って構わない。なお制限時間を越えた場合は、仮に未完成でもその時点での状態で審査を行うものとする。また、温度保持の観点などを鑑み、制限時間前でも料理が完成した段階で審査を希望することも可能とする。ふむ……この辺りの時間の使い方が、戦略のキモになってきそうでありますなぁ」
ラストは、若頭のアドリブによるコメントである。
ただ読み上げるだけでなく、ギャラリーを退屈させないエンターテイメント性も心がけているようだ。
この場にそんなものが必要なのかは不明だが。
「最後に……んんっ?」
資料を読み進めているらしい若頭が、大きく眉根を寄せる。
「……これ、本当に読む必要あるんですかい?」
それから、庸一へと訝しげに尋ねてきた。
「必要な項目なんで、しっかりと読んでください」
庸一は、大きく頷いて返した。
「承知しやした。それでは、最後に……」
納得感は薄そうだったが、若頭は再びルールを読み上げる作業に戻る。
「魔法は、禁止!」
最後はどこかやけっぱちのような調子であり、それを聞いたギャラリーからも戸惑いの声が上がっていた。
ちなみにこのルールは、このメンツ……というか主に環に対しては必須であると、光が強く主張した結果取り入れられたものである。
勝負に魔法を使うことを全く厭わない環の被害を受けてきた光だからこそ、説得力しかないと言えよう。
なおその際、環は「お好きにどうぞ?」と微塵も動揺を感じさせず、黒は「お、おぅ……」と大層微妙な表情であった。
「お三方、準備はよろしゅうござんすか?」
「よろしくてよ」
「十分だ!」
「いつでも始めるが良いぞ」
時代がかった口調で確認を取る若頭に対して、それぞれ頷いて返す三人。
「それでは、一時間一本勝負……始めぇい!」
若頭の掛け声を受け、三者一斉に動き出す……かと思いきや、それぞれの行動は割とバラバラなものであった。
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