第35話 最期の背中
兄の背中が好きだった。
とても大きくて、頼りになる背中が好きだった。
いつも自分を守ってくれる背中が、大好きだった。
「勇者見参!」
兄は、いつもそんな言葉と共にメーデンの前に現れてくれた。
その大きな背中で、守ってくれた。
近所の悪ガキにちょっかいをかけられた時。
野犬に襲われそうになった時。
森でゴブリンに遭遇した時。
──勇者見参!
いつも、そんな言葉と共に。
時にメーデンに代わって殴りつけ、時にメーデンに代わって噛みつかれ、時にメーデンに代わって命を懸けてくれた。
何度も、守ってくれた。
やがて成長し、冒険者となった兄妹の力関係はいつしか逆転した。
メーデンには闇魔法に関する天賦の才があった。
兄には特段これといって突出した部分はなかった。
自分は勇者などではなかったと、兄も自嘲するようになった。
兄に守られることより、兄を守ることの方が多くなった。
それでも、メーデンにとって兄は間違いなく憧れの勇者様だった。
いつも、一番大事な時には兄が自分を守ってくれたから。
その大きな背中で、守ってくれたから。
そう……最期の時まで。
◆ ◆ ◆
メーデン・エクサとしての生に未練はなかった……と言えば、大嘘になる。
後悔は多い。
しかし中でもとびきりのものといえば、エルビィ・フォーチュン一行の旅に参加してしまったことだ。
メーデンに、義憤の心などなかった。
ただ、兄と過ごせればそれでよかった。
けれど当時の魔王軍の勢いは凄まじく、いずれ世界を飲み込むのも時間の問題と思われた。
そこで、兄との生活を守るために仕方なく魔王討伐の旅に参加したのである。
なのに。
「メーデン! 防御は頼む!」
「我が魂よ、絶対なる盾を生み出しなさい!」
「ありがとう!」
「うぐっ……! エルビィさん、長くは保ちませんわよ!」
「わかっている! 破魔の力よ、ありったけを!」
エルビィたちの奮戦によって、一行は魔王を追い詰めていた。
「くっ……! 体力が、限界に……!」
「わたくしの魔力もそろそろ底を尽きそうです……!」
けれど、同時に追い詰められてもいた。
あと一手が足りない。
一瞬だけでも、魔王の動きを止める必要があった。
(その役割を負えるのは……わたくしだけ、でしょうね)
単純な威力だけでいえば、メーデンの闇魔法はエルビィをも上回っていた。
しかし、魔王を滅ぼせるのは勇者だけが扱える聖剣のみ。
ならばメーデンが一時的に魔王を抑えて、その間にエルビィに滅ぼしてもらう他に手はない。
「魔王! このわたくしの最大の魔法を見せて差し上げますわ!」
あえて大声で告げることで魔王の注意を引く。
果たして狙い通り、魔王はメーデンの方へと向き直ってきた。
魔王が大きく腕を振りかぶる。
その小柄な体躯から信じられない程の怪力が発揮されることは、ここまでの戦いで散々思い知っていた。
メーデンの身体は、為す術もなく貫かれることだろう。
それでいい。
闇魔法……中でも取り分け死霊術を得意とするメーデンの、最後の魔法。
それは、身体から解き放った自らの魂を用いて相手の魂を直接拘束するというものだ。
正面から仕掛けるにはタイミングがあまりにシビアなので、成功するかは一か八かの賭けだが。
(兄様……先立つ不孝をお許しください)
死を目前にしながら、心中は不思議なほどに穏やかだった。
口元には微笑みすら浮かんでいる。
実際に対峙して実感したが、魔王はあまりに強力だ。
ここで自分たちが仕留められなければ、恐らく人の世は終わる。
他の有象無象のことなど知ったことではないが、兄の生きる世界を守るために死ぬのならばそれも悪くない……そう思えた。
なのに。
「が……ふっ」
自分の目の前に突如飛び込んできた背中が、自分の代わりに刺し貫かれていた。
とても見慣れた、大きな背中が。
守って、くれていた。
「勇者見参……とは、流石に本物の前では言えねーな……」
振り返ることはなかったが、兄が笑みを浮かべた気配が確かに伝わってきた。
「おい、勇者様……! 偽物に出来るのはここまでだ、後は頼むぞ……!」
魔王の腕をしっかりと掴み、兄が叫ぶ。
突然の乱入者に驚いているのか、魔王の動きは止まっていた。
「……感謝する! 悪いが、共に逝ってもらうぞ!」
エルビィの聖剣が、これまでで最大の輝きを放つ。
命を代償にして引き出した、強い強い輝き。
恐らく、当たりさえすれば魔王をも滅ぼすことが可能だろう。
エルビィもろとも。
そして、兄もろとも。
「どうして……ですか、兄様」
それは、色んな意味を込めた「どうして」だった。
否。
意味など込められなかった。
全てが理解不能だった。
なぜ、兄が命を捨てようとしているのか。
なぜ、自分を庇ったのか。
そもそも、なぜ兄がここに……世界一危険な場所にいるのか。
「はっ……確かに俺みたいな一般人、この場にゃお呼びじゃねぇだろうさ」
兄の声に、苦笑の気配が混ざった。
「ま、でもな」
兄が、顔だけで振り返ってくる。
「それでも妹のためなら来ちゃうのが、お兄ちゃんってやつなのさ」
メーデンを安心させるように、笑う。
子供の頃から変わらない、ずっと見てきた笑顔。
誰より大好きな人の、一番好きな顔。
それを見れば、いつだって安心できた。
今、この瞬間を除けば。
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
エルビィが二人に突っ込み、彼女たちを中心に周囲が眩い光に包まれた。
「じゃあな、メーデン」
その光に掻き消されて、兄の笑顔さえも見えなくなってしまった。
「縁があれば、また来世でも兄妹として……」
その声も、途中で途切れた。
光の中に、魔王が大きく手を振って兄の身体を放り投げる影が見えた。
「あ……」
メーデンの口から、そんな声が漏れた。
意識的に出したものではない。
気がつけば、自然と声が出ていた。
「あ、あ、あ……」
魔王が身を翻し、エルビィの剣を受け止めた。
このままでは仕留めきれないかもしれないと、頭の中の冷静な部分が勝手に分析する。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
口からは、勝手に声が漏れ続けている。
涙は出なかった。
まだ、何もわからなかったから。
兄がどうなったのか、知ることを脳が拒絶していたから。
けれど、頭のどこかでは理解していたのかもしれない。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
だからその声は、涙の代わりに出たものだったのか。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
感情が、爆発した。
怒りなのか悲しみなのか、あるいは他の感情なのか。
メーデン自身にも理解出来なかった。
準備していた、自らの魂を代償とする拘束魔法が発動する。
兄の犠牲を無駄にしまいとしたのか。
兄の仇を討とうとしたのか。
兄を奪った魔王が憎かったのか。
あるいは動揺の残る魔王に隙を見出し、反射的に放っただけなのか。
メーデン自身にも、理解出来なかった。
最期の最期まで。
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シリアスのターンは今回で終了です。
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