第34話 魂ノ井環は諦めない
魂ノ井環は、異世界転生者である。
前世での名は、メーデン・エクサ。
天才死霊術師と呼ばれ、勇者パーティーの一角も担っていた才女であった。
といっても、前世の記憶を取り戻してからまだ二月と経ってはいない。
それまで……幼少時より、ずっと『何かが違う』という感覚が付き纏っていた。
とても曖昧で、なのになぜか強固な感覚。
何をしていても、満たされるということがなかった。
圧倒的な喪失感。
まるで、半身を奪われでもしたかのような。
環は聡明で美しい少女であり、多くの異性から告白も受けてきた。
だが、そのどれにも興味を抱けなかった。
恋愛そのものに興味がなかったわけではない……はずだと、思ってはいた。
曖昧なのは、自分でもその感覚の正体がよくわかっていなかったから。
白馬の王子様に憧れるほど、少女趣味ではないつもりだった。
けれど、『自分には結ばれるべき人がいる』という確信だけはなぜかあったのだ。
そして先日、その確信がやはり何も間違っていなかったことを知った。
間違いでなかったことを知るまでに、十六年と少しの歳月を要した。
けれど、そんなことは何の問題でもない。
十六歳の春。
魂ノ井環の二度目の人生は、ようやく始まったと言える。
兄と、もう一度出会えた。
兄のことを思い出せた。
兄への愛を取り戻せた。
それで十分であり、それだけが、魂ノ井環にとって必要なことだった。
……そう、思っていたはずなのに。
◆ ◆ ◆
「兄様兄様、今日の放課後はどこに参りましょうっ?」
「どっか行くのは決定事項なのか……まぁいいけどさ」
「特に候補がないようであれば、HOTEL……」
「仮にどんなに候補がなかろうと、HOTEL EDENに行くことはないからな?」
「うふふ、いやですわ兄様ったら。わたくしだって、そんないつまでもHOTEL EDENにこだわったりはしませんわよ」
「……だったらさっき言おうとしたことの続き、言ってみ?」
「HOTEL HAVENに……」
「HOTEL EDENの隣のラブホじゃねぇか!」
小堀市の玄関口である小堀駅にはいかがわしい感じの建物が並ぶ区画が存在しており、子供の教育によろしくないと保護者の皆さんから定期的に突き上げを食らっているのである。
「つーか、ゲーセンとかにしようぜ」
「あっ、庸一! それなら私、アレやりたい! ガンシューティングのやつ! 今度こそ庸一のスコアを超えるんだ!」
「あぁ、去年ヨーイチの奴がランキングを全部塗り替えて以降誰も更新出来てないやつな……お主、そろそろ諦めた方が良いのではないかえ?」
「私も、いいところまで行ってると思うんだけどなぁ……むしろ、庸一より速く動けていると思うんだけど……」
「反射神経は絶対俺よりいいのに、光は操作が雑なんだよ……無駄に速く動くんじゃなくて、効率を考えてやらねぇと」
「ちゅーか、ヨーイチに勝つのは無理じゃと思うぞ。なにせ、あれは妾たちが中一の頃。とある組織と敵対することになったヨーイチは、命を賭けたデス・ガンシューティング勝負に挑み……」
「いいよそういう話は! 世界観がブレるって言っているだろう!?」
なんて、光と黒が会話に加わって。
環の知らない、兄の話をする。
どこか取り残された気分で、環はギュッと拳を握った。
(先日魔王が言っていたこと……あながち、間違いでもないかもしれませんわね)
環よりも、彼のことについて知っていると。
その時は、否定した。
兄のことならば、何でも知っていると思っていた。
事実、前世においては兄について知らないことなどなかったと自負している。
ずっと、一緒に過ごしてきたのだから。
転生して、十六年と少し。
今度は、異なる時を過ごしてきた。
だから、知らないことがあるのは当然のこと。
けれど……それが、環にはたまらなく寂しく感じられた。
兄が、とても遠くの存在になってしまったようで。
否、それも間違った認識ではないのだろう。
庸一は環の知らない家に生まれ、環の知らない人と出会い、環の知らない場所で過ごしてきたのだから。
かつては、『血縁』という確かな絆があった。
そのせいで兄と恋仲になれないと、前世の頃には疎ましく思ったものであるが……今はむしろ、それがないことこそが不安で。
一人で宙に投げ出されでもしたかのような心細さを、時折感じるのであった。
「環?」
兄に呼ばれ、環はハッと意識を現実に戻す。
気が付くと、彼は心配そうな顔でこちらを見ていた。
「どうした? 体調でも悪いのか? だったら、今日のとこは……」
「あっ、いえ、少々考え事をしていただけですので」
半ば反射的に、否定する。
兄に心配をかけるのは本意ではなかった。
「そうか……? お前、昔っからちょっと強がるところがあるからな……無理はすんじゃないぞ?」
眉根を寄せながら紡がれた言葉を受けて、胸にじんわりと温かさが広がっていく。
(そう……ですわよね)
口元が、自然と笑みを形作った。
(兄様は、今でもわたくしを気にかけてくださっている。それだけで十分ですわ)
環が何も言わないのを訝しんでか、庸一が小さく首を傾ける。
(たとえ、その気持ちが他の女に向いていようと……いえ)
そんな兄の目を、真っ直ぐに見つめ返して。
(それならば、またわたくしの方に気持ちを向けていただけるよう女を磨くのみ!)
そう思えることが、魂ノ井環という少女の強さであった。
「はいっ、兄様!」
そんな気持ちを込めて、笑顔で頷く。
「あぁ、素直でよろしい」
恐らく、その気持ちは伝わっていないのだろうけれど。
兄も、微笑んでくれた。
今は、それだけで十分だ。
◆ ◆ ◆
もっとも。
「ヨーイチのヤツは、相変わらず魂ノ井の方に気持ちを向けてばかりじゃのぅ」
「だな……」
黒と光からすれば、環と全く真逆の感想を抱いているわけなのだが。
そして客観的に見た場合、認識が正しいのは彼女たちの方であると言えよう。
庸一は、明らかに環に関しての優先度を高く設定している節がある。
それが意識的なものなのか無意識的なものなのかは、彼女たちの知るところではなかったが。
「まぁ、前世では血の繋がった兄妹だからな。我々にない絆があるのも仕方ないだろう」
「お、おぅ……そこまで設定を徹底出来るっちゅーのも、割と得難い才能なんじゃなかろうかと最近は思い始めたわ……」
苦笑する光に、黒の小さな呟きは届かなかった模様。
「なにせ、前世での最期が最期だ。だろう?」
「あーまー、そうじゃねー」
同意を求められた黒の返答は、露骨に適当なものであった。
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