第29話 体育の時間

「キャァァァァァァァ! 打席に立つそのお姿、素敵ですわ兄様ぁぁぁぁぁぁ!」


 グラウンドに、環の黄色い声が鳴り響く。


 本日の体育、男子は野球、女子はフットサルである。


 女子はいくつかのチームに分かれてローテーションで試合を回しているため、現在環たちは休憩中だった。

 本来であれば他チームの試合を見学するべきであり間違っても男子に声援を送るための時間ではないのだが、体育教師が何も言わないのは小堀高校の緩さゆえか環の制御は不可能だと既に悟っているがゆえのか。


 とにもかくにも、環がかぶりつくように見守る先では。


 コツン……。

 庸一が、ピッチャーと一塁線の間にバントで球を転がす。


 絶妙に勢いが殺された球をピッチャーが追って一塁に投げるも、その頃には庸一は一塁上を駆け抜け終わっていた。


「お見事ですわ、兄様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 環が、ますますはしゃいだ声を上げる。


「ふむ……野球のことはよくわからないけど、今のは上手かったんじゃないか?」


 環の隣で、光も感心の表情を浮かべていた。


「くふふ、アヤツは割とスポーツ全般得意じゃけどな。特に、野球は格別じゃぞ? 恐らく、普通の高校生レベルでは相手にならん。今のも本来はホームランに出来たところを、悪目立ちを避けるがゆえにバントしただけに過ぎんのじゃろう」


「え~? 流石にそれは盛りすぎだろう? 相手のピッチャー、確かウチの野球部のエースだし、今のもたまたま上手くいっただけなんじゃないか?」


 したり顔を見せる黒に対して、光は胡乱げな目を向ける。


「別に盛っとらんわ。実際……あれは、妾たちが中二の時のことじゃった。とある組織と対立することになったヨーイチはなんやかんやあって命を賭けた闇野球大会に出場することになったんじゃが、その決勝で相手の卑劣な魔球により両腕を負傷しつつも元甲子園優勝投手から場外ホームランを放ち見事サヨナラ逆転を……」


「ちょ、ちょっと待ってくれないか?」


 滔々と語る黒を遮り、光はこめかみの辺りに指を当てた。


「くふふ……信じられんか? じゃが、事実じゃ」


 一方の黒は、更に笑みを深める。


「いや、そうじゃなくて……」


 引き続きこめかみに指を当てながら、ゆっくりと頭を振る光。


「何の話をしてるんだ?」


 そして、真顔で尋ねた。


「じゃから、中二の時にやった闇野球の話じゃろうが」


「いや、世界観! 世界観を! 唐突に! 崩さないでくれないか!?」


「はぁん……?」


「どうして何を言っているのかわからないって表情なんだ!? というか、まず闇野球って何!? なぜ当然知っているかの如く話しているんだ!?」


「闇野球っちゅーのは、地下闘技場を舞台に密かに行われておる金持ちたちの道楽で……」


「いい! 説明しなくていい! 私までなんかそっちの世界観に引っ張られそうになる気がするから!」


「お主が何っちゅーから説明しようとしたんじゃろうが……ほんで、さっきから世界観ってそっちこそ何の話じゃい」


「だから、なんていうかこう……今のは別の世界の話みたいだから、何かがブレるというか……」


「別の世界の話っちゅー意味では、お主らだけには言われたくないんじゃが……」


「そういう意味じゃなくて……おーい、というか頼むぞ魔王~。君までボケに回ったら収拾がつかなくなるんだからな、このメンツ……」


「一応、その自覚はあったんじゃな……ちゅーか、別にボケとらんわ」


 終盤懇願の調子になってきた光に対して、黒は半笑いを浮かべる。


「ちょっとお二人共、やかましいですわよ! 兄様の応援に集中出来ないではありませんの!」


 そんな二人の方を振り返って、環がキッと睨みつけた。


「キャァァァァァァァァ! 兄様、ナイス走塁ですわぁぁぁぁぁぁぁ!」


 かと思えば、すぐに視線を戻して庸一に声援を送る。


「一番やかましい輩に注意される筋合いはないと思うんじゃがな……」


「うん、まぁ……ただ、確かに私たちもちょっと煩くしてしまっていたのも事実ではあるかな……」


「やかましかったのはお主だけじゃろうが」


「ぐむ……そ、そうなんだけども……」


「おっ、ヨーイチの今の盗塁……あれは闇野球界を討ち果たしたかと思えば後に真の黒幕であったことが判明した殺撃野球クラブの一番打者である疾風の山田が散り際にその想いと共に庸一に託した技じゃな」


「いや私が煩くしてしまってるのは主に君のせいだからな!? ていうかそれ、本当に君の創作じゃなくて事実なのか!? 妄想とごっちゃになってないか!?」


「それも、お主らにだけは言われたくないんじゃがのぅ……」


 目を剥く光に、半笑いを浮かべる黒。


 その隣では、引き続き環が大音声で庸一に声援を送っている。


 なお、それらは大体耳に入っていたのだが、触らぬ神に祟りなしとばかりに完全スルーを決め込んでいる庸一なのであった。

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