第22話 世界に色を与えてくれた人

 暗養寺黒の人生は、常に退屈と共にあった。


 世界に名だたる暗養寺コンツェルン、その総帥の一人娘として生を受けた彼女は、望めば全てを与えられる立場にいた。


 けれど、彼女がその権利を行使したことは一度としてなかった。


『お嬢様、こちら○○様からの贈り物でごさいます』


『お嬢様、××という国の名産品で是非お嬢様にと』


『お嬢様、楽団△△からの招待状が届いております』


 なぜならば、望まずとも何もかもが与えられてきたからだ。


 ゆえに、暗養寺黒に『欲しいもの』など何一つとして存在しなかった。


『お嬢様、お食事のご用意が──』


『お嬢様、新しい玩具が届き──』


『お嬢様、今日のお召し物は──』


 同時にそれは、彼女にとって価値あるものがこの世に存在していないことを意味していた。


 暗養寺黒は、生まれたと同時に全てを与えられた少女であり。

 生まれたと同時に、全てを奪われた少女でもあった。


『まぁ、なんと聡明なのでしょう』


『天使のように愛らしいお姿だわ』


『素晴らしいセンスでございます』


 賛美の言葉には事欠かない。


 だが、そんなことには何の意味もない。


 黒は、知っていた。


『ピクリとも表情を動かさないのね』


『笑った顔なんて見たこともないよ』


『まるでお人形さんみたいだわ……』


 自分が、陰でそんな風に言われていることを。


 だが、黒は思う。


(どちらが人形じゃ)


 どうせ、黒が望んだ通りにしか動かないのだから。

 唯一肉親だけは例外であったが、年に一度も会えない彼らは黒にとって他人よりも遠い存在であった。


 生まれてからずっと、黒の視界にはほとんど変化の生じない灰色の世界が映るだけ。


 けれど、十二回目の春が訪れる少し前のことだった。


「お嬢様、お迎えに上がりました」


「ご苦労」


 SPに囲まれての下校途中、送迎の車に乗る直前で。


「んげぇっ!? 魔王!?」


 後に黒の世界に色を与えることになる少年が、そんな声と共に現れたのは。


 最初、彼の方に目を向けたのはただの気まぐれにしか過ぎなかった。


「やべぇよ、やっぱ魔王も転生してんのかよ……い、いや、これか……? ついに、来たのか……? 今日が、その日なのか……? これが……これこそが、俺の『使命』……ってことなのか……?」


 ブツブツ呟く少年からも、すぐに興味を失った。


 否、最初から興味を引かれてすらいなかった。


 元々、声が聞こえたから半ば反射的に目を向けただけに過ぎない。


「な、なぁ、魔王!」


 もう一度視線をやったのだって、どうやらその『魔王』というのが自分のことを指しているらしいと思ったから。

 呼ばれたから見た、ただそれだけのこと。


 けれど。


「お前はやっぱり、この世界も欲しているのか……?」


 その問いかけには、少しだけ興味を引かれた。


 というよりは……苛ついた、と言うべきか。


 随分と久方ぶりの、感情の揺らぎだった。


「欲する?」


 口元が、笑みの形に歪む。

 皮肉げに。


 それすらも、年に一度も訪れない表情の変化。


「いるものか、斯様な灰色の世界」


 もういつ以来か思い出せない、本心から吐き出した言葉だった。


「そう……なの、か?」


 なぜだか酷く驚いた様子で、少年はキョトンと呆ける。


 かと思えば、すぐにハッとして表情を改めた。


「なら、壊したい……とか?」


「壊したい?」


 今度は、黒がキョトンとする番だった。


「世界を?」


 自覚しないうちに、笑みが深まる。


 周囲のSPたちから、動揺する気配が伝わってきた。

 恐らくは、黒のそのような表情の変化を見るのが初めてだったからだろう。


 それもそのはず。


「あぁ、壊したいものじゃのぅ」


 それは、黒が生まれて初めて発した『願い』だったのだから。


 こんな退屈な世界、壊せるものならば壊したい。


 初めて自覚した『願い』は、しかし同時に、黒にとって初めて遭遇した『叶えられないこと』だった。

 たとえ世界一の大金持ちだとて……まして、その娘に過ぎない十二歳の少女には到底実現不可能な『願い』。


 それはただの言葉に過ぎなかったが、黒にとって初めての挫折であり。


「……そうか」


 けれどそんな挫折も、直後には何の意味を成さないものとなった。


「なら、俺は」


 なぜならば、比べ物にならないほどに価値のあるものに。


「止める」


 世界を壊すことよりもずっとずっと果たしたい『願い』に、出会ったから。


「俺が、止める」


 少年は、本気だった。


 物心つく前に社交界デビューを果たしていた黒は、図抜けて多くの人間を見てきた。

 それも、世界でトップクラスに本心を隠すのが得意な人間たちを。


 だからこそ、わかる。


「お前を、止めてみせる……絶対に」


 少年は震えながらも、どこまでも本気だった。


 本気で、世界を滅ぼさんとする存在の前に立ちはだかっていた。


 それも、子供の思い込みや空想ではなく。

 まるで年齢不相応に圧倒的な経験を積んできたかのような覚悟が感じられた。


 黒が初めて、本当の意味でこの少年に興味を持ったのはこの瞬間であった。


 そしてそれは、同時に。


 この時点では、未だ無自覚ではあったけれど。


 暗養寺黒が、生まれて初めて恋に落ちた瞬間でもあった。



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